2話 下のお兄様は文学な少年系
無事、お父様に第三王子殿下はイヤです、って言ってきたわ。
代わりにあの俺様っぽい殿下の側近に、お兄様――大兄さまじゃなくて、下のトランお兄様を側近にどうか、って申し上げた。
押し付けたわけじゃないわ、相性の問題よ。
キグナスバーネ伯爵家の次男、トランペタスお兄様、十三歳。少し癖毛の柔らかい髪は金髪というよりライムイエロー。瞳の色は優しくて涼し気な淡いベビーブルーで、目はぱっちりしてるのにちょっと垂れ目気味で優しくて、いつだって穏やかに笑いかけてくれるの。
そうね、イメージは、図書館で本を読んでる色白で物静かな文学少年、それがトランお兄様ね。
ああ、そう言えば『図書館』なんて、今世には存在しないわ。あえて言うなら書斎かしら。これからは、言葉に気をつけないと。『警察署』もないわ、騎士団や兵舎はあるけど。
というか、『美容院』『エステ』ってなに。大事なことだったと思うのだけど、それが、何、なのか思い出せない。鏡の前で、わたしったらなんて美しいのって見惚れるたびに、『コスメ』『エアリーヘア』とか、上手く思い出せない謎の言葉が浮かんでくるのよね。
魂に刻み込まれた恨みつらみは、鮮明に思い出したのに。中途半端なのが、もどかしいわ。
次男のトランお兄様は、長男のお兄様が爵位を継ぐから、それを補佐するよう育てられたこともあるんだけど。ほんと穏やかで思慮深くって、細々とした采配がお上手で、補佐に向いてるの。
わたしのあっちこっちに飛んでしまう話にも、最後まで落ち着いて聞いてくれて、かつ最後にはちゃんと論理的にまとめてくれるのよ。そしてお兄様ご自身のことは万事控えめなのに、わたしのことは臆さずお父様に言上してくださるの。
話を聞いてくれるだけじゃないわ。我が儘も、癇癪だって起こしてしまうわたしに、粘り強く向き合って聞いてくれて、「それが本当にしたいこと?」って、諭してくれるの。
最後は、そうよ、寂しいの、構って欲しかったの、ごめんなさいトランお兄様、ってなるのが様式美ね。
……え、ちょっと前世を思い出したわたしの心が騒ぐわ、それ本当に十三歳なの? って。えっと、そう、そうよ、間違いないわ、ほんとに十三歳よ。
そんなトランお兄様だから、あの俺様っぽい第三王子殿下の側近に向いてると思うのよね。
十一歳の殿下に、十三歳のトランお兄様。
いいんじゃない?
ちょっと年上の側近って、要は、お手本になる感じでしょ?
先にチャレンジして、失敗しながら課題をクリアする姿を見せて、次にチャレンジする殿下のコツとかヒントになるような。兄弟で、下の子の方が要領の良いちゃっかりさんになるって、そういうことでしょ。
トランお兄様なら、良い感じに第三王子殿下の指導役になれるんじゃないかしら。わたしという至高の美少女に、顔ふいってするような無礼な態度にも怒らず、気長に付き合っていけると思うのよ。
――でも、舐められないかしら、それが心配ね。
穏やかを、軟弱。
優しいを、惰弱。
意見調整を、優柔不断。
そんな風に勘違いする愚か者って、いるのよね。あの第三王子、わたしの美しさが理解できないぐらい低能なんだもの。
どうしたらいいかしら。
~・~・~
あのお茶会からしばらくして。
トランお兄様が第三王子殿下のお友達、つまりは将来の側近か従者になる、お取り巻きの一人に選ばれたわ。
まぁ、さすがは王家ってところかしら、見る目あるじゃない。お父様の御意見があったとしても、決定するのは王家でしょ。
「トランお兄様、この秋、王城へ行かれると聞きましたわ」
今日のわたしの装いは、ローズマダー色の内ドレスに、コーラルピンクのウエストがくびれたロングコートみたいなオーバースカート。内に着ている暗赤色のドレスの華麗でどっしりとした重厚感を、コーラルピンクのドレープたっぷりのオーバースカートで、可憐に愛らしく、って上書きをしてるの。
付け襟や袖の繊細なレース、腰のベルト代わりの幅広リボンも、白よ。可愛いでしょ? 我ながら、あまりの愛らしさに惚れ惚れするわ。
赤が好きだからって、以前は全身、赤! ってしてたのだけど。思い出してからは、あんまりなコーディネイトね、って即座に修正をかけたわ。前面に押し出しすぎると、逆に目立たないのよ。
今はワンポイントとか補色とか、配色にも気を配って、可愛く赤を着てるわ。
衣装と言えば。思い出してから銃も火薬も聞いたことがないし、文化的には中世ぐらいかしら、と思ったのだけれど。衣装は近世のヴィクトリア朝寄りなのよね。男性はタイツじゃなくてズボンだし。
中世なんだか近世なんだか、時代が迷子で混乱するわ。
しかも前世を思い出したわたしにとっては、びっくりしたことに魔法があるのよ。いえ、驚くのなら、前世の異世界に魔法が無かったことを驚くべき?
