遣ソマリア独立統合郵便防衛部~モガディシュ中央郵便局は大繁盛、ただし4階に限る~
さて、日本郵便防衛庁遣ソマリア独立統合郵便防衛部がソマリアの首都モガディシュの一等地に建設した“モガディシュ中央郵便局”であるが、この建物の構造からしてまず異様であった。
建築手法としてはプレハブ工法と言っても差し支え無いのではあるのだが、その実情は通常のプレハブ工法とは大きく異なるのだ。
プレハブ工法とは普通、工期短縮の為に予め部材を工場で生産して、それを建築現場へ搬入して組み上げる工法の事を言う。
この為、鉄骨を用いる場合では搬入可能な重量を超過しないように、厚さ6mm未満の軽量鉄骨を用いているのであるが、その分、通常のいわゆる重量鉄骨を用いた建築方式よりも耐久性に劣るのである。
……防衛拠点である郵便局にそんな工法、使える訳が無い。
しかし紛争でもし郵便局が破壊された場合、その再建は迅速かつ、次の攻撃にも耐えうる耐久性を持つ工法で実施しなければならない。
そして迅速性でいえばプレハブ工法に勝る工法は無い。
そこで開発されたのが工法が“重量鉄骨プレハブ工法”である。日本国内では郵便局でしか殆ど採用されない為に“郵便局式プレハブ工法”とさえ呼ばれている。
早い話が、通常の肉厚な重量鉄骨を用いたプレハブ工法である。
そして、この工法を用いてモガディシュ中央郵便局の建設に当たったのは、なんと日本郵便防衛庁の建設課員らである。
日本郵便防衛庁は陸上郵便防衛部の下に建設課という、独自の建設集団を保有しているのだ。
考えてみれば、有事の際に銃弾飛び交う中で破壊された道路や郵便局の修理をやれる民間建設会社がいる訳無いのだから、独自に建設集団を保有するのは当然の話である。
さらにこの建設課、平時でも郵便局の補修改築工事の他、運輸省からの指導で郵便輸送に使われる道路の補修工事にも従事している。常日頃から郵便戦車を散々走らせて道路を痛めつける物だから運輸省からクレームが来るのも当然の話であった。
1993年5月18日。
開局初日を迎えて屋上にソマリア国旗と郵政旗が掲げたモガディシュ中央郵便局であるが、この日に1階の郵便引受窓口へ訪れた人はたった3人だった。
内戦勃発によって郵便サービスが停止してから久しく市民から忘れられていたのと、開局初日という事で認知度が低かったのが原因だったのだろう。
しかし、局舎の3階の貸オフィス・貸会議室フロアには早くも騒がしくなった。
地元モガディシュのラジオ放送事業者、“ラジオ・モガディシュ”である。
治安の悪いソマリアでモノを言う放送事業者は何かにつけて狙われる事も多く、郵便局の取材に訪れた彼ら3人は完全武装の防衛部員による警備付き貸オフィスに目が眩んで飛び付いたのである。
しかも自家発電による電力の安定供給は内戦下のソマリアでは得難く、それをラジオ放送で郵便サービスの広告を流せば広告費で賃料をも差し引いてプラスマイナス0にしてくれると言うではないか。
こうしてラジオ・モガディシュはその日の内にそれまでのオフィスを引き上げ、郵便サービスを利用して新たなオフィスへ機材を運び込んでモガディシュ中央郵便局3階の貸オフィスへ移転したのであった。
奇しくも彼らラジオ・モガディシュは初の郵便サービス利用者となったのである。
こうしてすぐに、ラジオ・モガディシュによる広告放送による集客効果が発揮された……なんて事は無かった。
1993年6月1日。
開局から2週間が経ったが、郵便サービスを利用するのは多国籍軍や国連機関の依頼によるソマリア内陸の集落への大口郵便輸送のみ。
確かにそれはそれで儲かる仕事ではあるのだが、それはモガディシュ中央郵便局モガディシュ空港分室が行なう業務であり、肝心のモガディシュ中央郵便局の窓口は閑古鳥が鳴いていた。
郵便局の前や周辺をパトロールする完全武装の防衛部員によって郵便局周辺の治安も改善され、銃声さえあまり響かなくなったのはまだ良い。しかし客が来ないのだ。
一応、モガディシュの市民らは頻繁に、郵便局の前や局内を警備する防衛部員に恐々としながらも郵便局へ訪れるのだが、彼らの目的は決まって局舎4階で一般にも開放されている食堂にあった。
遠く離れた極東アジアの日本という国の食文化が物珍しく観光資源化してしまったのである。
こうなった発端はソマリ人で始めて食堂を利用したラジオ・モガディシュのキャスターが、食堂で始めて味わった日本食をラジオ番組内で話題にした事らしい。そのキャスターは今も食堂の常連だ。
だがしかし、1階の窓口には客が来ないのである。
肝心のモガディシュ市民が郵便サービスを利用しないのである。