赫々戦争~函館湾強襲揚陸作戦~
1966年5月15日。
北海道石狩支庁恵庭町、恵庭演習場。
「セルゲイ中佐、T-55の牽引工作車両型を函館に持ってきてくれないでしょうか。もちろん金は支払います。郵便局の10局や20局でも明け渡したって良い。郵便防衛庁本庁への伝手も紹介出来る。どうか、この通り」
目の前で深く頭を下げた男の言葉が、理解できなかった。
「何故?いや、無理だ。そもそも戦車ベースとはいえ牽引工作車両に、どうしてそこまで」
「だからこそです、セルゲイ中佐。北海道の悪路でも運用に支障の無いT-55ベースの牽引工作車両だからこそ、災害時に数が必要なのです。チリ地震津波の地獄を前にして何も出来なかった、もう、我々はそれを二度と繰り返したくないのです」
ああ、郵便に狂っている、狂気の眼差しが私に向かっている。
何なのだ、この国は。
この男は、本当に日本帝国陸軍の軍人だったのか?
いやそれは本国の国家保安委員会が一切の瑕疵なく証明している。―――親類についての情報も揃えてほしかったものだが。
ノモンハンでソ連軍の戦車と装甲車を少なくとも1両ずつ撃破した経験を持ち、かつ捕虜経験のない生粋の日本帝国陸軍戦車兵。
そんな彼が、持てる全てをソ連に売り捌き、自国領土へソ連軍を誘致?―――狂ってる。
彼の計画はこうだ。
T-55牽引工作車両型、VT-55を積載したソ連貨物船が津軽海峡を航行中にトラブルを装い函館湾に寄港。そこで座礁事故を起こし、離礁する為に積荷を遺棄する口実でVT-55を投棄。
そのVT-55が投棄された先には、たまたまそこで訓練中だった函館の旧軍派郵便防衛部が設営していた仮設桟橋があった、という算段だ。
挙句、函館税関の庁舎には目暗ましの為に放火までするという。
「とても正気とは思えない。狂っている」
「正気ですとも。確かに税関はやっかいですが、函館全域を我々旧軍派が勢力下に置いている故に―――」
そうじゃない。そうじゃないんだ。
郵便の為なら、同胞にさえ手を掛ける事すら厭わない?
気付いてくれ、それを正気とは言わないのだ。
「もういい。分かった。この件は本国に報告しよう。しかし、期待しないでもらいたい。須藤課長、貴方たちは我々の敵だ」
「ああ、セルゲイ中佐、ありがとう。それで十分です」
どうせ、こんな提案を祖国が受け入れる筈が無いのだ。
数日もせず、私の思いは裏切られた。
須藤課長の言っていた“郵便防衛庁本庁への伝手”、これが党に効いたらしい。
使い勝手の良かった元郵便防衛庁長官を失って以来、郵便防衛庁高級幹部との伝手は軍用車両を満載した工作船1隻を失ってでも釣りが出るそうだ。
1966年8月19日
17時00分
北海道渡島支庁函館市。
函館山山頂展望台。
雨期はとうに明けたにも関わらず、見下ろす函館港は3日も前から雨に包まれていた。
その湾内では1隻の貨物船が船体側面から黒煙を噴き上げている。
ソ連船籍貨物船『メレホフ』、機関火災の為に函館港へ避難してきたというその船の実際は、ソ連海軍が運用する武器運搬工作船だ。
「セルゲイ中佐、作戦開始時刻です」
叔父に旧軍派の特殊郵便輸送課課長を持つ従兵が作戦開始を告げる。
私の周囲に展開するのは函館郵便局駐留の、観光用ロープウェイにより運び込まれた75mm榴弾砲M1A1が6門を擁する旧軍派砲兵一個中隊。
そして、あの須藤課長に特等席と教えられたこの場所は、かつて函館湾と津軽海峡を防衛する沿岸要塞だったという。
要塞が武装解除されてから久しく、20年振りに砲声が轟いた。
間もなく、着弾。函館郵便局の局舎に命中、全弾命中だ。
