刑部(ぎょうぶ)の檻
都から小寿林領へ戻る道すがら。
阿諛は門客と匪躬おぢ、
そして置去り先から追いかけてきた山椒漁師みつちを従え、
のんびり(?)と関所に差しかかっていた。
だがーー
「阿諛、待て!」
関所の奥から飛び出してきたのは、元傅役、今は不遇の刑部であった。
刑部は、しつりの後見人争いに敗れて落ちぶれた身である。
もとより残虐趣味がたたり、
さらに都で阿諛を手放したことで「阿諛抹殺疑惑」までかけられていた。
政治生命は風前の灯火。
そんなところに、指名手配犯扱いになった阿諛が、のこのこ現れたのだ。
逃す手はない。
「阿諛だけ確保! 残りは通さん!」
匪躬おぢは一瞬で沸騰した。
「阿諛をかえせ!! 俺のおたから!!!」
門客は匪躬に静かに耳打ちした。
「ここは引け、匪躬。蒿雀氏へ戻り、将軍職へ復帰するのだ。
蒿雀氏の軍勢を味方につければ、阿諛を取り戻せよう」
男二人が話し合う横で、みつちは関所の前で大声を張り上げていた。
「おいクソ生意気な若造! わたしらは必ず戻る!
それまで阿諛ちゃんをいじめるんじゃねぇぞ!」
結局、三人は関所を通されず。
阿諛ひとりだけが、刑部の私室へと引きずり込まれた。
◆刑部の私室
行灯がぼんやりと刑部のやつれた顔を照らしていた。
阿諛はいつもと変わらない無表情でじっと見返す。
「……で。私ごときに何をさせるおつもりで?」
刑部は、かすかに震える指で阿諛の顎をつかむ。
「しつりのそばに戻れ。そして俺の冤罪を晴らすのだ」
声は細いが、怨念だけは鋭い。
「しつりの後見人は、あのクソ忌々しい叔父貴ーー兵部だ。
機を見てお前をまた送り込む。
それまで……お前は俺の直属だ」
阿諛は内心で眉をひそめた。
(またかよ……でも、これでしつりに近づけるなら)
「ところで、その“クソ忌々しい叔父貴”とは?」
刑部の唇がゆがんだ。
叔父貴とは、前領主の異母弟で、領衛兵を束ねる兵部のこと。
前領主は、先々代に冷遇され、兄弟であるその異母弟ばかりが贔屓されてきた。
異母弟に跡目を継がれるのを嫌がった前領主は、
―美しい分家の経産婦(刑部の実母)を強奪し、
―しつりを産ませ、
―しかしその経産婦は産褥死。
―そしてその子・刑部に恨まれ、川下りの最中に事故に見せかけて殺された。
「そりゃあなんとも……つくづく自分で墓穴を掘るのが好きな男だ」
刑部は、ゆっくりと阿諛の顎を離した。
「フッ違いない。阿諛……いまや、お前が俺の最高傑作とはな」
その声だけは、捨てきれぬ執着で湿っていた。