……いえ、まあ、どうでもいいわね。今のわたしの、この美貌に比べたら、大して気にすることではないもの、些事よ、些事。
魔法があるから、文化も違えば、文明だって進み具合が違ってくるのよ。大したことじゃないわ。
さて。
王城へ居を移す準備に忙しい中、面会を申し入れてお兄様に時間を取ってもらったのには、理由があるの。
侍女に合図して、持たせていたモノを兄様の侍従に渡してもらうと、侍従が広げ、白いマントがばさりと広がった。
「……マント?」
「そうよ、お兄様に似合うと思って!」
そう、マントを渡しに来たの。表は汚れ一つない雪のような白、裏打ちは鮮やかな空の青。
「あのね、トランお兄様。これから、第三王子殿下に仕えることになって、ご用事をいただいくようになるでしょ? それで、拝命して御前を失礼させていただくその時に、マントを大きく翻してほしいの!」
「…………う、うん?」
マントは受け取ってくれたけど、戸惑った表情を浮かべたまま動かないトランお兄様がもどかしい。
仕方ないわ、わたしが特別に実演してあげてよ。
トランお兄様からマントを借り受けて、代わりにわたしが着て……着……て…………背丈が! 背丈が足りないわ! これじゃマントをひらり、とか、マントをばさーって、できない!
完全無欠、最強無敵の世界一美少女コラヴィアちゃんが、自信満々でマントを受け取ったっていうのに、翻すことができないなんて。
こんなに綺麗で可愛いのに、とっても格好悪いわ、わたし!
ずるずるとマントを引きずって、振り回そうとしてべたりと絡まってるわたしを見かねて、お兄様の侍従が慌ててわたしからマントを奪い取った。
「お嬢様がなさりたいのは、こういうことでしょうか?」
お兄様の侍従は二十歳ぐらいの青年で、わたしにとっては長すぎたマントが、その手の中ではショートマントっぽく見える。侍従は手に取ったマントを着ず、手で肩に押さえるだけにして、その場でくるっと回ってみせてくれた。
真っ白いマントが大きく翻り、裏打ちの青を鮮烈に魅せつける。そして鮮やかな青はマントの靡きが落ち着くと、また再び、表の白に隠された。
「そう、そうよ! もう一度回ってから、そのまま、談話室の外へ歩いてみて! もちろん、マントを翻してよ!」
わたしの言葉に侍従が大きく頷き、軽く一礼してから、わざとマントを大きく跳ね上げて、くるっと背中を向けた。その動きに合わせてマントがばさりと音を立てて大きく翻り、ひらり、と青の余韻を残して白の背中が談話室から去っていく。
かぁっこいー!
白馬の王子様がマントを翻して現れるのもいいけど。マントをばさりと翻して去って行くのだって、かっこいいわ!
