『遺品』
【登場人物】
間宮さゆり自殺した高校生。享年十六歳。
* * *
平田眞緒マオ。高校二年生。さゆりとは中学が同じだった。
井上公佳キミカ。マオの同級生。
朝長万葉ハナ。同右。
* * *
間宮しづ子さゆりの母親。
* * *
【第一幕】
晩秋。
色が抜けたような街の風景。(雑踏の音)
信号機。(「とおりゃんせ」)
交差点。
駅ビル。
信号待ちの自動車。
マオ〈さゆりが死んだ〉
さゆり画。
マオ〈自殺だった〉
壁の落書き。
破られたポスター。
駅を通過していく特急。
急ぎ足に歩く見知らぬ他人たち。
マオ〈遺書らしきものは見つかっていないらしい。
警察はイジメの可能性を探っているようだが、例によって学校側の反応はニブい。
結局、原因はわからないままということになった〉
決意を秘めたマオの顔。
マオ〈私は、それを信用していない〉
昼下がりの住宅街。
制服姿の女子高生たちが歩いてる(マオ・キミカ・ハナ)。
ひとり先頭を行くマオ。
他の二人より数メートルは先を歩く。
その後ろ姿に、キミカが呼びかける。
キミカ「ねー、マオぉ。やめとこうよ……」
ハナ「(キミカに便乗して)そうだよぉ。マオが何とかしたいっていう気持ちになるのは判るけどさぁ…」
キミカ「ウチらにできることなんて何もないって」
ハナ「警察も学校もイジメはなかったって言ってんでしょ?」
マオが立ち止まり、二人を振り返る。
思いの外厳しい表情にキミカらはたじろぐ。
マオ「あんなの信用できない。警察はどうせまともに調べないし、学校は隠したがるに決まってんじゃん」
ハナ「だったら……」
マオ「(ハナを遮るように)母親が何か知ってるかもしれない」
再び歩き出すマオ。
キミカとハナは一瞬たじろぐが、置いていかれまいとしてマオを追いかける。
キミカ「あっ。ちょっと待ってよマオ!」
【第二幕】間宮家に辿り着いた三人。
一見、ただの民家だが、郵便受けには新聞やその他の配達物が突き刺さったままになっている。
中途半端に開いた前門に立ち、建物を見上げるマオ(心霊音)。
あとの二人もすぐ後ろでそれを伺う。
キミカ「……ホントに行くの……?」
この期に及んでまだ文句を言うキミカ。
ハナも同意見のようで、キミカに同調して頷き気味にマオを見る。
マオ、構わずにインタフォンを押す。
反応はない。
顔を見合わせる三人。
さらに暫く待つと、女の声が返ってくる。
母親「(か細く、上ずった声。どこか上の空)はい、どちらさまですか?」
マオ「……あの、私、さゆりさんの中学の時の同級生で……えっと、佐々木っていいます……」
……返答がない。
三人、困惑の表情。
不自然なくらいの間が空き、声がする。
母親「……どうぞ。開いてますから……」
三人、顔を見合わせる。
マオ「あ、じゃあ……おジャマします」
引き戸を開けて中に入る。
暗い。
まだ昼間だというのに、この空間だけが異次元のように暗い。
マオ「おジャマ、しまぁす……」
改めて訪う。
母親の姿は見えない。
暗さに目が慣れてくると、正面に伸びる廊下が右へ折れるところ、そこに母親が立っているのが判る。
マオ「はっ……」
幽鬼の如き姿の母親に、キミカとハナは思わず小さく悲鳴をあげる。
キミカ・ハナ「ひぃ……」
母親「いらっしゃいませ……」
戸惑いながらもマオが切り出す。
マオ「あの、突然すいません。私、高校は別なんですけど、中学校まで、さ、さゆりさんと一緒で……」
母親「(家の奥の方を差しながら)どうぞ…仏壇がありますので……」
物静かだが、有無を言わせぬ雰囲気。
三人、仏間に向かう。
【第三幕】仏壇のある部屋。
さゆりの遺影。
線香立てに一本。
マオが先頭で焼香する。さゆりの遺影に目を遣る。
写真の中の少女の陰鬱な表情。
マオ「(キミカに場所を譲りながら)ほら、キミカ……」
キミカ「あっ、ああ、ハイ……」
マオ、少し離れたところに座っている母親のほうを見る。
母親「……(聞き取れない声で何事かつぶやいている)」
マオ「(うわぁ、この母親……)」
ハナ、続いて焼香する。
* * *
母親が三人に茶を出す。
軽く頭を下げて、謝意を表すマオ。
キミカ「……お茶っスか?ファンタとかないスかね」
ハナ「いいから黙って頂きなさいっ!」
