10話 これが噂の!
小柄な体でくるくるとよく働く、華奢で愛らしい女の子。緩く編まれた薄い桃色の髪は長く垂らされ、袖口から覗き見える細い手首は白く艶めかしい。
可憐、という言葉がぴったりの彼女から差し出された、治癒術を施すそのか細くたおやかな繊手を。
――わたしは力一杯振り払った。
「わたしに触らないで!」
~・~・~・~・~
ピンク髪を中心にした猿団子、もとい、兵士団子。
あの人込みからどうやって連れ出したら良いかしら、なんてことを考えて見ていたら、さすがに目立って。テント外側にいた兵士が、護衛を連れたわたしに気づいて。
あれよあれよと人だかりの中心、第三王子殿下とロセア嬢の前に通された。
二人を前にして……一人は引っ付こうとして、一人は身を縮こまらせて離れようとして。結果、楽しそうな笑顔の第三王子殿下に腕を取られて嫌そうな顔もできず、ロセア嬢は俯いて表情を隠しているわ。
え、なにこの、いじめっ子といじめられっ子の図。嫌よ嫌よも好きの内、じゃないわよ、気づきなさいよ。
これ、早々に引き離さないとまずいわね。
とりあえずわたしは、ここへはトランお兄様に会いに行くついでに、殿下へご挨拶しようと参りました、と――設定通りの、第三王子殿下にとっては皮肉にも取れる理由を、気まずいはずの状況で告げたのに。
第三王子殿下は幸せそうな表情を崩さず、そうか、と何の動揺も見せずに頷いた。
……いくら何でも、オカシイわ。
第三王子殿下は、それなりに真っ当な常識人で。こんな、明らかに嫌がってる相手に、無理強いする人じゃなかったはず。
しかも恋に浮かれていても、いえ、浮かれていればこそ、この状況がまずいって、後ろめたく思うはずよ。
これだけ幸せそうにしていて、まさか自覚がないとか……友達と一緒にいて楽しい、なんて世迷い事ぬかさないわよね。
殿下が言い訳を口にしたら、上げ足とって、何やかやと理由つけて彼女を連れ出すつもりだったのに。
動揺して沈黙してしまったわたしに、第三王子殿下がロセア嬢の治癒を笑顔で朗らかに勧めてきた。
凄腕の治癒術師ですか、そうですか。
お勧めのハイテンションっぷりが、気に入った化粧品を勧める女の子と同じだから、他意はなさそうね。
連れ出す口実を考える時間もほしいし……昨日、刺繍してる時、指先を少しだけちくっとしてしまったから、じゃあ、ちょっとだけお願いしようかしら。
手を差し出したわたしに、ロセア嬢が一瞬だけウィスタリアの瞳を上げ、何か言いたそうに口を開いたけれど。付き従っている侍女にちらりと目を向け、諦めた様に視線を落として、何も言わずに治癒魔法をかけた。
わたしは気になって、ロセア嬢に倣って侍女を盗み見た。ロセア嬢の背後にぴったりと立っている黒に近い茶色の髪の、侍女のお仕着せをきっちり着込んだ、真面目そうな三十代半ばの女性。
彼女が、フェミンゴ男爵家から連れて来た侍女ね。
田舎の男爵領出身の割に、王都の王城で、しかも第三王子殿下という王族を直接目にしてるというのに、まったく浮かれた雰囲気がないのも不思議ね。
――なんて、考えることができたのは、ほんの一瞬だった。
心に幸福が満ちてくる。ひたひたと、じんわりと、滾々と、何とも言えない喜びが、泉の如く溢れてくる。
渇きにもたらされた甘露の如く、体全体が歓喜に震えた。
冬の暖かい寝台に、ぬくぬくともう一度もぐり込む幸せ。思考を放棄して、安寧のまま微睡む至福。
わたしを傷つけるものなど何も一つない、満ち足りた――
し、あ、わ、せ、……いや、待って。……幸せ?
はぁ? えええ!? 待って、いえ、待ちなさいよ、自分! 鏡で自分を見る以外に、こんなにも幸せになることって、ある!?
あるわけないでしょ!!!
前世のわたしが、どれだけ鏡を見るのがつらかったか。でも見ないわけにはいかないから鏡を見て、その度に、何度も、何度も、絶望を味わった。
生まれ変わってもう十六年も経つというのに、まだ鏡を覗き込む時、もしも、という恐怖を拭い去ることができない。
そして今世。毎回、わたしは綺麗、かわいい、という呪文で勇気を奮い起こして、鏡を見て――映るのは、スーパーハイパーウルトラゴージャス美人なわたし!
絶望の恐怖から一転、込み上げてくる歓喜。世界がバラ色に思える無上の幸福を、わたしは心の底から知っている。
だから、たかが指先のちくっ、が治るだけなのに、こんなにも幸せを感じるだなんて、ありえないわ!
わたしは咄嗟に、この高揚感をもたらした元凶を、力の限り振り払った。
「わたしに触らないで!」
ありえないから! と、いまだ意識に揺蕩う溺れそうになる幸せを、振り払う手と一緒に、勢いよく遠くへ投げ捨てる。
そして、少し正気を取り戻したわたしの目には。
わたしが振り払ったせいで、医務テントの中、椅子から転げ落ちて地面に倒れる、ピンク色の髪の彼女。
目を大きく見開き、呆然として見つめてくるウィスタリアの瞳から、わたしは助け起こすのではなく、一歩、二歩、後退って距離を取った。
脈絡のない意味不明な幸せへの恐れから、距離を取ったわたしと入れ替わるように、ロセア嬢に駆け寄る――第三王子殿下。
殿下は土が付くのも構わず地面に膝を就き、肩を支えて抱き起してロセア嬢の安全を確保すると。
怒りに打ち震える憤怒の形相で、わたしを怒鳴りつけた。
「貴様、何をする! ただ治そうとしたロセアが、貴様に何をした!」
殿下のわたしを睨む薄茶色の瞳は、陽の下でもないのに、トパーズイエローのように爛々とギラついていた。
「前々から、お前のことは気に入らなかったんだ。
その目立つ金髪に、派手な顔、そして自分が美しいと思っているその言動! 王家の配慮があるからと図に乗り、金に飽かせたけばけばしい装い!
お前は四代前の王妃そのものだ!」
いまだ語り草となっている、四代前の悪女。
第三王子殿下が憎々し気な声で、悲鳴を上げるように叫んだ。
そして。
現国境伯の孫、未来の国境伯の甥となる赤子の、生家の格上げ。
近年、爵位料の支払いを渋る貴族たちへの釘差し。
冷遇されていた力ある地方貴族への融和策、その看板として、王家が画策したキグナスバーネ伯爵家の、侯爵への陞爵。
そういった諸々の政略を飲み込んで、婚約を結んだはずの第三王子殿下が。
「キグナスバーネ伯爵家が三子、コラヴィア!
お前との婚約を破棄する!」
医療テント内どころか、訓練場全体に響き渡る大音声でもって、そう宣言した。
なんとびっくり、この物語、婚約破棄ものだったのです!
驚きましたか!?
(サプライズの後のジャンル言い訳)
婚約破棄してますが、愛がないので、ハイファンタジーです。
ジャンル決定理由は、エッセイ「ジャンル瞑想、迷想……迷ランニング」をご覧ください。
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