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1・召喚された親指姫
「ここって、どこ?」
私は冷たくて平らな床にぺたりと座ったまま、あたりを見まわした。
真っ暗だ。
質量さえともなっていそうな、のっぺりとした闇が眼前に迫ってきている。
「やだ。気絶でもしたの? 熱中症? 私、学校行く途中だったよね??」
私の名は葵。高校一年生だ。
夏休み明けの第一日目、気合まんまんの太陽に焙られながら、学校を目指していつもの坂道を登っていたはずだった。暑いーと太陽を見あげたとたん足もとが揺れて、風景がぐにゃりと歪んで、それから真っ暗になったのは覚えている。
それで、気がついたら……ここにいた。
暗くて自分が着ている服すら見えないが、膝にあたっているスカートは短いし、制服を着たままのようだ。腕に感じるごわごわしたものは、通学バッグのストラップだろう。もしかして貧血で倒れるとかしたのだろうか。
「ここって病院かな。看護師さんとかいないの? そだっ、スマホ!」
私はごそごそと手探りでスマホを探りあてた。青白い液晶画面がぽうっとあたりを照らしだす。そして確かめた画面に愕然とした。
「やだっ、圏外?! どこの山中よ、ここは!」
今時そんな場所があるのか、この国に。
怒鳴った拍子に息を大きく吸い込む。ひんやりした空気には、嗅いだ事のある臭いが混じっていた。
「あれ、ちょっと酒臭い?」
私は鼻をうごめかした。
改めて嗅いでみるとここは半端なく酒臭かった。ケーキに入っている洋酒のような甘くて濃厚な匂いだ。もっともここまできついとおいしそうな感じはしない。ケースごと地面にぶちまけたみたいで、酔ってしまいそうになる。
あまりに濃い臭いに顔をしかめた私の感覚に、何かが触れた。
暗闇の中に、何かがいる。
私はライトがわりのスマホを前にかざした。三分の一が空白、怒られること必須の宿題ノートが入ったバッグを抱きしめる。慌てて立ちあがったのは本能だったのだろうか。
次の瞬間、私の右横に何か巨大な塊が落ちてきた。
びたんという柔らかで質量のあるものが床に叩きつけられる音、そして振動がおこった。震度三はあるであろう揺れに、私はたたらをふむ。ぶわりと風圧が巻き起こって、プリーツの制服のスカートが翻った。
「ち、ちょっと何?! なんなのよっっ」
驚く暇もなく左に逃げた私の前に、また何かが落ちてくる。
「ぎょえっ、何よ何よ!」
叫びながらも私は器用に落ちてくる謎の物体を避けていった。というより、落ちてくる物体の生み出す振動であっちにふらふら、こっちにふらふらしているといったほうが正しい。
必死に足を動かして怪しげなダンスを踊る私の頭上から、不気味な声が落ちてきた。
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃ」
マイクごしに笑っているようなくぐもった不明瞭な声だ。この声が葵にダンスを強いている相手のものだとすると、かなりやばい。だって声からは知性の欠片も感じられない。相手は正気ではない。
またずしりという音が、馬鹿笑いとともに落ちてくる。
「ぐわあっ、お願いっ、これは夢! 夢なら早く覚めてっ、夏休み最後の日の悪夢は宿題忘れと相場はきまってるでしょっ」
私は叫んだ。その至近距離に、また風をおこしながら何かが落ちてくる。
「きゃっ」
私の足が絡まり、体が床にたたきつけられる。
はずみでスマホが手から離れて、床の上を滑っていった。くるくる回る液晶の光が小さくなり、突然、途切れる。
「嘘っ、どこいったの?!」
あわてて膝で体を起こした私は殺気を感じた。頭上を振り仰いだ私の眼に、落ちてくる灰色の塊が見えた。避けられない。
「つっ!」
そして、私の意識は再び闇に閉ざされた。
******
軽やかな鳥のさえずりが聞こえてくる。
私は意識をまどろみの世界から現実の世界へと送り出した。
まだ眠い。眼を開ける気力がわかない。ぼんやりと原因を考える。ああ、そうだ。夢見が悪かったのだ。妙な夢を見たせいか体が重い。右足など上に牛でものっているかのようだ。ずしりと重くて妙に温かい。
私は寝返りを打とうと右足を動かした。
動かない。
私の思考がぴたりと止まる。なんだか嫌な予感がする。
