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ようやく自分の立ち位置の分かった私は満足げにうなずいた。
人間というものはある一線を越えると、妙に頭が冷静になる生き物だと私は知った。アドレナリンが大量に分泌されるせいだろうか。
バンジーで飛び降りる瞬間が永遠に感じるほどに。事故にあった時、車が迫ってくるさまがスローモーションで見えるように。いや、修行で死線をこえたインドのお坊さんレベルかもしれない。
悟りを開いた私は、すわった眼で頭上をあおぎ見た。
サイズを気にせずに顔だけ見ると、天使のように可愛らしいふわふわ金髪をした少年の、きょとんとした大きな緑の瞳がこちらを見ている。
「ここって、どこ」
小さく縮んだ私は、冷静な声で二度目になる問いを発した。
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「ここはどこって言ったの? えっとね。ここは僕たちの学校の寮だよ。僕はアルフォンス」
私のスカートを引っ張っていた、緑の眼の男の子が自己紹介をする。
何度も言うが、サイズにさえこだわらなければ映画かCMに出てきそうなかわいい外国人の男の子だ。
歳は私と同じくらいか少し下。ふわふわのベージュっぽい金髪、透けるように白いのにピンクの薔薇を思わせる頬。ウィーン少年合唱団かキリスト教の天使の壁画から抜け出してきたような顔だ。かわいらしすぎて現実味がない。
腰から下は巨大な地表、もとい、テーブルに隠れていて分からないが、彼が着ているのはすっきりと体にそった、とても華麗な上着だった。白い学生服のような詰襟に、くっきりとした青のライン。それに金のエンブレムや飾りがついている。昔の映画の舞踏会に出てきそうな服だ。
「スカートから手を離してくれない? アルフォンス」
相手をじっくり眺め終わると、私は言った。アルフォンスの指がまだスカートのすそをもったままだったからだ。
が、聞こえないのか、アルフォンスはまだスカートから手を離さない。
「放せって言ってるでしょ! 聞こえないの、この助平!!」
私は思い切り大声で怒鳴った。今度は聞こえたようだ。
「ご、ごめんなさい」
アルフォンスがあわてて手を離した。私の足がようやく私自身からも見えるようになった。今までアルフォンスの手が壁のように立ちふさがって、視界をさえぎっていたのだ。
一目見るなり、ああ、足が動かないわけだと思った。
私の細い……とはいいきれないけど、比較対象が巨大少年たちだと、鉛筆か何かのようにか細い足の上に、肌色の指の形をした小山がのっかっている。
アルフォンスではない。
彼は向かって右側に突っ立っている。
その左側、葵の正面にその指の持ち主はいた。指の先にあるのはつややかな黒い滝のような長い流れ。これはどうやら髪の毛らしい。顔はふせられていて見えない。
この部屋にはもう一人、黒い髪をした誰かがいて、床に突っ伏して眠っているらしい。
いや、ここは床ではない。あたりの風景からしてテーブルの上だ。誰かがテーブルにつっぷして眠っている。
そして彼ははんぱなく酒臭かった。
どうやら昨夜の品性の欠片もない声の主はこの突っ伏して寝ている少年で、私はあのまま彼の手に押しつぶされる形で一緒に眠っていたらしい。
不慮の事故とはいえ、酔っぱらった男と一緒に雑魚寝してしまったなんて。
ああ、なんたることだ。
私は顔をひくつかせながら、いまだに眠っている酔っ払いに声をかけた。
「ちょっと! 起きなさいよっ。無断でいつまでも人の足、さわってるんじゃないわよっ」
が、彼は起きない。というよりピクリとも動かない。
しかたがない。私は自由になる方の足で、思い切り、彼の大きな指を蹴とばした。彼の何やら不明瞭な呟きとともに腕がどく。が、彼は眠ったままだ。
