赫々戦争~税関武器密輸対策課奮闘記~
税関。
その機関は大蔵省の下で通関業務やそれによる関税の徴収の他、密輸を取り締まる事も業務としていた。
彼ら税関にとって不幸な事に、それは税関の仕事だった。
ソ連からの密輸による日本郵便防衛庁全逓派や共産過激派への兵器供与を防ぐのも、彼らの仕事となってしまったのだ。
これは日本全国の物流を取り仕切る日本郵便防衛庁により密輸が手引きされた場合、警察や海上保安庁で取り締まるのが極めて困難な為であった。
まず警察は洋上での保安能力を保有しておらず、他方、海上保安庁は陸上での保安能力を有していないのだ。
挙句、海上保安庁は日本郵便防衛庁が発足した1954年から遡る事僅か6年前の1948年に設置されたばかり。艦艇も装備も人員も、武器を隠匿したソ連船舶に対抗するには力不足であったし、内務省特別高等警察や旧帝国海軍の流れを少なからず汲む警察や海上保安庁を急に増強する事が数多の批判に曝されるのは明白であった。
だが税関ならば、陸上のみならず警備艇を保有している事もあって海上での活動も可能だった。
また税関職員の装備についても税関法にこそ規定があるが、それは“小型の武器”という極めて曖昧な規定だった。
「つまり小型なら良いのだろう?おやおや郵便防衛庁は大きな武器がいっぱいありますねえ。それに比べたら税関に配備する装備のなんて小さな事」
こうして税関に武器密輸対策課が設立され、所属職員の装備には拳銃や短機関銃が、艦艇についてはまずアメリカ海軍のブルーバード級掃海艇を4艇購入して警備艇に改装した後に配備する事となった。
なお、時を同じくして海上保安庁でも同級を原型通り掃海艇として4艇を購入しており、後に本級を改良の上で国産化された“こうべ型”、“やしま型”としてそれぞれ税関武器密輸対策課と海上保安庁へ配備されている。
これにより税関武器密輸対策課はソ連貨物船への臨検や、郵政省が扱う国際郵便から郵便防衛庁部員を実力行使により引き剥がしての通関業務による密輸武器摘発で数多の手柄を挙げる事となった。
しかし1960年代になると、ソ連が206型大型魚雷艇などの高速戦闘艇を改装し高速密輸艇として武器密輸を行っている事が判明。
最高速度45ノットを誇るこれら高速艇に対し、25ノットが精々の警備艇しか保有しない税関武器密輸対策課は到底太刀打ち出来なかった。
いやそもそも、45ノットで洋上を疾走する高速艇を船で臨検するなど不可能である。
この為、税関武器密輸対策課はフランス製の小型汎用ヘリコプターSA316の導入を決定。
このヘリコプターに同じくフランス製のAA-52機関銃とSS.11対戦車ミサイルを搭載し、警備ヘリコプターとして運用する事となった。
小型の武器とは何だったのか。
いや高速密輸艇に対抗する為の手段としては至極真っ当なのだが、なぜそれを大蔵省の下にある税関がやらねばならん。本来ならば海上保安庁の仕事である。
しかし彼ら税関武器密輸対策課がソ連からの武器密輸を食い止めねば、日本郵便防衛庁全逓派や共産過激派の伸長、そして郵便内戦の熾烈化は必至なのだ。
彼ら税関武器密輸対策課の奮闘は、1970年代に海上保安庁の活動が軌道に乗り始め、その成果もあって日本郵便防衛庁全逓派や共産過激派の衰退により郵便内戦が収束する1980年代まで続く事となった。
軍事組織でも警察組織でもないのにソ連の脅威の矢面に立たされた彼ら税関武器密輸対策課の功績は、しかし1990年代の冷戦終結と共に税関武器密輸対策課が大規模縮小の憂き目にあった事もあり、今や当事者の記憶に残っているばかりである。
―――日本郵便防衛庁への恨み辛みと共に。
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