愚かなシコウ
少年は耐えていた。この狂いし状況に。
少女は絶望した。この終わりのない地獄に。
『愚かなシコウ』
それは一体誰を指すのか?
それは一体何を意味するのか?
答えはない。
模倣などない。
あるのは唯、観測せしモノの主観のみ。
ここに記すは意味無き記録。
ここに刻むは意味在りし記憶。
『愚かなシコウ』を見て何事か感じるならばよし。感じぬならばそれもまた良し。
さて、そろそろ御託は終わらせよう。
さて、改めて宣言しよう。
ここに記すは意味無き記録。
ここに刻むは意味在りし記憶。
これは、とある少年と少女を綴る■■である。
今日も今日とて短い睡眠。
最悪な環境。
そして煩く喚き散らすしか脳がない亜人種と奴隷の主人代理のクソ野郎。
バタ……
この、最悪を通り越してもはや地獄としか言いようがないところに居れば、当然体を壊す。
今、気絶して倒れてしまった亜人種の、まだ成人してないような外見の少女もまた、この地獄の被害者の1人。
バチン!
「早く歩けぇ!」
能無しクズ野郎がまた癇癪を起こした。こいつ、まだ幼女と言える年齢の女の子に対して、鞭をブチやがった……!
「う、ぅぅ……」
その女の子は、どうやら鞭で叩かれた痛みで目を覚ましたはいいものの、今度は正常に……否、極限状態で正常を通り越して鋭敏になってしまった痛覚が感じる痛みに蹲まっている。
「この……!さっさと、立ち上がれェ!」
バチン!!
「ぅ……ぁ、ぁぁぁぁ……」
今度はさっきよりも強く、鋭く、何よりも重く振るわれた鞭が、蹲る少女の、栄養不足で萎み乾燥した肌を容赦なく切り裂く。
「こいつ……俺様に逆らう気か!」
バチン!!
「俺様はなァ!」
バチン!!
「この世で一番偉い人間様のォ!」
バチン!!
「その中でも選ばれし貴族であらせられるイヴェルハルト侯爵様にィ!」
バチン!!
「仕えているヴィルパン様だァ!」
バチン!!!
クズ野郎の名乗りに呼応するように、一際重い鞭の一撃が少女を襲う。
それを、僕らは黙って無視するしかできない。
「ぅ……ぅぅ……ぁ……ぉ…ぁ…ん……」
「クソッ!死にやがった!」
クズ野郎はそれでもまだ苛立ちを収めていないようで、苦痛の表情で死んでいった少女を、まるで石ころのように蹴飛ばし始めた。
「クソがっ!テメェら亜人はよォ!頑丈さだけが取り柄の出来損ないだろうがァ!なのに何でこんな早くくたばるんだァおい!貴様らが死んだどころで悲しむやつなんかいやしねェが、俺が侯爵様に叱られんだろうがよォ!」
なんとも自分本位で身勝手な怒声。
その言葉に一瞬我を忘れて飛び出しそうになるが、すぐに僕ら奴隷と亜人種を縛る隷属スキルが発動する。
「……ッ!……ッ……」
隷属スキル。それは血と血の制約。
特殊な媒体に契約対象の血と主人となる者の血を入れ、隷属スキルの力で血を起点とした契約を結ぶこと。そこ迄ならただの契約スキルでもできることだけど、このスキルはある意味契約スキルよりも最悪なスキルだ。
契約スキルで契約を結ぶには、どんな場合でも、両者が対等であるという最低条件がある。勿論、両者が対等だと感じる境界点は違うから、完全な対等ってわけじゃないことも多々あるけど、それはまあ、誤差の範囲だ。
対して隷属スキル。これは、隷属の名が示す通り、対等じゃない。何せ、このスキルで出来るのは奴隷契約一辺倒。奴隷商でもしない限りは無用のスキルだ。
故に、一辺倒だからこそ、それに特化しているからこそ、その契約の効力は絶大。
奴隷契約には、奴隷契約対象の承認は一切必要ない。そして、1度奴隷契約が成ったらそれが人生の最後。その後は物としての生活とも言えない生活が幕を開ける。
そして、何よりこのスキルの恐ろしいところが……
「ッ!!」
「あぁん?お前……お前だよ!そこの偽人!ちょっとこっち来い」
違反者への罰則。
これは、その人その人によって違う罰則を掛けられるけど、残念な事に、イヴェルハルト侯爵とかいうクソ野郎に買われた僕らがかけられた罰則は金にモノを言わせた最上級罰則、その一つ。
『魂魄捻斬』。
効果は、魂を捻り斬る痛みを違反度合いに伴って与えるもの。
当然、これは痛いなんてもんじゃない。1歩間違えたら、多分死ぬ。
僕がこの痛みに耐えられるのは、慣れたから、としか言えない。
だけれども、慣れたとはいえ、痛いものは痛い。それが顔に出て、運悪くクソ野郎に見られたみたいだ。
因みに、偽人とは、人間の奴隷の蔑称。詰まりは僕のことだ。
そして案の定、僕の体は僕の意志とは関係なくクソ野郎の元に走って行く。 これが奴隷契約の効果だ。
「おいおいおいおい!変な顔する偽人がいるかと思えば、こいついっちょ前に罰則に耐えてやがるぜおい!クハハ、こいつは飛んだ玩具が手に入ったぜぇ……」
下卑た表情で僕の表情を観察するクソ野郎。
畜生ッ!こいつにだけはバレちゃいけなかったのに!こいつにバレたら、何されるかわからない!
「おぉ?よく見ればカワイイ顔してんじゃん?お前、識別番号はなんだ?」
「……1086番です」
これが今の僕の名前。奴隷になる前まではちゃんとした名前があったはずなんだけど、奴隷にされた途端、名前に関する記憶だけが消された。だから、今の僕の名前は1086番。
こんな名前、反吐が出そうだ。
もっとも、表情には出さないが。
「1086番、ねぇ……」
そう呟きながら、クソ野郎はボロボロになった女の子の死体に無造作に腰掛けて、何かの紙をめくり始めた。
その様子に怒りが募るが、罰則の激痛がどことも言えない場所で発生し、耐えるのに必死で考える暇がない。
「1086……1086……ああこれかってなんだよ、お前男かよ!クソがっ!テメェが女だったら俺様が持ち帰って優しくしてやったのによぉ、おい!」
そう言いつつ、僕の右頬をいつの間にか握りしめていた拳で殴ってくる。
僕はその衝撃に逆らわず、弾き飛ばされるように地面に倒れることで弱者を演じ、不本意だがクソ野郎の機嫌を損ねないようにする。
「チッ!ああクソが!……いや待てよ?」
不意に、クソ野郎が何かを思案するように顎に手を当てて無言になった。
それを横目で見た僕は、なぜだか知らないけど非常に嫌な予感がした。
「そうだな、そうするか……ククッ、おい、喜べ偽人」
クソ野郎の僕を見る目は、先ほどまでのゴミを見る目とはうって変わり、例えるなら、そう、金になる素材を見つけたような目つきで……
「お前を、この俺様、ヴィルパン様が、とってもいいところに売ってやる」
あぁ、ほら。絶対ろくなことじゃない。
「お前の容姿なら、男娼にでも売り込めば高く売れる。しかも、最高級の罰則にも耐えやがる根性持ちだからなぁ。長く使えて相手様は嬉しい。おまえを売った礼として、俺にも幾らか金が入るから、俺様も嬉しい。そして何より、偽人が人間様の相手を出来るんだ。お前も咽び泣くほど嬉しい。ククッ!みんな嬉しい結果だよなぁ!そうだろ?なぁ!」
そう、クソ野郎は、欲に目がくらんだ下衆の顔をしながら言った。
「……は、い」
それを僕は、拒否することなんて出来はしなかった。
■
「クソっ!」
『お前は明日の朝から旧王都に向かって、そこの男娼に売り払うからよぉ、それまでにここの生活を思う存分楽しめよぉ?』
あいつは、あのクソ野郎は、僕の腹に1発いいのを入れながら言った。
クソが、大切な商品ならもっと丁寧に扱いやがれ。
「……はぁ……」
そして、僕自身にも、既に限界は来ている。
無駄に喚いてはみたが、それで解決することなんて何一つない。
それを知ってて喚いたんだから、本当にもう、ダメかもしれない。
「……よりにもよって、男娼、かぁ……」
最悪だ。本当に、最悪だ。
今日この時ほど、僕のこの容姿を怨んだことは無い。
そりゃあ、僕はもう成人する年なのに未だに周りに比べたら小柄だし、ガリガリだから華奢に見えるかもしれない。しかも、山賊に殺された母親譲りの女顔に近い顔だし、遠くから見たら女に見えるかもしれないけどさぁ……。
「……最悪だ……」
もう1度、今度は声に出して呟く。
旧王都まではここから大体2日だったか?
