赫々戦争~欺瞞と狂気~
すみません遅れました。
1968年の十勝沖地震と絡めた話を書いてたら、昨年9月の北海道胆振東部地震で掲載するのを躊躇してちょっと話の再構成に躓いてました。
ということで、北海道編です。
あとドールズフロントラインにもハマってました。すみません。
1966年5月11日。
北海道石狩支庁恵庭町、恵庭演習場。
「なに、旧軍派がT-55を欲しいだと?」
耳を疑う報告を持ってきたのは、札幌の郵政省北海道郵政局で開かれた局長会議から帰ってきた胆振千歳郵便局の局長だった。
彼自身は共産主義者でもない無党派、つまり郵便派で、郵政省と郵便防衛庁の内戦じみた派閥闘争には心底辟易してるが、それよりも遥かに雪が嫌いな人間だ。
「はい、セルゲイさん。そして旧軍派だけではありません。明言こそ避けていましたが全郵政派もセルゲイさんの戦車を欲しているようでした」
彼の眼を見る限り、彼も明言しないが郵便派もT-55を欲しているように見えるのは間違いないだろうな。
「いや、だが、いったいどうして?」
「それが、昨冬、アメさんの戦車が札幌ですら舗装を踏み抜くばかりでロクに走れない様を露呈していましたでしょう。それで旧軍派と全郵政派はアメさんの戦車より軽量で道路への負荷が小さいセルゲイさんの戦車が欲しているのです」
「なら、軽い戦車を。日本郵便防衛庁にはアメリカからM24やM41といった軽戦車が供与されていましたでしょう?それでは?」
「その、アメリカ製の戦車なのですが、東京の全郵政派共が独占していましてですね。一応、アメさんの戦車よりは軽い戦車が8りょ……ゴホンッ!……何両かばかり旭川の旧軍派へ配備されていますが、到底足りないのだとか」
彼の言葉から滲み出る憎悪に、そして旧軍派ですら中央での政争に割を食っている事実に呆れるばかりである。
日本の対ソ連戦略の根幹である北海道に、マトモに運用出来るマトモな戦車がまさか8両しかいないとは。
いや、待てよ?M60中戦車よりは戦車とはいったい?軽戦車では無いのか?
「まあ、北海道における戦車不足について頭を痛めているのは私も同じです。いや、ですが、しかしですね、T-55というのは、戦車というのは兵器なのです。私の祖国の仮想敵である旧軍派に供与する事はありえないでしょう」
「それでは、戦車から武装を外した、非武装の戦車ならば、どうにかなりませんか?」
「確かにT-55には非武装の、それも牽引工作車両型のVT-55という派生型が存在しますが、それでも兵器である事に変わりありません。そもそも我々が北海道に来た1962年と違い、税関が目を光らせている今となっては非武装であっても軍用車両の輸入は困難でしょう」
「ううむ、そうですか……」
その日は、これで彼は諦めてくれた。
5月15日。
恵庭演習場。
「セルゲイ中佐殿!ソ連には牽引工作車両型のT-55があるというのは真でしょうか!?」
真昼間の雲一つ無い空の下でT-55を点検していると突然、見知らぬ男が凄まじい勢いで問いかけてきた。―――いや我々が恵庭にきてから5年目にもなって見知らぬ奴などそうそういないはず!誰だ!?
「おっと失礼しました!自分は旭川郵便局駐留の第七一特殊郵便輸送課、須藤課長であります!」
「……は?旭川郵便局?第七一特殊郵便輸送課?」
旭川郵便局といえば、かつての日本陸軍第七師団を始めとした退役陸軍軍人共の巣窟、日本郵便防衛庁における対ソ連戦略の根幹を為す一大拠点ではないか!?
しかも第七一特殊郵便輸送課といえば最精鋭、その須藤課長といえば―――
「いえ!とんでもない!……ちなみに、旭川からこちらへはどうやって?」
まさか、いやまさか、郵便戦車で?
「はい、戦車で参りました。突然乗り付けるのもどうかと思い、あちらの茂みの中に停めて、そこからは歩いて参りましたが。呼び寄せても?」
そう言って指揮用であろう信号手旗で指さした方向は、明らかに恵庭演習場の敷地内。
我々の歩哨は何をやっていた!?
