赫々戦争~赤い三連星~
書いてる途中でブルースクリーンが起きて前半消えた腹いせに全郵政派が酷い目に遭います。
1974年。
昨年に勃発した第四次中東戦争で高騰した原油価格により航空需要が激減した事で冷え込んだ航空機市場を見て浮足立った奴らがいた。
「もしかして、ジェット郵便輸送機、買えるのでは?」
東京など首都圏の全逓派である。
日本郵便防衛庁の航空戦力である航空郵便防衛部は、ソ連に対する郵便網防空戦力として整備された面が大きく、共産勢力である全逓派は締め出され、全郵政派と少数の旧軍派によって寡占状態だった。
そしてそれは郵便輸送部門においても同様である。
全郵政派がYS-11やC130といった独自機材で都市間航空郵便輸送をしている中、全逓派は偶に民間航空会社に委託している他はトラックや鉄道に頼らざるをえず速達性で後れを取っていたのだ。
全郵政派に対抗して独自の航空郵便輸送手段を持つ事、さらには全郵政派に先んじてジェット郵便輸送機を獲得して郵便的優位性を確保する事は全逓派の悲願だった。
この為、そこらで捕まえた郵便バイクの運転が上手い郵便局員をパイロット候補生に仕立て上げてソ連に留学させるなど地道な努力を積み重ねていた。
しかし、予算に乏しい全逓派が独自にジェット郵便輸送機を調達する事は困難だった。
困難なはずだったのだ。
だが、時にロッキード社とダグラス社が新型ジェット旅客機の熾烈なセールス合戦を繰り広げていたそんな最中、昨年からの原油高が加わった事で事情が変わって来たのだ。
郵便防衛庁本庁から全逓派に割り当てられた予算にソ連や日本共産党からの持ち余していた工作資金を加えると、航空機市場がダブついた事でダンピングにダンピングを重ねられた先述の新型ジェット旅客機を買えない事も無くなってしまったのだ。
買えても初年度に2機を買って工作資金や積立金を使い果たした以降は3年に1機をやっと買えるか、という予算事情ではあるが、買えてしまうのだ。
「……買っちゃおう、かな?」
郵便戦車や郵便保護銃といった他の装備品の調達数を大きく削減する必要がある為に、買えるからといってそれで全郵政派との派閥抗争に負けては本末転倒であるが為に、それはもう悩んだ。
もちろん安い機体、例えばDC-9といった旧式機であればもっと余裕のある予算配分と調達計画を組めるのであるが、航空機の技術開発スピードの目まぐるしさ故の陳腐化の速さは、対抗派閥である全郵政派もジェット郵便輸送機を獲得した際にその分だけまたしても差を付けられてしまう事を示しているのだ。
なればこそ、買うなら多少無理して見栄を張ってでも新型機を買う必要があった。
あるいはTu-134などのソ連製が選択肢にあれば、だがしかし、ソ連製航空機は例え民間機として開発されていても多くがソ連軍での採用実績を持つ為に、これを通商産業省や税関に突かれてしまうリスクが極めて大きかった。
「どれを、買おうかな?」
そんなボヤキが届いてしまった事で、日本郵便防衛庁全逓派はロッキード社とダグラス社による熾烈なセールス合戦の舞台となったのだ。
「コッチを買ってくれたら保守は2年間サービスするぞ!」
「いやウチなら3年間だ!」
「初年度に3機買ってくれるなら4機目はいつでも半額で良いぞ!」
「いやいやウチなら4機買ってくれれば5機目は1ドルポッキリだ!」
「他の装備を買う予算が圧迫される?それならアメリカ陸軍がモスポールしてる奴をセットにしてやろう!シャーマンを3グロスくらいどうだ!」
「ウチは海軍に顔が利くからな、そうだ軍艦をセットにするか!ミッチャー級駆逐艦のウィルキンソンとかどうだ!」
やり過ぎにも程がある。
「アカの金を奪ってこいとは言ったがそこまでしろとは言ってない」
―――とはカンパニーだったかサムおじさんが言ったとか言ってないとか。
実際にロッキード社は退役してスクラップ予定だったウィルキンソンを落札して再整備していたのだからやり過ぎにも程があるというものである。