もうもうと立ち込める煙に局舎が飲み込まれていく。
「良い腕をしているな」
また発砲。6発の砲弾が函館郵便局の局舎へと吸い込まれていく。
聞くところによれば、あの局舎は建てられてから4年しか経っていないという。
「ご安心を。全て発煙弾です」
「……そうか」
やや物騒な試射を終えた榴弾砲が本目標へと砲口を旋回させる。函館税関庁舎へと。
そして発砲―――着弾、爆発音。
「放火では、なかったのかね?」
「ええ、函館局に税関嫌いがいまして」
それどころか、今度は2斉射どころでは済まなかった。
展望台までロープウェイで運び上げた砲弾60発、その内の榴弾48発きっかり8斉射を撃ち終えた頃には税関庁舎建屋など跡形も無くなっていた。
他方、メレホフへと視線を映せば、いつの間にやら陸地との距離を縮めていく。その先には艀を連結した仮設浮桟橋、函館港が被災しても青函連絡船が運航可能なように函館郵便局の郵便防衛部へ配備されているそれが浮かんでいる。
「メレホフ、仮設桟橋に接岸しました」
座礁など、もはや言葉遊びだな。
それから間を置かず、メレホフがクレーンで甲板に並ぶVT-55の揚陸作業を開始する。
作業は至って順調。
メレホフから伸びる黒煙と、日没間際の薄暗さ、そして雨が揚陸作業を隠すスクリーンとなり、いやそもそも妨害する敵対勢力がいない。
税関を庁舎ごと破壊したのは、この観点から見れば確かに功を奏したと言えるだろう。
まったく内戦とは嫌なモノだ。
強襲揚陸とは名ばかりの、牧歌的な荷揚げ作業もそろそろ終わりだろうか。
VT-55が24両。さらに、党は随分と奮発したらしい。保守パーツが詰まっているだろう木箱を満載したトラックが8両を降ろして、ようやくメレホフも軽くなったようで仮設浮桟橋から離れていく。
ふと、いつの間にやら雨が止んでいる事に気付いた。
仮設浮桟橋が先ほどより鮮明に見える。
何せ黒煙を靡かせていたメレホフも既に離れている。
彼らは七重浜駅へVT-55を自走させている最中で―――
バラバラと、嫌な羽音が聴こえた。
南から、ヘリコプターのローター音、複数。
「おい、おい!南からヘリコプター複数接近!対空警報!」
「南?ッああ!青森空港からだ!税関のヘリが来るぞ!七重浜の連中に通報急げ!」
どうやら函館税関に面倒な事をしてくれた奴がいたらしい。
「真南から2機!税関の警備ヘリです!こっちにまっすぐ突っ込んで来ます!」
「伏せろ!伏せろ!」
叩きつけるようなローター音、そして機関銃の発砲音が頭上を過ぎ去っていく。
「ああああああ!誰か!誰か!」
「衛生班!コッチだ!急げ!」
展望台に対空偽装もせず居並んだ砲兵中隊など、それは目立っただろう。
たった2機のヘリコプターによる一航過の機銃掃射ですら負傷者複数。死者も、おそらくいるだろう。
いや不味いぞ。税関の警備ヘリコプターには対戦車ミサイルが搭載されていたはず。
七重浜の方を見てみれば、地上の郵便戦車から打ち上げられる射線を隙間を縫うように税関の警備ヘリが接近、そのパイロンから白煙を噴かせ、やはり放たれた対戦車ミサイルが白煙の尾を曳きながらVT-55の車列へと迫る。
「―――なんてこった」
寸前で、あの対戦車ミサイルは軌道を逸らした。
発射した警備ヘリに郵便戦車からの対空射撃が命中して射手を死傷させたのだろう。いや警備ヘリそのものも火を噴いて墜ちていく。
もう1機の警備ヘリも被弾したらしく薄黒い煙を曳きながら飛び去っていく。
ああ、だが、なんてこった。
あの対戦車ミサイルが逸れた先には、シャーマン戦車がいたのだ。
M4A3E8乙型郵便戦車、須藤課長の戦車が。