……あと2日で売られるの、か。
そしたら今の生活の方がましなのかなぁ……?
むさ苦しい男色のクズどもに、色々と掘り返される、か。
「……嫌だなぁ……」
もう1回呟いて、そんな事をしても自体は公転しないと気づいたから、もう寝ることにした。
■
夢を見た。
今から四年前の事だ。
僕が11歳……詰まり、僕がまだ山賊に捕まっておらず、父と母の2人と各地を旅をしていた頃の夢。
「どうだ、××××?旅は楽しいか?」
「うん!めっちゃ楽しいよ、父さん!」
僕を挟んで右側にいた、僕に受け継がれた綺麗な金髪と、髪と同色の力強い目をもつ男性……僕の父は、旅が楽しいかを聞いてきた。
それに対して僕は、呑気に父の問い掛けに答えた。
「フフッ、確かに旅は楽しいわよね。でもね××××、父さんも母さんも、少し休みたいの」
「えぇ~、なんでぇ!?」
そして次に口を開いたのは、僕を挟んで左にいる、何処と無く今の僕に似た顔立ちと、青い髪、そして僕に受け継がれたどこか冷たさすら感じる深い青い色の目をした女性……僕の母は、突然、僕が生まれてから始まったらしい旅に終止符を打つと言ってきた。
当時の僕は散々タダをこねていたものたけど、全てを知っている今ならわかる。
この時、母のお腹の中には僕の妹がいたんだ。
もっとも、これが両親との最後の会話になるとは、この時の僕は全く考えてなかったんだけど。
僕がいやいやと、地面をゴロゴロとかれこれ数分間転がっていた時のこと。
ヒュンッ!
「き、ゃぁ……」
「が、ぁ……」
「……え?」
雲が一切ない晴天の中、突然降り注いだのは矢という名の雨。
それに頭から貫かれた両親は、恐らく、即死だった。
運が良かったのは、恐らく、即死だったから余計な苦痛を感じなかったであろうことだけ。
僕は、奇跡的に当たらなかったみたいだけど、それは単に地獄への道を進むべきと運命が言っているようにも感じる。
その後の記憶はない。
気づけば、どこかの洞窟の中にいて、そこで初めて山賊に捕まったのだと知った。
そしてそこで、父と母の解体ショー、という醜悪なお遊びを見せられ、そこで僕は妹がいるのだと知った。
まあ、すべて遅かったけど。
そこから記憶は飛んで、気づけばクソ野郎の元で奴隷になっていた。
■
「っはぁ!はぁ、はぁ、はぁ……夢、か」
何か、物凄い悪夢を見た気がした。
だけど、僕は無意識にそれを思い出すのは拒否しているらしく、夢の内容を全く思い出せない。
「……はあ」
そして今日のことを思い出してみると、なるほど。悪夢を見るには十分に嫌なことがある。
「嫌だ……」
男娼になんか、なりたくない……
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」
奴隷なんか、もううんざりだ。
「あ、ああぁぁぁぁああああ……」
とうさんと、かあさんに、あいたい……
「ひぐっ、えぐっ、ぅぅ……」
なんで、ぼくがこんなめに……
「とう、さん……かあ、さん……」
■
「よしっ、なんかスッキリした」
多分これまでの鬱憤をすべて泣くことで落としたからだと思うけど、それで事態が好転するわけじゃない。
むしろ、泣いてた時間分、限られた時間を無駄にしたような感じさえする。
「だけど、お陰で思い出せた」
と言うより、なんで思い出せなかったのかが不思議だ。小さい頃はよく呟いてたのに……。
まあ、僕自身にそれほど余裕がなかったってことなのかな?
「……ふう『ステータス』」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
名称「1086番(××××)」 15歳 種族:偽人
力:10 速度:15 魔力: 1
固有能力
『思考感染』
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
相変わらず、魔力だけが極端に低い。
けど、奴隷生活のたわものか、僕の年齢だと平均して8のステータスが魔力を除いて上がってる。最後に見た時は魔力以外が全部7だったから、その当時も結構高かったんだろうけど……。
「ん?『思考感染』?なにこれ?」
固有能力とは。
その人固有の技能みたいなものであり、一人ひとつしか持てないという点はあるが、効果は総じて強力無比。
なぜなら、人が起こせる現象を1とすれば、スキルで起こせる現象は100や1000は下らない。若しかしたら軽く1万を超えてるかもしれないけど。
僕らを縛る隷属スキルの効果からも、固有能力の強力さが伝わるだろう。
そして固有能力というのは、発現タイミングこそ人によって違うし、人によっては死ぬまで発言しないこともある非常に、ひっっっじょうにめんどくさいもの。
だから、僕がこのタイミングで固有能力に目覚めるのも大して不思議じゃない。
「不思議じゃ無いけど……思考感染?」
聞いたことがない。まあ、僕はそういった知識を十分につける前に奴隷になったから、聞いたことがないのも当然なんだけど。
「……でも、名前から何となく想像は出来なくもない?」
大抵の固有能力は、名称がそのまま能力に現れることが少なくない。
僕らを縛る隷属スキルで例えても、案外簡単な名称だし。
で、この固有能力の名称から考えられることは……
「おい!時間だ!テメェ起きてんだろうなぁ?!」
チッ、もう時間か。もう少し考える時間ぐらいとらせろよ。
「おうおう、起きてんじゃねぇかぁ……さっさと馬車の荷台に入りやがれ!」
クソッ、体が勝手に動く。
■
「……はぁ……」
クソッ、抵抗できないのはもう分かってたけど、それでも悔しいものは悔しい。
しかも、せっかく手に入れた固有能力の検証もできてないし、それが余計に苛立つ。
つい無意識に爪をかんでしまう程度には。
「で、めんどくさそうだから無視してたけど……キミ、だれ?」
僕が声をかけたのは、どこか死んだ魚のような目で虚空を見てる一人の女の子。
大体13歳くらいかな?赤い髪に赤い目をしていて、適度に整った顔立ちはどこか漂う幼さと相まって可愛いという言葉が似合う。
ただ、輝きがない死んだ魚のような目のせいでくらい印象の方が強いぐらいだけど。
声をかけた理由は、特にない。ただこの馬車に乗ってるのが僕とこの子の2人だけだからだ。
「……わた……し……?」
「うん、キミ」
「……わた……しは……せい……ど……」
「せいど……性奴、か……」
名前は聞かない。何故なら、奴隷になった時に名前を記憶から消されるからだ。
僕ら奴隷と亜人は、識別番号で呼ばれる。もしくは役割で呼ばれることも少なくない。
だから、僕が聞いたのはそんな、名前とも言えない名前。
だけど、この年の女の子にその名前とは……。
酷いことをする……。
「キミはなんでこの馬車に?」
「わたし……しょう……かん……」
詰まり、僕と同じ、か。
「……あなた……は……?」
「僕は……君と同じ、性奴、かな?」
「……そう……あなた……も……」
一瞬だけ、少女から共感とでも呼ぶべき感情が感じられた。けれど、それも一瞬ですぐに少女は何処を見ているのかもわからないふうに虚空を見つめている。
ただ、少し、ほんの少しだけ、これまで感じたことのなかった得体の知れない違和感が感じられたような気がした。
「おい、てめぇら!さっきからうっせぇ!黙れ!」
直後に御者席で馬を牽引していたクズ野郎の言葉によって、僕らの口はいいと言われるまで意味ある言葉を紡げなくなった。
■
その後、まる2日掛けてなんの問題もなくビジタリス王国旧王都に到着した。到着してしまった。
生憎馬車からは出れないけど、旧王都というだけあってか、人々のざわめきが否応なしに聞こえてくる。そのせいで、活気に溢れているのが嫌でもわかる。
僕の気持ちはむしろその真逆なんだけど。
今はその活気に溢れる声が煩わしい。
だけど、その活気に溢れた声も少しずつ聞こえにくくなってきて、ああ、いよいよかって思えてくる。
僕が娼館に売られたら、すぐに客の相手をさせられるかもしれない。何せこの容姿だ、気に入って注文してくるやつは確実にいるだろう。若しかしたら技量を磨くためになんやかんや仕込まれるかもしれないけど、掘られるまでの時間が少し伸びるだけで、最終的な着地点は変わらない。むしろ、早く壊れるためにもすぐに注文された方がいいのかもしれない。
そんな嫌な想像が頭に浮かんでは消えていく。ため息を吐きたいけど、それも出来ない。禁止されたからだ。
真正面にいる女の子を見れば、虚空を見ていた目がより虚ろになっているような気がする。
恐らく、彼女も気づいたんだろう。僕らの売られる娼館に近づいているのに。
ため息をまた吐きたくなって、できないことに気づき、それにため息を吐きたくなる。
痛みを我慢すればため息ぐらい吐けるんだけど、わざわざため息のために魂をねじ切る痛みを受けるのも馬鹿らしい。
だったら、ため息を心の中で履いとけばいいかと思う。
そしてふと、気づいた。
ここ数日の間で、ため息が癖になるほど多いことに。
そんなどうでもいいことを考えつつ、ぼーっと馬車の幌を何ともなしに見上げる。馬車の揺れで尻が痛いし、硬い地面で寝なければいけなかったので、体の節々が痛い。
今は運良く夏だったから凍え死ぬことは無かったけど、それはなんの救いにもならない。
唯一いいことがあったかと言われれば、それは食事だろう。
普段はカビが生えて所々腐りかけた上にネズミが這い回ったパンや、雑草を泥水の上澄みに入れたもの、後は木の皮で飢えをしのいでた。
でも、この運送中に出された食事は、数年、いや、十数年ぶりの真っ白くてふわふわしたパンに、濃い味付けの肉、温かいスープだった。
恐らくだけど、万が一にも僕らの売値が低くならないよう、売値を短い時間で上げようとした結果なんじゃないかな?実際、少しだけ肉が戻ったし。
また、思考がそれ始めた時、突然の衝撃で頭をぶつけた。
突然の痛みに声を出したいけど、それは叶わない。ただ、歯を食いしばって痛みに耐えるしか、できない。
「出ろ!」
クソ野郎の、短い処刑宣告じみた命令。
それに従い、僕の体は僕の意志とは関係なく動く。
どうやら女の子の方も出て来るよう命じる命令だったらしく、女の子も僕の後ろに並んで歩いてくる。
「遅ぇんだよぉ!クソが!あの方々にわざわざ時間を取ってもらったのはこっちなんだぞ?!俺様の首がてめぇらのせいで飛んだらどう責任取るつもりだ?おい!」
むしろそれはこっちが望む仕打ちなんだけど。というか実際そうなりやがれ。
「チッ、黙ってねぇでなんか言いやがれ!」
いや、ほんとに頭悪いね。自分で命令したことを忘れるとか、痴呆症でも患ってるの?