何、この男。
むかっとして私が伏せられた頭をにらみつけると、この眠っている少年でもなく、アルフォンスとも違う、別の少年の声が聞こえてきた。
「そのままにしておいてください。深酒をした翌日は、自分から起きだすまでテコでも動きませんから。この酔っぱらいは」
冷やかな声だ。眠り男の左向こうからする。この声には覚えがある。目覚めた時、最初に聞いた声だ。
私は声のほうをふりあおいだ。
華やかな、大輪の薔薇を思わせる顔がそこにあった。
綺麗な光沢のある赤鋼色の細い髪が白い卵型の顔を取り巻いている。
夢見るような紫の瞳。なめらかな白い肌は濃厚なミルクのような色、ニキビなんて一つもない。内に紅色の光を灯したような唇はグロスをつけたわけでもないのにほんのり輝いている。大人っぽいクールな表情なのに、どこか華があって、とても男の子とは思えない。
一、二、三。
アルフォンスと、眠っている酔っ払い、それに彼。
この部屋には三人の男の子がいる。
新たに登場した華やかな美貌の少年が、にっこり微笑んで私に話しかけてきた。
「どうやら長いつきあいになりそうですから名乗っておきましょう。私はイレーユ・アシュレイ。どうかよろしく、小さなお嬢さん」
私は思わず息をのんだ。
綺麗だ。男の子なのにほんとうに綺麗だ。口を開いて話すさままでが絵になる。こんな大輪の薔薇の花のような男の子をつくるなんて、神様って本当にいるのかもしれない。
ぼうっと見とれていると、彼の紅い唇が再び開いた。
「すみません。あなたが小さいせいか、声がよく聞こえないんですよ。空気の振動を増幅する術をかけさせてもらいますよ。体に害はありませんから」
イレーユと名乗った少年が、なにやら呟いて私の上に手をかざす。見えない風が起こったようだった。周りの空気がふるえて、私の髪や服を揺らした。
「これでいいです。では、名前を教えてもらえますか? お互い、呼ぶときに不便でしょう?」
言われて私はあわてて名乗った。
「あっ、そっか。ごめん。私は葵。高木葵よ。よろしく」
なんだか分からないが私の声は今度はしっかり届いたようだった。イレーユの紫の瞳がにっこりとほほ笑む。
「では、アオイ。とりあえず、分かっているだけの状況を説明しますね。あなたは別の世界からここへ来ました。テーブルにかすかに残っている召喚陣からすると、ここで寝ている酔っぱらいがあなたを呼びよせたらしい」
イレーユの白い指がテーブルにつっぷしたままの黒い頭をつんつん突っつく。
術に召喚陣。おまけに別の世界?
まるでゲームのような話だが、目の前にこんな大きな頭が転がっているのでは信じるしかない。術というのは魔法のようなものなのだろう。私の半分麻痺した頭が、元世界にいた時の知識をフル動員してGOサインを出す。
私は了解のしるしにうなずいてみせた。イレーユが説明を続ける。
「この馬鹿が起きそうにないので、私が紹介しますね。彼の名はディライド。この国を治める皇帝陛下の孫にあたるやんごとない身の上の少年です。が、学業をまともに納めない不真面目な男で、そのくせ皇族の血筋ゆえに困ったことに潜在能力だけは馬鹿ほどあるんですよね。それでいつも何かしら問題を起こしてくれるのですが。いやはや、今回はとんでもないことをしてくれて、私も頭が痛いです」
「えっと、とりあえず、私がここにいるのはこの人が元凶ってこと?」
「まあ、残された形跡からするとそういうことです。皇族の血があなたの召還を可能にしてしまったようですね。普通はこんな簡単に異世界からの召喚なんてできないんですよ」
「じゃあ、その人が起きたら私は元の世界へ戻してもらえるの?」
話に飛びついた私に、イレーユが眉をひそめる。
「理屈ではそうなのですが。問題はこの馬鹿殿下の頭の事情で」
