第三話『過去の呪縛(楽しいハッピーエンド計画)』
三年前のことだ。
俺はこことは別の世界で暮らしていた。
剣と魔法の世界。
そこで俺は、勇者として戦っていた。
竜王との戦いは、地下大空洞で行われた。
手応えはあった。
俺の剣は竜王の眼球から脳を確かに刺し貫いていた。
赤い鍾乳石が、竜王の血でさらに紅く染まる。
俺も半身にその血を浴びていた。
戦いでずたずたになった右腕から、眼球から、竜王の血が侵食してくる。
俺は悲鳴を上げた。
ドラゴンを殺した者には、ドラゴンの力が宿る。
言い伝えは、こういうことだったのだ。
「勇者よ」
苦痛でのたうつ俺に対し、自らの死を悟った竜王は穏やかだった。
「お前はなぜ一人なのだ。 人が善なる存在であれば、お前を一人で向かわせはすまい。 みな、お前のように剣を取り戦うはずだ。
知りたいか。お前が一人なのは、お前が都合のいい存在だからだ。便利な道具だからだ。
都合が悪くなりさえすれば、お前は彼らに捨てられる。
覚えておくがいい。その日はきっと遠くないぞ」
それが竜王の最後の言葉だった。
その巨体が幕を下ろすように崩れ落ちた。
〇
「国家反逆罪により、ソード・シンクラインを別世界へ追放とする」
竜王の言葉は、王国の法廷で現実となった。
「俺がかくまったのは魔族といっても子供だけだ。ほうっておけば飢えて死ぬ。見捨てるなんてできないだろ」
訴えは聞き入れられなかった。
「勇者殿は議会寄りだったからな。王政側はうまくやったものだ」
「王女殿下におかれましては、まことに残念なこととなりまして」
「やめてよね。あの人、国民が凶作に苦しんでいるのに自分だけ贅沢をするわけにはいかないとか言って、パーティーでもスープしか口にしないのよ。肩がこるったらないわ」
「何が勇者だ。この裏切り者」
連行される俺に、市民が石を投げる。
司法の場で正当な判断が下されるべきだと考えたのが間違いだったのか。
手には厚い鉄製の手かせがはめられ、鋲は溶接されている。
右目も術式が織り込まれた布できつく巻かれている。
自ずから受けた封印で、今の俺は無力だった。
不意に、近くの山の手から煙が上がる。
その場所には心当たりがあった。
「焼き討ちが始まったらしいぜ」
魔族の孤児達の隠れ里。
俺にすら心を開いてはくれなかった。
でも、彼らは殺されるようなことをしたのか?
「どうして……」
嗚咽が漏れた。
「正しさ、優しさ、思いやり。お前たちが言ってたことだろ。どうしてそれができないんだ」
あふれ出る言葉が止められない。
「俺が守ったのは何だったんだよ! 頑張った自分すら誇らせてもらえないのかよ! 俺は……どうすれば良かったんだよ!」
竜王の言う通りだった。
俺は正しいから勇者と呼ばれていたわけではない。
都合のいい存在だったから、勇者と崇め奉られていただけだ。
都合が悪くなれば捨てられるのだ。
(俺は……バカだ!)
正義のための戦いなんかじゃなかった。
妄想に憑りつかれていたのは、俺だ。
俺だけが滑稽に踊っていたのだ。
「こんな世界、俺の方から願い下げだ。消えてやる。それで満足なんだろう?」
別の世界に行けば、もしくは見つけられるのだろうが。
本当に正しい何かが。
だが、人の世はどこも大差なく。
俺は考えるのをやめた。
〇
時計は四時を回っていた。
少し話しすぎたようだ。
「俺、そろそろ行かないと」
「ここで? これじゃ完全にバッドエンドじゃない。クリフハンガーにしてもひどいわ」
「だから最初から言ってるだろ」
夢は必ず叶うとか、努力はいつか報われるとか、そういうのはラノベの中だけの話だ。
「で、これからなにがあるの? リア充イベントだったらお姉さん許さないわよ」
「市役所。昨日色々ぶっ壊したからさ。その見積もりが出ているんだよ」
「え? それってソードくんが払うの?」
読は目を丸くした。
「信じられない。ラノベの主人公ならそのままスルーよ」
それはラノベの主人公もどうかと思う。
「ソードくんって結構な名物男よね。もしかして、これまでの事件の分も」
「卒業してから分割で、ってことにはなってる……」
正直、あまり考えたくない。
何年計画になるんだろう。
そもそも返しきれるのか?
「私も行く。私、これでも目撃者だし」
読が意気込んだ。
「あと値切るの得意だし! こないだもフリマで本棚を800円で買ったし!」
市役所内、整然とした窓口の向こうは別世界のように雑然としている。
福祉課の奥から熟年男性が手招きしているのが見えた。
その手には、某長編ライトノベルがあった。
「民生委員の藤木さん。こっちでいろいろお世話になってる」
民生委員とは、簡単に言えば地域の相談役みたいな人だ。援助の必要な人間が自立した生活を送れるように活動している。そこには俺のような身元不明人も含まれる。
「ラノベ、お読みになられるんですか?」
さすが読、食いつくのはそこか。
「おうよ。こいつがいわゆる中二病って奴かと思って勉強に読み始めたんだが、これが全っ然分からねえ」
藤木さんはかかかと笑った。
藤木さんは昔は学校の先生だったらしい。定年退職して民生委員になった。現役時代は竹刀でも振り回してたんじゃないかって感じの気風のいい爺さんである。
「ほれ」
藤木さんは無造作に、机の上に書類を広げた。
昨日壊した分の見積もり書だ。
俺は神妙な顔で手に取った。
「ソードくんは悪くないんです。私見てました。ソードくんが」
「怪物やら魔法使いと戦っていました、ってか?」
藤木さんはインスタントの緑茶を入れると、電気ポットから湯を注いだ。
「藤木さんは信じていないんですか」
「年取ると頭がかたくなってな。まあ、こいつが訳ありなのは分かっているつもりさ」
一口、茶をすする。
「問題は俺みたいなのが世の中の大半ってことだ。何が正しいのか分からなければ、分かりやすい相手に責任を負わせる。それが、この世界のやり方だ」
「なら、ソードくんはどうなるんです?」
藤木さんは答えない。
そう、それが、答えだ。
「嬢ちゃんはラノベ、好きか」
「はい」
「そうか」
藤木さんのしわの刻まれた顔が、軽くほころぶ。
「こいつのこと、よろしく頼む。今でこそこの通りだが真面目なやつなんだ。理解者がいてくれると、俺も嬉しい」
「ソードくんの言う通りだわ」
帰り道、読がぽつりと呟いた。
「確かにこのままじゃラノベのネタにはならないわ。ソードくんの言う通り、ラノベには夢が必要だもの。だから、ハッピーエンドにしましょう」
……は?
「私がソードくんを幸せにする。いい人生だった、って言えるようにする。なら問題はないはずよ」
「いやいやいや! あるだろ問題!」
「私が相手じゃ、嫌?」
「そういうわけじゃないけれど……」
「ソードくんみたいな人が不幸になっちゃ、ダメだ」
読はどこか、憤っているようにも見えた。
「……読?」
「いやだと言ってもやるわよ、私」
くるりと身を翻して、読はいたずらっぽく笑った。
「絶対にあなたのこと、ハッピーエンドにしてみせる」
俺の物語は三年前のあの日に終わったはずだった。
そう思っていた。
でもそれは間違いだったらしい。
これはラノベが嫌いな俺と、ラノベが好きな彼女による、ラノベみたいな物語だ。