「いや、ほんとに頭悪いね。自分で命令したことを忘れるとか、痴呆症でも患ってるの?」
あ、やっべ。
「あ、やっべ」
命令されたことで、ついつい思ってたことそのままに口に出ちゃってた。やっちゃった……
……ん?何でこいつ、惚けたような顔してんだ?もしかして、まじで痴呆症にでもなった?
「……俺が……痴呆症……?」
え?なになになになに?え?何こいつ、何ボソボソ呟いてんの?普段とは違いすぎていっそ怖いんだけど。
って言うか、お前の後ろからなんか偉そうな男が来てんだけど、お前、ここでグータラしてていいの?いや、僕ら的にはむしろ推奨なんだけどね?
「俺が……痴呆……俺が……」
「何をブツブツと呟いているのですか?我が主がお待ちです、さっさと来なさい」
ほら、やっぱり偉そうな奴だったよ。
それになに?我が主って。お前よりもっと偉い奴がいるの? つまりお前ってただの使いっぱしり?
……やめよう、現実逃避するのは。思考が荒んだ方向に向かってる……。
「あ、あぁ。わ、悪……いえ、すいま、せん」
「ふんっ……」
「ぐっ……ちっ、お前ら、さっさと付いてこい!」
なんか偉そうな奴とクソ野郎が振り返って周りの建物より一回りも二回りも大きな建物に向かって歩き始めた。
それを追うように勝手に僕らの体が動いて追従していく。
だけど僕は歩くのを命令の強制力に任せて、さっきのクソ野郎の反応について考えをめぐらしていた。
さっきのクソ野郎の反応。あれは普段のあいつの反応じゃなかった。
まるで僕が言ったことを本当のことだと思ったかのような……いや、まて。まてまてまてまて……
まるで、じゃないとしたら?
ような、じゃないとしたら?
もし、もしも、僕の想像が当たっていたとしたら。
固有能力『思考感染』
これによって引き起こされたことだとしたら?
固有能力『思考感染』の名称にある通り、『思考』が、僕の『思考』が、僕以外の他者に『感染』するとしたら?
それならば、クソ野郎のあの反応にも、納得がいくんじゃないか……?
僕が言った「痴呆症」。
あれはただ心で罵倒するだけじゃなく、本当に痴呆症になったのか、という疑問を僕は心の底から持っていた。
そして丁度その時に命令されて心の中で考えていたことが言葉になって出てしまった。それは当然、僕の心からの言葉ってことになる。
「ーーーーーーーーー……」
「……ーーーー!……ーーーーーーーーー?」
「ーーー、ーーーーーー!ーーー!」
ということは、この固有能力の発動方法は、『僕が心で思った本音を口に出し、なおかつそれを他者に聞かせる』こと……?
「ーーー?ーーーーーー!ーーー……」
「ー、ーーーーーー!」
そして効果は、その心で思った本音、つまり『思考』を、言葉というものを介すことで他者へと『感染』させる。さらにその上で、その『感染』させた『思考』を、『感染』された他者の、心からの本音だと思わせる……?
そう考えれば、さっきのあのクソ野郎の反応にも納得が行く。
僕が無意識に使っていた『思考感染』が、『痴呆症何じゃないか?』という『思考』をクソ野郎に『感染』させた。
その『感染』した『思考』はあのクソ野郎の『思考』へと代わり、『痴呆症何じゃないか?』と考えさせた……?
「ーーーー!ーーーーーー、ーーー」
「ーーー……ーーー……」
そういえば、ここに来る時の馬車の中でも、あの子と会話してて違和感があったっけ。
今思い出してみて考えてみれば、あの違和感というか、気味の悪さにも納得がいく。
思い出されるのは、あの子のあの時の目。あの目は、確かに死んだ魚のような、生気が全く感じられない目だった。
もっと詳しく言うのであれば、あれは何もかにも絶望して、心を完全に閉ざしてしまった者の目だった。
にも関わらず、あの子は律儀にも、恐らくはあの子をあんな状態まで追い込んだ奴らと同じ"男"の言葉を聞き届け、たどたどしくも返答した。
本来なら、多分、僕が話しかけても何も反応を返さなかっただろうあの子。
だけど、僕が無意識に使っていた『思考感染』の力で僕の『なんでもいいから話したい』って『思考』があの子に『感染』して、そのせいであの子にとっては無自覚だろうけど、無理矢理に喋った。
その結果があの、普通は心が壊れているはずなのに少しの喋りにくさ以外ではちゃんと喋っている、という違和感なんだろう。
また、これで僕が思考を直接言葉に変換しないであやふやなイメージで『感染』させても、効力は十分にあるということが証明されたわけだ。
「ーーーーーー……おい」
でも、疑問がない訳では無い。
それは、固有能力の名称からわかる効果が、まだ片方しか分かってないってことだ。
僕が認識した固有能力の名称は『思考感染』。
僕の『思考』が『感染』するから、『思考感染』。これはいい。これは分かる。
だけど、それと同時に認識したこの固有能力の読みは『パンデミック』、つまり、広範囲に及ぶ『感染』のこと。
僕が覚えてる限りでは、僕の『思考』が広範囲ーーーー多分この固有能力での広範囲は、多人数ーーーーに『感染』したような記憶がないってことだ。
単純にこの固有能力を発現したのが僕がステータスを確認したちょうどその時だったなら分かるけど、そんなうまい話が果たしてあるだろうか?
