六四式郵便小銃~コロボフによって蘇えるアリサカ~
次に郵便保護銃についてである。
昭和25年に郵便保護銃が復活して以来、郵便局員らにまず配備されたのは米軍のM1カービンや終戦時にGHQが接収したまま倉庫で埃を被っていた三八式、九九式歩兵銃など限定的な小火器であった。
そして郵便保護課、郵便防衛庁と組織の拡大に伴い、アメリカ軍のM1ガーランド半自動小銃やM1918ブローニング自動小銃など強力な自動火器が配備されてきたが、それぞれの銃で少なくない問題を抱えていた。
以下に各々の銃の問題点と、その他の郵便銃としての特色を挙げる。
M1カービンであれば、多少の威力の弱さに目を瞑れば文句無し。さらには一部にあった折り畳み可能な鋼線製の銃床を備えた型式が携帯に便利であると人気があった。
三八式歩兵銃であれば、著しく長すぎる。ただ、旧軍での従軍経験のある郵便防衛庁の部員にしてみれば扱いやすく愛着のある銃ではあった。
九九式歩兵銃であれば、戦時中後期に生産された個体では鋼材の品質や部品の精度が悪く安全性に問題が有り、これらはすぐに使用禁止となった。
M1ガーランド半自動小銃であれば、反動が著しく強烈であるのと八連挿弾子の扱いが小難しく、重量も嵩んでいた。しかし連発が利く為にたった一丁のガーランドでツキノワグマの成獣を撃ち倒した例もあり、威力だけは頼りになる銃である。
M1918ブローニング自動小銃であれば、重すぎる。ガーランドと同様に威力が有り、そして連射も可能であったが、その重さが隊員らに嫌われ、もっぱら車載機銃として銃架に据えて運用されていた。
また、いくらか混じっていたいくつかの短機関銃であれば、射程と威力に乏しい拳銃弾の弱威力ゆえに猛獣相手には威嚇にしかならず殆ど無力。郵便局強盗対策など閉所での対人戦闘では小型さゆえに役立つがそれだけであった。
まあ纏めると、山間部など猛獣の出没する地域ではM1ガーランド半自動小銃など高威力なアメリカ製小銃が頼りになるが、その他の現場ではいくらか弱威力でも軽量で小型な、携帯性に優れる銃が求められていた。
そもそも、軍隊並みの武装をしている郵便防衛庁の部員を相手に郵便強盗をしようなどと言う馬鹿はあまりいなかった、……少なからず馬鹿はいて、郵便保護銃目当てに部員を襲う過激派や銃マニアさえいた。のである。
だがしかし、有事の際には侵攻する敵に立ち塞がって郵便ポストや市民らを始めとする郵便インフラを防衛しなければならないのだから、短機関銃などは弱威力過ぎてまったく適当でなく、M1カービンでもまだ威力に不安があった。
これらを鑑みると、もし1961年の今日にソ連や中共の軍が日本の郵便インフラを破壊せんと日本に侵攻した場合、郵便防衛庁の部員らが持てる最上の銃はM1ガーランド半自動小銃であり、それが行き渡らぬ部員らは三八式歩兵銃でもって戦わなければならぬのである。―――自動小銃や大小各種の機関銃が普及している近年の軍に対抗するには無力といっていいだろう。
そうであるからこそ、郵便防衛庁が設立された頃から新式郵便保護銃の模索が始まっていたのだが、一向にこれが進んでいなかった。
郵便防衛庁が赤化しかけていた頃にソ連から購入した“AKM”などの7.62mm口径の短い小銃弾を用いる自動小銃は、流石ソビエト軍最新式とも云うべきか少しばかりの威力を捨てた代わりに小型軽量と優れていた。