キミカ「カフェイン苦手なんだよね私」
ハナ「コーヒーじゃないんだから……」
キミカ「お茶入ってんべ?カフェイン」
ハナ「え?そうだっけ?」
マオ、二人のやりとりを呆れたように見ている。
やがて母親に向かって口を開く。
マオ「あの、お母さん、」
母親「(唐突に話し出す)身体が弱くてね……」
女子トークしていたキミカ・ハナ、ぎくっとしたように母親を見る。
母親「(独り言のように)…ずっと運動もできなくて…勉強ばかりしていて…」
マオ「お母さん、さゆりさん、イジメられてました?」
ハナ「ちょっと、マオ……」
母親「(ようやくマオの顔を見て)そうだ、昨日買ってきたマロングラッセがあるんですよ。
平田さんはお嫌いですか?マロングラッセ……」
会話が成立しない。
マオ〈壊れてる、完全に〉
母親、再び何事かつぶやいている。
マオ「お母さん、さゆりさんの部屋、見せてもらえませんか?」
母親、顔を上げる。しかし視点は一向定まらない。
母親「ええ、どうぞ……どうぞ。ご自由に……。
……二階には、あの子が使っていた部屋しかありません……」
* * *
二階のさゆりの部屋。
壁の一面を占める本棚に書籍がびっしり埋まっている。
母親「…そのままにしてあるんですよ。あの子が使っていた、そのままに…」
気後れしている三人に向かって言う。
母親「……遺品など、良かったらお持ちになってくださいね。
その方があの子も……喜ぶでしょう」
マオ「いえ、私たちは……」
母親「ごゆっくり、どうぞ……」
母親、去っていく。
三人、無言で立ち尽くす。
真っ先に気を取り直したマオが二人へ向き直る。
マオ「…探すよ」
ハナ「(訝しげに)何を?」
マオ「なんかしら日記の類。あの子そうゆうの書いてそうじゃん」
キミカ「あー、めっちゃ書いてそう」
ハナ「そんなの探してどうすんの」
マオ「ウチらのこと書いてあったらヤバいっしょ」
ハナ「アンタ、最初からそのつもりで……」
マオ「当たり前でしょ?故人の思い出を偲びに来たとでも思ってた?」
キミカ「でもそんなのあったら警察が見つけてるんじゃないの?」
マオ「証拠もないのに家なんか調べないって。ウチらんとこにおまわりもセンセも来ないんだから、だれも何も知らないってこと」
ハナ「だったらほっといてもいいんじゃないの?」
マオ「アンタほんとバカだね。母親が娘の遺品を整理してる時に見付けたらどうすんの」
ハナ「ああ……」
マオ「(捜索を再開しながら)……あの様子だと、まだ何も知らない……それどころじゃないって感じだけどね。だから探すの。
不安の芽は早めに……摘んどくの」
* * *
間宮さゆりイジメを苦にして自殺した。小説家になる夢があった。享年十六歳。
* * *
平田眞緒マオ。高校二年生。さゆりをイジメていた張本人。父親は医者。裕福で、容姿も美しいが、自分以外の他人は全員アホだと思っている。
井上公佳キミカ。マオの同級生。マオのターゲットになりたくないがゆえにイジメに加担していた。
朝長万葉ハナ。同右。
* * *
間宮しづ子さゆりの母親。娘が自殺して以来、すっかり世捨て人のような生活を送っている。
【幕間①】小学校の校庭。
男女数名がボールで遊んでいる。
活発な動きで特に目立つ少女がいる。
ショートヘアに派手な彩色の髪留めで人目を惹く美少女だ。
一方、片隅のベンチに座って本を読んでいる少女が一人。
地味な顔立ちに、見るからに重たそうな長髪。
小学生が読むにしては難解な書物を読んでいる。
ボールがベンチの地味っ子の足元に転がる。
ショートヘア『あァ、ゴメーン、ありがとー』
それを取りに来たショートヘア美少女が声をかける。
ショートヘア『さゆりちゃんもたまには一緒に遊ばない?運動しないとカラダなまっちゃうぞ!』
地味っ子、おどおどした様子で首を振る。
地味っ子『お、お母さんに、は、激しい運動は、だ、ダメって、い、言われてるから……』
ショートヘア『そうなんだー。(本に目を落とし)さゆりちゃんっていっつも本読んでるよね。好きなんだ?』
地味っ子『……しょ、小説家になるのが、ゆ、夢だから……』
ショートヘア、ちょっと驚いた表情。
地味っ子、恥ずかしそうにしている。
なんでこんな、訊かれもしないことを喋ってるんだろう、私は?
