第1話 虹色の蝶 (2)
エリが不思議なことを言った直後にチャイムが鳴って、担任の矢代先生が教室に入ってきた。
ホームルームでは出欠といつもの連絡事項の後に、矢代先生が「明日、編入生がうちのクラスにやってくる」と宣われた。
もちろん、その瞬間クラスは湧いた。
俺は率先して「女子ですか? 美少女ですか?」と飛び上がって先生に捲し立てたもんだ。
だから、直前のエリの話は俺の頭の中からどこかへ飛んで行ってしまっていた。
まるで虹色の蝶が舞い、空高くへと飛び立つように。
俺の頭の中からエリの忠告は飛んで行ってしまっていた。
そうこうして編入生への話題で興奮した内のクラスではあっという間に午前の授業が消化された。
いや、嘘だ。
消化されたのは時間だけで、授業の中身はみんな先生と一緒にお帰りいただいてしまった。少なくとも俺は。
そんなこんなでお昼の時間になり、俺は悪友の護国寺大悟と弁当を広げていた。俺のはごく普通の弁当だが、大悟の弁当は三段の重箱だった。なんと驚くことなかれ。大悟はこの重箱弁当を一人ですべて平げる。大悟曰く「『身体は資本』と言うだろう。その身体をつくっているのは飯だ。しっかり食べなければ丈夫な身体はつくれない」とのことだ。いくらなんでも食い過ぎだ、と初めて聞いた時にはつっこんだものだ。
とはいえ、俺にとってはすでに見慣れた光景だ。
俺たちはいつも二人でお昼を食べる。それは、俺たちがつるむようになってからの不文律だ。
そこに購買で買ったクリームパンと紙パックのいちごみるくを持ってエリが声を掛けてきた。
「ねぇねぇねぇ。わたしもお昼一緒していい? いい?」
「お?」
「ふむ」
俺と大悟。
「おう。いいよな、大悟」
「あぁ。構わない……」
「ありがとう♪ せーくん。大悟くん」
「いやいや……」
「……ふっ」
……ということでエリも一緒にお昼を食べることになった。
「にしても、珍しいな。エリが俺たちと昼食べるって」
「うん? そうかな?」
「いつもは女子グループを転々と巡っているだろ」
「わたしだって男の子と一緒にご飯食べるよ?」
「あぁ。でも、そんな多くないだろ」
「うーん。そうかなぁ……」
「そうだよ」
「うーん。そうかもかも?」
そこまで俺とエリのやり取りを見守っていた大悟が口を開く。
「……桜綾姫は凰となら飯を共にする」
「へ?」
突然俺の名を出されて俺はびっくりしてしまった。
「……ハハ。よく見てるね。大悟くん」
「えっ? そういうことなの……?」
「えへへ……。せーくんは特別だから……」
ちょっと恥ずかしそうに照れているエリ……。
(あぁ。可愛いなぁ。……それに俺は特別だって……)
ヤバイなぁ。惚れてしまいそうだ。
(でも、俺には先輩がいるから、そんな誘惑に負けるわけにはいかないんだ)
そう、頭を振り自分に言い聞かさせる。
先輩というのは、俺が一方的に憧れている女性だ。いわゆる高嶺の花。
エリは近くの椅子を借りてきて座る。……若干俺寄りに椅子が直される。
うっ。
(露骨にそういうことをされると意識してしまうんだが……)
きっと、俺の顔は赤くなっていることだろう。
「でもでも、大悟君だってせーくんとしかお昼一緒にしてないよね」
エリも恥ずかしいのか、朱に染めた頬を擦りつつ話題を変えるかのように大悟に水を向ける。
「あぁ」
「何で何で?」
「ふっ。野暮なことは聞くな……」
エリの問いになんて答えるのか、ちょっぴり気になっていた俺だが、大悟の返答に俺は気を引き締める。
(そうだよな。俺と大悟の関係に「なぜ」は野暮だよな)
「えぇー。なんか怪しいなぁ……。ひょっとしてデキてる? デキてる?」
「ちょっ! その発想だけはやめてくれ!」
俺は慌ててエリにもの申す。
「デキてないの? デキてないの?」
「そんなじゃ決してない!」
ここは何が何でも否定しておかなければ男の尊厳が穢されてしまう。
そうここ大事。
汚れるのではない。穢れるのだ。
「ホントに⁉」
「本当だ!」
「ホントにホント?」
「本当に本当だ。俺は女の子大好きだから!」
「うん。知ってるよ♪」
「だから、そんな不埒な妄想は二度としないでくれると助かる」
「うん。分かった♪」
物わかりのいいエリは大好きだ。……とはいえ物わかりがよすぎる気もする。ひょっとしたら分かっていてからかわれたのか……?