一気に覚めていく感覚が、自分が柔らかな布団ではなく、冷たい床の上に寝ていることを知らせてくる。しかもパジャマではない。ギリギリのラインまでむき出しらしき左足と腕が、ひんやりとした空気に触れている。
私の額に冷汗が出てくる。昨夜の悪夢がプレイバックしてきた。
「これは何でしょう。人形?」
とどめを刺すように、聞いたことのない男の子の声が上の方から聞こえてきた。冷たいのに艶やかな不思議な声。自分の部屋では絶対にあり得ない現象だ。
メガホンで三階から叫んででもいるかのように妙に遠い、なのに大きい。声の質と調子は全く違うが、昨日の悪夢の笑い声と同じくらいの高さと大きさだ。
私はそっと眼を開けてみた。
一瞬、地平の彼方まで広がっているような茶色の平面が見えた。広い。広すぎて、自分が小さく縮んでしまったように感じる。
「あっ、動いた。生きてるみたいだよ」
即座にあがった別の男の子の声。今度は少し無邪気な感じがする。謎の存在は最低でも二人いるようだ。
私はあわてて眼をつむって死んだふりをした。
何が何だかわからないが、ここが安全な場所だと分かるまではこうしておいた方がいいような気がする。
「あっ、また眼をつむっちゃった。死にかけてるのかな。ちっちゃいもんね。それにしてもなんか変な服だね。短くってぴらぴらしてる」
声とともに何かが降りてきて、私のスカートをつまんだ。ふわりと吹き込んできた風に、今日は白だっけ、などと余裕をかましている場合ではない。
「きゃあ! 何するのよッ」
叫んで起きあがる。相手を平手打ちにしてやろうと見あげた眼に、巨大な壁が映った。
壁、とは正確ではない。
タンクローリーのような巨大な丸みを帯びた白い筒だ。
筒? いや、映画の大画面いっぱいに迫る人の手だ。それが右上から伸びてきて、大きな指が小さなプリーツスカートのすそを持ち上げている。
「あっ、何かしゃべった」
「ほう、見かけは人と同じですし、意志の疎通ができそうですね」
また声がする。やはりここには男の子が二人いる。
私はスカートを引っ張り返しながら、映画の大画面を右上へと眼で追っていった。白いタンクローリーのような袖はさらに大きなビルの壁のような体へと繋がり、その上、はるか高みにあるのは……。
「ウッ、ウルト●マン?!」
かなりレトロな特撮主人公の名を私は叫んだ。
相手は巨大ではあるけど、昔懐かしのレトロ怪獣や人型決戦兵器、はてまた城壁の向こうから襲いかかってくる人食い生物のような禍々しさはなかったから。
そこにはかわいらしい男の子の、映画画面のように大きな顔があった。
それが映像ではなくリアル三次元の存在であるというのは、立体感のある輪郭と、きょときょと動いている眼の表情で分かる。
「あ、これ、違う、違うわ。ウ●トラマンじゃない。だってウ●トラマンはのっぺらぼうにぴかぴか光る目がついてるのよ。やっぱり怪獣? 怪獣ね、あれ。えっと名前はなんだろ」
頭がパニックになっていてまともに考えることができない。私はスカートから手を離して頭を抱え込んだ。
「なんだか具合が悪そうだよ、イレーユ。大丈夫かな、これ」
また大きな声が降ってくる。ついでに、くいくいスカートを引っ張ってくる。負荷に耐えかねて、プチンとホックの外れる音がした。
その音が私の頭を、一気に現実へと戻す。こんなわけのわからないところで、スカートをうばわれてなるものか。
「ちょっと! なにすんのよっ、この変態星人!!」
私は叫んだ。
叫ぶと同時に、彼の背後にある光景が目に入ってきた。
そこには広大な空間が広がっていた。
はるか彼方に壁がある。
映画に出てくる宮殿のような、重厚な壁だ。金で彩色された白い壁は、花や鳥の模様が彫り込まれている。
壁から突き出している蜀台には蝋燭がささっているし、白い大理石でできているみたいな巨大な暖炉の上には金ぴかの時計がのっている。そして天空高くを覆う、凝った木組みの天井。
自分の心が落ちついていくのが分かった。
これはいわゆる部屋だ。そして目の前にいるのはこの部屋に似つかわしいサイズの人間。
そう。サイズがおかしいのは自分なのだ。
私はどうやら体が小さく縮んでしまったらしい。
そしてここはどうやら私の知る世界ではないようだ。
新連載です。よろしくお願いいたします。
誤字を修正しました。失礼いたしました。