序章
「――はっ!?」
いったいここはどこだ。
俺は確か――確かそう、駅のホームに飛び降りて、バラバラになって死んだはずじゃなかったか。
もちろん人身事故でダイヤがどうのと考えなかったわけじゃない。
だがこれから死ぬ俺にはどうでもよかった。
彼女に――幼馴染の彼女にフられた俺には全てがどうでもよかったんだ。
「うぉぉおおん、さと子ぉぉおおおお!! 俺の何が悪かったんだぁああああ!」
子供の頃は俺のお嫁さんになるって言ってくれてたじゃないかよぉ。
涙が出てくる。というかもう泣いている。
そしてそして。
「よりによって吉田と付き合わなくてもいいだろおおおん!」
そうだ、あの野郎が現れてから全ておかしくなったんだ。
俺はクラスで目立たないようにしていたのに、転入してきて早々にクラスカーストワンのグループ入りして、俺をいじめの標的にしやがった。
しかも! しかも! 俺はさと子の前でストーカーに仕立て上げられたんだ!
俺が告白した時の、さと子のあの気持ち悪いモノでも見る目が忘れられない。
あの目が釘として脳に打ち込まれ、今なお血を流し続けている。
「ちくしょう! ちくしょう! ちっくしょおおおおおおお!!」
俺は一しきり泣いて泣いて泣き喚く。
そして泣きつかれた俺は、ようやく俺の置かれた異常事態に目を向ける気になった。俺の優先順位はさと子>>>>越えられない壁>>>>その他だからだ。
「確かに死んだはずだよなぁ」
ぺたぺた体を触っても、いつもどおりの自分の体でいつもどおりの高校の制服だ。はらわたが飛び出してもないし、四肢もついてる。ちょっと頭の巡りが悪い気もするが、それは昔からだ。ほっとけ。
体の無事を確認して、それから周囲を見回す。
「森……か?」
ぱっと見そうとしか思えない。ただ普通の森とはちょっと違う気がする。
もちろん俺は森博士でもなければ田舎育ちでもない。人工物ほぼ100%の都会っ子だ。
だがそんな俺でも異常と思えるのが乱立する木々の中に一つあった巨木の身長だった。
幹に近寄って上を見る。
さすがに雲までは届いていなさそうだが、もしかしたら天を掴むのではないかという尋常でない威容。こんなもんがあったら全会一致で世界遺産だろうが、万年赤点である俺がそんなもん知っているはずもなく。
「――もし?」
――――なんだ?
声が……したのか?
誰かに話しかけられたのか?
パシリの命令でしか人に話しかけられることの無かったこの俺が?
後ろを振り向く。
言葉が出なかった。
砂金を振りまくかのようなブロンドを携えた女の子がそこにいた。
そしてこれは――エルフというやつじゃなかろうか。耳が長い! 尖ってる!
着ている服はエルフの民族衣装と言われればしっくりくる。素材は悪そうだが、それを補う巧みの技が見て取れた。
頭の中に「コスプレ」という文字が浮かぶが投げ捨てる。
違う、絶対に違う! モノホンや! こいつぁまちごぉのくモノホンや!
ならば、ならばもしかしてここは!
――異・世・界――なのでは?
「かわせぃこぉうくのよっ?」
「……は?」
唐突に、その愛らしい桜色の唇から放たれた言葉を俺は理解することはできなかった。
まて、まてまて。異世界転生のお約束いきなり破いてんじゃねぇぞ!
異世界語は全国統一で日本語だろうが普通!
「くゎそただはるぉうさだふぁる?」
なに? おうさだはる?
「あー、ワタシ ニホンゴ ワカリマセーン」
違う違う、似非外国人になってどうする。
「オレサマ オマエ マルカジリ」
「――!?」
は? なんだ、急に。
顔を真っ赤にしてしまったぞ。
あー可愛い子はどんな顔しても似合――。
「な、ごふぅう――っ!?」
殴られた!?
つかなんで殴られた!
