8話 体面が服着て二足歩行したら貴族
出鼻を挫かれたわ。
ちょっと面貸せ、表出ろっ、と立ち上がった途端に、お父様からのお呼び出し。
考えてみたら、当然よね。わたしの耳に入るぐらいの話、お父様ならとっくにご存知よ。
談話室の円卓に、もう家族全員が揃って――赤子の甥っ子は別にして――座っていて、わたしが最後だった。
円卓。家族は平等、とか言って三代目が作らせた、年代物の円卓。一般的な貴族だと、当主が特別感のあるお誕生日席につく、長テーブルが主流だと思うんだけど。ほんとにあの三代目、世界と時代に頓着なさすぎでしょ。
でも、驚くことにセンスは良いのよね。使った木材がブラックチェリーみたいな材質で、経年変化で飴色の赤が濃くなってきていて、とっても綺麗。
だからわたしはお父様に掛け合って、談話室は円卓に合わせて淡いベージュとオフホワイト、ローアンバーで、シックな感じにコーディネートしたわ。
スーパーハイパーウルトラゴージャス美人なわたしがいる館なんだもの、談話室だってビューティフルに、よ。
だけど、こうやって家族全員が揃うのは久しぶりね。お父様かアトレイタスお兄様のどちらかは、領地におられるし。トランお兄様はお城にお部屋をいただいているから、タウンハウスにさえなかなか戻られないもの。
「……まだ、それほど大きな噂にはなっていない。下働きと、下級兵士の口の端に上っている程度、ではあるが」
まずは現状認識、と全員の顔を見回しながら、重々しくお父様が口を開いた。声音と同じく、表情も深刻、眉間の皺が深い。
若者の一時の気の迷い? 浮気ぐらい大目に見ろ? そんな問題じゃないわ、市井に生きる一般庶民とは違うのよ。
何と言ってもこの婚約、王家からの申し入れで、かつ、問題があれば解消も視野に入れた婚約だったのに、この噂。
噂が立つこと自体、あってはならないのよ。第三王子殿下がそんな疑われる行動をした、その事自体が。
――キグナスバーネ伯爵家を舐めている。
王家とはいえ……いいえ、貴族の頂点に立つ王家だからこそ。貴族の体面を潰したその意味を、知らないとは言わせない。
「非公式ではあるが、私は当主を退く。
今この時より、キグナスバーネ伯爵家の当主はアトレイタスとする」
代々受け継がれてきた伯爵家当主のシグネットリングが、お父様からアトレイタスお兄様に移譲される。
すでに話し合われていたのか、アトレイタスお兄様は粛々と、伝統と責任でずっしりと重いリングを受け取った。ちなみに、リングは葡萄をあしらった意匠よ。
「それでは、父上は急ぎキグナスバーネ伯爵領へ出発し、前領主の経験を活かし、領内、および、領軍の取りまとめを。
今後、王家と話し合うは、伯爵家当主たるこの私。万が一の時には王都を引き払い、皆を引き連れて領地へ。
号令あらば剣を抜け、躊躇いは不要。我が号令、それすなわちキグナスバーネの総意である――そう、心得よ」
アトレイタスお兄様が気負った様子もなく落ち着いた口調で、あるいは、感情の籠らない平坦な声音で、そう言い切った。冷ややかな怒りに細められた、お父様とお兄様の同じアイアンブルーの瞳が一瞬交差する。
オーレリアお義姉様が、片手を胸に当て、まるで騎士のように略式礼を取った。
「万が一の、伯爵領へのお味方を引き連れての退却戦、先陣を切るのはお任せください。
お義母様が我が子を守って先に領地へ向かっていただけるのなら、これほど心強いことはありません。
嫁ぎ、子を成した後に、この様な戦働きができるとは。国境を守る家の出とはいえど、所詮は女子供。日の目を見ることは無いと思っていながらも、それでも怠らず励んでいた甲斐がありました。
ありがたくも披露する機会をいただき、望外の喜びでございます」
静かに、それでも気迫のこもった眼差しでもって、オーレリアお義姉様は宣言した。
「領地への道程、どれほどの壁が立ち塞がろうとも、必ずや血路を切り開いてみせましょう」
背筋を伸ばし、凛々しく言い切るオーレリアお義姉様に続いて。アトレイタスお兄様の重くずっしりとした、確固たる意志がこれでもかと込められた声が、談話室に響いた。
「殿は、当主たる私が。決して、一人たりとも欠けさせはせぬ」
シグネットリングを嵌めた指を睨むように見つめた後、艶やかな黒髪を払って顔を上げたアトレイタスお兄様。
「ついでに追っ手を片づければ、敵の数を減らすこともできて好都合だ」
口の端をわずか上げただけで作られた、声も笑いもない、獰猛という以外に形容のしようがない嗤い。
殺意みなぎるアイアンブルーの瞳、黒を基調とした衣服を身に着け、冷え冷えとした雰囲気を漂わせた様子に、わたしは。
――黒の魔王様、降臨。