「おい……おい!」
「おやおやぁ、偽人の躾も出来ていないとは、貴方ぁ、無能すぎやしませんかぁ?」
「全く、その通りですな、我が主。僭越ながら、イヴェルハルト侯爵にもこの者の失態、偽人に堕とすなどして滑稽にご報告するべきでは?」
「ふぅむ、それもいいのですけどねぇ……最近はこのような小物が増えすぎて、面白みが薄れて来ているのですよ」
「と、言うことは?」
「ええ、そういう事です。あなたぁ、命拾いしましたねぇ……フフフ……」
いや、今はそういうことにしておこう。
でないと、僕の命が危ないかもしれないから。
「という訳ですのでぇ、さっさとこの偽人共の所有権を渡しなさぁい」
「へ……へい、いえ、は、い」
気づけば僕は、首に豪華な首輪とそれに繋がるこれまた豪華な鎖で、まるで犬のように四つん這いにされていた。
で、その僕につけられた首輪から伸びる鎖の先を持った奴が、多分クソ野郎を出迎えた偉そうなやつが言っていた「我が主」なんだろう。
その容姿はごくごく平凡な金髪碧眼としか言いようのない、特に特徴がないことが特徴と言えて、記憶に残りにくい感じだ。
だけど、その身につけられたいっそ過剰とも言える無駄に豪華な装飾品の数々がこの男を無駄に華やかにして強引に記憶に残るようにされてる感がある。
また、平均的な中肉中背だから、尚更装飾品が本体で、あとはガワだけの印象が残る。
っていうかそんなことより、今更ながらに四つん這いにされていることに気づいた。
我がことながら、集中しすぎでしょ、僕……
「わ、我、ヴィルパンは、この偽人の所有代理と権利全般の保持を魂の契約に従って証明する」
突如として僕の体の中から黒い靄が飛び出す。
それは恐らく僕の体の真上で静止しているのだろう事が周囲のヤツらの視線でわかる。
ま、視線で分かるって言っても、生憎僕の顔は床のほうを向いてるから、目玉を動かしてなんとか確認できたんだけど。
「この偽人の真の所有権は我が仕えるイヴェルハルト侯爵家当主リーンバル=アキュロス=イヴェルハルト様であることをここに宣言する」
そのクソ野郎の言葉の直後に、僕の体のどこかから、無理やり縛られていた苦痛が徐々に抜けていくような感覚を覚える。
だけど、それは完全じゃない。例えるなら、縄の結び目を少しだけ緩ませているような状態で、少し力を入れればまた結び目はガッチリと結ばさるような、そんな感じだ。
「契約に従い、我はこの偽人の所有権をレオ=エディ様に譲渡し、今後一切の権利主張の放棄を宣言する」
そしてその言葉で、再びなにかに縛られたかのような苦痛と圧迫感が戻ってきた。ただ、それは今まで僕を縛ってきたものではなく、全く別の本質で、しかし全く性質は同じものだというのがわかった。
そこまでを一瞬で理解、というか理解させられたのと同時に、一旦は僕の体から出ていた黒い靄が再び僕の体の中に侵入して定着するのを感じた。
「……ここに契約はなった。我、夜の支配者の1柱、『誓約』を司るレオ=エディはこの偽人の所有権を貰い受け、対価として貴様に金一封を与えよう」
次いで、平凡男からも薄気味悪い黒い靄が吹き出し、僕の体に侵入、定着してくる。
これは……いったい?
いや、分かってる。分かってるけど、確証がないだけだ。
多分この靄は、奴隷契約の核みたいなものだろう。
僕が奴隷に堕ちた時にも出てたんだろうけど、その時は心ここに在らずみたいな感じだったから気づけてなかっただけで、ちゃんと出てたんじゃないかな?
ま、僕にとってはあんましどうでもいいことではあるけど。
「それではぁ、つぎにぃそこの女の偽人もぉ、もらい受けましょうかぁ」
「は、はい。承知しました……」
僕がさっきの靄について考えてる間に、クソ野郎と平凡男は隣で同じく四つん這いにされて、色々際どい格好になりながらも、死んだ目で視線が虚空を見つめたままな少女にも全く同じことをしたようだ。
気配と音でさっきと全く同じ文言を繰り返して、黒い靄を定着させたのが分かる。
尤も、僕に施されたのが本当に奴隷契約で、奴隷契約をするための儀式みたいなのがさっきの一つしかないなら、だけど。
「これでぇ、この偽人たちはぁ私のものだからねぇ。今更返せなんて言ってもぉ、返しませんからねぇ。クックック……」
「ぇえ、そ、それは分かっております!で、ですので、あの、そのぉ……」
「ん?……あぁ、はいはい、お金ねぇ、それじゃあ……」
そこまで言うと平凡男は、手をパンパンと打ち鳴らし、隣にいた偉そうな男になにか耳打ちをした。
多分クソ野郎には聞こえないだろう声量だったけど、至近距離にいた僕には微かに聞こえた。
(適当に金貨十枚でも持たせて、目立たないように処分、ね……)
あぁ、このクソ野郎、終わったね。
まあ、全然偉そうな態度が取り繕えてなかったのが気に障ったのかな?
それとも、単にお金がこいつを殺すことによって発生するリスクよりも大事なのかな?
ま、僕にとってはどっちでもいいことではある。
正直いって、こいつがどうなろうが知ったこっちゃないし。めんどくさい。
「はい、これお金ねぇ。それじゃあ、とっとと帰……いやぁ、そうだねぇ……」
あ、僕今ものすごい嫌な予感した。
「ねぇ君たちぃ……話すの許すからさぁ、この男に言いたいことあるなら言っていいよぉ?何せ私は寛容だからねぇ……クックック……君らがこの男に会うのはこれで最後、そう最後なんだからねぇ。今までの感謝を伝えなよぉ……クフフフフ……」
「な?!」
……あぁ、うん。一言いい?
な に こ の へ ん じ ん
いや、ほんと、何なのこの平凡男。
馬鹿なの?阿呆なの?
多分普段のクソ野郎の言動行動諸々から考えれば、多分僕ら奴隷に感謝されたら逆に切れると思うんだけど?ああいや、それこそが狙いなのか?
じゃあ仮にそれが正しいとして、僕らが話すことはこの平凡男にとってなんのメリットがある?
「さ、何でもいんだよぉ?うん?クククッ」
……え?まさか、え?
まさか、ただの余興?
「うーん?なにかないのかなぁ?じゃあ、まず君ぃ、本音言っていいよぉ」
そう言ってまず視線を向けたのは、奴隷契約前も後も依然として死んだ目で虚空を凝視している少女。
少なくともこの平凡男の興味がこの少女に向かってる限り、僕には直説的な命令はないだろう。
そう判断した僕は、少しだけこの状況を利用した実験をするために策を練ることにする。
「さぁさぁ」
実験するのは、まだ仮説でしかその力、しかも多分本来の力の一部しか分かってない固有能力『思考感染』。
そして今考えるべきなのは『思考感染』の読みの部分。
「ほらぁ、早く喋りなさぁい」
『パンデミック』が名前通りの広範囲『感染』なら、考えられる使い方は2通りの可能性がある。
1つ目が、僕の口から直接出た思考が、1人ではなく多人数に『感染』するという可能性。
これはそもそも僕が無意識に『思考感染』を使った時に、周りにはあの子しか居なかったり、対象がクソ野郎に限定していたから使われなかっただけで、本当はもっと広範囲にできるんじゃないか、って思ったから。
「…………わた……し、は…」
「うんうん」
2つ目が、僕の『思考』に『感染』した人がほかの人に僕から『感染』した『思考』を話した場合、話された人にも僕の『思考』が『感染』する可能性。
ただ、この可能性がもしあったとしても、『感染』の効力がどこまで続くかわからないし、そもそもとして『思考』が『感染』していく最中に大元の『思考』、つまり僕の『思考』とは違った『思考』に変質している可能性もある。
だからそこまでこの可能性には期待していない。
「……せい、ど……なんか……や、ぁ……!」
「……へぇ……ふーん……」
パチン
……ん?
「ぇ、き、ゃぁぁあぁあぁあああ!?」
え?……は?
なに、が……?