「でもでも、今まで聞いたことなかったけど、せーくんと大悟君の馴れ初めは気になるなぁ。二人はどんなふうに仲良くなったの?」
姫百合学園の購買の質はかなりいい。クリームパンも人気があって、モチモチふわふわな生地に上品なカスタードクリームが包まれていてかなりおいしいと評判なのだ。
そんなクリームパンを齧りながらエリは俺たちの関係に興味を持ったようだ。
「俺と大悟の馴れ初めかぁ」
俺と大悟は外部から姫百合学園高等部に進学した、いわゆる入試組だ。そして、入学した一年のときクラスが一緒になり、そこで俺たちは出会ったのだ。
「まぁ、それこそ野暮な話ってやつかな。なぁ」
大悟の振る。
「あぁ。野暮だな……」
短く答える大悟。
大悟は余韻の残るような喋り方が特徴的だよな。
「うーん。うーん。何か釈然としないなぁ……」
「男の友情に余計な言葉は要らない……」
「男の友情かぁ……。女のわたしにはまだよく分かんないなぁ」
大悟の言葉にエリは腕を組んでそう言った。
そう。そんな感じで大悟は渋い男なのだ。余計な詮索や干渉はしない。その男としての気遣いが大悟は上手いのだ。そういうところが同じ男として憧れる。だからっていうのもあって、俺は一年のときからよく大悟とつるんでいる。それが今まで一年以上続いているのだ。
「余計な言葉は要らない、かぁ……。アイコンタクトとか?」
「うーん。そういうこともある、かなぁ」
「あぁ。そうだな」
「ふぅーん……。でも、そういうのも何だかいいね。いいね」
「だろ? これが男の友情だぜっ」
「ふっ。そうだな……。男の友情だ」
「あはは。うん。いいね」
そこで、ふと大悟が箸を休めて俺に水を向ける。
「ところで、鳳よ」
「うん? 何だ?」
「馴れ初めとは、恋仲の男女に使う言葉だっていうのは、理解してるか?」
「……へ? そうなのか?」
「うん、うん。そうだよそうだよ」
「うわっ。そうなのか。知らなかった……。というか、何で早く教えてくれなかったんだよ」
「いや、なに……。ここは空気を読むところかと思ってな」
「そうだね。ナイス空気読みだったよ、大悟くん」
クリームパン片手に大悟に向けて親指を立てるエリ。てへペロ。
「いや、そこは空気を読まずに教えてくれよ。恥ずかしいだろっ」
「アハハハ。せーくん恥ずかしがってる。恥ずかしがってる。かーわいいー」
俺は赤面する。
(もう止めてくれよな。そういうのは……)
二人に――主にエリにだが――からかわれる俺だった。
「そう言えば、さ。この学園にはせーくんの幼馴染さんが通っているんだよね? だよね?」
「うん? ……あぁ。そうだな。よく知ってるな」
「えへへ。どんな娘なのかな? どんな娘なのかな? 今度紹介してよ!」
「えっ? ……うーん……」
確かに俺の幼馴染もこの姫百合学園に通っている。しかも隣のクラスに。名前を風谷敷六花という。
(しかしなぁ……。受験勉強してる辺りからかなぁ……なんか避けられてるような気がするんだよなぁ……)
そんな訳で、俺も何度か声を掛けに行っていたのだが、どこか嫌そうな、困ったよう顔をして俺とは顔を合わせたがらない。そんな態度を取られ続けている。
(俺が何かしたのかなぁ……)
そんな覚えは全くないんだが……。
六花の態度に、何回かはアプローチしてみたのだが、気まずくなって最近は顔を合わせることすら滅多にない。声を交わす機会はさらに減っている。
「……機会があったらな」
と、エリの希望にも歯切れの悪い返答しかできない。そんな返答しかできないことと、六花との気まずい関係に対して今の俺は居心地が悪かった。
「ふーん、そっか……。なんか気まずそうだね? 気まずそうだね?」
「うぐっ」
さすがはエリ。鋭いな……。
「でも、大悟君だったらここは詮索せずに黙って見守ってるんだろうね」
エリは大悟を横目で見る。
「そうだな。それが男というものだ……。鳳がどうにかしたいと思っているなら、いずれ自分の手で何とかするだろう。その時俺の力が必要なら手を貸す。ただそれだけだ……」
「あはは。そうなんだね。そうなんだね。男の友情だぁ」
「……いや。わざわざ言うようなことでもなかった……」
苦笑を洩らし、余計なことを口にした、とかっこいいことを言っていた。
それを聞いて、改めて大悟はいいやつだとしみじみ思った。
(俺も、大悟の友情に応えられるだけの男になろう!)
そう心に思い、六花とのこともなんとかしなければ、と決意を新たにした。
「……うーん。でも、じゃあ、紹介はしばらくしてもらえなさそうかな?」
「うぅーん。悪いな。エリ」
俺は両手を合わせてエリに謝る。
「んーん。いいの。仲直り頑張ってね。応援してるよ♪」
首を横に振り、気にしてないと言い、応援の笑顔をプレゼントしてくれるエリ。
うん。癒される、いい笑顔だ。エリの応援に応えるためにも頑張ろう。
「そうそう。それから、わたしにもできることがあったら教えてね。お手伝いするから!」
さらにはそんなことまで言ってくれるのだった。
(本当にエリはよくできた娘さんだなぁ。お嫁さんにしたくなるくらいだ)
だが、ここはぐっと自分を抑える。
先輩を裏切るわけにはいかないからな。
とは言っても、先輩とは何も無いので裏切るも何もないのだが……。トホホ。