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第1話 虹色の蝶 (4)

 明るい虹色の蝶を追い始めてからさらにしばらく歩いた。

 虹色に光る蝶を見てからの俺はやはりどこかおかしい。時間的感覚と空間認識がどこか曖昧になり、自分が何をしているのか、そして自分が何をしていたのかが思い出せない。いや、思い出すどころか自分が誰なのかも分からず、そしてそのことにさえも気付かず、今の状態が変だということすら思い至らないのだ。

 そんな状態の俺がはっとさせられたのは、ヒラヒラと舞っていた蝶がいつの間にかUターンしていて俺の目の前に舞い降りてきた瞬間だった。


『それで、しばらくその紫系の蝶を追ってたんだけど、ふとその蝶はその子の方へUターンしてきて、差し出した人差し指に留まったんだって』


 そこで再び俺が凰刹那であり、今朝話したエリとの会話の一部を思い出した。

 俺は条件反射的に腕を上げ、人差し指を差し出した。すると虹色に光る蝶は俺の指に確かに留まった。

 その瞬間、何かが聞こえた気がした。


 ――……………………。


 ザシュンッ


 いや、確かに俺の耳に届いていた。しかし、それとは別に俺の心がざわついていて、大事なことを聞き逃したのではないか、という気にさせる。

 だからもう一度聞こえないかと耳を澄ます。


 ザシュンッ


 ザシュンッ



 何やら穏やかでない音が聞こえてきた。

(何だろう? あっちの方から音がしたぞ)

 依然、心のざわつきの正体を突き止められなかったが、この音は音で気になる。

 音は断続的に聞こえてくる。

 怖いもの見たさだろうか。音のする方へと足を進める。徐々に聞こえる音が大きくなってきた。


 ザシュンッスパーッ


 ザシュンッスパーッ


 ザシュザシュンッシュパーッ


 この音を最後に、辺りは静寂に包まれた。

 聞こえるのは自分の足音のみである。

 音の聞こえる方へと導かれるように歩みを進めていた俺は、角を曲がったところで路地から抜けられることに気がつく。

 どうも商店街らしいことが、僅かに見える通りの様子から窺えた。

 この時初めて、すでに日が沈んでいることに気がついた。

 今は止んだ奇怪な音を不信に思いつつ、路地の外へと赴く。

 ごくりと生つばを飲み込むと、俺は路地を抜ける。


 ――視界が開けた。

   そこに見えたものは……。


(死神……?)

 目に映る情景に、この日二度目の茫然自失となった。

 そこに広がっていたのは何とも幻想的な光景だった。


 ――満月を背に黒装束を纏う少女。

   電信柱の上に佇む黒衣の少女。


 浮世離れした光景にしばし見惚れるも、俺は少女が何者だろうかとよくよく少女の様子を観察する。

 その少女は目鼻立ちが純和風な目の覚めるような美人だった。いや、顔の幼さからどちらかというと可愛いと称した方がいいかもしれない。しかしながらその精緻なつくりに無感動そうな表情には、可愛いというのは躊躇われ、可憐と言うべきか。とにかく、着物でも着ていれば大和撫子もかくやと言わんばかりに整った顔立ちをしている。

 しかし、そんな少女を飾るのは結い上げた髪に簪ではなく、肩までの黒髪ショートヘアーにメイドさんがしているようなヘッドドレスだった。ただし、赤いフリル満載の白いレースで縁取られたヘッドドレスだ。決してメイドさんではない。それが少女の濡羽色(ぬればいろ)の髪を飾っていた。

 ヒラヒラとしたその装束は襟元、裾、袖にフリルをふんだんにあしらっている。袖口は大きく開き、そこから覗くのは白魚のごとく透き通った肌の小さな手だった。赤いスカートもまたフリルで覆われ、パニエによってふんわりと広がっている。全体的にフリフリのヒラヒラだらけだ。

 スカートのさらに下は白いハイニーソックスで包まれたほっそりとした脚が伸びている。白ハイニーソは縁を大きめのフリルで飾られていた。そして、赤いスカートと白ニーソのフリルの間の僅かな肌色の空間――絶対領域と呼ばれる領域――が、現実離れした恰好をした少女を現実の存在と俺に思わしめる。

 ニーソのさらに下で少女の両足を包むのは頑丈そうな黒い編上げのブーツ。その両のブーツが少女の召物の中でも唯一異様で、いわゆるゴシックロリータなファッションをしている人形のような少女が、瓦礫の溢れかえる戦場でも闊歩するかのようなごつい印象を見る人に与える。そんな軍用のと思われるブーツをお召しになっていた。

 そして、何より少女を最も異様な存在と認識為さしめるのが、少女の手に持つその得物である。

 得物とはまた物騒な表現だが、しかし、この場合この言葉が最も穏便なのだから仕方がない。

 そう。

 得物である。

 少女が手にしているものは武器。

 それも、銃器でもなければ、刀剣の類でもない。

 いや、刀剣の類と言ってもいいのか?

