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閑話休題(ディライド)

ディライド視点です。

(あー、またあそこへ行かないといけないのか……)


 うんざりしながら、俺はクローゼットに押し込んでいる正装を取りだす。


 暗く重々しい皇宮も嫌いだが、陰鬱な実家に寄るのはもっと嫌だ。となると皇宮へ直行になるから、ここでこの仰々しい服に着替えなくてはならない。


「あー、めんどくせー」


 ため息をつきつつ、ひらひら装飾過多なシャツに面倒くさい形のタイをしめて、金糸の刺繍がほどこされたベストと上着を身につける。


 鏡に向かって点検する。

 窮屈だ。


 学院に入る前までは毎日、これを少々簡素化した宮廷服を着ていたはずだが、どうもその頃の実感がわかない。その頃の記憶ごそっと欠けているから、しかたがないのかもしれないが。


(俺、本当にこんな服着て暮らしてたのか? あの親父と)


 精気が抜けた人形のような姿をした父親のことを思いだして、俺は顔をしかめる。


 自分たち親子を知る者たちは、皆、親父を見ると、変わり果てた姿になってと衝撃をうける。もとはふれると切れそうなほどに野心に満ちた方だったのに、と、涙を流す者たちまでいる。そして、「ディライド様、どうかお父上の無念をおはらしください」としがみついてくる。


(んなこと言われても、俺、前までのことなんか覚えてねーし)


 抜け殻のように椅子に腰かけている男を見ても何も思わない。これが父親だという認識はあっても何の感情もわかない。ともに過ごした記憶がないのだから、愛着もないし、家族だという実感もわかない。


 自分にある最初の記憶は暗い地下室だ。奇妙な魔法陣の中央に、意識を失った父親とともに倒れていた。


 自分の名も、どうしてここにいるのかも、それどころか、立って助けを呼ばなくてはといった、何かをしなければという自我すらその時の自分にはなかった。


 ぼーっと座り込んだままでいると、遠くが騒がしくなって、人の群れが扉を破って押し入ってきた。『皇帝陛下の召還命令です、おとなしく皇宮へ来ていただきたい』と大声で言いながら、槍をつきつけてきた。


 それは<ディライド>へではなく、父である<皇太子>への召喚命令だったが、俺におおいかぶさるようにして倒れていた父親は、目蓋を動かすこともできない昏睡状態に陥っていた。


 皆、そのことに気づくとひとしきり騒いで、それから俺に眼を止めた。「この公子がいるじゃないか」と。


 その場にいた重要参考人ということで、俺が代わりに皇帝の前へ連れていかれた。後で知ったが、あの時は何やら陰謀を企んでいた親父が失態をしでかしたとこで、皇宮まできて弁明するようにと、皇帝じきじきの命令が下っていたらしい。


 だだっ広い場所につれていかれて、審問官たちに何があった、と聞かれた。だが自分は黙ってぼんやりと周囲にいる大人たちを眺めていた。


 何も覚えていない以前に、その時の自分は相手が話す音に意味があることすら理解できていなかったからだ。


 異常に気づいた宮廷の医師や魔術師がつめかけてきて、ようやく今の<ディライド>という存在が、何を聞いても無駄な、<真っ白な状態>になっていると診断結果がおりた。


 それからは大騒ぎだった。


 なぜこうなったと周囲が騒いで、地下の魔術陣を徹底的に調べたらしい。だが陣は故意にか、もっとも重要な部分が破損していて、再現も推測も不可能だった。

 何かの術後遺症で、自我がごっそりなくなっているのは確かだったから、事情を聞きだすためにも、他の者たちと会話ができるように、人としての意識を植え付ける<リハビリ>がはじまった。


 昔の自分は<魔力の樽>と呼ばれていたらしい。そして父親の皇帝位簒奪の片棒を担いでいたと。


 だから自分が言葉を解せるようになると、周囲は喜んでまた査問会とやらを開いた。言葉巧みに父親の罪を自白誘導しようとした。父はまだ昏睡状態で、陰謀の全貌解明どころか、あの日地下で何があったかもわからないままだったから。