ショートヘア『……そうなんだ?スゴイね!』
はにかんだ笑みを返す地味っ子に手を振り、ショートヘアは遊びの輪に戻っていく。
それを見送る地味っ子は、臆病な笑みを浮かべている。
背を向けて走っていくショートヘア。
次第にその表情が明らかになる。
冷たく、人を見下した表情。
独白《何が小説よ》
地味っ子、弱々しくも優しい表情で読書に戻る。
独白《……アンタみたいな貧乏人に何ができるのよ》
地味っ子、訊かれもしないことを喋ってしまったのを後悔しつつも、面と向かってバカにされなかったことにとりあえず安堵している。
……友達になれるかもしれない。でも、平田さんはとても人気のある子だし、私なんかじゃ無理かな……。
* * *
マオはこんなやりとりのことはそれ以来すっかり忘れていた。
【幕間②】とある中学校の休み時間。
教室。皆が思い思いにはしゃいだりおしゃべりしたりしている。
一つの机に数人の女子が集まっている。
中央にいるショートヘアの少女は、周囲の誰と比べても明らかにルックスレベルが数段上だった。
本人にもその自覚は多分にありそうだ。
取巻き①『え、なになに?』
取巻き②『ダレダレ?』
取巻き③『え?またもらったの?』
ショートヘアが持っている手紙が話題の中心のようだ。
取巻き④『マオ、スゴくない?……今週だけでもう……五通目だよ?』
ショートヘア、極く面倒くさそうに宛名を読む。
ショートヘア『三組バスケ部の三宅……ってダレ?』
取巻き②『えー?マジで?だってあの人カノジョいんじゃん!』
取巻き①『もう!マオ、全部持ってっちゃうの?』
当の本人はまったく興味がなさそうだ。
ショートヘア『(悪戯っぽく笑いながら)これ、掲示板に張り出しちゃおっか。そしたらもうこんなことしてくるヤツいなくなるでしょ』
取巻き②『……それはちょっと、ヒドくない?マオ……』
ショートヘア『だから、知らないって。告白したいんなら直接言えばいいでしょ』
ショートヘア、手紙を丸めて無造作に捨てる。そもそもその手紙は封を開けられてさえいなかった。
ショートヘア『こんなもん書いてくるヤツなんて、どーせまともに 女も知らないクソ童貞でしょ』
級友たち、絶句する。
投げ捨てられた手紙は、後方の机で本を読んでいた女生徒の頭に当たって床に落ちた。
ショートヘア、立ち上がって気怠そうに伸びをする。
ショートヘア『あ~あ。なンか面白いことないかなー』
手紙を投げ付けられた地味な黒髪ロングの女生徒は、話が聞こえていなかったわけではなかろうが、表面上は知らぬ顔をしている。
廊下を我が物顔で歩いていくショートヘア。彼女の周りには常に取巻きの女子がいる。彼女はその全てをガキ扱いしてバカにしている。
独白《どいつもこいつも低脳。吐き気すらする。
こんなくだらない連中、存在する意味……あんの?》
ショートヘア美少女、退屈そうな笑顔を振りまく。
* * *
中学の三年間でさゆりと喋った記憶はマオにはない。そもそも、さゆりが同じ学校にいたという記憶すらない。
【幕間③】アンティーク調度の喫茶店。
店内に客は数人。
周囲の人目にもかかわらず、制服姿で堂々とタバコをふかしている女子高生がいる。
顔の輪郭に丁寧に切り揃えたショートヘアが印象的な、見目麗しい美少女だ。
椅子に片膝を上げ、行儀の悪いこと甚だしい。
片手のケータイを相手にしきりに何事か文句を言っている。