とはいえ、いくらセールスが魅力的とはいえ、全逓派としても使えない飛行機を買うつもりは無い為に、飛行機に詳しい人材が少ないなりによくよく調べて考えた。
「え、DC-10って貨物ドアに欠陥あるの?それで墜落事故が起きてる?駄目では?」
そして決め手となったのが、3月3日に起きていたトルコ航空981便墜落事故の原因が機体の欠陥由来、それも郵便輸送機として重要な貨物ドアが原因だと判明した事だった。
しかも一昨年にもアメリカン航空96便で貨物ドアが破損し操縦困難となる事故が発生しているのである。
「大枚はたいて欠陥機を買って事故起こしたらお終いじゃないか」
また、全逓派を支援する日本共産党なども当時、成田市三里塚での新空港建設を騒音問題とも絡めて批判していた事もあって、DC-10よりも騒音の小さなL-1011を推した事で、セールス合戦は終結する事となる。
「ところでロッキードさん、L-1011って貨物仕様機は無いの?郵便輸送にしか使わないから客席は要らないのだけど」
「……中古じゃなくて新造で貨物仕様?え、旅客営業はしないのです?採算は?」
「そりゃあ私共、郵便屋ですので。要るとしたら航空便防衛課の為に操縦室に座席を3つほど増やして欲しいくらいですね」
「えぇ……」
こうして1977年。
胴体前方左側面に大型貨物ドアを装備した貨物仕様のL-1011-200Cがロッキード社にて完成し、セールスでは色々言ったもののロッキード社にとって想定外だった貨物専従機であった事や全逓派の予算事情もあってこの年には2機のみが全逓派に納入された。
新造貨物機なんていう普通は誰も買わない、もし売れなければ不良在庫に早変わりな機体はロッキード社としてもあまり抱えたくなかったのだ。
そして、赤い郵便マークを大きく描かれた白地の垂直尾翼以外の全てが赤く塗装されたこの新型ジェット郵便輸送機は、全逓派にとっても予想外に赫々戦争の戦局を大きく狂わせる事となる。
「全逓派、ジェット郵便輸送機買ったの?じゃあウチ全郵政派辞めるわ」
よりにもよって、これを言ったのは郵便空港局。
関東圏の郵便網防空の要として全郵政派の肝いりで建設してようやく仮運用が始まったばかりの、後に舞浜郵便空港局となる新空港局の離反である。
というのも、そもそも郵便空港局は航空郵便輸送のハブ空港として建設が計画されたにも関わらず、実際に運用する全郵政派は近年、新型対潜哨戒機P-3Cの調達に熱心で、肝心の郵便輸送機のパイロットすらP-3Cに転向させるなど航空郵便輸送を軽視していたきらいがあった。
さらに第四次中東戦争が終結してからも尾を引いている原油高を受けて航空郵便輸送を減便していたのも悪かった。
郵便空港局の郵便局員や郵便防衛部員からしてみれば、自分達が軽く見られているようでつまらないのだ。
だったら、全郵政派なんか辞めて全逓派のジェット郵便輸送機を受け入れた方が遥かにマシであるとも。
これには全郵政派も慌てて引き留めに奔ったが、郵便空港局の要求である郵便輸送機の拡充がP-3Cの大規模調達に阻まれている最中には困難な事もあり、共産勢力である全逓派への転向を防ぎ中道の郵便派に転向させるのが精々だった。
挙句、舞浜の郵便空港局の離反を受けて各地方の郵便空港局にまで動揺が広がる始末。
それは全逓派のL-1011-200C郵便輸送機が飛ぶ度に全郵政派の郵便局が離反していくと例えられる程であった。
なお、棚ぼた的に郵便空港局を抱える事となった郵便派も独自の航空郵便輸送を画策。
政治的中立を保つ為、また中立故に支援の薄さもあって国産の小型ジェット機による短距離輸送をと計画し、これは三菱重工業のMU-2を調達して主に離島との航空郵便輸送を実施していく事となった。
Q「どうしてEF-1AとF-14Aは設備の整った舞浜じゃなくて調布に配備されたの?」
A「舞浜が離反したからです」
ロッキード「ところでこのウェルキンソン要る?」
全逓派「駆逐艦たった1隻を何に使えと?」