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「授業をさぼるだけならまだしも、鍵もかけずに眠りこむなんて。あなたはアホですか!」
「すまん。俺が軽率だった」
「よりによって清掃の日に! 掃除人が来るから結界も解いてあるんですよ。知っているでしょう?」
ディライドの部屋からイレーユの怒る声が聞こえてくる。私はおろおろしながら、腕を組んで閉ざされた扉を眺めているクレイに言った。
「ねえ、クレイ、イレーユを止めてよ。ディライドだって謝ってるじゃない。たかが部屋の鍵のかけ忘れくらいであんなに怒らなくても」
「用心をおこたったディライドが悪い」
冷たい回答が速攻でかえってくる。
「用心ったって、自分の部屋でしょ? 私、自分の部屋に鍵なんかかけたことないわよ。第一、ここは学校よ。いっつもあなたたち部屋に鍵をかけていくけど、泥棒でもいるわけ? 今日は掃除の人もいたんだし、安全じゃない」
「掃除人が暗殺者だったらどうなる?」
思いがけない答えに、私はクレイの顔を見上げた。クレイの銀色の瞳が、鋭く私を見返してくる。
「そうでなくても。お前を見つけられたらまずかった」
「どうして?」
「お前はディライドの弱みだからだ」
「弱み?」
私は思わず自分の体を見下ろした。
こんな小さな異世界人が、どうして彼の弱みになるのだろう。
「ディライドはお前がいる限り力を使うことはできない」
きっぱりとクレイが言った。
「お前の身に何かあればあいつは二度と皇族としての力を使えない」
「それで何かまずいことがあるの? イレーユはディライドの力は大きいから、日常生活に支障はないと言っていたけど」
「皇位を継承できない」
私の眼が丸くなる。
「もてる力の大きさは、次期皇帝選出の重要な要素の一つだ。敵に知られれば必ずつかれる」
「敵って、どいうこと……?」
私はつぶやいた。
ディライドが王子であることは聞いた。が、学生姿の彼しか見ていなかったせいもあってぴんときていなかった。いきなり皇位がどうの、敵がどうのといわれてもよくわからない。
「それっていわゆる皇位争いって奴? 歴史の授業とかで習ったことあるけど、でも、ディライドは順番は下の方で、普通と変わらないって言ってたけど」
「ディライドの継承順位は十五位だ。だが、皇帝陛下はディライドを可愛がっておられる。それを快く思わない者もいる」
「どうして? だって皇帝陛下はディライドのおじいちゃんってことでしょ? 孫を可愛がるどこに不思議があるのよ。仲が悪いほうが問題じゃない」
「そういう問題ではない」
「じゃあ、どういう問題なの」
「ディライドが次期皇帝に指名されるかもしれない」
私は息をのんだ。あの能天気なディライドと、今、クレイが話していることとが一致しない。
「……ディライドは王様になりたいの?」
「いや。だが身を守るためには目指すしかない時もある」
どういうこと?
「継承権をめぐって内紛が起こる、その場合、こちらも身を守るために傍観者を決め込んでいられない、そういうことだ」
そういうことって言われても、納得できない。
だって、
「位って普通、順番が決まっていて歳の順とかでなるんでしょ? そうじゃないとケンカになるじゃない」
「力のない者は皇籍をも剥奪される。地位は不動のものではない」
私は混乱した。必死に考える。
ディライドは王様になりたいと思っていない。なのに彼がおじいさんに可愛がられているから、もしかしたらディライドが他の人を押しのけて王様になろうとしていると考える人がいる。その人たちにはディライドが邪魔で、だからディライドは弱みを狙われる。そういうことだろうか。
「で、でも、それだけで暗殺とかって物騒じゃない? この世界にだって警察とかいるわけでしょ。ディライドを殺したって捕まったら意味ないじゃない」
