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 暗い。


 初めてこの世界に来た時のような一面の闇ではない。籠を覆っている布を通してかすかな光の筋が入ってきているので、ぼんやりと物の輪郭は見える。が、それが余計に暗さと薄気味悪さを増している。


「本当に虫とかいないんでしょうね。ああ、早く掃除終わらないかなー」


 私はお守り代わりのバッグを抱きしめて、武器にするためのフォークを横に、籠の中央に座っていた。


 ここは戸棚の一番奥だ。


 カモフラージュに、籠と戸の間には、袋や何が入っているか分からない箱などが乱雑に詰め込まれている。戸を開けただけでは私の入っている鳥籠を見ることはできない。


 完璧、のはずなのだが。


「男のすることだしなあ」


 私は小さくぼやいた。

 あの四人は好きだがしょせん男子。生まれてから十六年。男という生き物の馬鹿さ加減は幼稚園、小学校、中学校とつぶさに見てきた。ここらへんでいい方向に予想を裏切ってもらいたいものだが。


 ぱたんと扉の開く音が、戸棚の戸を通して聞こえてきた。


「掃除の人、来たんだ」


 私は体をこわばらせた。口に手を当てて、息がもれないようにする。緊張の度合いは子どもの頃にやったかくれんぼの比ではない。心臓がバクバク音をたてている。


 入ってきた足音は一つだけだった。まっすぐにこちらへ向かってくる。


「えー、ここは掃除しないんでしょ。行け、向こうへ行ってしまえっ。ああっ、あの四人、間違えたんじゃないでしょうね」


 私はあせってさらに体をちいさくした。


 木のきしむ音がして、籠を覆う布から差し込む光がどっと増える。戸棚の戸が開かれたのだ。私は座った姿勢のまま後ずさった。ベッドがわりに籠の中に置かれているたたんだマフラーにハンカチをかけたものの陰に隠れる。


 がたがたと音がして、鳥籠を隠していたがらくたがどけられていくのが分かる。絶体絶命のピンチだ。


 ぐいと鳥籠が持ちあげられて、私の体が床を転がった。奥側の柵にぶつかってやっと止まる。カシャンと軽い音を響かせて鳥籠がどこかに置かれた。大きな影がうつる。誰かがのぞきこんでいるのだ。


「ひっ」


 私は悲鳴が出そうになった口を押さえた。恐怖のあまり飛び出しそうになった目で、布覆いにうつる影を見つめる。不明瞭だった影がはっきりとした手の形になって、どんどん大きくなる。


 覆いにかかる手。渦巻きのように皺がよって、一気に布が引き外された。

 目をつむり、小さくなった私の耳に優しい声が聞こえる。


「アオイ、俺だ。大丈夫か?」


 私はそっと目を開けた。声の方を見上げる。そこにはディライドがいて、籠をのぞきこんでいた。


「ディライド? あれ、授業はどうしたの?」

「エスケープ。アオイが心配でさ。って、口実だけど」


 にっこり笑うとディライドが鳥籠ごとそっと私を持ちあげる。今度はそんなにゆれなかった。私は端の方に座ったままゆっくりと運ばれていく。


「俺の部屋へ行こう。今日は清掃禁止の札をぶらさげとく。一回くらい掃除しなくたって死にはしないさ」


 そういうと、ディライドが大股に部屋の扉へ向かっていく。


「ちっ、ちょっと待って。本当にいいの?」

「ああ」


 扉の前で立ち止まったディライドが鳥籠を床に置く。そして彼は鳥籠の扉を開いた。


「出ておいで、アオイ」


 エスコートするように伸ばされたディライドの指先につかまって、私はよいしょと縁を乗り越えた。


床に立つのは初めてだ。全てが見上げるように大きい。


私はぐるぐると回りながら周囲を見上げた。


 ディライドがそんな私を見て楽しそうに笑う、そして私室へとつながる扉を開いた。彼はすぐ部屋に入らずに、もう一度、私の前で跪いた。腕を曲げて、優雅におじぎをする。


「ようこそ、姫君。我が城へ」


 細められた青い瞳がいたずらっぽく光っている。もったいをつけて差し出された手に、なんだか特別な気分になる。


私は差し出された彼の手の上にのった。うずくまった私の体を覆うようにディライドの指がゆっくりと曲げられる。チューリップの花の中に座っている親指姫の気分だ。


 少しの浮遊感ののち、私はそっと白いふわふわした布の上に下ろされた。


ディライドのベッドの上だ。部屋の反対側を見ると、そちらにもベッドが一つある。アルフォンスのものだろう。読みかけらしき本が何冊も、枕もとや足もとに置かれている。


 私はベッドの上に正座すると、もの珍しげにあたりを見回した。


 男の子の部屋に入るのは初めてだ。なんだか緊張してしまう。サイズなんか関係ない。純粋に気分の問題だ。


 ディライドのベッドの周りは整然としたものだった。クローゼットの中は扉が閉まっているので分からないが、外の目につくところに置かれているのは数冊の本とバッグが一つ。それだけだ。


もっと乱雑なものを想像していた私はなんだか拍子がぬけた。招かれた立場としては、相手が清潔な人だと分かって安心するべきなのだろうが。


「ディライドってあんまり物を置いてないのね。アルフォンスなんか寝る場所しか空いてないのに」


 私は対照的な部屋の反対側を見た。クローゼットの扉が開いているので中までよく見える。というより、扉が閉まらないのだろう。あふれかえった紙の筒や正体不明の器具が床の上にまで流れだしていた。