「いいですねぇ、その感情ぉ。希望なんかないと思っている中でもぉ、ちゃぁんと希望を探してますねぇ……」
「いぎぃぁぁああぁぁあぁぁあぁ、は、あぁぁぁぁああ!」
気づけば、僕の隣で僕と同じく跪いてた少女が、体勢を変えることが出来ず、四つん這いで跪いたまま、恥も外聞も知ったことかと、聴いたことがない大声で泣き叫び始めた。
「いぃ、実にいいですねぇ。だからこそぉ、完全に壊すのが今から楽しみなのですがぁ……」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
平凡男の下衆、いや、もっと非道な呟きに合わせるかのように、隣の少女の悲鳴が変わる。
まるで正気の世界にない生物の悲鳴が、少女の口を介して上がっているかのような、そんな、理解することがもはや不可能なものに。
「ん〜、取り合えずぅ、5人から始めましょうかぁ?」
「pろきじゅhygtfrでsわq!?」
「畏まりました。では、早速準備の方を進めさせていただきます」
「くぁzwsぇdcrfvtgbyhぬjみこlp!?」
「ひ、ひぃぃいぃ……」
そして、そんな異様な光景を間近で見ているはずなのに、それでもなお余裕を崩さず、いつも通りのことであるかのように、何事かの指示を出す平凡男と、偉そうなやつ。
多分だけど、僕の顔は間違いなく真っ白に染まっているだろう。
それほどの異様さと悍ましさが、ここにはある。
つい先日まで同じようなことをしていたはずのクソ野郎まで情けなく悲鳴をあげるような、そんな光景が。
「……ろ……」
だから、これは特に意識はしていなかった。
気づいたら、自然と口から出ていた。
「ぅん?なんと言ったのですかぁ?もう一回言ってみなさぁい?」
「……や……ろ……」
たとえ平凡男の表情が、この上なく邪悪な笑顔によって歪んでいても。
偉そうなやつが、僕を射殺さんばかりの厳しい視線を向けていようと。
クソ野郎が、信じられなさそうに、まるでバケモノを見る目で見てこようと。
僕には、この口から自然と出てくる言葉を止めることなどできなかった。
「『やめろ!』」
その、瞬間。
僕の固有能力の『思考感染』が発動し、僕の放った言葉を、思想を、『思考』を、僕の言葉を聞いた全てのモノどもに『感染』させる。
「……」
「……」
「……」
「lぽkじうhgytfdれさwq!?」
「……」
一瞬の、停滞。聞こえてくるのは、少女の悲鳴だけ。
「……!と、取り消し!」
「……!ち、治療!」
「……!う、うぉおおぉお!」
「bhtrgbcf……ぁ……」
だけど、次の瞬間には、事態は急速に動き出した。
平凡男は、少女に悲鳴を上げさせていた何かを、取り消した。
偉そうなやつは、恐らくは固有能力だろう力で、少女を癒した。
クソ野郎は、座った体勢から平凡男にタックルして、何かの発動を妨害しようとした。
少女は、一瞬目を丸くして、すぐに目を閉じると、そのまま気絶した。
そして僕は……
「ぎッgaぁあaあああaぁああ?!っぁぁaあァ!」
奴隷契約の違反を罰する、平凡男が仕掛けた罰則、多分『不快快楽』に苦しめられていた。
「いいやだきもちいやだからもっとやってきもちわるい『やめてくれ』!」
効果は単純なのに複雑で、全身に蟲が這い回り、穴という穴から侵入される不快感と、性的、食欲的、睡眠的、知識的、排出的、その他諸々の快楽が襲ってくるというもの。
「……!奴隷契約、解除!」
「ッがはぁ……はぁ……はぁ……」
また無意識に発動していた『思考感染』が、僕にとっては幸運なことに、但し少女以外の奴らにとっては不運なことに、僕にかけられた奴隷契約が解除されたみたいだ。
僕のどこともしれぬ所から久しぶりの何者にも縛られていない開放感が感じられた。
兎にも角にも、危なかった……。
危うく色々な禁忌の扉が開くところだった……。
■
はぁ……取り合えずは落ち着いた。
「『君らの固有能力、知りたいな~?』」
「ぅん?私の固有能力はぁ、『闇の誓い』ですよぉ。簡単に言えばぁ、『隷属』の最上位互換ですねぇ」
「私の固有能力は『堕天の祝福』といいます。効果は先ほど見たとおり、精神にまで及ぶ圧倒的な回復力を主として他多数の能力を内包しております」
「俺のは知ってっだろうが、『隷属』だ」
あの後、奴隷契約が解除された僕と、ついでに解除されていたらしい少女は、ひとまずこの建物内にあったベッドを借りて2日間も寝ていた。
その時の奴らの対応だけど、殆ど形骸化した国法で『偽人から再度人間に戻った際、そのものの権利は人間と同等となる』ってのがあったらしい。だから、どんなに嫌でも、普通の人間として扱うしかなかったみたいで、気持ち悪いくらいに『普通』扱いされた。
「ふーん。結構レアな固有能力持ちがこの部屋に3人はいることになるんだ……『すごい偶然だね』……」
「ええぇ、偶然ってのは怖いですねぇ」
「本当に、恐ろしいものでございます」
「おう、怖ぇな」
「それじゃあ、もう一回確認しよっか」
で、今は何をしているのかと言うと……
「『奴隷契約はない方がいいし、人間を偽人に堕とすのは良くないし、獣人を少し人間と違うからって虐げるのは良くないし、何より下等種だって理由で蔑むなんて意味わかんないよね?』」
「えぇ、えぇ、勿論蔑むなんて意味無いですよねぇ」
「勿論にございます」
「だよなぁ、俺もさっきからそう思ってたんだよ」
こいつらの教育、もとい洗脳。又は調教と言ってもいいかもしれないことをしてる。
始めは初めてだったからかあまりうまく出来てる感触がなかったけど、数をこなせばなんとやら。今ではこうして『思考感染』による洗脳は御茶の子さいさいだ。
「……」
「と、言いますかぁ、何で私達は人を奴隷にした挙句ぅ、悦に浸っていたのでしょうかぁ?」
「それについても、私は明確な回答というものがありませんので、何とも」
「あいつらには悪いことしちまったなぁ……」
で、この洗脳で『思考感染』について、幾つか分かったことがある。
まず一つ目なんだけど、さっきから3人に対して『思考感染』を掛けられてたように、対象を限定しなければ無差別に僕の言葉で出た『思考』が『感染』するみたいだ。
まあ、多分1度に『感染』できる人数に制限はあるとは思うんだけど。
次に二つ目は、僕の『思考』が『感染』した人物が他人にその『思考』を持って話しかければ、その話しかけられた人物にも『感染』していくってこと。
ちょうど良く使用人がお茶を出しに来たから試させたんだけど……まあ、うん。すごかったとだけ言っとくかな?(ブーメラン)
それはさておき、これは、まあ、予想の範疇だったんだけど、実際に体験してみると凄かったかな……。(2連)
で、制限は今のところ感じられないけど、多分これも僕の予想通り、人から人へ『感染』していく程に『思考』が変質すると思う。一番可能性が高いのは、徐々に『感染』の効力が弱くなっていって、最終的にはただの言葉になることかな?
三つ目は、二つ目にも絡んでくるっていうか、寧ろ派生系なんだろうけど、『感染』した『思考』の増幅強化、って言えばいいのかな?
こいつら3人を『思考』を全面的に出すようにさせて会話させてみたんだ。
その時点で『感染』させてた『思考』は、『暴力はよくない』って感じだったんだけど、話合わせてるうちにいつの間にか『人はみんな平等である、故に仲良く手を取り合おう』って『思考』になってたんだから、少し薄ら寒いものが出たね。
ま、まあ?僕にとって不都合なことはしないで欲しいなぁ、ってちゃんと『感染』させたしぃ?
むしろ本気になれば破滅的『思考』に向かわせて自殺を考えさせることもできますしぃ?
だから、なんにも問題なし。
あ、そうそう。破滅的『思考』で思い出したんだけど、どうやら『感染』させる『思考』は、別に本気で思ってなくてもいいみたいだ。
その分感覚的に「あ、『感染』力も『感染』した『思考』もそんなに強くないな 」ってのは分かったけど、それでも僕がお遊びで考えた『思考』が、『感染』させ出来れば相手にとっては色々と考えなくちゃいけないレベルまでいくんだから、凄くない?