「お前の言う警察とは、官憲のことだろう。官憲を統括するのは皇帝だ。皇帝になれば捕まらない」
明るい日差しの差し込んでくる部屋に、クレイの影のある言葉が響く。
重々しいクレイの言葉だと、事態の深刻さがよく伝わった。
急に綺麗な少女趣味の金色の部屋が急に色あせて見えた。花瓶に活けられたピンクの薔薇が、この時だけは平和すぎてそらぞらしい。
バタンと大きな音がして、ディライドが部屋から出てくる。彼はそのまま中央の扉を開けて外へと飛び出していった。
一瞬だけ見えたディライドの顔。
それが内と外、両方からくる重圧に歪んで見えたのは気のせいだろうか。
「ディライド! 話はまだ終わっていませんよ!」
眉をつりあげたイレーユが後を追いかけていく。二人分の靴音が遠ざかって、静かになる。
クレイが音もなく扉に近づくとそれを閉めた。鍵をかける小さな金属音と結界をかけなおす低い声が聞こえてくる。私は黙ったまま閉じられた扉を見つめた。
沈黙が部屋に落ちていた。
アルフォンスは追加授業があって今日は遅くなると言っていたし、あの様子ではディライドとイレーユはしばらく帰ってこないだろう。クレイが自分から話しかけてくることはない。私が話さなければクレイは寝室のほうへ下がってしまう。こんな重苦しい気分のまま置いていかれたくない。
「イ、イレーユって怒ってばっかりね」
私はわざと明るくクレイに話をふった。
思いがけず聞いた重い話を、軽い冗談にまぎえこませてしまいたかった。
クレイからは無言が返ってくる。私はめげずに再トライした。
「前からなの? それとも、学校の風紀委員とかと一緒で、違反する子がいるから怒るの?」
クレイがうなずく。両方そうだ、ということだろう。
「私、イレーユと同じクラスでなくてよかった。私って、ほら、どっちかっていうと怒られてる人を応援したくなる方じゃない。絶対、イレーユと大喧嘩になってるわよ」
少し嫌味のスパイスをきかせる。
「あんなに頭ごなしに怒ることないと思うの。怒られてる人だって、そうしようと思って失敗したわけじゃないんだもん。今度は失敗しないように頑張ればいいんでしょ。私、頑張ってる人を応援するのって好き」
私は自分のバッグに手を伸ばした。
「クレイにだけ特別に見せてあげる。私の宝物」
そっとピンクのデコ手帳を取り出して、はってある小さなプリクラを見せる。
それは私の力作だった。
カズクンの顔写真をパソコンに取り込んで、実物大に拡大したものと一緒に写したのだ。にっこり笑った二つの顔がぴったり一つの枠組みの中におさまっている。
「これ、カズクン。私が応援してる、元の世界の男の子」
異世界の物品に興味を引かれたのか、それともきらきら輝くデコの光沢に惹かれたのか、クレイが身をかがめて覗きこんでくる。
「次の次の次の日曜日、事務所の大運動会があるんだ。彼は選手として出るの。私、うちわとかデコって応援するの。デコって知ってる? こーんなちっちゃいのを一つ一つくっつけていくのよ。すんごくパワーがいるの」
私はクレイに手帳を彩る小さな煌めきの集合体を見せた。
「あーあ、私が普通サイズだったらな。イレーユなんかこてんぱんにやっつけてやるのに。あっそうだ。クレイって同室だったよね。なにかイレーユの弱み知らない? 嫌いな物とかベッドの中に入れとくの。寄宿学校のいたずらの王道でしょ」
私ははるか昔に仕入れた怪しげなマンガのネタを披露した。言っているうちにその気になってわくわくしてくる。
「クレイだってイレーユに怒られたりするんでしょ? 協力してよ」
私は賛同を求めてクレイの顔を見上げた。が、そこにあった表情は私の予期していた物ではなかった。クレイは鋭い銀の瞳に真剣な色を浮かべていた。
「あいつは怒らせるな」
「え? どうして?」
「奴は恐い」
真顔で言われて、私は眼をまたたかせた。
この部屋に住まう四人の男の子の中で最強はたぶんクレイだ。その彼が怖い? イレーユのことが??