 だがどちらにしても自分は何も答えられなかった。どんな治療をおこなっても欠けた記憶は戻ってこなかったから。


 進展のないまま一年が過ぎ、これ以上は聞いても無駄と、ようやく上層部はさじを投げた。そして自分たち親子には観察処分という待遇が決まった。


 父は監視付きで邸に幽閉された。

 祖父に引き取られた自分は、一からすべてを学んだ。


 声の出し方、感情というものの刷り込み。自分の中には心というものがひとかけらも存在していなかったから。無からすべてを造りだした。


 そして今、ようやく人らしい受け答えができるようになったからと、学院に入れられている。皇族としては異例のことだ。同じ年頃の少年たちの中に放り込むことで、人としての核を形成させようというのが祖父の目的だ。


 それはかなったのだろうか?

 これから会えば、祖父はいろいろと質問するだろう。孫の反応を注意深く観察するだろう。


 その中には当然、父親譲りの反抗の芽がないかを確かめることも入っている。


 祖父のことは好きだ。


 そう刷り込みをされているからかもしれないが、今の自分に気を配ってくれる身内となると祖父しかいない。

 だから祖父を喜ばせたいと思う。彼の望む無害なやんちゃな皇子になりたいと思う。


(俺、できてる、よな……)


 この一年、学院生活を満喫した。

 馬鹿なことをやるのが楽しい。授業をさぼったり、酒を飲んだり。若者らしく友人たちについて悩んだり。


 今度こそ祖父皇帝は満足してくれるだろうか。監視を外してくれるほどに。


 いや無理か。<ディライド>という存在に決して満足しない者たちがいる。


 失脚した父に代わって皇太子の座を継いだ叔父、そしてその取り巻きの貴族たち。まだ、彼らは警戒している。皇帝直系の血を引く自分たち父子を。


(ったく、いい加減にしてくれよな……)


 自分に野心などない。父もあの状態では政治の場に返り咲くのは無理だ。

 なのにいつになれば疑惑の目から解放してもらえるのか。いつまで無害な馬鹿皇子を演じれば皆の気がすむのだろう。その間、ずっと自分はあの三人をしばりつけることになる。


 祖父はお前は父親の人形にされていたのだと言う。だが今だって自分は他の奴らが望む通りに動く人形だ。そう考えると爆発しそうになる。


 ただ、アオイといる時だけは違う、ような気がする。


 彼女を呼びだしたのは、自分の力を放棄するためだった。そうなればあの三人も自分の監視兼友人役から解放されると思ったから。


 なのに、アオイは可愛かった。


 最初に互いに眼を合わせた時から、ただの道具に見ることができなかった。


 こちらの事情を何も知らないアオイ。彼女と馬鹿な話をしていると、頭がどんどん空っぽになる気がする。彼女といるのが楽しい。


 道具として呼びだした相手だ。深入りしすぎるのはますいと思ったから、ちょっと彼女の反応が知りたくて、お涙ちょうだいの話をしてみた。そうすると彼女は同情するのではなく叱り飛ばしてくれた。それが心地よかった。


 だから次には、好きだと告白してみた。


 普通の女なら断る。

 もしくは真剣に受けとって、一族の利害だ、なんだとうんざりする権力構造の中に引きこもうとしてくる。


 が、アオイはそのどちらの反応も示さなかった。


 彼女はディライドって王子様なんだと眼を丸くしつつ、それがもつ意味を理解していない。彼女はただの少年としての自分をそのまま受け入れてくれる。重くもたれかかってこない。どこまでも自由で軽やかだ。


 彼女を見ていれば、指針として彼女を傍に置いておくことができれば、そのうち自分は自分になれるのではないかと思った。


 アオイの存在を知られればアオイは狙われる。祖父皇帝もアオイを元に戻せと言うだろう。

 そんな外野の声を黙らせるには、自分が力をつけるしかないと、やっと前向きになれた。


 だから。


 急にアオイの顔が見たくなった。彼女との馬鹿なやりとりが恋しくて、胸がきゅっと縮む。


 俺は戸棚から銀のボトルを取りだすと、談話室との境の扉を開けた。


「おい、アオイ、一緒に行こうぜ!」

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