ショートヘア『くっそ、マジかあのクソカス……!ざけんなよ。何秒待たすんだよ、クソが……!』
他の客や従業員は、そんな彼女を見て見ぬ振りをしている。
ショートヘア、とある客の方をチラと見遣る。
サラリーマンと思しき男性二人組。
彼らを確認すると、ショートヘアは紫煙をふうと吐き出し、乱暴な仕草で吸い殻を灰皿に叩きつける。
悠然とした動きで席を立つと、輝くような笑顔で二人組の方へと歩み寄っていく。
オドオドするサラリーマン二人組。
ショートヘア『(甘い声で)おニィさんたち休憩中?それとも……サボってんの?』
サラリーマンA『(デレっとして)両方……かな』
サラリーマンB『バカ、おまえ、やめとけって……!』
ショートヘア『(さらに輪をかけた甘い声で)あたしぃ、今日スッぽかされちゃったみたいなんですよぉ。ヒドいと思いません?
もう十二分も待たされてるんですよぉ?」
ショートヘア、やおら三本指を見せる。
ビクッ、とする二人組。
二人まとめておっきいほう三枚でオーケイ、という意味だ。
ショートヘア『……カラオケ行きたいなー、あたし♥』
サラリーマンB『(急に立ち上がって)マスター、勘定!』
サラリーマンA『ぅおおいっ!』
漫然と微笑むショートヘア。
独白《意味なんてない。私がやることにも、やらないことにも。何も。
荷物を持たない私はだから……最強なんだ》
* * *
高校生になるころにはマオは、世間に対する自らの身の処し方を完璧に把握するようになっていた。
すなわち世の中には二種類の男がいる。
自分が関わりを持つべき男と、そうでない男。
【幕間④】駅付近。
多様な人々が行き交う。
公衆電話のすぐ隣に、退屈そうな女子高生三人組が居座っている。
何をするでもなく、他愛のない話を脈絡なく続けている。
いかにも時間とエネルギーを持て余している様子だ。
ヒラメのような顔をしたセーター姿の一人が言う。
ヒラメ顔『……いい男いねえの?この街……』
それを受けて、手足の短いピグミーじみたのが応える。
ピグミー『ほんとそれな。フツーナンパするっしょ。こんな美少女たちがヒマそうにしてたら……』
ヒラメ顔『バカてめぇ、ナンパしてくるヤツにまともな男いねぇって』
ピグミー『ナンパ待ちしてるヤツにもまともな女いねぇって』
二人して下品に笑う。
聞いているのかいないのか、ショートヘアのスリムな美人がつぶやく。
ショートヘア『(携帯をいじりながら)ウリとかやってみるか?アンタら』
ヒラメ顔『(不満気に)えー、なんでウチらだけなの?アンタやんないの?』
ショートヘア『(興味なさげに)私に値段付けれるような男、この街にいないっしょ』
ヒラメ顔『出たよ、エリザベス発言』
ショートヘア『(溜息混じりに)あーホントつまんない。戦争でも起きないかなー』
そこへ、一人の少女が通りがかる。
長すぎる前髪が見るからに鬱陶しい、いかにもネクラそうな少女だ。
ショートヘアがそれに目をつける。知っている顔だ、と思ったのだ。さしたる確信もないまま声をかけた。
ショートヘア『……間宮?』
ネクラはびくり、と動きを止めるが、こちらを見ようとはしない。
ショートヘアは機敏な動きで立ち上がり、ネクラの行く手を遮るようにして先回りした。
ショートヘア『……間宮、さゆり、だよね?』
無遠慮にネクラの伏せた顔を覗き込む。
ショートヘア『あー、やっぱりだ。あたし。覚えてる?