「あぁ!そう言えばぁ、今日の午後に領主に呼ばれてなかったですかぁ?」
「それにつきましては……ええ、今から凡そ三時間後に面会予定が入っております。準備をなされた方がよろしいかと」
「そうなると俺は邪魔になるのか……んじゃ、俺は帰って奴隷解放をして来るぞ」
「それはそれはぁ、実に素晴らしいですねぇ。頑張ってくださいねぇ」
「私、今日まででこれ程この立場を疎んじたことはありません。もし出来るならば、私もそれに協力したかったのですが……」
うわぁ……これがつい数日前までは奴隷の売買をしていた人たちの頭かぁ……ドウシテコウナッタンダロウナァ……
「ところでぇ、貴方はどうしますかぁ?」
「ん?僕?」
「えぇ、私が領主の屋敷に行っている間ぁ、あなたは暇になるかもしれませんのでぇ、その間どうするかなんですがぁ、どうしますぅ?」
ん~どうしよっかなぁ……
「それじゃあ、あの子を連れて少し散策してくるよ。あの子にとってもいい気晴らしになるでしょ」
「その件についてはぁ、申し訳ございませんでしたぁ……」
「ん~、『それは直接あの子に行った方がいいんじゃないかな?』」
「それもそうですねぇ。ではぁ、早速行ってきますねぇ」
「あ、少し心配だから僕も着いてくよ」
そう言うと、僕らは席を立つ。
そして各々がそれぞれ違う場所に向かって行った。
■
「やあ、調子はどう?」
「……」
あの子がちょうど良く起きてたから、まずは不安を感じさせないように明るく声をかけてみる。
だけど、あの子はこちらを一瞥したらすぐに視線を戻して、またどこともしれない虚空を凝視し始める。
「今日はいい天気だね」
「……」
「いやぁ、ここまでいい天気だと、どこかに出かけたいね」
「……」
「ねぇ、良かったら、さ。一緒に街に散歩に行かない?」
「……」
「きっと楽しいよ?さっきちらっと集めた情報だと、なんでも美味しいパンを作ってくれるパン屋が近くに出来たみたい」
「……」
「一緒に食べに行かない?あ、お金の心配ならしなくていいよ?何せ、『お金は分け合ってこそ意味あるものだからね』」
「えぇ、その通りですよぉ。あぁ、遅れ馳せながらぁ、先日は失礼しましたぁ」
「……」
「私ぃ、奴隷という概念は存在してはいけないというぅ、この世の真理に目覚めましてぇ。これまで私が命を奪ってしまった方々にもぉ、後ほど霊媒師の方を雇ってぇ、謝罪する所存でございますぅ」
「……」
「そしてぇ、この真理を広めるためにぃ、まずはこの旧王都の領主様をぉ、導かせていただきますぅ」
「……な……が………っ…?」
すると、これまで何を話しても無表情に虚空を見つめていたあの子が、目に驚愕を乗せながらゆっくりとこっちを見詰めてくる。
そしてなにか呟いていたんだけど……うーん……よく聞こえなかったなぁ……
「ごめん、悪いけどもう一回言ってくれる?よく聞き取れなくてさ」
「……なにが……あった……の?」
何があったの、か。
「んー……まあ、ひとまず言えるのは、僕の固有能力の力、かな?」
「……それ……は……分かって、る」
ほえ?僕、この子に固有能力の話したことあったっけ?
「……私にも……使っ、た…………それで……分かっ、た……」
「え?あれだけで分かったの?」
「……当然……私……固有能力…………感知……できる……固有能力……持って、る……」
それって、意外とすごくない?
固有能力が感知できるなら、自分が固有能力で狙われてるかどうかもわかるってことじゃん?あ、でも、この子が奴隷になってたってことは……あぁ、そういう……
「もしかして……それって、自分に効果が及ばないと感知できない制約付きの固有能力?」
僕の推測混じりの言葉に、少女はこくんと頷く。
「ああ、そっか……」
「……」
「……」
うっ、沈黙が痛い……!
「あ。そ、それじゃあさあ、さっきも言ったけど、散歩にでも行かない?ほ、ほら。いい気分転換にもなるよ?」
「……」
暫く少女は、僕をじっと見つめていたけど、やがて数秒後にまたこくりと無表情で頷いた。
「それは良かった。それじゃあ、早速準備しよっか。服とかは全部こいつが用意してくれるってさ」
「お任せ下さいぃ」
そして凡そ1時間後、誰がどう見たって富豪の子供としか言いようがない服装をした二人の少年少女が街を歩いている姿が目撃された。
■
ザワザワ……ザワザワ……
「いやぁ、それにしても、ここに来る時は兎に角煩わしいわ煩いわで仕方なかった喧騒も、身分が変わったからか随分心地いいものになったね」
「……」
「それにパンも美味しかったし、また食べたいね」
「……ん……」
お、珍しく返答してくれた。この子の顔色も良くなってきたし、やっぱり散歩に出かけて正解だったね。
僕がこの子を説得して数時間。僕らはこの旧王都の街を存分に遊び尽くしていた。
それはもう大胆に羽目を外して、これまでの奴隷生活の鬱憤を晴らすかのように。
例えば、さっき話題に上がったパンを10個程度まとめて買ったりとか、見るからに怪しげな骨董品屋に入って冷やかしたりとか。
路地裏で出会したチンピラを洗脳、もとい調教したりとか、見るからに私腹を溜め込んでそうな成金デブに分け与えることの神秘性と意義を教えたりとか。
ほんとに楽しい時間だったことに違いはない。
あぁ、ほんっとに『思考感染』って便利だよねぇ……。
限定販売のパンをまとめて買っても文句を言われないし、後暗いことをやってた店主を自首させられるし。
いやらしい目で僕らを見てきたチンピラを同性愛者にして男娼近くに誘導できるし、固有能力で身動きを取れなくして奴隷契約をしようとしてきたクズを破産させたりできる。
もう、最高の力だよ。
「くくくっ」
「……?」
「ん?あぁ、いや、何でもないよ」
で、少し嗤い声を漏らしてしまって、それを聞いた少女に不審な目を向けられたけど、まあ、なんとかごまかせたと思ってればいいかな?
「奴隷を解放せよ!奴隷を解放せよ!人々は平等である!」
そんな時だった。
突如として統一された金属鎧に身を包んだ男達が現れて、いきなり叫び始めたのは。
「解放せよ!解放せよ!奴隷は無くていいものである!奴隷は人の醜さの象徴である!これが真理である!」
「「「解放せよ!解放せよ!奴隷を解放せよ!」」」
……あー、うん。もしかしなくても、これって僕のせいだよね?普通の人がこんなこと言うわけないし。
よく見たら、鎧の左胸の部分に全く同じ紋章が刻まれてるし、多分この人ら領主の騎士団とかそこら辺の人達じゃない?
にしても、自分が言うのもなんだけど、狂気を感じるね……
「……あれ……あなた、が……?」
「ん~、多分そうだね。もし僕とあれが無関係なら、もっと早くああいうことはしていただろうから」
「……それも……そう、ね……」
「それに、ほら」
僕は短くそう言いながら、周りを見渡すように視線で示す。
すると、僕が視線で示した先にいた人たちは、こぞって騎士団の人たちと同じことを叫んでる。
「解放せよ!」
「解放しろ!」
「そうよ!解放しなくちゃ!」
『奴隷の皆様を解放して、私たちの罪を償わなければ!』
「ね?こんなの、僕の固有能力以外に出来ないでしょ?」
「……理解……した……」
そう言って、しばらく民衆の動きを見守る少女。
あ、僕の固有能力については、この子への謝罪の意も込めて全部ではないけど話している。
というか、この子の自分に影響を与えた固有能力を感知する固有能力の力が僕が思ったよりも大きかったりしたのも理由の一つではあるんだけど。
例えば僕の『思考感染』の場合、この子は僕が干渉できる『思考』の部分に、なにか言葉で言い表せないような不快感みたいな感触が出るのだとか。そしてその感触から逆算していけば、使われた固有能力の効果をある程度までなら把握できるらしい。
但しデメリットもあって、自分に純粋な苦痛の類を与えてくる固有能力を使われると、苦痛が不快感を伴って更に強くなるから、一概にいい固有能力とは言えないみたいだけど。
説明された時に「……あの時の……罰……も……」って言ってたし、その後に本当に不味かったって言ってたから、あの時の悲鳴はこの効果が合わさって発狂寸前になっていたらしいし。
「解放っするのっだぁ!はぁ、はぁ、人々はっ全てっ平等であるっ!」
と、ここでなんかあの平凡男よりも少しだけ豪華な服を着た中年の男が、明らかに運動不足といった感じで息を切らせて叫びながら走っている。
「……これも……あなたが……やった、の……?」
「いや、これは流石に予想外かな?」
ひとまず僕はこの子の問にそう答えた。
■
~???~
いやぁ、うん、まあ、想像していなかったわけじゃない。
ただ、その想像の斜め四次元方向に突き進んでいただけだ。
■……いや、ここでは便宜上、"彼"としようか。
本来"彼"と■は■■であり、そこに差があるとすればそれは、■■■■れた■■と■魄の■き■だけであるから、そこまで発想に差がある訳では無い。
ただ、■■■■れた■■と世界の■■■で意外な方向に進んでしまうっていうのは、分からないでもない。
でもさぁ……はぁ、何でこんなに想像が外れるかなぁ……
いや、ねぇ。そりゃあ元は一■の■なんだから、思考が似るのは仕方ないにしてもさぁ、流石に変わりすぎじゃない?
そもそもとして、"■"には、っていうか■にも、それに■の"■■"にも、世界を思想だけで統一しようっていう考えは流石になかったからね?
