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 カリカリとペンが紙の上を走る音がする。


 ときおりまじる、本のページをめくる音。だが、皆口を開かない。無言のままそれぞれの世界に没頭している。


 談話室は即席の勉強室となっていた。私をほうって自習室で勉強してもつまらない、というディライドの提案によるものだ。

 私も通学バッグからノートを引っ張り出して、夏休みの宿題の残りをしている。バッグの中にはきれいに畳んだ制服も押し込まれていた。スカートの裂け目はクレイが繕ってくれたし、いつでも帰る準備はできている。これで宿題もオッケーなら完璧だ。


「だー、疲れたー、飽きたー、イレーユー、アルフォンスー、お茶ー、夜食ー」


 言いだしっぺのくせに、まっ先に脱落したディライドがテーブルにつっぷした。アルフォンスがあきれたように本から顔をあげる。


「そのうちディライドの顔の形にくぼみができそうだね、このテーブル」

「よだれの地図のほうが先でしょう。しょっちゅう、ここで寝てるんですから」


 イレーユもしらじらとした眼を向けるが、ディライドの言い分ももっともと思ったのか、ワゴンに用意されたお茶の準備に席を立った。なんとなく、口うるさいところといい、イレーユは〈おかん〉ポジションな気がする。


 さっそく雑談モードになったディライドと、それにつきあわされているアルフォンスの横では、クレイだけは我関せずと勉強を続けている。気真面目な彼は剣術だけでなく学業も優秀なようだった。


「アオイ、勉強教えてやるよ、どんなのやってんだ?」


 お茶が入るのを待つ間、退屈したらしきディライドが私のノートを覗きこんでくる。


「見て分かるの? 高一の数学よ、これ」


 暗記と努力がいらず、勢いでなんとかなる数学だけは得意な私は、ちょっと高い目線でふっと笑った。

 宿題を完成させることができなかったのは決して頭が鈍かったせいではない。遊んでいてやる時間がなくなっただけだ。まったく自慢にはならないが。


「どれどれ」


 ディライドが私の手から空豆サイズのノートを奪い取る。彼はノートを両手の指で丁寧に広げると、眼に近付ける。無言の時が流れた。アルフォンスも横からのぞきこんで眉をひそめている。


「できないんでしょ」


 ふふんと鼻を鳴らして私は言った。


「どれどれ私にも見せて下さい」


 興味を引かれたらしいイレーユが手をのばす。


「こっこれは……」


 見るなり絶句してしまったイレーユに、私の高い鼻がさらに高くなる。


「ちっちゃいからって馬鹿にしてもらっては困るわ。所詮、電気もないファンタジー世界のおぼっちゃまたち、文明世界の数学がわかるわけないじゃない。おーほほほほほほ」


 私は小指を曲げた手の甲の部分を頬に当て、お嬢様笑いを響かせた。


 他のメンバーの反応に、さすがに気になったのか、さっきまでこちらに目もくれなかったクレイが、ひょいと手をのばしてノートをとった。広げてじっと見る。


 そして、ぼそりとつぶやいた。


「小さくて、見えん」


 私の自慢げな高笑いが止まる。


「だよな。なんか糸ミミズがのたうってるっていうか」

「いえ、糸ミミズのほうが太くて大きいですよ。これはもう、埃の繊維というか、微妙、ですね」

「アオイ、字が汚いんじゃない? どことどこが繋がってるのかも分かんないよ」


 四人が好き勝手言いはじめる。


「わ、私のことはどうでもいいでしょ。まず自分のことをしなさい、自分のことを!」


 私は真っ赤になってノートを奪い返した。アルフォンスがくすくすと体を丸めて笑う。私の反応がツボだったようだ。が、笑いの種にされている本人はちっともおもしろくない。


 私はノートを丁寧にバックにしまうと、アルフォンスに近づいて、彼の課題を覗きこんだ。


 逆から見ているせいもあるが、複雑な円や線、それに模様のようなアルファベット系の字が並んだ紙面は、私にはさっぱりわからない。ちらりと隣のクレイの手元をのぞいてみる。そちらはびっしりと数字が書き込まれていた。イレーユがやっている課題と似ている。


「……アルフォンスだけなんかやってること違うのね。そういえば特別授業とか受けてたっけ」

「うん。僕、クレイみたいに体術とかは苦手だからね。こっちで点を稼いでおかないと」


 ちょっと頬を赤らめて言うアルフォンスに、イレーユが口をはさむ。


「謙遜、ですね。アルフォンスは天才なんですよ。なにせ、塔から勧誘がきてるくらいですから」

「塔って?」

「うーん、何て言ったらいいか。ねえ、アルフォンス、説明してあげて下さい」


 照れたような、嬉しそうな顔をしてアルフォンスが私の方を向く。


「塔っていうのは学究の丘に建ってる、各研究塔の総称だよ。それぞれ探究していることは違うけど、共通してるのは、専門分野に特化した頭脳の持ち主たちがそれぞれ日々研究三昧の生活を送っているってこと。器具や文献の充実度は国内一だし、何かを極めてみたいと思う者にはあこがれの的なんだ」

「へー、すごいんだ。私の世界で東大の研究室みたいなものかな。ようし、私、応援する。頑張って塔に入って、アルフォンス!」


 そこでアルフォンスが少し沈んだ顔をする。


「行ければ、いいんだけどね」


 応えた声が小さい。

 黙りこんでしまったアルフォンスに代わって、イレーユが説明する。


「アルフォンスは父君の反対をうけているんですよ。塔は実力主義で平民出がほとんどですからね」


 私は改めてここがおぼっちゃま学校であったことを思い出した。アルフォンス達三人はお貴族様なのだ。


「でも、実力は塔の方が上なんでしょ? ブランドか実力か、有名私立か東大かって感じ? 私だったら迷わず東大選ぶけど。親なんか別にいいじゃない。自分の人生なんだから、自分の好きなように生きていいと思うけど」


 明るく私は言った。でもアルフォンスの顔色はすぐれない。下を向いて、ひたすら紙を字で埋めていっている。


 私はため息をついた。


「アルフォンスって天然で、我が道を行くって感じかと思ってたけど。結構、周りを気にするタイプなのね」


 アルフォンスのペンが止まる。


「でもさ、ずっと周りに合わせてばっかりだと疲れちゃうよ。無理して皆のまねっこしてたって、それってうそっこだから、結局、ばれちゃうし。だったら、最初から素のままでいったほうがいいって」


 アルフォンスのペン先からインクがぽとりと落ちる。アルフォンスは気づいていないのか、視線を下に向けたまま動かない。


 なんだか自分が偉そうに説教しているように思えて、私は頭をかいた。


「まっ、何、そんなに深刻になることないって。とにかく、私、応援してあげるから。頑張って夢をつかみなよ」


 私はぽんぽんとアルフォンスの腕を叩くと、自分の宿題に戻った。


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