遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部~パキスタンの事情~
2001年11月13日。
アフガニスタンの首都カブールを北部同盟、アフガニスタン北部の少数民族などによる反タリバン勢力が制圧した。
航空戦力を殆ど保有していなかったタリバンに対し、北部同盟はアメリカやイギリスなど有志連合諸国による空爆や、インド洋に展開する艦艇からの巡航ミサイル攻撃などの支援を得られた事が、僅か1ヶ月半での首都占領に至ったのだろう。
さらには、戦端が開かれてからすぐに北部同盟がカブール郊外のバグラム空軍基地やジャラーラーバード空港、アフガニスタンとパキスタンを結ぶ幹線道路であるカイバル峠を手中に収めた事も兵站の確保に繋がり大きな有利となった。
しかし当初の目的であったアメリカ同時多発テロの首謀者であるテロ組織アルカイダを潰滅させる事は、アルカイダがタリバンの残党と共にアフガニスタン南部やパキスタンとの国境地域などへと潜伏してしまったが為に未だ叶っていない。
また、発足を間近に控えた暫定政権において、有力ポストの殆どを北部同盟が占める事が決まったのであるが、これと共に、アフガニスタンで多数派民族であるパシュトゥン人の代弁者であったタリバンが政権から追われた事は大きな火種となった。
北部同盟とアメリカを主力とする有志連合諸国はアルカイダの潰滅とアフガニスタンの平定の為、長きに渡る戦いを続ける事となったのだ。
そんな最中、アフガニスタンに派遣されて兵站輸送任務を担っていた日本郵便防衛庁の部署、遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部がキレた。
もうキレた。
「なあ、領内のタリバンとアルカイダを放置してるとは何事です?パキスタンさん?」
この時、遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部が兵站輸送に用いていたルートは、パキスタン南部の港湾都市カラチで佐渡島型海上郵便局艦や、民間からチャーターしたRO-RO船やコンテナ船から揚陸。そこから鉄道やトラックなど陸路でパキスタン北西部のペシャーワルまで、更にアフガニスタンへの国境地帯であるカイバル峠を経てアフガニスタンへと至るルートであった。
そして、アフガニスタン領内で遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部がタリバンやアルカイダから襲撃を受けた場合は、それはもう容赦なく、苛烈に、跡形も無く、塵も残さず一掃する事が可能であり、もちろんの事そうしている。
何せ、貨物を積載したコンテナトレーラーを牽引するトラクターでさえ郵便戦車、20mm機関砲と対戦車ミサイルを搭載したれっきとした戦闘車両なのだ。
郵便戦車の開発当初、米軍から供与されていたM24軽戦車など郵便物搭載スペースの無い戦闘車両の為に用意されていたトレーラーを、そのトレーラーを流用する為に残しておいた牽引装備が、アフガニスタンでは輸送車列の大半が装甲戦闘車両で構成されているという他国では考えられない事態を生み出していた。
新たにトラクターを揃えるよりも、余りある郵便戦車にドリーやトレーラーを牽かせた方が早くて安上がりだったという理由もあったのだが、そんな理由で郵便戦車との戦いを強いられるタリバンやアルカイダは不幸としか言い様がなかった。
1979年からのソ連による侵略でタリバンやアルカイダが得た、戦車や装甲車の兵装は仰角が小さく、この仰角方向の射界外からならば有利に戦えるという戦訓は、しかし郵便戦車が搭載するエリコンKA20mm機関砲が78度までの仰角を取れる事で無残なまでに撃ち砕かれた。
郵便戦車はもちろん対空戦車ではないから対空レーダーや対空射撃管制装置などを搭載していないのであるが、かつて旧日本軍が太平洋戦争で制空権を失った末に多数の車両を空襲で喪失した戦訓により、対空戦闘そのものは可能とするため高い仰角を取れるよう設計されていたのだ。
その挙句、襲撃の通報がバグラム空軍基地に届けばEF-1超音速戦闘機がレーザー誘導爆弾の超音速速達、さらに続く低速運動性能に優れたTA-1練習攻撃機がしぶとくも生き残った敵を殲滅するのだ。
日本郵便防衛庁の兵站ノウハウを得ようと観戦した各国武官は唖然とする他無かった。
「なんで歩兵戦闘車両にコンテナトレーラーを牽引させてんの?」
「いや、郵便戦車ってそういう車両ですし」
「兵站でスチームローラーとかガソリンもったいなくない?」
「必要経費です」
「10人そこそこのタリバンに何機の戦闘機を出撃させました?」
「とりあえずEF-1とTA-1を4機ずつ、これでも討ちもらしがあればAH-1を出撃させますけども今回は要らなかったですね」
日本郵便防衛庁にしてみれば、他国軍が後方と位置付ける兵站こそが最前線なのであるから、力の入れ具合はまさに歴然としていたのだ。