ガキんとき一緒だった平田。ひらた、まお』
明け透けのない笑顔でショートヘアが話しかける。
ようようネクラが顔を向けるが、その表情には確かに、
独白
侮蔑の色が浮かんでいた。
独白《……その顔は》
* * *
それが始まりだった。
【第四幕】主のいない部屋。
家探ししているマオ・キミカ・ハナの三人。
引き出しという引き出しは開け放たれ、ベッドの上の布団はもとより床に敷かれたカーペットすらもその片隅をめくり返されていた。
望みのものは見つかっていないようだ。
マオ、窓際でタバコを吹かしている。
マオ「(ぽつり、と )……新しいおもちゃだったんだよ」
他の二人、作業の手を止めてマオを見る。
マオ、タバコを窓から投げ捨てる。
二人を振り向く、思いつめた表情のマオ。
マオ「だってそうでしょ?あいつはウチらの新しいおもちゃだったんだよ。しばらくはヒマ潰しできると思ってたのに、勝手に死にやがって……」
マオの目には憎しみが宿っている。
死してなおさゆりはマオをイラつかせているらしい。
しかし、その怒りを向けるべき相手はもう手の届かない場所にいる。
ハナ「『ウチら』って……」
キミカ「(立ち上がって)わ、私はあの子のこと、何も知らないし……」
マオ、キミカを睨む。
マオ「キミカ、あんた、『何もしてない』なんて言わせないよ?」
キミカ「(マオの方を見ることができない)あ、アンタがやれって言うから……」
マオ、キミカににじり寄って睨みを利かす。
マオ「そんなこた今どうでもいいんだよ!
大事なのは誰かに言われたからとか自分から進んでやったからとかじゃなくて!
ウチら三人は共犯だってこと!
ウチらは三人であいつを殺したの。
自殺に追い込んだの。
あんたらの手も血で真っ赤に染まってんだよ。
今さら私一人を悪者にして自分だけいい子ちゃんでいようなんて虫が良すぎる。
そんなの、ぜったい……許さないよ?」
黙り込むキミカ。
キミカ「……ごめん、そ、そんなつもりで言ったんじゃないの……」
マオ「(にっこりと笑って)さ、探そ?」
キミカ「う、うん……」
マオ「遊んだ後は、ちゃんと後片付けしないとね……」
キミカとハナ、そそくさと作業に戻る。
【第五幕】いいほど探したが、日記及びそれに類するものは見つからず仕舞いだった。間宮さゆりは日記などつけていなかった。そう結論付けて、マオは無理にでも自らを納得させようとする。
多少荒らした痕跡は残るものの、部屋の様子を最前と同じ状態に戻して一息をつく。
なにか、不安だ……。
マオの本能が告げているのだ。私は何かを見落としている。
ハナ「もー!なんも見つかんないよ!」
キミカ「(時計を見て)ああ、もうこんな時間だ。帰んなきゃ……」
ハナ「ね、マオ。もういいでしょ?これだけ探して見つかんないってことは、最初からなかったってことだよ」
マオも同じ意見だ。というか、見つからない以上、そんなものは存在しないということだ。少なくともこの部屋には……。
マオ「ここにないからって、あいつが何かを書き残してないっていう証拠にはならない」
ハナ「(うんざりして)マオ、」
マオ「……わかったよ。もう帰ろう。長居しすぎた」
明らかにホッとするキミカ。
その背後、襖の隙間にカメラが寄る。
(母親が三人を窺っている……?)
