実家に犬がやってきた
本エッセイは、縁あって実家にやってきたワンちゃんのことを、とりとめなく綴っただけのものです。
少しかわいそうな話や、ちょっと苦い話も途中に出てくるので、苦手な方はご注意ください。最後はハッピーエンド(?)です。
コロナ禍もいまだ収まらない今年春。実家に犬がやってきました。
20年近く共に暮らした愛犬を見送って、早幾年。もう我が家で犬を飼うことはないだろう……と、家族の誰もがなんとなく感じていました。
可愛がるだけでお世話はしてくれない、正確には自分のしたい世話しかしてくれない父は、「柴犬がほしい」とか言っていた気もしますが、それはさておき。
垂れた耳とつぶらな瞳、薄茶色の毛並みが可愛い子でした。
仔犬ではありません。事情があって、元の飼い主さんが手放さざるを得なくなり、引き取ることになったワンちゃんです。
名前は個人情報ですので、ここでは仮名・つくねちゃんとしておきます。
やむにやまれぬ事情があってのこととはいえ、住み慣れた家を離れ、家族とも離ればなれになったつくねちゃん。
心の傷を負っていることは想像に難くなく、縁あって我が家に来たのだから、できる限り可愛がろう、とそこは家族全員一致して考えていたと思います。
ちなみに筆者は既に実家を離れているのですが、わりと近場で生活しております。
「自分の犬」と呼べるのは亡くなった愛犬だけと思い定めているので、つくねちゃんのことは家族に丸投げして、たまに玩具やおやつを買っていったり、週末ごとに顔を見に行っては散歩に付き合ったり、と気ままな交流を続けておりました。
しかしながら、このつくねちゃん。
……愛情表現が激しすぎる。
隙あらば飛びつく、痛いほどしがみつく、舐める。最初は落ち着いて目を合わせることもできませんでした。
慣れない環境に放り込まれたせいもあったでしょうが、それだけでもないように感じました。
満たされていない。そんな風に見えたのです。
元の飼い主さんは、つくねちゃんのことを間違いなく可愛がっておられました。
ちゃんとトリマーさんにも連れて行って、見目麗しくしておりましたしね。
ただ。
まだ若いご夫婦でした。日中は当然働きに出ています。しかも小学校に上がる前の小さなお子さんが居ました。
仕事で疲れて家に帰り、子供の世話をし、家事をこなし。その上で犬に構う時間がどれほどあったでしょう。
週末には遊びに連れて行ったかもしれません。つくねちゃんは車に乗るのが好きです。多分、元の飼い主さんとお出かけしたことがあるからだと思います。
しかし平日の昼間、彼らが仕事に出ている間、つくねちゃんはケージの中でひたすらお留守番です。
筆者が住んでいる所は田舎なので、一昔前は、犬といえば犬小屋につながれているものでした。
1日中、鎖につながれて、ろくに動けない。最近ではそういう飼い方を見かけなくなって良かったなあ、と思っていたのですが。
実際は、ケージの中で寂しい思いをしている子たちも少なからず居るのかもしれないと。
つくねちゃんを見ていて、思いました。
誤解のないように言っておくと、そういう飼い方をしている飼い主さんを責めているわけではありません。
我が家の場合、両親はもういい年ですし、犬の面倒を見る時間的余裕があります。田舎なので、遊ばせる場所にも困りません。要は恵まれた環境にあるんですよね。
翻って、今の若い世代、特に子育て世代の人たちに余裕があるか、というと。
個人の問題ではない。社会全体の問題なのだと思います。
まあ、コロナ禍で家に居ることが増えたからと、安易に犬を飼い始めた人が多いというニュースも見ましたが……。コロナ禍が比較的収まった今は、果たしてどうしているのでしょう。
ちなみに、その後のつくねちゃんですが。
実家に来て半年あまり、新しい環境にも慣れて、毎日元気に暴れ回っております。
あいかわらず愛情表現は激しく、畳をはがしたり、ソファーをかじったり、スリッパを破壊したりとヤンチャな子ですが、最初の頃に比べればだいぶ落ち着きました。
柴犬ではなかったことを、おそらくは残念がっていただろう父とも、仲良くお昼寝。
心配なのは、少しだけお太りになってきた気がすることでしょうか……。
可愛いから、喜ぶから、とついついおいしいものを与えすぎてしまうのは、うちの家族(筆者含む)の大変悪い癖です。
亡くなった愛犬も、いわゆる中年太りをしておりました。若い頃はとてもスリムだったのですが、10歳を過ぎた頃の写真を見ると……(汗)。
恐ろしいのは、当時の自分がそのことにまるで気づいていなかったことです。
散歩で出会うよその飼い主さんに「太ったんじゃない?」と言われても、全くぴんときておりませんでした。
愛情は時に、人の目を曇らせます。
つくねちゃんが、お餅のようにまん丸になってしまわないように。
これからも少し離れた場所から、静かに見守っていきたいと思う筆者なのでした。