そこでもう一人の天使のような金髪の男の子、アルフォンスがひょいと首をのばして会話に加わる。
「うん。ディライドは物忘れがひどいんだ。それにたぶんきちんと理論づけて陣を組んだりしてないと思うよ。いつもそうだから。勢いでぱぱっとやっちゃったんだよ。そのうえ昨夜は酔ってたでしょ。思い出して逆の陣を組むの、無理だと思うんだ」
少しどもったかわいらしい口調なのだが、内容はまったくかわいくない。
「……じゃあ、何? 私はどうなるの?」
私は不安に底冷えのする声で言った。冗談ではない。酔った勢いの悪ふざけで呼び出されて、そのうえ元へ戻してもらえないなどありえない。まだ私はやり残したことがいっぱいあるのだ。やり残したことなんて、不吉な言葉だけど。
「あのねえ、ちょっと、あんたたちねえ、いい加減にしないと警察呼ぶわよ、警察。拉致監禁容疑で訴えてやるからっ」
私は半泣きになりながら立ち上がった。悲しくて不安でぐしゃぐしゃな顔で、半ばやけくそになって、アルフォンスの顔に指を突きつける。
でも私の怒りの表情は彼らからすると小さすぎて、よくわからなかったようだ。
こちらの心境にまったく気づいていないのだろう。アルフォンスが可愛らしく眼をまたたかせて、首をかしげた。
「訴えるってどこに?」
真顔で聞いてくる。私は指を突きつけた姿勢のまま固まった。ここは異世界。交番なんかない。110番しようにもスマホはどこかへとんでいってしまった。あったとしても圏外だ。
「しまった。私は無力」
現実なんか嫌いだ。
がくりとうなだれた私の頭を、大きな指がぽんぽんと叩く。
「まあまあ。命が無事だっただけでもラッキーだったよ。召喚なんて超高度な技、僕だって力が足りなくて使えないもん。ディライドだから可能だったんだ。それにしたって、へたしたら足だけこっちに出現、失血死なーんてことにもなりかねなかったんだよ。五体満足でたどり着くなんて、君ってすごい強運の持ち主だよ。すごいすごい」
「褒めてる場合じゃないでしょ、ってか、そんなこと褒められても嬉しくないわよ。こんなとこにつれてこられた時点で不運だわよ。そもそも失血死って、そんな危険なことしでかす奴をなんで野放しにしてるのよ! ちゃんと檻つくって鎖でつないどいてよっ」
私は今度こそ本当に泣きながらアルフォンスの指をふりはらった。
「もういやっ、私、帰る。あんたたちの顔なんて、もう、見るのもいや!」
やけになった私は床に置いていたバッグを肩にかつぐと、彼らとは反対方向へ歩きだした。
「絶対、帰る。今日はEIRAのカズくんがテレビに出る日だもん。録画予約してないし、帰らなきゃならないの。あんたたちなんか信用できない。これは夢よ。すぐに覚めるもんっ」
後ろを向いて男の子たちに怒りながら歩いていく。と、突然、風が起こった。とっさに立ちどまった私の前に、ビシッと生木の裂ける音がして、巨大な何かが突き刺さった。
ゆっくりと私は顔を前に向けた。
鏡のような銀色の平面が地面に生えていた。ひきつった私の顔が映っている。鋭い側面にふれて、プリーツスカートの裾がぴりっと切れてゆく。
そこに刺さっているのは、一本の短剣だった。
そして、短剣の向こうにはテーブルの縁があった。その先は床へ真っ逆さまの奈落の底だ。
私の足が宙で止まる。
「動くな。落ちるぞ」
その声は後からした。
迫力のある低い声だ。前科何犯かと言いたくなるような、すごみのある声。
私はゆっくりと首を回して振り返った。
いつからそこにいたのだろう。
アルフォンスたちのはるか向こう、扉の横の壁によりかかって、こちらを見ている少年がいた。短剣を投げたのはこいつだ、と、一目で分かる危険な雰囲気を漂わせている。
私はごくりと息をのむと、新たに現れた第四の少年の顔を見つめた。