さしものマオも諦めた。というか、単純に疲れていた。
部屋を出て階段へ向かう三人。
キミカ「オジャマっしたー」
ハナ「おかーさんどこいった?」
キミカ「てゆうかハラが減ったのでマクドに寄りたいと思う。マジで思う」
ハナ「(つっこみ)なにそれ」
気楽な二人とは裏腹に、浮かぬ表情のマオ。
と。廊下のダンボールの上に、文庫本ほどのサイズの小振りなノートが置かれているのに気付く。
マオ「……えっ」
ハナ「ん?」
キミカ・ハナ、こちらへ振り向く。
ハナ「どした?マオ」
しゃがみこんでノートに手を伸ばすマオ。
マオ「こ、これ……」
表紙には一言。「DIARY」とだけ書かれている。
マオ「あった……!」
これがそれだ。
そこには全てが書かれていた。
【幕間⑤】間宮さゆりの日記
……今日もあいつらは駅に屯していた。あいつ、あの愚かな平田眞緒。およそ文明人の資格のない無価値な輩。
天は自らを助ける者を助く。あのような下賤の者を救うような神は存在しない。神とて暇ではなかろう。
駅前のロータリー。
マオ・キミカ・ハナの三人が、さゆりの前に立ちはだかる。
威圧する目でさゆりを睨むマオ。
恨めしそうに睨み返すさゆり。
キミカ「てめーコラ。ちょっとこっち来いよ。あん?」
ハナ「今日も相変わらずもっさいねー、あんた」
人気のない公園。公衆トイレに連れ込まれるさゆり。
バケツを手にするキミカ。
全身がずぶ濡れになっているさゆり。
それを見てせせら笑うキミカとハナ。
キミカ「おいおいおいおい。海水浴のシーズンじゃねぇぞ~?」
ハナ「あんた、なンかクサいからちょうどいいよ。これでマシになるんじゃないの?……キモいのはどうしようもないけどね」
目を伏せて、小刻みに震えているさゆり。
その震えは深まる秋の寒さによるものだけではない。
マオが、楽しくてしょうがない、というように嗤う。
マオ「あっはっはっはっ。水も滴るいいオンナってか。よかったねぇ?さゆり。これであんたも少しはモテるようになるんじゃないの?」
水に濡れた重苦しい前髪からさゆりはマオを睨め付ける。
その目。恨み。憎しみ。
マオ「……なワケないか。こんなキモいヤツ」
……平田眞緒が私の髪が臭いと因縁をつけてきた。
貴様の匂いの方が余程耐え難い。
貴様、などという言葉を使うべきではないだろう。
尊くもなければ、様を付けてやるほどの者でもないのだから。
あのような者は精々ただの愚か者だ。愚か者は愚か者として生まれ、愚か者として育ち、愚か者としてのみ在る。
私が相手をしていないことに、あの阿呆はまだ気が付いてないのだろうか?
蚤は象の巨体に執着する。象は一介の蚤になど注意を払わぬ。
【幕間⑥】街中の地下駐車場。
時間帯によっては人気がまるでない。
マオがさゆりの携帯電話を取り、勝手に自分の番号にかける。
マオ「おまえさ、キモいからさ、たまにウチらが呼び出して『キモい』って教えてやんよ」
自分の携帯をいじられても、さゆりは異を唱えるでもなく黙っている。
マオ「え、あんたの番号これ?スゴいね、番号もキモいんだねー」
マオ、さゆりの胸ポケットに携帯をねじ入れる。
マオ「はい。これでよし。よかったねー。マオちゃんの番号なんて、そうそう手に入んないよ~?」