しかし、その最前線でも遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部がタリバンやアルカイダからの襲撃に対して苦渋する地域があった。
それこそが、アフガニスタンの東に接するパキスタン・イスラム共和国である。
欧米諸国によるアフガニスタン侵攻のあおりを受けて国内へのタリバンやアルカイダの侵入を許してしまったパキスタンであったが、これをパキスタンは半ば放置しているのだ。
これには、タリバンやアルカイダが潜伏場所に選んだのがアフガニスタンとの国境沿いにある連邦直轄部族地域という自治区の一種で、しかもパキスタン全体では少数派であるパシュトゥン人が多くを占める地域である事が関係していた。
自らと同じパシュトゥン人勢力であるタリバンがアフガニスタンの政権から追い出され、しかもそれをパキスタン政府が支援しているとなれば、彼らパキスタン連邦直轄部族地域のパシュトゥン人がパキスタン軍のタリバン討伐に対して妨害を行なうのは当然の帰結だった。
さらに、アフガニスタンと同じくイスラム教を国教とするアラブ諸国からはタリバン打倒に対する批判さえパキスタンに集まる事となり、パキスタンとしてはタリバンやアルカイダへ手の出し辛い事この上なかった。
「だからどうしたよ。国内交通の安全すら確保出来きずに世界第七位の軍事力たぁ安いもんだなパキスタン軍さんよ」
パキスタンの事情で撃たれるがままの遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部からしてみれば堪ったもんじゃない。
アフガニスタン領内では保有する全ての兵器の使用が認められている遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部であるが、パキスタン領内では自衛に限っての武力行使しか認められておらず、航空攻撃どころか郵便戦車の無反動砲による制圧射撃さえ禁じ手とされているのだ。
パキスタン軍がロクに治安維持もせずタリバンやアルカイダが跳梁跋扈するカイバル峠を、そんな後ろ手縛られたような状態で通過しなければならないなど、あまりにも酷な話である。
それでも、郵便戦車の小火器や携帯対戦車兵器などに対する抗甚性の高さ故に人的被害は死者こそ出ているが僅かであり、いやしかし、肝心の貨物は襲撃による損傷が多々生じていた。
こうであるから日本郵便防衛庁のパキスタンに対する悪感情はストップ高にまで上り詰め、かつてシリアのラタキア沖で日本郵船の山城丸に対艦ミサイルを命中させ積荷ごと炎上させたイスラエル、ソマリアのモガディシュで遣ソマリア独立統合郵便防衛部の設置した郵便ポストを12.7mm重機関銃でスクラップにしたアメリカに並ぶ程に嫌悪感を募らせていた。
その結果として―――
「パキスタン経由じゃなくてイラン経由でアフガニスタンへの兵站輸送やります。パキスタンなんか二度と使いません」
つい最近にF-14Dを売却し、イラン郵便電信電話省通信センターへの技術供与などで親交を深めていたイランがアフガニスタンと国境を接していた事は、遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部とってまさに僥倖であった。
またイランは国内にパシュトゥン人を殆ど抱えておらず、またイラン・イスラム共和国軍やイスラム革命防衛隊も精強であるなど国外からの外圧にも耐えられる国力も持っており、対タリバン・アルカイダの軍事行動への支障はまず無いと考えられた。
伊達にアメリカからテロ支援国家指定されてないのである。
しかしテロ支援国家に指定されているイランでもアルカイダによるテロは非難しており、あまり大々的という訳ではないが軍用機の領空通過や負傷兵の受け入れなど認めるなど、今回に限っては欧米諸国の側に付いている。
また、イラン国内の物流インフラを見てみても、ホルムズ海峡に面した港湾都市バンダレ・アッバースはよく整備されており、そこからアフガニスタン国境に近い東部のフバーフまではイラン・イスラーム共和国鉄道の路線が整備されていた。
つまり、国内交通の安全性、安定性でいえばパキスタンよりイランの方が格段に優れているのだ。
こうして遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部によるアフガニスタンへの兵站輸送はパキスタン経由からイラン経由への変更が決定。
イランによる軍需物資の中抜きを恐れたアメリカなど西側諸国の抵抗もあったが、郵便の中抜きを危惧されるなど、それこそ郵便に対する侮辱だった。
遣アフガニスタン独立統合郵便防衛部からの受け入れ要請を受けたイランとしても突然の話であったが、F-14Dを164機も売ってくれた日本郵便防衛庁からの要請を無下にする訳にもいかず、また経済制裁を課しているアメリカと違って港湾使用料や鉄道料金などの国内通行料の支払いに不安も無かった為承諾。
アフガニスタンを巡る戦いは大きな転換点を迎えようとしていた。