「怖いってどうして? だってイレーユってあんなに華奢で、女の子みたいだし、元のサイズなら私だってなんとかなりそうだけど」
「あいつの恐ろしさは体ではない。中身だ。普段の怒りはじゃれる猫程度のものにすぎん。本気で怒ったあいつは……とことんえげつない」
「え、えげつない?」
私は訊き直した。クレイの口から出る、しかも大輪の薔薇のように優雅で上品なイレーユを形容する単語としてはかなり違和感がある。
私の反応に、顔を青ざめさせクレイがこたえる。
「あいつは再起不能に陥った相手をさらに痛めつける。徹底的に。骨すら残らん。寒気がする」
珍しく饒舌にクレイが話す。よっぽどだ、ということだろうか。それとも私をからかっているのだろうか。クレイの仮面のようなポーカーフェイスはうまく心を読みとれない。
その時、キイと静かな音がして廊下に繋がる扉が開いた。
鍵を開ける音も結界を解く声も聞こえなかった。が、そこにはさっき姿を消したはずのイレーユが、華やかな笑みを浮かべて立っていた。ひくり、とクレイの肩が動く。
「おや、私の話ですか? 珍しいですね。クレイがそんなに話すなんて。アオイに何を吹き込んでいたんです?」
扉をしめ、後ろ手にカチリと鍵をかけながらイレーユが尋ねる。
「あ、ああ」
クレイが意味不明の音を喉から出すと一歩、後へ下がる。
ずいとイレーユが前へ出る。また、クレイが下がる。イレーユが前へ出る。クレイが下がる。
彼らの私室へ繋がる扉の前まで来たイレーユがノブに手をかけて、クレイのほうへ手をさしのべた。
「クレイ、ちょっと来てくれませんか。二人で少し話しましょう」
媚さえ含んだ優しい声だ。
にっこりと笑ってイレーユがクレイを誘う。
ぎくりと体をこわばらせたクレイが表情を消した顔で従う。
扉を開けたまま固定しているイレーユの前を、クレイの体が私室の内部へと通り過ぎていく。クレイが最後に私の方を見て、救いを求めるように眼をまたたかせたのは気のせいだろうか。
そのまま彼は部屋に飲み込まれるように見えなくなった。
「ではアオイ、またお茶の時間にね」
イレーユが私に笑いかけると、後に続く。ぱたんと扉が閉まった。
ほどなく。
激しく右側の部屋が揺れた。どたんばたんと物のぶつかる音、ガシャンと何かが壊れる音が盛大に響いてくる。
「なっ、何っ?!」
私がテーブルの縁でおろおろしていると、アルフォンスが帰ってきた。のんびりした顔でいつもの挨拶をする。
「ただいまー、アオイ」
「おかえりー、アルフォンス。じゃなくって! 大変なのよ。クレイとイレーユが!」
私はなおも振動を発している右側の部屋を指差した。
「ああ」
アルフォンスはそれだけ言うと持っていたバッグを長椅子の横においた。ゆっくりと座ってバッグを開けはじめる。私は叫んだ。
「落ちついてないでなんとかしてっ。よくわからないけど、あれってイレーユが怒ってるのよね?? クレイ、私のせいであんな目にあってるの、助けてあげてよっ」
「大丈夫だよ。あれはレクリエーションみたいなものだから」
あっさりとアルフォンスが言う。聞き間違えかと思った私は問い返した。
「え? レクリエーション??」
「ほら、イレーユって怒りを貯めこむタイプでしょ。それにクレイも生まれる時代を間違えたような人じゃない。たまにああやって二人でストレスを発散させるんだよ」
私の目が点になる。疑いに満ちた声で訊き直す。
「でも、すごい音よ? 怪我とかしてるんじゃ」
「そこら辺はお互い手加減してる。前、ベッドをへし折ったこともあったけど、二人ともけろっとしてたし。見ててごらん、アオイ。二人ともすぐ、すっきりした顔で出てくるから。僕が割り込む余地なんかないよ」
アルフォンスはそれだけ言うと、もう隣の部屋から興味を失ったようにバッグから本を取り出しはじめた。一冊、二冊、三冊。分厚い革表紙の本が次々と出てくる。
ベッドをへし折るほどのケンカなど想像できないが、一緒に暮らしているアルフォンスが大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。
私はそろそろと注意を隣の部屋からアルフォンスに移した。アルフォンスは本に埋もれて座っていた。いったい何冊持ち帰ってきたのだろう。
「アルフォンスっていっつも何か読んでるのね。おもしろいの?」
ミステリーか恋愛物なら借りてもいいかな、と考えながら私は声をかけた。
が、返事はない。
「アルフォンス?」
彼は開いたページの上に覆いかぶさるようにして字を追っていた。
たぶん、私の声は聞こえなかったのだろう。キラキラした瞳が左右に動いている。誰かと話している時でもこんな幸せそうな顔をしたことはなかった。
「よっぽど本が好きなのね」
私はため息をつくとまたイレーユとクレイのケンカの観戦に戻った。
といっても、音とクレイのくぐもった悲鳴しか聞こえないけど。
それはそれで、実際に眼で見るより恐怖をかきたてられて、私は久しぶりにホラー映画かスプラッタ映画を見ている気分になった。




