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明るい日差しが鳥籠の中に差し込んでくる。
私は布団代わりのスカーフにくるまって、瞼から入ってくる光に抵抗した。
(あー、クレイにベッドの天蓋つくってほしいって頼まなきゃ……)
寝ぼけた頭で考える。イレーユに頼めば可愛い乙女趣味なレースのハンカチとかを調達してきてくれるだろうし、クレイならきっと素敵なデザインに仕上げてくれるはずだ。全国乙女の夢、レースの天蓋付ベッド。いいかもしれない。
夢見心地でにまにましていると、かるく家、いや、ベッド替わりのマフラーを置いている床全体が揺れた。誰かが鳥籠をつっついたらしい。
「もう朝だよ、アオイ。起きないの? 体調でも悪いの?」
アルフォンスの声がする。
普通なら寝起きの顔を見られたくない相手コンクール、上位入賞の異性の声だ。だが私の脳細胞は覚醒しなかった。
初日は飛び起きて身づくろいをしていたが六日目ともなるとだれる。どんなお嬢様学校のお嬢様でも寮の中はすっぴん、ジャージに素足でぺたぺた歩いているという話を今なら信じられる。寮というところは麗しい仲間意識をはぐくむと同時に、怠惰な仲間内意識をもはぐくむところなのだ。
どうせ何度も寝顔は見られてしまっているし、相手はお子様天然のアルフォンスだし、突っ込みは入ってこない。
寝ぼけた頭で判断すると、私はもぞもぞと布団の奥にもぐりこんだ。
「うーん。ちょっと昨日、夜更かししちゃったから。もう少し寝かせて」
「しょうがないなあ。じゃあ、僕、学校に行くよ? いい子で留守番しててね」
「子ども扱いしないで。僕ってアルフォンス一人? 珍しいね、いつも一緒に行くのに、ディライドはどうしたの?」
「もう先に行ったよ。なんかやたらはりきっちゃってさ。一番に出ていったよ。僕が最後」
アルフォンスはまだ私が起きるのを待っているのだろうか。かすかにさしてくる影は動かない。彼は手を伸ばして鳥籠にふれているようだ。何をしているのだろう。そのまま動かない。
(何、何かあった? 籠が壊れてるとか……?)
私が寝ぼけまなこで起き上がろうとした時、アルフォンスが手を離した。そして明るい、なんでもない口調で言う。
「もう、じゃあ、僕もいくよ。お留守番よろしくね、アオイ」
元気に駆けていく足音がする。
「うん、いってらっしゃーい」
私は再び肌触りの良い贅沢なシルクスカーフの間にもぐりこむと、隙間から手だけをひらひらとふった。
なんだか寝たまま出勤旦那を見送る倦怠期妻みたいだ、と。馬鹿なことを考えながら、扉の閉まる音がする前に、私の意識は眠りの園へと戻っていた。
昼が来た。
やっとすっきり目が覚めた私は、もこもことベッドから抜け出して、クレイの新作ドレスに腕を通した。
「ディライドに頑張りなさいと言っておきながら、これはないよね。明日からは生活、改めなきゃ」
はあとため息をつくけど、新しいハンカチドレスがひらひらと足にからみつく感触に、女の本能が目覚めてにっこり顔になる。
今日のドレスは薄い水色。
一枚の布地をくるくると巻いて胸の下でリボンでとめた、簡素なデザインだ。 だが、決して地味なわけではない。
くるりと廻ると、襞をたくさん取られたフレアスカートが花のように開いて閉じる。清楚な妖精が着るようなロマンチックな衣装だ。
「うーん。みるみる腕が上がっていくわね、クレイってば。店出してもやってけるんじゃない?」
私は満足して籠につるされた手鏡から離れた。
「さて。ごはんでも食べますか。今日のメニューはなーにかなー」
ハンカチをかけられた皿をのぞいてみる。
四人が食堂からくすねてきてくれた朝食だ。
バスケットボールサイズの皮をむいた葡萄が一粒。秋の味覚、甘くゆでた栗のペーストを生地に練りこんだパンを薄く切ったものが一切れ。こちらは掛布団サイズだ。そしてタンパク質としてソーセージが一本ごろんと転がっている。これにいたっては私と同じ胴回りサイズ、長さは私の身長より長い。切る暇がなかったのか、これくらい食べると思ったのか。