若しかしたら世界を滅ぼそうって考えてる"■"はいるかもしれないけどさ。
ま、それはそれでいっか。"■"にとっても■が■■■■れれば、こういう変化するくらいは想像の範疇だったみたいだし。
それに■にとってもこれは大した損害じゃないし。いや、それよりも"■■"にとっては大いにプラスの存在、というか能力なのかな?
多少歪んでるのはむしろ正常だし、ついでに言えばそうでなくては困る。
でなければ■に■■った時に変な反応するかもしれないし。
でも、他人を信用しすぎてるのは原点の対象かな?
そのせいで"■"は"■■"を作り出さなきゃいけなかったし、副作用で一時的にではあるけど【■■■】が使用不可になって結構ピンチだし。
果てさて、残りの寿命は……何もなければ後11年と言ったところか……
ふーむ……少しばかり長い、か。
でも意外と君にとっての理想郷の建設は順調そうなんだよねぇ……
何より■は"彼"の■■■■在だから、邪魔をするっていうよりもむしろ応援の気持ちの方が強いし……
あ“ぁぁああ!
■
僕の固有能力、『思考感染』。
その効果は、僕の『思考』を他者に『感染』させて、その『思考』がまるで自分のことであるかのようにさせること。
その際『思考』の『感染』能力は、別に僕からじゃなくても既に『感染』してる人ならそこを起点にどんどん『感染』させていくことが出来る。
故に『パンデミック』。
その際の副次効果として、互いに『感染』した『思考』が一緒なら、少し話し合うだけでその『思考』が名実ともに自分のものと認識できるようになる。
多分これは、僕が植え付けただけの『思考』であるっていうことがどこかの無意識で分かっちゃってるんだろうね。
だから、他人にも同調を求める。
それが悪循環とも知らずに。
多分これが、僕の固有能力『思考感染』の全て。
そして僕は、その力を最大限に活用する方法を|あの時《民衆にまで『感染』した時》には既に考えついていた。
それはあまりにも荒唐無稽でありながら、誰もが1回は必ず考えること。
それ即ち、
国という概念を破壊して、皆で仲良く手を取り合っていきていく理想郷
その作成。
勿論、理想郷を作り終われば、作成者たる僕であっても平等に対応されるだけで終わるだろう。
でもそれで構わない。
王家という醜い権力の象徴は無く、全ての人々が協力して、手を取り合って日々を過ごしていく。
僕の固有能力で手を取り合うことの素晴らしさと分け合うことの尊さを『感染』させているから、ものを奪い合うこともないし、分け与えることを至上とする。
みんな平等だから、肌の違いで蔑むことはないし、耳の違いで暴力を振ることはないし、数字という不確かで不安定なもので人を測らない。
素晴らしとは思わないかい?
「……うん……いいと……思う、よ……?」
「ありがとう。それじゃあ、行こうか」
僕の演説混じりの理想を黙って聞いてくれた少女は、僕の言葉に首をこてんと傾げる。
その仕草は可愛いんだけど、1点だけ、目が死んでるから、台無しになっているような感じがしないでもない。
「……どこ、に……?」
「それは勿論、洗脳、もとい、布教のための旅に、さ」
それを聞いて納得したのか、少女は小さく頷くと、こちらに向けて手を指し伸ばしてくる。
それを僕が疑問に思っていると、少しだけむくれた雰囲気を出した少女が、無理やり僕の手を取って強引な握手をしてくる。
「……ん……よろし、く……」
そして、心地ないながらも僕が見た中では初めての笑顔でそう言ってくる。
その姿に、僕は少しだけ鼓動が早くなるのを自覚する。だけど、それを表に出すことは無い。
これを伝えるのは、全てが終わってからだと思ったがために。
「うん。こちらこそよろしく!」
そして僕と少女の、長くも短い旅が始まった。
■
~2ヶ月後、とある王城~
「ぶっ、無礼者!この方をどなたとーーー」
「『平和の真理に賛同したいよね?』」
「平和バンザーイ!平等バンザーイ!王なんか要らないね!むしろ邪魔だ!」
「……」
「ん?」
「……何でも……ない、よ……?」
■
~1年後、とある港~
「『奴隷を解放しましょう!なぜなら、私達は同じ人なんですから!』」
「「「うおおおおおおお!」」」
「……」
■
~2年後、とある山奥~
「さっさと運べ!テメェら亜人は体力だけが取得だろうがァ!」
「『罪を悔い改めましょう。すべては平等です。彼らが優れているのではなく、皆優れているのです!』」
「正直、すまんかったと思ってる。すまない、この、通りだ!」
「……」
■
~5年後、とある夜景が素晴らしい高原~
「……終わったね……」
「……そう、ね……」
あれから、5年、か。
本当に、色々あったなぁ……
取り敢えず初めに僕らが生まれ育った国の王族ーーー今は普通の人なんだけどーーーに『感染』させたのが良かったのか、僕の『思考』は想定以上の速さで『感染』して行った。
僕らがこの大陸の半分も行ってないのに、『感染』だけは広がっていったのも少しびっくりしたかな?手間が省けてよかったけど。
あとは、海を越えた国にも思想を届かせるために特に港町では『感染』を強くかけたし、山奥なんかの人が寄り付かなそうな場所には直接足を運んだりもしたっけ。
あぁ、そうそう。最初懸念していた『感染』限界なんだけど、これってどうやら無制限っぽいんだよね。
これも想定以上の速さで『感染』が広がっていった理由かな?
……
「それで、さ。少し、話があるんだ」
「……なに……?」
僕と少女は、互いに目を合わせて見つめ合う。
今まで、言うべきか言わないべきか、迷っていた。
旅をしている間は、旅が終わるまで悩んでも大丈夫かって、そう逃げていた。
だけど、旅が終わった今になっても、それでもまだ迷っている。
言うべきか。いや、もう答えは決まっているんだ。だけど、その決心がつかない。
「……」
見つめ合った少女の瞳に、普段はどこを見ているのかも定かじゃない死んだ魚のような瞳に、僕は一瞬、期待の光が宿ったかのように感じた。
「その……」
「……」
ええい!ここで言わなきゃ何が男だ!そりゃあ、顔は女顔だけど、心は男だ!そうだ!心が男なら、やれないはずが無い!
女々しく言い訳考えてないで、今言っちまえ!