 確かに刃はある。

 いやしかし、これは刀剣ではないだろう。

 なぜなら、少女が所持している得物は……。


 ――鎌なのだ。


 そう。

 鎌なのだ。

 ただの鎌ではない。

 ()()なのだ。

 まるで人の首でも刈れそうな大きさの……。

 そんな大鎌を携えた少女が、月夜の商店街に――それも電信柱の上という日常的には登らないところに佇んでいる。まさにこれを非日常というのだろう。

 ふと、少女がこちらに振り返る。

(あっ)

 目が合った。

 少女の目がわずかに開かれた気がした。

 というのも、彼女は無表情で、すでに変化の跡など一切残ってはいない。ひょっとしたら気のせいであったかもしれない。

 ふと気がつくと、瞬く間があったかどうかという間に、少女が突然大鎌を振り上げて飛びかかってきた。

(なな、なんだ! 何で襲ってくるんだ!)

 気が付いたら少女はすぐ目の前に躍りかかっていて、今まさに大鎌は刹那の首を刈り取らんと振り下ろされようとしている。

 情けなくも俺は尻もちをついてしまっていた。更に腰まで抜けてしまっていた。

(だって、仕方がないだろう。いきなり(たま)取られそうになってるんだから)

 俺は誰に言い訳をしているのだろう?

 声も出せず、ただただ大鎌が振るわれるのを待っている俺の視界に黒い影が映る。

 少女のものではない。

 もちろん振るわれようとしている大鎌のでもない。

 それはもっと小さい黒い飛翔体だった。

 それが俺に向かって飛んできていたことに、俺はこの時やっと気がついた。

 その一瞬の後、大鎌は俺の目の前を通り過ぎ、飛翔体をぶった切った。


 ザシュンッシュパッ


 何やら液体が飛び散る。

 俺の顔にもかかってきた。

(な、何だこれ?)

 切られた物体をよく見ると羽が生えていた。

 しかしそれは鳥の羽ではなく、もっと骨ばっていて、水かきのように膜が張っている。

(コウモリ……?)

 気持ちの悪さゆえに顔にかかった液体を右手の甲で拭う。

(うわっ。これ、コウモリの……血?)

 右手には赤黒い液体が付着していた。

 改めて切られたコウモリを見ると二回切られた跡があった。

 どうも一撃目では仕留め損ねたのだろう。

(さっきの音はコウモリをぶった切っている音だったのか……)

 よく見ると、電信柱の根元には、切断されたコウモリが幾ばくも転がっていた。

「貴方、どうやら一般人みたいだけど、どうやって入ってきたのです?」

(うわっ。綺麗な声。鈴を転がすような声ってこんなのなんだろうなぁ)

 緊張が切れたのか、どうでもいいことを考えていた。

 それはともかく、助けられたのだからお礼を言うべきだろう。

「いや、うん。助けてくれてありがとう。」

 言ったよ。お礼を言った。

 大事だよな、お礼を言うのって。

「そんなことはどうでもいいのです。どうやって入ってきたかと訊いてるのです」

(どうでもいいって言われた! どうでもいいって言われた!)

 いやいや、どうでもよくないぞ。

 お礼は大事だ。

 とはいえ、質問されて答えないのも失礼だ。

「どうやって入ったって訊かれてもなぁ。俺もよくわからないよ。っていうか『入る』ってどういうこと? ここって商店街だろ?」

「はぁ。貴方、何も分かっていないのですね。」

 ため息をつかれてしまった。

「いやぁ、まぁ。」

「犬も歩けば棒に当たる。これ以上変なことに巻き込まれないうちに()()()()()

「うっ、え……あ、あぁ」

(何だ? もっと聞きたいことがあったはずなんだが……)

 少女に「帰りなさい」と言われた途端に、帰ろうって気になってきた。

 俺は少女に背を向けて歩きだす。

 商店街の外へ向けて足を踏み出す。

 その瞬間……。


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