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赫々戦争~革命の輸入~

北海道の次は福岡です。


今回は絡む要素がかなり多いので凄い疲れました。

 福岡県。




 彼の地は朝鮮戦争における前線飛行場の一つであった板付空港を抱えており、冷戦の終結に至るまでアメリカにとって戦略的に重要な地域であった。


 しかし、板付空港は1971年の返還以前よりアメリカ軍の占領下ながら日本航空による旅客運航も行われていた軍民共用空港であり、有事の際には前線飛行場としてフルに運用したいアメリカ空軍にとっては悩みの種となっていた。


 例えば有事の際、板付空港から民間機を排除しようにも、逆に航空郵便の運航妨害だとして日本郵便防衛庁によりアメリカ空軍が板付空港から排除される恐れさえあったのだ。


 なにせ、板付空港をアメリカ空軍基地警備隊と共に空港警備を担当していた博多郵便局の郵便防衛部は1966年から全逓派に占められる始末。

 何がどうして、北朝鮮や中国、ソ連との戦争に使う航空基地の警備部隊がアカなのだ。


 おまけに博多郵便局には中国人民解放軍の軍事顧問団が駐留する始末。


 あの空港ゲートで歩哨をしている2人の郵便防衛部員を見てみろ。


 制服こそ郵便防衛部員のそれだが、その内の1人が肩に下げている銃は中国製の消音短機関銃だ。

 その彼らだって本当に日本人なのかどうかも怪しい。


 さらに3km西にある博多郵便局の屋上には郵便局防空用などという馬鹿げた名目でボフォースの40mm連装機関砲が2基、ちゃっかり板付基地を射界に収めるよう設置されている。


 そんな状況でどうやって戦時に板付基地を運用しろというのだ。


 前線飛行場などという生易しいレベルじゃない。


 ここが、板付基地が最前線となるのだ。




 そうであるから、日本政府や地元の博多市議会には板付空港を完全な軍用空港とするように、日本航空には別の空港を使うように、北九州の全郵政派や旧軍派の郵便防衛部には博多郵便局から全逓派を排除するよう何度も要請している。そう何度も―――




 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度モ、何度も、何度も、何度も、何ども、何度も、なん度も、何ドも、何度も、何度も、何度も、なんども、ナンドも、ナンドモ、ナンドモ、ナンドモ―――




 板付空港。


 そこは朝鮮戦争において前線飛行場の一つとして運用され、停戦後においても重要な航空基地の一つとして扱われた。


 この板付空港の警備においては、中国人民解放軍のゲリラコマンド部隊や日本の共産過激派組織による破壊工作が危惧されており、その結果として多くの基地司令や基地警備責任者が心労に苦しみ、そして倒れる事となった。




 他方、博多郵便局の全逓派や、そして福岡県など北九州の郵便防衛を担う各派閥の郵便防衛部員からしてみれば、板付空港のアメリカ空軍に構っている余裕など無かったというのが実情だった。


 それどころか、本州で熾烈化する赫々戦争とも縁遠くなる程に逼迫していた。


 彼らもまた、脅威に晒されていたのだ。




 その脅威の名は、暴力団。


 新一組や谷口組などの暴力団に郵便防衛部員が襲撃される事件が北九州で続発していたのだ。


 暴力団員にしてみれば、郵便局員上がりのへっぴり腰(郵便防衛部員)が持つ郵便保護銃など奪ってくれと喧伝しているようなもの。

 わざわざ拳銃を密輸しなくても、郵便防衛部員の背中をドスで一突きすればもっと強力な小銃や短機関銃が奪えるのだ。


 北九州で相次ぐ抗争で多くの銃器を必要としていた暴力団はこぞって郵便防衛部員狩りに奔る事となる。




 もちろんの事、郵便防衛部員らもただやられている訳では無い。


 ジュラルミン板を仕込んだ防刃ベストなどの防刃装備を調達すると共に、旧軍派による各派閥への対暴力団訓練が実施され、郵便防衛部員らの装備と練度が改善されるのに伴い一旦は被害が減少する事となる。




 だが、これに全逓派が取り残された。


 全逓派ももちろん旧軍派による訓練を受けていたのであるが、それでも装備の劣悪さは覆しようもなかったのだ。

 なにしろ郵政省や郵便防衛庁へ反抗的な全逓派である。輜重課により割り当てられた僅かな弾で出来る射撃訓練などたかが知れている。


 さらには全逓派郵便防衛部員の配置も、寄り集まって反乱など起こされないよう郊外の小規模な郵便局に分散させられてしまっていた為、それぞれが暴力団に各個撃破され郵便保護銃を奪われていく始末。


