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20話:旅宿


 ほぼ全ての敵をノア一人で倒してしまったので、三兄弟は後始末は引き受けるからと彼に宿に戻ってもらうことにした。

 護衛依頼を受けているのに大した事が出来なかった事に関して、若干(じゃっかん)の責任感を覚えたようだ。

 トム、タム、テムは魔物から討伐部位――犬歯を切り折ると、街道の外に穴を掘って死骸を埋めていく。

 放っておくと臭いに引かれて他の魔物が寄ってくるため、倒した魔物は素材や討伐証明部位だけを残し、後は穴を掘って埋めるのが冒険者の常識である。

 しかしゴブリンロードの遺骸は特に大きく、三人で引き摺るだけでも一大事で、彼らはくたくたになりながら旅宿へと戻る事になった。


 旅宿の中に入ると、上半身裸になったノアの身体をオリビアが拭いている姿が目に入った。

 優しげな微笑みを浮かべながら大きなタオルで丁寧に拭う様は、まるで母と子のようだ。


「ノアさん、あんまり無茶はしないでくださいね」

「大丈夫だ。オリビアに問題が無さそうで良かった」

「もう……困った人です」


 嬉しそうに彼の上半身をワシワシと拭くオリビアと、彼女の好きなようにされているノアの二人に苦笑いしながら、三兄弟は自分たちも汚れを清めることにする。

 革鎧を脱ぎ捨て、濡らした布で武具を拭おうとした時、不意に聖女の歌声が聞こえた。


「大いなる女神よ、我が祈りを聞き届けたまえ。願わくば彼の者達に癒しの奇跡を……回復魔法(ヒール)


 その詠唱に応じ、空気中に漂い出した光が彼らの身を包み込む。

 優しい木漏れ日のような光は彼らの汚れや疲れを全て消し去っていった。


「皆様もお疲れ様でした。まだ痛む所があれば教えてくださいね」

「うわぁ……ありがとうございます!」

「私からのせめてものお礼です」


 女神のように微笑むオリビアに頭を下げて礼を告げた時、トムはある事に気付いた。


(……なんで、ノアさんを拭いてるんだ?)


 優しげに慈しむようにノアを拭き続けるオリビアに、ふとした疑問を抱く。

 自分たちと同じように魔法で清めてしまえば良いだけだと思うが、何か自分たちのような一冒険者には分からないような事情があるのだろうか。

 何にせよ、楽しそうに(いそ)しむ彼女を止める理由も無く、首を傾げながらもトムは装備の点検を始めるのだった。


〇〇〇〇〇〇〇〇


(うぇへへぇ……ノアさんの匂いを特等席で!)


 無論、そんな小難しい事情など何も無かった。

 オリビアは至近距離で彼の火照った身体を撫で回し、余すこと無く堪能しているだけである。


 (よど)みの無い手付きからは邪念など感じられず、むしろ神々しい儀式を行っているようにすら見える。

 小さな所作ですら教会で訓練していた為、その心を外から推し量ることは魔法でも使わない限り不可能だ。


(ありがとう女神様! 本当にありがとうございます!)


 心の中で感謝の祈りを上げ、(くすぐ)ったそうなノアの背筋を指で撫で上げる。

 つ、と指を動かす度に筋肉がぴくりと動き、その反応に愛おしさを感じながら、抱き着きたい衝動を何とか抑え込んでいた。

 この場にはノアの他に冒険者や御者が居る。

 下手なことをすれば噂が広がり、旅が取り止めになってしまうかもしれない。

 大胆に攻めるのは二人きりの時だけと自分の中で決まりを作り、それでも抑えきれない欲望はこうやって僅かずつ発散していた。


 他にも色々と。よろけた振りをして抱き着いたり、彼の手元を後ろから覗き込みながら抱き着いたり、誤って彼の使用済みのカップから白湯を飲んだり。

 思い付く限り全て、けれど不自然に思われない程度の頻度で、彼女はノアとの触れ合いを行っていた。


(あああ! 半裸のノアさんが目の前に! 頬擦りしたいぃぃ!)


 オリビアのフェチズムに突き刺さる肉体美。

 細身ながらもしっかりと筋肉の着いた背中。

 時折漏れる、安堵しきった低く甘い溜息。

 ふわりと揺れる黒髪はまるで大型犬のようで、モフモフと撫で回したくなる。


 しかし、我慢だ。我慢するしかない。

 他人の目が無ければ何かと理由を付けて「お願い」する所だが、生憎(あいにく)と今は旅の連れ立ちがいる。

 彼と甘い一時を過ごすにはあまりにも適していない。


(ぐぬぬ。今日はキスもお預けですね……)


 煩悩に塗れた聖女は心の中で唇を噛む。

 残念だが、仕方あるまい。

 代わりとばかりに丹念に彼の身体を拭き上げると、最後にひたりと背中に両手を付けた。

 数秒程ノアの体温を感じ、すっと手を離す。


「ノアさん、終わりましたよ」

「ああ。いつもすまないな」


 振り返り、笑いながら礼を言うノアに胸が高鳴るが、やはり外側は自然体に。

 湧き出る性愛を完全に隠し切り、オリビアは聖女の笑顔を返す。


「やりたくてやっている事ですから」


 黒いインナーを着る姿を惜しみながら、脳内で先程までの蜜月を繰り返す。

 今夜寝る時も傍に居てもらおう。

 そう決意し、彼の革鎧を手渡すオリビアだった。


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