しかし、ソ連との決別を果たした今となってはソ連製兵器の採用など夢のまた夢。日本唯一の同盟国はアメリカ合衆国なのである。
その為、アメリカに新式郵便保護銃になりうる銃は無いかと問い合わせてはみたものの、それに対して送られてきたのはアメリカ軍制式のM14自動小銃。これを郵便防衛庁の部員らによって試射試験をしてみれば悪評が山の如く噴出した。
「重い!せめて三八式より軽くしろ!」
「長い!せめてM1カービンと同じに、M1A1カービンみたく銃床を折り畳めるともっと良い!」
「反動強すぎ!これじゃ連射できない!せめて三八式と同じくらいにしろ!」
「アメリカ製ってのが気に入らん!ソ連製にしろ!」
「いや国産だ!九六式軽機関銃でも良い。いや、九六式にすべきだ!」
とにかく、新たに何人かの共産主義者が粛清された試射試験の結果を纏めてみれば、M14に用いられる7.62mmNATO弾が日本人の体格に合わなかったのである。
それでいてアメリカは、「小銃弾の選択肢は7.62mmNATO弾以外に無し。他を使いたければ自主開発でもやってみろ」といった態度である。
そして日本郵便防衛庁が示した回答はこうである。
「じゃあ、三八年式実包を使います。今でも細々ながら郵便防衛庁向けに生産が続いていますし。ああ、M14も猛獣対策に少しは買ってやりますよ」
まさかの回帰である。
しかも大見得を切ってしまったものだから、後から「やっぱりM14を主力にします」などと言えなくなってしまったのだ。
とにかく、これで新式銃に使用する弾薬は決まったのだから、後は銃を開発するだけ……。当然、すぐに出来るような物ではない。
じゃあどうするか?
そうして決まった設計方針は―――、
「完全独自開発は端から諦めてコピーしよう。ソ連から貰った銃やカタログに載ってたのをコピーすればアメリカには早々バレないだろうし。そういや戦中に鹵獲したフエドロフ自動小銃って残ってないの?あれ三八年式実包を使う自動小銃じゃん。え、やっぱり無い?じゃあ弾違うけどAKMとかSKSので」
彼ら新式郵便銃の設計に携わった者らの名誉の為に言っておくが、彼らは真面目に、大真面目にソ連製銃器のコピーをすることにしたのだ。
そうして新式郵便銃のコンセプト、設計要求は以下のように決まった。
・全長について、1m以下が望ましい。ついで銃身長は要検討、長ければ長いほど反動抑制と精密射撃に有利である事に留意する事。
・重量について、4.4kg以下。何よりもM14より軽くする事。
・弾薬について、三八年式実包、もしくはその改良弾薬を用いる。
・装弾数について、20発以上。何よりもM14よりも多くする事。可能であれば九六式機関銃の弾倉を小改良の上で流用することも検討。
・連射速度について、毎分700~900発。旧軍の機関銃のようにやたらと低い値にすると重量が嵩むため、幾らか速くなってでも軽量さを重視する。
そして幾つか、最後に特記がなされた。
・主要構造はソ連から購入した銃器を流用して設計期間の短縮に努める。
・ソ連から貰った銃器カタログに載っていた“TKB-408”という弾倉と機関部を銃杷の後方に配置した、恐らく全長の短縮を意図したのであろう自動小銃の設計を流用することによって、新式郵便銃の全長短縮策とする。
……“TKB-408”とは何か?