 いや、それだけならまだ良かった。


 全逓派の持つ弾が少な過ぎたのもあったのだろう。


 暴力団員らは全逓派から奪った郵便保護銃で、弾納を弾で膨らませている全郵政派を襲撃し始めたのだ。


 挙句、こうまで熾烈化した暴力団事件に対し福岡県警は悉く役立たず。いや役に立たない所の話では無い。

 郵便防衛部員への襲撃事件に際し、旧軍派が救援の為に郵便戦車を出撃させようとした所をパトカーで妨害された事など幾度もあった。


 福岡県警と新一組の癒着はそれ程までに深刻だったのだ。




 事ここに至り、北九州の郵便防衛部は方針転換を決定。


 労働争議を発端とした派閥抗争、つまり赫々戦争を休戦し、全派閥による共同戦線により暴力団の脅威に対抗する事としたのだ。



 1966年9月。

 博多郵便局の新局舎が完成。


 九州でも有数の規模を誇るこの郵便局に、福岡県の全ての全逓派郵便防衛部員が詰め込まれ、旧軍派による徹底的な訓練が行われる事となった。


「そんな暴力団の餌みたいな貧弱な装備と練度の少人数編成で外に出ないでくれ、放り出さないでくれ」


 これが福岡県の旧軍派、全郵政派、郵便派、そして全逓派の総意にまでなっていたのだ。


 こうして暴力団による全逓派への襲撃件数は大きく減少する事となり、それに伴い北九州全体の郵便防衛部員への被害が減少する事へと繋がったのだった。




 だが、これに前後する事1966年5月。

 中華人民共和国で文化大革命が勃発。


 革命の輸出を掲げた中国共産党は世界各国の共産党や共産組織へ暴力革命を“推奨”する事となるが、日本において日本共産党は議会主義を掲げていた為に反発。


 この為、中国共産党は自らの影響下にある日本共産党党員に対し、「日本共産党指導部を打倒して新たな日本共産党を建設せよ」との指令を発令する事となる。


 さらに中国共産党は、日本における暴力革命組織、いわば日本版紅衛兵を組織させる事を企図する。


 その標的となったのが組織の一つが、博多郵便局に押し込められた全逓派郵便防衛部員らだった。




 1966年10月。

 博多郵便局に中国人民解放軍の将校ら24名が来局。


 暴力団被害に苦しむ全逓派郵便防衛部員を支援しに来たと宣う彼らを、全逓派を指導する立場にあった旧軍派はどう対応するか苦慮したものの、最終的には彼らを在日中国人民解放軍軍事顧問として迎え、博多郵便局に駐留する事を許す事となる。


 この判断に至った大きな要因としては、当時、新一組が北九州において中国人が経営する商店を頻繁に襲撃し、これを各県の警察が放置していた事が上げられる。


 中国人経営者がみかじめ料の支払いを拒んでいた事が新一組による襲撃に至った訳であるが、だからといってそれが正当化される訳も無いのだ。


 そもそも例え正当な理由があったとしても、在日中国人が日本人に危害を加えられている事が事実であることに変わりない訳であるから、これを理由に中国が自衛権を行使して北九州に軍を進駐させる事だって可能であり、軍事顧問の駐留を断った場合に中国が進駐へと踏み切らないという保証などどこにも無かったのだ。


 そしてその場合、在日中国人の保護を名目に中国軍が北九州を占領したとしても、中国軍が郵便インフラに危害を加えない限り、それに対し日本郵便防衛庁は何ら手出しも出来ないのだ。


 何せ中国人民解放軍の前身である八路軍の規律の良さは戦中に中国大陸に派遣され、そして戦後に八路軍に降伏して捕虜となった経験を持つ旧軍派の郵便防衛部員が身を以って知っている。

 政治将校が郵便ポストを大切に扱えと命令すれば、それだけで中国軍の兵士は郵便ポストを丁重に扱うだろう。

 “三大紀律八項注意”は伊達では無いのだ。

 


 この為、“近い将来の占領”よりも“いつか訪れるかもしれない共産革命”へと問題の先送りを選んだ旧軍派により、在日中国軍軍事顧問による博多郵便局の全逓派郵便防衛部員への軍事教練や兵器供与、そして革命思想の教化が行われていく事となる。


 そして中国共産党は、教化した全逓派郵便防衛部員をゲリラコマンド部隊として組織し、中国共産党と対立する日本共産党首脳部の暗殺や、板付空港などの在日アメリカ軍への破壊工作を企図していた。


 これら特殊作戦を実施させるため、中国は全逓派に多数の特殊装備を供与する事となる。


 その一つが、64式微声冲鋒槍という短機関銃だった。


 ソ連のPPS短機関銃などを元に中国で開発されたこの短機関銃は消音器を装備しており、併せて開発された64式7.62毫米微声弾を用いれば銃声を80dBまで抑える事が可能である。

 しかし実際には、中国はこの消音短機関銃の供与に際し機密保持の為、64式7.62毫米微声弾は供与せず、代わりに51式7.62毫米普通弾を供与している。

 この51式7.62毫米普通弾は消音効果こそ64式7.62毫米微声弾に劣るものの、その代わりに高い初速と鉄製弾芯により高い貫通性能を誇っている。


 なお、在日中国軍軍事顧問が全逓派郵便防衛部員に供与する銃を64式微声冲鋒槍とした理由の一つに、郵便局員あがりの郵便防衛部員が自分の銃の銃声にすら萎縮して射撃訓練もままならなかったというのもあったようだが。




 こうして、在日中国軍事顧問に教練された博多郵便局の全逓派郵便防衛部員はゲリラコマンド部隊として着々と練度を高めていった。


 実弾演習の的に困らなかったのも、練度を高めるのに一役買った。


 何しろ(暴力団員)は向こうから襲い掛かって来るのだ。中国から銃と弾を潤沢に供与された全逓派は、それまでの鬱憤を晴らすかの如く郵便の敵を次々と射殺していったのだ。



 そんなある日、それはやって来た。

板付空港、覚えてますか?

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