顔に一発、腹に一発。それはレベル1のスライムが勇者に殴られたような衝撃だった。
つまりたった二発で瀕死の重傷。見た目に似合わず良いものをお持ちで。
地面に崩れ落ちた俺は、頬に砂利の感触を刻みながら去っていく彼女を見送ることしかできなかった。あ、パンツ見えそう。
「ぐっ……くそあの女、いったい何の恨みがあって――」
痛みをこらえるために芋虫のように這い回る。
ふふふ、だが相手が悪かったな。俺はよく、吉田をはじめとするクズ共にじゃれあいと称して殴られているからこの程度どうということもないのだ、ふはははは!
だが、これで終わりじゃなかった。
ざっざっざっ。
あのエルフの女の子が去った方角から複数の足音が聞こえてきた。
出てきたのは屈強なエルフ男衆。うわむさい。違う俺はこんなのは求めてない。
「あ、おい! 馬鹿野郎お前! 俺はノンケだぞ、お前!」
男達はゴミを見るような目で(俺にとってはそれがデフォルト)俺を一瞥し、問答無用で手足を縛り、持ってきていた丸太に括りつけた。
(あーあれ、これちょっとやばくない?)
男達が丸太を担ぎ運ばれていく様にもし題名をつけるとしたら「今日の晩御飯」だろうか。
俺はこれから辿るであろう末路を複数予想する。
中でも俺がオススメしたいのは「あなたこそ救世主の生まれ変わり。どうぞエルフの娘達と子作りしてください」なんだが? ねぇエルフのお兄さん、どうっすか?
やがて、エルフの集落っぽいところまで連れ込まれた。
大木をくりぬいたような家屋に、童心を思い出す秘密基地の如き木の上に建てられた家々。
コンクリートジャングル育ちの俺にはとても心躍る光景だ。こんな状態でさえなければ。
至る所から突き刺さる視線を感じるが、嘲笑の的にされることにも、空気のようにいないもののように無視されることにも慣れている俺の鋼のメンタルには傷一つつかない。
だがそんな集落の中央広場に設えられたオブジェクトを視界に捉えたならば、鋼がアルミホイルになることを抑えられない。
「あーやっぱりかー」
そこには焼き芋でも作るのにちょうどよさそうな藁や草が敷き詰められていた。
「山火事とか心配になりませんか? ねぇみなさ――げふぅ!」
俺の親切な忠告を無視し、丸太ごと俺は汚物を放るように捨てられた。
「文明人としてどうかと思うぜ俺は」
無駄な抵抗と知りつつも俺は身を捩り逃げ出そうとする。だが木の上に並んでいた青年エルフ達が弓を構えるのが見えた。
「おぅまいが」
俺の呟きに応えるように、俺を取り囲んでいたエルフが分かたれ、先ほどのエルフ少女が姿を見せる。だが先ほどと違い今は純白のローブを纏っていた。一目で偉い人なのだと分かる華美ではないが繊細な作りのローブだ。
『わらびー! わらびー! わらびー! わらびー!』
少女が手をかざす。
そうすると周囲の奴らが大合唱を始めた。相変わらず何言ってるのか分からないが、たぶんころせー! か、もやせー! あたりじゃなかろうか。
「あくせす」
――ん? アクセス?
少女の手に光が宿り、生き物のようにうねり波うち、やがて一つの図柄を構成する。円形のそれは――魔法陣――か!?
「わがもとめるはれいめいのひ。ただれくるうぐしゃのほのお」
その呪言は――詠唱。
貴き神々の言語で希い、世界を侵食し、理を歪める禁忌の技法。
「てきをやけ。ともをもやせ。あかごをくべろ。こいびとよはいへとかえれ」
一言一言、刻み込むごとに魔法陣が輝きを増し、回転を速める。火花と雷を撒き散らしついには白色から赤熱色に煌く、そして――。
ここに神話を再現した。
「<穢れ祓う蒼炎の痴らべ・Ⅳ>」
蒼き炎が舞い降りた。炎は法則を無視して燃え移らず留まり罪人を灰へとかえす。
その幻想的な光景に、エルフ達は感嘆の溜め息すら出ず目をみはって釘付けになっていた。
(焼かれている俺なんてもうどうでもいいって風情だな)
その蒼炎は優しかった。
苦痛は感じない。それは不浄を慈悲深く清めるように。
だが残酷なまでに俺の体は崩壊していった。
――死ぬのは怖くない。死の恐怖なんてものは存在しない。
いじめなんて可愛らしい言葉で言い表せないほど俺はあいつらにボロボロにされた。
壮絶に苛烈に。
何より自尊心を粉々に砕かれたのだ。
そして唯一のより所であったさと子にもフられた俺には、もう生きる理由なんてものはなかった。
だから――。
(俺は――)
<<DEAD END>>
「――はっ!?」
いったいここはどこだ?