 ベッドに腰をおろしながらディライドが髪をかきあげる。


「うーん。ずらっと酒びんが並んだホームバーなら欲しいけどさ。さすがに学生だからそれはやばいし」

「ディライドって本当にお酒が好きなんだ」

「ああ。飲めばなんでも忘れられるし、味も悪くない」


 どさりとディライドがベッドに倒れ込む。

トランポリンのように布の床が弾んで、私のすぐ横に彼の顔がきた。流れる黒髪が私のスカートの裾に触れている。


「二人だけで話すのって初めてだな」


 ディライドが言った。声が近い。


「俺が召喚した俺の親指姫なのに、なんか他の奴らがでしゃばってくるからさ。アルフォンスなんか、俺がお前のとこに行こうとすると邪魔するんだぜ」


 私の顔と同じ高さにある青い瞳が笑う。


「なあ、何か話してくれよ。お前の声が聞きたい」


 キザだ。私は思わず赤面した。


 ディライドは他意もなく話そうと言っているだけだ。なのに言葉使いが妙に恥ずかしい。意味を深読みしそうになってしまう。これが王子様という種族の底力なのだろうか。庶民生まれの庶民育ちの私には逆立ちしたってついていけない。


 ディライドが顔を近づけてくる。


「どうした? 顔が赤いぞ」

「あなたのせいよ。そんな言い方するから」

「そんな言い方? 変か? 他の奴らの言い方、真似たつもりだけど」

「別に口調のことを言ってるわけじゃないけど。まあ、あまり想像してたお高い王子さまっぽくはないなって思うけど。私だって普通に話してるし。そっちのほうが気楽だから別にいいし」

「普通、か……」


 ディライドが寝がえりをうってうつぶせになると、私をまじまじと見つめた。


「なあ、俺は普通の生活ってやつを知らない。普通の言い方って、友達ってどんなんだ? ここではあいつらが気さくに接してくれるけど、やっぱ、どっか違う。あいつらは俺を守ろうとする」

「あたりまえでしょ? あなたは王子様なんだから」

「でも、継承順位は十五位だ。普通人とかわらない」


 いや、それで十分だって。私は心の中で突っ込みを入れた。ディライドにしてみれば不本意かもしれないが、私から見れば三位も十五位もかわらないように思える。


「なのに、どうして周りは放っておいてくれないのかな。俺は出来も悪い。こんな俺に注目しても意味はないのに」


 ディライドが手を顎の下で組む。


「お前はいいな。見ているだけでほっとする」


 軽くたわめた手が伸びてきて、そっと指の背で私の髪に触れる。優しい感触だ。ゆっくりと上下するディライドの指の動きに、私の髪が形を変える。柔らかな日差しに、まっ白なシーツの上に広がるディライドの黒い髪が鮮やかに煌めいた。


 再び、ささやくようにディライドが口を開く。


「お前はこの世界のことを何も知らない。帝室のいさかいを何も聞かない」


 ディライドの声に、苦い色が混じる。


 私は思わずディライドの瞳に見入ってしまった。青い瞳はせつなげで、そして苦しげだった。見ているだけで胸が痛んでくる。


「お前だけだ……。ずっとそばにいてくれ」


 それだけ言うと、疲れていたのだろうか。ディライドの青い瞳が閉じられて、そのまますーすーという寝息が聞こえてきた。


 さらされた無防備な寝顔。よく見るとすごい美形だ。ばさばさの長いまつ毛がすぐそこにある。凛々しい眉も、すっきりとした鼻も、なにより、かすかに開いている薄い唇が保護意欲をそそる。


 普段、少しやんちゃな言動をとっているだけに、こういう儚げな面をちら見させられたりすると、そのギャップにズンときてしまう。


「か、かわいい。やばいかも……」


 私は自分の口をおさえた。


 そっと手を伸ばして、スカートに触れている髪に触ってみる。ディライドはぴくりとも動かない。


「そんな無防備でいいのかなー。襲っちゃうぞー」


 私は声をひそめて言ってみた。

 でも、口だけだ。本気でいたずらしようという気にはなれない。彼はただ眠っているだけなのに、マジックで落書きをしたいという欲求をおさえる何かが放出されている。


「王子様、か……」


 やっぱり一般庶民とは格が違う。


 昼寝しているだけなのに、高貴なオーラが漂っている。高貴なオーラなんてどんなものか知らないけど、でも、明らかに普通の男の子とは違う。同じクラスの男子なら、こんなふうに寝ていても馬鹿に見えるだけだ。


 こうして見ると「EIRA」のカズクンよりいけてるかもしれない。と、元の世界で好きだったアイドルグループのことを私は思いだした。


 第一、カズクンはテレビの向こうの人だ。触れられない。私のことなんかカズクンは知らない。知らないのに、テレビの向こうから、夢中で手をふる私ににっこり笑いかけているのだ。そう、私のことなんか、何も知らないのに……。


 ちょっと、さびしくなった。


 私はそっとディライドの側によりそった。自分も同じ向きに寝転んでみる。


 こんなに間近で。

 手を伸ばせば触れるところに王子様がいる。テレビのアイドルより近いところにいる王子様。その王子様が私の名を呼んでくれる。ずっと側にいてくれと言ってくれる。なんだか不思議な感じだ。


 私はうつ伏せになった。足を曲げて、宙でぶらぶらと動かす。


 そうやって、私はいつまでもディライドの寝顔を見つめていた。


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