TKB-408とは、かつて1946年にソビエト連邦が行なった新式自動小銃の競作に、ツーラ中央設計局の銃器設計者ゲルマン・アレクサンドロヴィチ・コロボフが提出し、見事めでたく落選した自動小銃なのであるが、どういう訳か後に“ブルパップ”方式と呼ばれるレイアウトを採った自動小銃なのである。
確かに、この方式であれば全長の短縮も、そして意外に重量の嵩む銃床を小型化できるため軽量化にも役立つのであるが、競作に敗れた銃が特別優れているはずもない。しかし今において流用する機関部の構造はソ連最新型自動小銃のAKMのものなのである。
つまりは何とかなってしまったのだ。
1962年に早くも完成した試作一号銃を見てみれば、AKMからコピーした機関部を三八年式実包に適合するよう42mmだけ延長し、弾倉は九六式軽機関銃から、銃身は三八式歩兵銃から流用したツギハギ銃。幸いにしてこの時点ではブルパップ方式ではなかったのであるが、トンデモ銃には変わりなかった。
当然の如く問題点が噴出、試射1発目でガスチューブが異常圧力によって破裂するなど碌に撃てる銃ではなかったのであるが、ガスチューブの破裂に関しては作動方式を“SKS”や“PTRS”などのサカロフ銃と同様な短ガスピストン式に改め、銃身のガス孔の位置と形状の最適化によって解決。
その他の箇所についても、機関部に関しては元々から完成度が高かったのもあって目立った問題点は外板の強度不足くらい。他は弾倉の小改良や機関部とのすり合わせ、弾薬の起縁形状を旧来のセミリムドから自動銃に適するリムレスへ変更、等々のそれぞれの小改良で殆どの問題が解決。
そうして試作三号銃では全長1.42m、重量6.8kg、装弾数28発、発射速度毎分850発という立派な自動小銃が完成。外見は相変わらずのツギハギで、AKMの機関部の前後に三八式歩兵銃の銃身と銃床を取り付け、九六式軽機関銃の弾倉を装填しているという様相は相変わらずであった。
しかし全長と重量にさえ目を瞑りさえすれば中々優秀な銃ではあった。のだが、求める終着点は“ブルパップ”方式である。
続く試作四号銃では、文字通り銃を殺すかの如く銃床を切断。さらに1mを少しばかりはみ出す長さについては銃身を切断して設計要求を満たすようにされた。
そして銃杷と引金を機関部の前方へ移設し、機関部から遠く離れる事となってしまった引金の連動については銃の外側に這わせた連接板によって動作させるようになっていた。
これにより全長0.99m、重量5.2kgとなった試作四号銃にて試射を行なってみれば、照準器の配置や引金の操作感などのいわゆる、つい最近に提唱され始めた人間工学的な問題が見受けられたが、中身こそ試作三号銃のままであるから結果は上々。あとは細々とした改良と軽量化を残すのみとされた。
そして試作六号銃によって遂に完成形に到達。
その銃の外見はただ一つ、異様という言葉に集約された。
三八式歩兵銃の長大な銃身をほぼそのままに流用し、それでいて銃身の前半分のおよそ350mmは完全に露出していて、先端にはフロントサイトが高くそびえ立っていた。
それは軽量化の為に、銃杷より前方に伸びる被筒を左手が収まる長さだけに留めたからであった。
それでいてフロントサイトの銃身を挟んだ下には着剣ラグが備えられており、三十年式銃剣の鍔を改めた物が着剣可能。その際の全長は1.35mに達するなど、ブルパップ方式になってもなお相変わらず槍の如き風貌で従軍経験者を甚く喜ばせた。
次に露出した銃身の後ろを見てみれば、銃杷と共に耐熱樹脂で左右と下側の3ピースに分割成形された被筒があり、さらに後方には補強リブまみれの外板に覆われた機関部があった。
かつてAKMの設計をほぼそのままコピーしていた機関部であったが、中身こそ引金の連接棒が貫通する以外はかつてのソ連式の設計が色濃く残っているのに対し、それを覆うプレス加工によって成形された外板は元の7.62mm短小弾より強力な三八年式実包改の反動に耐えるべく厚さは1.5mmに増厚、さらにはトタン板の如く補強リブが銃身方向に多数刻まれていたのである。
この為に、AKMでは機関部の右側面に配置されていたセレクターは補強リブの無い機関部の下面、かつてトリガーがあった箇所に移設されていた。
まあとにかく、こうして完成した新式郵便保護銃は郵便防衛庁に制式採用が決定。
制式名称は“1964年式郵便保護自動小銃”、通称としては“六四式郵便小銃”と称される事になった。