「うーん、肉食好きな男子っぽい献立?」
まだ果物があるだけましか。
この世界に来て二日目の朝ごはんなど、まるまる一枚のトーストと、カリカリのベーコン、それに目玉焼き一つだったのだ。
トーストはゆうに畳二枚分、ベーコンは体育館のマットサイズ、目玉焼きは絨毯サイズで分厚さはハンバーガー並。いくら食べても黄身までたどりつけなかった。
ほとんど残すことになるからもったいないしと、昼休みに戻ってきた彼らに切々と訴えて、なんとかその日の夕食からは、ある程度切り分けたものを運んでもらえるようになったのだけど。
「それでもまだ、よくわかってくれてないみたいよね……」
この小さな体で一度に食べきれる量とか。
どう考えても自分の体と同じサイズのソーセージなど食べきれないだろう。それともそれだけの大きさの肉にかぶりついてみたいという、彼ら成長期男子のあこがれがでてしまっているのだろうか。
(もう一回、直談判してみるか。具体的に、必要な大きさを紙に描いて)
また〈アオイ対策会議〉になってしまうかもしれないが。
(というか、食事調達当番を固定にしてもらえたら一番ありがたいんだけどなあ)
私の食事調達は四人の持ち回り制だ。皆、小さい私が目新しいらしくて、かまいたくてしかたがないらしい。食事などのお世話係を一人が独占すると、ずるいという声があがる。喧嘩になる。まるきり小学校の生き物餌やり当番の争奪戦だ。
と、いうことで、私の食事には毎食、お世話係の個性が出る。
気配りのできる〈おかん〉なイレーユや、器用なクレイの時はきっちり少量づつ切り取って(多分、ニンジンなど、彼らからすればみじん切りサイズなのだと思う)、ワントレイのランチのように可愛く並べられているから、食欲もそそられるのだけど。
少年らしく大雑把なディライドや、ぽやんと頭が半分、本の世界にいってしまっているアルフォンスの当番の時は、コメントに困る食事を出されることが多い。ソファーサイズのチキンばかりごろごろ四つも並べられて野菜なしとか、クリスマスのホールケーキサイズのバターの塊とフランスパンサイズのライス数粒の取り合わせとか。
今日の食事はこの適当な盛り合わせ方からして、ディライドだろう。
求婚した翌朝の食事くらい、もう少し乙女心を気にしたものにしてくれればいいのに。食べる本人とほぼ同じ胴回りサイズのソーセージなど、どうしろというのだ。ロマンチックの欠片もない。あいかわらず。
(うーん、昨夜、アオイの世界の婚約の贈り物はなんだって言われて、つい、指輪って答えちゃったけど。どんなのを用意してくれるか、かなり不安かも……)
そもそもこの世界の指輪なら、ゆうに私にとってはティアラ、いや、王冠サイズだ。そんな大きさで、もしごてごて宝石がついていたり、装飾がたくさんついていたら、重くて頭にのせられない。首が折れる。
異世界人と婚約するのも前途多難だなあ、と、ため息をつきながら、私は手を洗うためにテーブルに置かれたティーカップへ向かう。
大きなカップになみなみと張られた水で手と顔を洗いながら、使用分だけとりわけることのできる器があれば合理的なのにと思う。今のままでは一回の使用で、このカップ一杯分が汚れてしまう。もったいない。
(元の世界で喫茶店とかにいけばでてくる、ちっちゃい銀色のミルクとか入ってる奴、ピッチャーだっけ? ああいうのはこっちにはないのかな。とってもついてて便利なんだけど)
この世界での私の取り分け皿はスプーンだが、柄が長い。重い。扱いにくい。そのうえ、傍に数冊置かれた階段替わりの豪華な革装丁の本にのぼっても、水の入ったティーカップの縁は私の腰より上にある。スプーンではうまく水をすくえない。
この世界にだってドールハウスとかはあると思う。
その家具や道具を使えたら可愛いし便利だろう。
だが哀しいかな、私を保護してくれた四人は女の子ではなくて。その手の知識はなさそうだ。もちろん人形も持っていなさそうで。