俺は確か――確かそう炎で焼かれて死んだはず。
辺りを見回す、そこは沼地……湿地帯だろうか。少なくともさっきの森とは違う場所だ。
いったいなにが――。
ズシン! ズシン!
「は?」
地震と勘違いするほどの地響きを感じ後ろを振り返る。
(あーなんかいるわー)
そこには2メートルを越えるほどの二足歩行するトカゲ――リザードマンみたいなのがいた。
そいつは不適に笑うと(笑ったんだよな?)バクン! と口を大きく開け、俺に覆いかぶさり――。
バリ! ゴキ! バク! ムシャボリボリ! ……ゴクン。
<<DEAD END>>
「――はっ!?」
いったいここはどこだ?
俺は確か――確かそうリザードマンに喰われて死んだはず。
辺りを見回す。そこはだだ広い大草原だった。
(……まぁなんとなく読めてきたするけど――ん?)
晴天であるはずなのに周囲が影に覆われた。
空を仰ぎ見る。
そこには――。
(ドラゴンまでいんのかー)
『GYAAAAAAAAAAA!!』
――プチッ。
<<DEAD END>>
「――はっ!? ――!? ――!!」
いったいここはどこだ!
俺は確か――確かそうドラゴンに潰されたはず!
だがここは――。
(水中じゃねぇか!?)
上も下も分からずもがき苦しむ。飲み込んだ水が塩辛い。
日本では考えられないほど透明度の高い海の中らしい。
そしてそこで俺は不思議そうにこちらを見ている魚人っぽいのを見つけた。
(たす――たすけ――)
――ブクブク。
<<DEAD END>>
「――は!?」
いったいここはどこだ?
俺は確か――確かそう溺れて死んだはず。
辺りを見渡すとのどかな草原だった。ところどころ羊に似た草食動物が見られる。
(ササッ!)
俺は前々回ドラゴンに見つかったことを思い出し、素早く近くにあった岩場の陰に隠れる。
しかし――。
(俺は確かに死んだはずで……でも生きてて……ここはエルフやドラゴンなんている異世界で。もしかしてこれは)
――死亡ループものなのでは?
いや、ループというならリスタートは元の場所じゃなきゃおかしい。だがここは見覚えのない草原。ループしているんじゃないとすれば……。
俺は頭を捻り適当な言葉を探す。
――そうだ、これはネットゲームで復活した時に元の街まで飛ばされるのに似ている。
だがこの草原が始まりの街とは思えない。
死ぬとバシルーラで適当なところまで飛ばされると見るのが妥当か?
そしてさらに一つの疑問があった。
(今まで蘇生した場所は同一異世界内なのかどうかだな)
つまり、俺が見てきた場所が異世界Aの地点a地点bなのか、それとも異世界B、異世界Cなのかだ。
仮に別異世界で蘇っているのなら、例えば言語を習得しても別異世界では使えないことになる。
死んで終わりにできない以上、この場合はとてつもなく面倒だ。
――死ぬのは怖くなかった。
だが
――死ねないのがこれほど怖いとは思わなかった
自殺をすると地獄に落ちると聞いたことがある。
なるほど確かにこれは地獄だ。
――逃げずに精一杯生きるということの、なんと難しいことだろうか。
俺は知らず震えていた体を両腕で抱きしめて止める。
――いいぜやってやるよ。
お望み通り見せてやるよ、俺の生き様を。
そしてならばそう
第一歩目は俺らしく行かせてもらおう。
(もいっかい死んで見るか)