キミカ「男子の間じゃマオの番号一つに五千円の値がついてるんだよ?」
ハナ「ないない(笑)。それはない(笑)」
マオ「ねぇよ。もっと高ぇよ(笑)」
マオたちの狼藉にただただ沈黙を以って応えるさゆり。
マオ「わかってんな。呼び出したら五秒で来いよ。一秒遅れるたびに百叩きだぞ」
ハナ「逆にメンドクセェだろ、それ」
さゆり、部屋でひとり、携帯をへし折る。
平田眞緒に無理やり携帯の番号を登録された。
私があの愚物に付き合わされる謂れはない。
罪人は罪人の中に。
自らの生まれながらの罪悪に塗れて地の底を這いつくばって生きていればいい。
いや。
知性と教養を持ち合わせぬ者は最早それだけで罪だ。
死ねばいい。
自分が阿呆な男どもに持て囃されるのが余程の自慢らしいが、そうであるならあの女は愚かなだけでなく売春婦でもあるというわけだ。
饐えた匂いを放つ獣のような情欲に当てられ続けて脳がすっかり梅毒に侵されているのだろう。
もうこの携帯は解約しよう。……
【幕間⑦】いつも持ち歩いてるライターに火を点け、さゆりに迫るマオ。
何かを超越しているかのような目で、ただ黙っているさゆり。
マオ「おまえさ、はっきり言ってい?ムカつくわ」
一言も言い返そうともしないさゆり。
マオ「おい。コラ。キモオタ。なんとか言えよ。燃やしちゃうぞ。
燃・や・し・ちゃ・う・ぞ」
ひたすら黙っているさゆり。
ライターの火で髪を一部焼かれた。
今、その部分を自分で切って揃えた。
平田眞緒は自分の愚かさにさえ気が付かないような哀れな罪人だ。
この私がまっとうに相手をしてやるほどの価値もない。
全く平田眞緒などは歩く恥そのものである。
【幕間⑧】キミカとハナも、日常的にさゆりに暴力を振るっていた。
マオに劣らずヒドいヤツだ。
事あるごとに殴る蹴るの暴行を加える。
もちろん、非物理的な言葉に依るパワハラはもっと酷かった。
キミカ「あんたさぁ、鏡見たことある?ぶっさいくだよねぇ~。
目はほっそいし鼻は潰れてるしエラは張ってるし……私だったら生きてけないね」
ハナ「一生オトコできないだろうね、あんた。
こんなの相手するような酔狂なヤツ、ニシローランドゴリラくらい希少価値あんぜ」
……今日あの阿呆の平田眞緒といつも一緒にいる、平田眞緒に輪をかけて愚鈍な井上公佳と朝長万葉に殴打された。
井上は私の顔を七回殴ったし、朝長は私の下腿を十四回蹴り飛ばした。
あの者どもは三人合わせたって私の脚の指一本にも劣る愚物だ。
しかし私は平静を保つべきだ。
大丈夫、大丈夫。
私は大丈夫。……
【幕間⑨】
さゆり、泣きながら自室で日記を書いている。
上顎の犬歯および第一 小臼歯あたりがぐらつく。
今鏡を見てみたら殴られた左頰あたりが痣になっていた。
大きめの絆創膏を貼って誤魔化さなければ。……。
……鼻血が止まらない。
骨が折れているかもしれない。……
……殴られた胸が痛い。……
ボールペンで刺された太腿の傷が思ったより大きい。……
平田眞緒を殺す事しか考えていない。
あいつは、私に殺されてしかるべきだ。
私が殺さなくても、いずれ誰かに殺されるだろうが……
冷静さを保つにも限界というものがある。
私がいつなんどきでも聖人君子で居られるわけではないということを思い知らせてやる必要があるのか?