またこれと合わせてリム形状を改めた三八年式実包改も“1964年式実包”として、九六式軽機関銃も1964年式実包と六四式郵便小銃のマガジンに合うよう小改良され“1964年式郵便保護軽機関銃”として制式採用された。
なお、この六四式郵便軽機関銃については、M1918ブローニング自動小銃を更新する車載機関銃の需要を満たす事を兼ねての制式であった。
これに対し国内からは、M14と比べていくらか高くついた価格に大蔵省からケチが付いたが、これには大蔵省の役人にM14を撃たせ、さらに肩を壊すまで撃たせ、撃たせ、撃たせ続ける事によって封殺した。
またアメリカからは相変わらず「M14を主力小銃にしろ!それが嫌なら六四式郵便小銃に7.62mmNATO弾を使え!あと最新型の5.56x45mm弾も買え!」と文句が来ていたが、これも前言通りM14を猛獣対策に少数を購入したのみで済ませた。
これにより日本は、MAS49半自動小銃を制式とするフランスと並び、西側諸国において7.62mmNATO弾を主力としなかった数少ない国の一つとなったのだ。
さらにこの事がフランスに気に入られたのか、フランスより新式自動小銃の開発の参考の為に六四式郵便小銃を購入したいという申し入れが有って12丁の輸出がされた。
そして昨年の1963年にアメリカにて新式小銃弾薬として誕生し、1970年代に入ってからは新NATO弾にと推していた5.56x45mm弾であるが、この弾薬が主目的としていた反動低減に至っては遥か昔の三十年式実包にて既に達成されてしまっていた事や、あまりに小口径、小威力すぎて猛獣への威力がまったく期待出来なかった為に日本郵便防衛庁では見向きもされなかった。
また、フランスが新NATO弾に1964年式実包を推してきたのを切欠に、かつて7.62mmNATO弾によって辛酸を舐めさせられたイギリスと英連邦構成国、そしてこれに追随した西ドイツとベルギーが独自弾薬として4.85×49mm弾を推してきた為に新NATO弾制式への協議は度々紛糾。
結果として他国の支持を得られなかったアメリカとフランスがそれぞれの弾薬を取り下げ、新NATO弾にはイギリスが開発した4.85×49mm弾が制式採用される事となった。
なお余談なのだが、新NATO弾に1964年式実包を推したフランスであるが、後にアメリカが気に入らないから当て付けとして1964年式実包を推した事が判明。
さらに生粋のイギリス嫌いが為にイギリスが設計した4.85mmNATO弾をそのまま採用する事はせず、新式自動小銃のFA-MASには互換性こそ残しつつも寸法を僅かに変えた4.9×48mm弾を採用したという。
ともかく、こうして制式採用された六四式郵便小銃であるが、まだ問題が残っていた。
一つは重量。
目標であった4.4kg以下に対して六四式郵便小銃は4.8kg。400gの超過である。
一つは全長。
目標であった1m以下に対して六四式郵便小銃は0.99m。目標こそクリアしてはいたが、被筒から350mmあまりも突出する銃身は何かと引っ掛かって邪魔であった。
そして、この二つの問題を一挙に解決する手段は明確であった。―――銃身を切ってしまえば良い。
まさかそんな、反動抑制や射撃精度を捨てるような真似を開発に当たった設計者らは採れなかったのだが、現場の隊員らにそんな事は分からぬのである。
その結果として銃身をバッサリと切断して改造する事が、特に従軍経験が無く銃剣に親しみの無い若い部員らの間で横行。
銃身の先端部にあるフロントサイトごと乱雑に切り捨てていく物だから、その改造をされた六四式郵便小銃は当然の如く当たらない銃と化し、さらには作動ガスの圧力が不足してマトモに連発できなくなってしまった銃が続出したのだ。
この事態を重く見た郵便防衛庁は新たに六四式郵便小銃の銃身短縮型を配備する事に決定。銃身長を720mmから旧軍の四四式騎兵銃に倣って490mmに変更。これで全長は0.23m短縮されて0.76mになった。
また、銃身長の短縮によって生じる作動ガスの圧力不足は、銃口部にマズルブースターを設ける事によって解消された。
さらに、スリングを掛けるフロントスイベルの位置を被筒の下側を延長する事によって前方へ移設。これによって肩に掛けた際に突出する長さを極力短く出来るよう配慮が為された。
これらの短縮改良の為された六四式郵便小銃は新たに“1966年式郵便保護自動騎兵銃”として新たに郵便防衛庁へ制式採用される事となり、それ以降、若手部員らの不満による改造は鳴りを潜めるようになったのである。
ちなみにモデルにした銃はドラグノフ狙撃銃をブルパップ化したSVUです。