「え、ええ、もちろん。どうぞお構いなく」
そして須藤課長が信号手旗を振る最中、私はといえば側付きの全逓派郵便兵に他所から客の戦車が来てるから発砲厳禁と指示を回すよう伝える。
……いや、この側付きの郵便兵は何をしていた?
彼には私の護衛という役目もあったはずなのだが―――、そう訝しげに横目で見られていたのに気付いたらしい。
「あ、えっと、紹介が遅れました。私の伯父です」
「……オジ、とは?」
「えっとですね、私の父親の、兄です」
「―――そうか」
そういう問題じゃないのだが、口に出すのも今更……なのだろうな。
先ほど須藤課長が手旗で指した先で、エンジン音が低く響いたのが聞こえた。
それが、そのエンジン音が郵便戦車のDA120ディーゼルエンジンのそれと違うのに気付いたのは、ただ私が郵便戦車のエンジン音を聞きなれているからに過ぎなかった。
1500m程先の茂みから現れたのは、確かに赤色に塗られた日本郵便防衛庁の戦車で、しかし郵便戦車ではなかった。
角ばった背の高い車体が特徴的な―――
「あれは、シャーマン?郵便戦車ではないのですか?」
「ええ、M4A3E8乙型郵便戦車です。六二式郵便戦車も悪くないのですがね」
「いや、しかしシャーマンのあれは76mm砲に見えますが、それでT-55を、ああいや、現代の戦車を撃破など不可能でしょう?」
しまった、馬鹿正直にT-55を、私の戦車を比較対象に出すべきでは無かった。
これではソ連が彼らの敵になると公言したようなものだ。
だが、須藤課長は気にした様子も見せず言葉を返す。
「まさか、間違っても我々の戦車でT-55の相手などしたくないものです。ですが我々はあくまで郵便防衛庁の一員、郵便の為に殉ずる事はあれど、国の為に殉ずるつもりはありません。そしてセルゲイ中佐はどうです?」
それは欺瞞だろう。いや、日本郵便防衛庁そのものが欺瞞の塊か。
「私は、いえ我々はソビエト連邦軍は、祖国の安寧の為に存在するのみであります」
「ならば、それで良いのではないでしょうか」
そう嘯く彼の横顔は、心ここに在らずといった風貌で、私にはどこか危うさを、そして狂気を感じさせるのだった。
次話、狂気が北海道を呑む。
●M4A3E8乙型郵便戦車
郵便防衛庁がまだ郵便保護課だった頃にアメリカから供与されたM4A3E8郵便戦車を、エンジンの老朽化と、郵便トラックや郵便戦車との燃料共通化のため、三菱重工業の海上保安庁向け掃海艇用ディーゼルエンジンを元にした4ZC21WT(430馬力、14140cc)に換装した戦車。
当初は郵便戦車と同様に郵便トラック用のDA120を2基搭載する事が検討されたが、エンジン出力の不足により断念。代わりに海上保安庁の掃海艇に使われていた20ZC(2000馬力、70690cc)を元にこの4気筒V型ディーゼルエンジンが開発された。
このディーゼルエンジンへの換装に伴い、使用燃料をガソリンから軽油にする事が出来た為、旧軍に倣って名称に「乙型」を付して“M4A3E8乙型郵便戦車”と改められた。
なお、エンジン換装の為に車体後部が若干延長された以外にM4A3E8との目立った差異がある訳では無く、郵便戦車と弾薬や部品の融通が利かない為に、運用面での難が残ってしまっている。
一方で郵便戦車の20mm機関砲に対して増加装甲無しに十二分な防御性能を持っている事が重用され、流れ弾で甚大な被害を齎しがちな無反動砲の使用が忌避されている都市部、特に東京の全郵政派が他のアメリカ製戦車と共にほぼ独占的に運用し、全逓派との戦闘に参加させている。
とはいえ、M24軽戦車やM41軽戦車、六二式郵便戦車よりも機動性に劣るため、郵便防衛庁は郵便戦車の充足と併せてM4A3E8乙型郵便戦車を近く退役させる方針である。