(あのメンバーで、俺、持ってる、とか言われたら怖いよね。地道にそこらにあるもので生活の場をととのえていくしかないか……)
親指姫生活にはまだまだ改善点有だなあと思いながら、しゃがんで、テーブルの床に直接おかれたハンカチで手をふく。これもタオルかけみたいなものがほしいところだ。
さて、ご飯を食べ終わるとすることがない。
ディライドに頑張れといった手前、これ以上さぼってごろごろしているのも気がひける。
(うーん、宿題はもうやっちゃったんだよなあ)
学生らしく予習復習しようにも、休み明け第一日目だったから、授業はなくて教科書はもってきていない。
どうしようと辺りを見回して、踏み台がわりにおいてある本に眼がいった。
(この世界におちつくなら、こっちのこと、もっと勉強しとくべきよね)
するべきことが見つかった。
私はよし、と腕まくりをすると、本を開くべく近よった。
この世界の言葉はわかるけど、字は読めないから、文字の形の学習から入ろう。
「どっせい!」
分厚い表紙に両手をかける。思いっきり力を入れて持ちあげるのだけど、自分の胸のあたりまでくらいしか持ちあがらない。
「ぐ、ぐぬぬっ、どうしてこんなに無駄に豪華な装丁してあるのよっ」
革は重い。ついでに装飾なのか、金属っぽい板が背表紙の辺りとかをガードしている。それが地味に重い。
「も、もう駄目っ」
手を離す。ぜいぜいと肩で息をついて座り込んだのもつかの間。私は大変なことに気がついた。
「……嘘」
クレイ作のひらひら妖精ドレスのスカート部分が、しっかり閉じられた本にはさまってしまっている。
「いやーーっ、また持ちあげないといけないの、これ? もうやだっ、明日は筋肉痛よ、絶対」
ぶつぶつ言いつつ、何とかもう一度持ちあげる。
「よいしょっと、え? あれ? ちょっと、これ……」
困った。私は固まった。
最初に持ちあげた時、私はいったいどういう体勢をとっていたのだろう。長いスカートは本のかなり奥まで巻きこまれていた。ちょっと腰をひねった程度では、スカートをひきよせられない。
本は両手で持ちあげている。両腕で全力をださないと重くて持ちあげられないからだ。ところが本のページにはさまったスカートを引き抜くためには、もう一本、手が必要で。
私は無言で表紙を閉じた。
そして本を閉じた状態で、両腕でスカートをひっぱる。だがしっかりはさまっているのか、抜き取るだけの力が私にはないのか、スカートは微動だにしない。
(……どうしろってのよ)
かくして私は、ネズミ取りにひっかかったネズミよろしく、スカートを本にはさんだまま、四人の少年たちが戻ってくるのを待つことになった。異世界の勉強をするどころではない。
もちろん、最初に戻ってきて、この状況を見つけたディライドが大笑いをしたことはいうまでもない。
しかも私を助け出してくれたのはいいとして、戻ってきた他の3人に言いふらすとはどういうことだ。そして三人とも何を笑っている。それでもって何故、〈小さなアオイ安全対策会議〉などが開かれる。テーブルの一画に柵をつくって箱庭をつくろうなどという案が何故でてくる。
子どもの頃つかっていた兵隊や大砲の模型なら邸にあるから取りよせられるって何。こら、アルフォンス、嬉しそうに動物模型農場セットカタログなんか出してこなくていい。クレイも器用だからって紙で農家のはりぼて模型なんかつくるな。イレーユ、図面を引いてまで都市計画しないでっ。それってすでに私の家じゃないからっ。
このノリっていわゆるジオラマ制作? 鉄っちゃん? 鉄っちゃんなの、あなたたち??
こちらで生きていく宣言は、はやまったかもしれない。
いや、異世界人が悪いのではなく、こいつら男子の精神年齢を過剰評価したのが間違っていた。
どこの世界に行っても、男子は男子だ。
いや、まあ、情けなくも本にスカートをはさんでしまった私も私というか、同レベルなのだけど。
だから着々と進む箱庭計画を止めることができない……。




