文盲(もんもう)
両属地の野戦病院。
阿諛の姿が見えなくなった。
再び青二才を尋問した河鹿は、焦った顔で指示を飛ばした。
「キサマ! 阿諛が捕虜になっただと? 今すぐ血盥渓谷へ戻り、門客に知らせるのだ!」
青二才は早駕籠に乗り、どうにか3日で血盥渓谷へと辿りついた。
その報告を受けて、門客は即座に旅支度を整えた。
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門客の脳裏には、ふと幼少期の記憶がよぎる。
まだ裕福だった両親に連れられ、この地に渡来したあの日。
政争に敗れた両親は、新天地を夢見て降り立ったが、現実は非情だった。
祖国と違って貧しい土地柄。
人々は書物を読んで議論するどころか、はなから文盲。
フラストレーションの捌け口は、容赦のない教育となった。
体罰! 飯抜き! 抜き打ち検査!
ーー耐え難い修練の日々。
それでも知識の吸収を強制された結果、
門客の傲慢な知性は磨き抜かれた。
だが両親は、日増しに渡来の是非で争い、ある日母が、忽然と失踪。
最低限のご近所付き合いの要が消え、父と門客は、渡来人集落内でも孤立した。
外へ出れば「よそ者」と蔑まれる日々。
読み書きができないというのは、哀れなものだ。
その日、その日を生きるばかりで、後には何も残らない。
だからこそ、知識こそが自分を支えると信じてきた。
……だがーー
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あの夜から、門客の価値観は少しずつ変わり始めた。
とある屋敷に滞在していた頃。
また主人と酔客が騒いでいる。
辟易して部屋へ戻ると、
机の木簡を眺めている闖入者がいた。
阿諛である。
「これが大陸文字か。絵の方が分かりやすいのに。何て書いてあるんです?」
「知る必要はない。出ていけ」
付添いの小童など、放逐して終わるはずだった。
なのに、なぜかその口車に乗せられ、門客は阿諛を背に負って、宴会場へ向かう羽目になる。
「ただ返されたら、みんなの笑い者ですよ。
一芝居、付き合ってください」
その後の豆糊芝居は、どぎつい下ネタでありながらも、見事だった。
翌日もまた、阿諛は忍び込み、文字の意味を尋ねてきた。
「主君としての姿勢についてだ。だが、そのままでは理解できぬだろう」
門客は珍しく無料で丁寧に語り始めた。
王朝詣での意味、弱小領主が搾られる仕組み、
そしてーー「自ら動け。良い神輿は自分で作れ」と。
阿諛は素直に聞き、時に自嘲し、
「傅役が酷ければ尽くす気が失せるから助かる」
などと妙なことを言って笑わせた。
その瞬間、門客は初めて“読み書きの外側にいる人間”へと、
ふと心を動かされたのだ。
そこへ野盗の襲撃。
阿諛は平然と飛び出し、ただ一人だけ連れ去られた。
ーーまさか数日後、匪躬おぢを従えて戻ってくるとは、思いもしなかったが。
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だからこそ、いま阿諛が円理朝の捕虜になったと聞いて、門客は迷わない。
孤独だった渡来の過去も、皮肉と虚勢で鎧った知識人としての顔も、
阿諛との奇妙で温かい交流もーー
すべてが一本に繋がり、
門客を走らせるのだ。