「スゥ……フゥ……」
「……」
一度目を瞑り、大きく深呼吸をして、改めて少女と見つめ合う。
さぁ、若しかしたら旅の目的の達成よりも緊張してるかもしれないけど、伝えよう。
「僕は、君を……」
「……」
この気持ちを。
「君を、愛している。その、もし良ければ、あー、結婚、してください?」
「……」
顔が真っ赤になるのを自覚した僕は、取り敢えず誠意を見せるために頭を下げて、綺麗な礼をとる。
そんな僕の言葉に、少女は……
こくん、と。
一つ恥ずかしそうに頷き、
「……私で……いいな、ら……」
そう言った。
……
……
……
「はぁぁあああああぁぁぁぁぁ……き、緊張したぁ……」
頭の中にその言葉が浸透するまでに少しタイムラグがあり、僕は少女の言葉の数秒後にその場にへたり込んでしまった。
まあ、何にせよ、だ。
「ありがとう、僕なんかと結婚する気になってくれて」
端的に言って、物凄く嬉しい。
今、僕の思考は安堵と嬉しさで埋め尽くされて、そのこと以外ほとんど考えられないようになっていた。
それこそ、普段なら見逃さないはずの少女の挙動の不審さなんか、気にする余裕が無いほどに。
「……」
「?どうしたの?」
普段の僕なら、この時点でナニかを感じて、すぐに少女に対して何らかのアクションをとったはずだ。
だけど、それをしなかったということは……詰まりは、僕が年甲斐もなく舞い上がって有頂天になっていたってことか。
「……恥ずかしい、から……目、閉じ、て……?」
「うん、いいよ」
そう言いながら僕は、無警戒にも、愚かにも、目を閉じてしまう。
ただ、ようやく長年の願いが叶って婚約できた想人が恥ずかしげにそう言えば、誰だって安心してその支持に従うと思う。
「固有能力使用の条件の確認します。『対象個体名『××××』、対象固有能力名『思考感染』、対象が被体に齎した意識、無意識問わずの固有能力効果発揮回数を計測……完了。規定値を大幅に超越していることを確認。更に被体の感情を再確認……許可。被体の同意を獲得』」
「?!」
聞こえてきた、あの子とは、あの少女とは思えないとても機械的で素早くも流暢な声に、僕は咄嗟に目を開けようとする。
然し、瞼を開ける、という行動よりも尚早くあの少女の声は早く、速く、疾くなっていく。然し、それなのにキチンと認識できるというある意味での矛盾を伴って。
「当該固有能力使用条件の達成を確認。対象固有能力の効果を累積した経験より看破、及び無効化、絶対性獲得処理を開始……完了。続けて看破結果より対象の全てを逆転させた特殊拘束を発動」
「な……」
「これにて固有能力『嫉妬女王』の初期発動フェーズを終了。続いて被体の感情による暴走フェーズをそれは流石にダメ」
「に……」
「了。では『嫉妬女王』最終フェーズ名『アナタを殺して私も死ぬ』を起動し、サポート各位を終了することを宣言します。御武運を、今代の【嫉妬】よ」
「がぁ?!」
気づいたら、僕の体は、首から上以外ピクリとも動かなくなっていた。それも、ただ動かないだけじゃなくーーーそれはそれでやばいんだけどーーー禍々しくも粘着質な気配を垂れ流すピンクと黒が混じった長くて細い上にやたら頑丈そうな鎖に隙間なく縛られたことで、動けなくなっているようだ。
「……」
「ふふっ……うふふふ……」
何をするのかと少女を睨みつけた僕か見たのは、熱い視線を、僕以外に視界に入らないといった感じの視線を向けて薄気味悪く嗤う、ドス黒いオーラを漂わせた少女の姿だった。
■
「どう……して……」
はっきり言おう、思考が現実に追いついていない。キャパオーバーだと。
「どうして?どうしてどうしてどうしてどうして?キャハハハハ!そんなの、私があなたの事がダイスキだからに決まってるでしょ!アナタは私のモノ!誰にも渡さない!だから世界なんて見てないで、私だけを見て!私だけに声を聞かせて!私だけに匂いを嗅がせて!私だけに味わわせて!私だけに触れて!私だけに感じさせて!私に私が私を私で私は私であるために!あぁ、思えば、そう!アナタが私を救ってくれたあの日から!ずっとアナタのことだけを考えてきた!ずっとアナタのことだけを想ってきた!ずっとアナタの姿を見ていた!ずっとアナタと行動を共にした!それなのに!それなのに!アナタが気にするのはいつも、いつもいつもいつもいつもいつもいつも!世界のこと!私じゃない!だからね!思ったの!考えたの!どうすればアナタを私のモノに出来るのかを!そう!その時よ!私が持ってたチカラが!固有能力が変質したのは!その時は驚いたわよ!固有能力の変質なんて聞いたことがなかったんですもの!それ以上に!アナタ以外が私のナカにいるのなんて耐えられない!だけど耐えたわ!だって、アナタに褒めて欲しかったから!だけどアナタは私を見てくれていなかった!だから決めたの!この私にとっては不純物でしかない私じゃないモノを私の為に利用することを!私は『種』!あらゆる影響を受けて知ることで芽吹く花!私にとっての影響は間違いなくアナタという存在だけ!だからアナタがいなくなると私は私じゃなくなってしまう!だから今使ったの!芽吹いた花を!『嫉妬女王』を!そう!私は『ヤンデレ』な『ストーカー』!アナタが私以外を見ることに耐えられない『ストーカー』!『嫉妬』深い『女王』!そしてさっき!私を構成する私以外のものは無くなった!これで本当にアナタに見てもらえるのは私だけ!見て!その綺麗な瞳で!嗅いで!私という存在の香りを!聞いて!私の声だけを!味わって!私のアイを!触って!私の魂を!感じて!私の全てを!」
ただ一つわかるのは、このままでは不味い、ということだけだ。
「くっ……『離してくれ!』」
この子には、使うまいと思っていた。使ってしまったら、そこで何かが破綻してしまいそうだったから。
だけど、今はもうそんなことを言っている場合じゃない!ここで何とかしなかったら……多分、終わる。終わらせられる!
そんな一心で放った、これまでで最高の『感染』力を秘めた『思考感染』。
これは声に載せる力だ。だから、この鎖にも縛られない!故に、彼女に届く!
筈だった。
「そん、な……」
「ねえ!ねえねえねえねえねえねえねえ!何で?何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で?何で私に使ったの!使わないって!そう約束してくれてたのに!どうして?ねえ!どうして!はっ!そう!これが試練!私とアナタのアイが証明される試練なのね!そう!それならその試練を見事に超えて真なるアイをとってみせるわ!」
『思考感染』は、彼女に対して全く効果を及ぼさなかった。いや、それどころか、ますます熱の篭った視線で僕を舐め回すかのように見てくる。
その視線には流石に、千年の恋も冷めるというかのように、怖気が粟立ち、必死に彼女から逃げようともがく。
「あぁ!でも!ダメ!もう私が!我慢できそうにない!アナタはこんなにも待ってくれているというのに!ごめんなさい!あなたの期待に応えられなくて!でも!大丈夫よ!何てったって私とアナタは一つですもの!いえ!一つになるんですもの!それこそが私にとっての最後の機会!それこそが私の制約!それこそが『アナタを殺して私も死ぬ』!私たちは死んでも一つよ!何てったって本当に一つになるんですもの!ウフフフフ……」
こんなの……こんなのって……狂ってる……
「ええそうよ!私はアナタに狂っている!私を救い出してくれたあの時から!私にはアナタしか見えていないもの!だから……」
1歩1歩、彼女が近づいてくる。
さっきまではあれほど待ち望んだ1歩が、今は恐怖でしかない。
「ゃ、『やめろ!やめて!やめてください!いやだ!だれか!だれかたすけて!こんな終わり方は嫌だ!誰か!誰かァ!』」
恥も外聞も気にせず喚き散らして命乞いをする。
ことここに至っては、もう僕の命はないと思われる。ただ、生物としての本能が、そんなの認めたくないと叫んでいるから。
だから、最後の最後まで足掻く。
だけど、その足掻きに反して誰も助けに来ようとはしない。否、正確には、僕の叫びが届く範囲に人がいない、というのが正しいか。
「無駄よ!此処には誰も来れない!何故なら!アナタがそうしたんだもの!アナタが説く平等は!私にとってとても都合がいいものだったわ!流石はアナタ!私のアナタ!私の気持ちを分かってくれてるなんて!」
……あぁ、そうか……そういう事か……
僕が説いた平等。それは、他人の機会を邪魔しないことも含まれる。そうでなきゃ、理想郷なんて作れないから……
「ハハッ……詰まりは僕を殺すのは僕自身だったって訳か……」
「いいえ!アナタを殺すのは私よ!私がアナタを殺して!私も死ぬ!私とアナタは死ぬことで真に一つになるの!」
1歩。
気づけば彼女の右手には、どこかで見たことがあるような包丁が握られている。持ち手は黒。所々に銀色で円が書かれており、刃の形は東洋にある出刃、だったかな。
1歩。
あぁ、もう、間合いに入った。ここまで来ると、本能とは関係なしに、諦めに似た感情が溢れ出てくる。
彼女が腰だめに包丁を構えながら、たった1歩の距離を勢いよく突っ込んで来る。
そして、僕は場違いにも、彼女のその綺麗な顔に、一挙一動に、何より、彼女と過ごした日々から変わってしまってもなお美しい彼女に、一瞬見惚れてしまう。命の危機に加速した時間の中で、その一瞬はあまりに長くて。そして短くて。
気づけば僕は、その出刃包丁の切っ先によって、心臓を一突きに刺されていた。それと同時にドス黒いオーラを纏った鎖が消えて、僕と彼女は勢いのまま折り重なるように倒れる。
倒れる中で、ふと、顔に自分以外の暖かい液体がついたのが分かる。
その液体の出元を見てみると、そこには、彼女によって僕が突かれた位置と同じ位置にポッカリと穴を開けた彼女の姿。
同時に理解する。彼女の最後の最後で使ったチカラを。
一つになるという意味を。
そして
僕らは
まるで互いが互いを求め合うかの如く
アイを確かめるかのように
折り重なりあいながら
自然に
しかし同時に
死んでいった。
これにて、■■は終わる。
このあとの世界を見ることは出来ない。
何故ならば、■■というのは、どちらも観測せし者がいて成り立つが故に。
この■■の観測者は"???"と"××××"である。
観測せし者が■■を止めれば、それこそが物語の終局である。
だか、驚くことは無い。
紡ぐ者が■■を放棄した物語は、三千世界に溢れ満ちている。
それが例え電子の海であろうと。
それが例え知識の泉であろうと。
さて、もう一度問いかけようではないか。
紡ぎ手が■■を止めれば、それこそが自身の持つ世界の終焉。
それが何を意味するのかを、せいぜい悩むがいい