王家のエンドロールが脳内を走ったわ、仕方ないでしょ。というか「敵の数」って、王家の兵はもはや敵呼びなの、そうなの。
わたしが、というのもあるけれども。キグナスバーネ伯爵家が虚仮にされたのが、逆鱗に触れたのね。
お父様とアトレイタスお兄様で意見が一致しているのなら、わたしは何も言うことは無いわ。
でも、それでも。
長兄である王太子殿下を尊敬し、将来は武人としてお仕えすると公言してはばからなかった第三王子殿下。
武に進むと決めたとしても、軍権を握るでもなく軍閥の神輿に担がれないよう、将軍たちとは距離を置いていた第三王子殿下。
トランお兄様に申し訳なかったと、口に出すことさえできずに深く深く悔いていた第三王子殿下。
噂になるような行動を取ったのは事実だろうし、あまりに不注意でしょう王族の自覚あるの馬鹿じゃないの、とは思うけれども。
横に座るトランお兄様を盗み見る……薄幸の書生風美青年にますます磨きがかかって、いよいよ薄命の佳人にしか見えないわ。アトレイタスお兄様の決定には一も二もなく従うけれども、悲しそうな表情が隠し切れてない。
仕方ないわね、トランお兄様のために一肌脱いであげるわ! それに、オモシロオカシク盛られた噂話よりも、ちゃんと自分の目で確認した方が断然良いに決まってるし。
「アトレイタスお兄様、決定に否やはないわ。でも、お母様は赤子を連れての帰郷。お父様の強行軍と違って、ゆっくりとしか進めないでしょう?
時間を稼ぐためにも、わたし、第三王子殿下と話してみるわ。その間に、噂の調査と事実確認をもう少し詳しくしてみるのはどうかしら」
三日後、出仕しているトランお兄様を訪ねて行くという態で、王城へ向かうことになって。そしてもしも、の時のために、護衛が三名付けられた。
キグナスバーネ伯爵家に仕える領兵の中でも腕が良いと言われていて、わたしともほんの少しは面識のある三名。
一人は、四十代後半の、年経てなお技冴え渡る領軍の大ベテラン。もうね、いぶし銀よ、いぶし銀。それほど大柄じゃなくて、いかにも強そうって風じゃないのに、積み重ねてきた経験が滲み出てるの、かっこいいわぁ。
アトレイタスお兄様の前だっていうのに飄々としてる所なんて、もうほんとさすが、としか言いようがないでしょ!
一人は、三十歳過ぎの、脂の乗った今が盛りの領軍でも五指に入る剣士。ついでに大人の余裕と色気も、五指に入ってると思うわ。胸元なんか隙あらばはだけちゃって、流し目が堂に入ってるもの。彼を見た時、脳内に『ホスト』って、前世の言葉のテロップが流れたのは秘密よ。
初めて会った時、つい、ゴールドチェーンが似合うとアドバイスしたら。次の日、安物だけど身に着けてて。
グラっとくる色気のあるちょい悪オヤジっぽいくせに、わざわざ見せに来るなんて、意外とワンコ気質なの? って思ったのを覚えているわ。
最後の一人は、わたしとたった五歳しか違わないのに、剣の腕だけだったら領軍で一番強いと目されている青年、名前はクレンクルース。鳥の羽みたいにちょっとボサついた髪は白くて、瞳の色は深い暗緑色、無口で無愛想というか、愛想無しのぶっきら棒。
男臭い風貌だし、女子供からは怖がられる目つきだっていうのに……。
それなのに、かっこいいのよ!!!
なぁに? この、外見に何の力も入れてませんよ、なくせに! 体は鍛えられてるのが服着てても分かるし。腹筋なんか絶対割れてるでしょ、って見なくてもわかるぐらいに逞しいし。
見栄えなんて気にしなくても、護衛として立ってるだけで周囲に与える安心感が半端ないから、自身を引き立てる飾りなんて要らないわよね! それでちょっとでも騒動が起これば、一躍ヒーローになるのよ。
この天然タラシの質実剛健野郎が!
……いけないわ、つい、前世のわたしが表に出てしまったわね。落ち着きなさい、今のわたしは、スーパーハイパーウルトラゴージャス美人なコラヴィアちゃんよ。
装飾美と機能美なんて、比べるものでは無いわ。さながら薔薇と猟犬よ、方向性が違いすぎるでしょう。
そう、わたしは綺麗でかわいいの。この美しいわたしが生きているからこそ、世界は光り輝いているの。
だから。
「今日は髪がハネていないわね、ちゃんと整っていて格好良くってよ」
方向性の違う美しさを認めもするし、褒める余裕だってあるわ。自分に自信があるって、素晴らしいことね。
わたしは強者の余裕でもって、微笑みと共に称賛の言葉をかけてあげた。
最後の一文、端的に女王様の微笑みって書きたかった作者です。
質実剛健野郎……無愛想無口なヒーロータイプ、いますよねー、心当たりありますよねー。そんな感じの奴です。
(こっそり、「パトカー」を「猟犬」に変更しました)
次、9話「パーフェクト美人は常在戦場」