部屋付きの侍女たちもちょっと驚いた表情を浮かべて、侍従の後ろ姿を目で追ってるもの。やっぱり、かっこいいのよ。
正義のヒーローが、白マントを靡かせて去って行くって、鉄板じゃない!
あれに憧れない女の子はいないわ。いいえ、男の子だってよく真似して遊んでいたもの。男の子だって、あのかっこ良さには憧れるわ。
背中で語る男のかっこ良さ、世界も男女もボーダレスよ!
「トランお兄様!」
期待の眼差しを向けると、戻って来た侍従からマントを受け取り、トランお兄様は黙って手早くマントを身に着けた。目の前に、足元までの白いロングマントを纏った美少年が出来上がる。
きりっとした顔つきで、わたしとトランお兄様は頷き合った。
びしっと前を向いたトランお兄様が、勢いよくマントを跳ね上げると同時にくるりと背を向けると、白に裏打ちが青のマントが、ばさりと風をはらんで大きく翻った。
マントをひらりとはためかせ、無言で去って行くその背中。
「かっこいいわ! 素敵よ、トランお兄様!」
わたしは歓声を上げて、戻って来たトランお兄様が照れるのも知ったことかと、褒めに褒めた。部屋にいた侍従も侍女も、颯爽として格好良かったと、素直な感想を添えてくれたわ。
前世のわたしなら、イケメンなら何したって似合うわよね、けっ、て僻んでたでしょうけど。今のわたしは、偽りのない、心の奥底からの本心で称賛することができるわ。
自分が綺麗だと、こんなにも自信が持てるものなのね。羨むでもなく、人の美しさを褒めるのも、やぶさかではなくってよ。
わたしが薔薇だとすれば、トランお兄様は水仙。わたしがチョコレートケーキなら、トランお兄様はオレンジシャーベット。方向性が違うから、比べることに意味が無いの。素直に綺麗だと認めるわ。
「きのこ」「たけのこ」とは、ちがうのよ。
この格好良さがあれば、俺様な第三王子殿下だって、トランお兄様を侮ることなんてできないでしょ。
かわいいも、格好良いも、パワーなんだから!
わたしとトランお兄様は、いかに格好良くマントを翻すことができるかと、ダンス並みに練習した。
別に、隠れてやってるわけじゃないから、見学し放題なんだけど。なんだか最近、屋敷のみんなのマント率が高いの、気のせいじゃないわよね? 格好良かったのよね、一緒に練習してもよろしくてよ?
そこのあなた、トランお兄様には似合わないけれど、あなたにはこのマフラーが似合いそうだわ。ほら、遠慮はいらないわ、真っ赤なマフラーをなびかせるのよ!
そして披露するシチュエーションについても、侍従だけじゃなく、屋敷に仕える侍女とかも巻き込んで、みんなで熱く語り合ったわ。マントを翻して去るのが毎回毎回だと、見慣れてしまって希少性が薄れるんじゃないかって。
だから。
ここぞっ、という時にタイミング良く!
映える時を狙って!
御前を辞す時に、なるべく夕暮れ時を狙って、夕焼けに向かって去って行くのが良いわね!
真っ赤な夕陽に溶け込むように、マントを翻して去って行くヒーロー。
古典的だけど、格好良いの原点でしょ。
前世では娯楽が溢れかえりすぎてて、普通のヒーローだとありきたりで陳腐、ニヒルなダークヒーローでまぁ普通か定石、それからさらに捻って一般人を騙った逸般人ヒーローとか魔王ヒーローとか、乱立しちゃって。ダークな魔法少女だって、下地にメルヘンな魔法少女があったからこそ。
まだ今世、そこまで娯楽が溢れかえってないから、正統派ヒーローがダイレクトにかっこいいのよね。
白マントを風に靡かせるトランお兄様。
こんなに格好良かったら、王城のどんな高位貴族であっても、蔑ろになんてできないはずよ。
秋になって。わたしはトランお兄様を、自信をもって王城へと送り出した。
翻るマント! 風に舞うドレス!
目を閉じれば浮かんでくる、名場面!
この世界でも、受け入れられたみたいです。
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