あんな愚か者のために?……
あの女は、死ぬべきだ。
【第六幕】間宮家を辞し、手頃な公園でマオはさゆりの日記を読んだ。難しい漢字と言い回しが多く、理解できない部分も多々あったが、とにかくここにはマオがさゆりに対して行った事柄の逐一が記されていた。
一級品の一次証拠となりうるだろう。
キミカ「(マオの隣で日記を見ながら)……なにコレ……」
ハナ「あいつ、マジでイカレてたんだな」
キミカ「……日本語?コレ。全っ然読めないんですけど」
ハナ「あ、そこですか……」
マオ立ち上がる。
ハナ「……マオ、」
日記を持つ手が震えている。
マオ「(静かに、怒りをためて)……なにがムカチなヤカラだよ……」
びりっと日記のページを破る。
マオ「ふざけるなッ……なんであいつが上から目線なんだよッ……!」
ハナ「(マオにビビりながらも)あ、そこですか……」
マオ「ワケのわかんねぇことごちゃごちゃ書きやがって!このクソがっ…!この手で絞め殺して……やりたいッ…!自殺なんて生ぬるいッ…!」
日記帳を両手で掴み、真っ二つに引き裂く。乱暴に地面に叩きつける。
キミカ「(うわぁ……こいつマジでクソだ……)」
マオ「(洗い呼吸)はぁはぁ……」
ハナ「(醒めた口調で)…何言っても無駄だよ。あの子はもう、死んだんだから」
キミカ「ちょ……ハナ」
ハナ「あの子はもうマオの手の届かない所に行っちゃったの。マオにはもう何もできないよ」
マオ「……ハナ。何?あんた、前歯へし折られたいの?」
ハナ「やりたきゃやんなよ。私、もういい。ウンザリした。あんたにはもう付き合いきれない」
マオ「今さら逃げられると、」
ハナ「(鬱憤を爆発させて)思ってないよ!どこに逃げんのさ?
私たちはあの子を殺した。
こんなこと許されるわけない!報い受けて当然なんだよ!
(若干トーンを落として)……私だって捕まりたくないから警察に言うつもりはないけど、でも、罪悪感は一生背負っていかなくちゃなんない。
(感情をさらけ出して)私たちはさゆりを地獄に突き落とした!
今度は私らが地獄に落ちる番。逃げる場所なんてどこにも!
……ないよッ……!」
キミカ、無言で趨勢を見守る。
マオ、怒りを秘めながらも、静謐を保つ。
それぞれ、帰途につく。
【第七幕】駅のホーム。
仁王立ちで電車を待つマオ。
目をきつく閉じ、苛立ちと動揺に小鼻を膨らませながらも、上辺の平静を保っている。
マオ〈日記は押収した。
差し当たっての心配はない。
大丈夫。
……だけど。〉
目を開き、スマホを取り出す。
誰かに電話をかける。
某「(ほい)」
マオ「(前置きもなしにいきなり)ハナっていんじゃん?」
某「(おお、俺の愛しのハナたん?)」
マオ「うん……まぁ、それは、どうでもいいんだけど」
某「(ああ)」
マオ「……あいつやっちゃっていいよ」
某「(ほう。マジで?いいの?トモダチだろ?)」
マオ「いや、うん、いいんだよ」
某「(ふ~ん。ま、俺にゃ関係ないけどね)」
マオ「……(ため息)」
某「(どんくらいやっちゃっていいの)」
マオ「……殺さない程度なら。うん」
某「(なるほど。ステキやね。おっけ。ワカッた。すぐやるよ)」
マオ「うん……」
某「(ちなみに、だけど)」
マオ「うん?」
某「(理由は?)」
マオ「理由?(ため息とともに↓)そうね……
(充分間を取って)
逆らったから。」
ホームに入ってくる電車。
何の気なしにそちらを見ているマオ。
ほとんど無意識のうちにマオはタバコを取り出し、火をつける。
気を落ち着けるように殊更ゆっくりと煙を吸い込み、吐き出す。
イライラする。ひたすらに。
マオ〈ムカつくヤツらばっかりだ……死ねよ……どいつもこいつも……〉
ホームへ昇る階段。
線路上の信号機。
マオが手に持ったままのタバコ。
ふ、と、何がかマオの脳裏を過る。
スピーカが列車の到着を告げる。
アナウンス『まもなく五番乗り場に列車が到着いたします……』
線路。
ホームに進入してくる列車。
売店。
何かを考えているマオ。
タバコはどんどん灰になっていく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母親「……昨日買ってきたマロングラッセがあるんですよ」
マオ、重要なことに気付く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母親「平田さんはお嫌いですか?マロングラッセ」
マオの背中。
マオ「……あの、私、さゆりさんの中学の時の同級生で……えっと、佐々木っていいます……
・・・・・・・・・
(繰り返し) 佐々木っていいます」
ホームの支柱。
線路。
迫ってくる特急。轟音。
燃え尽き、フィルターだけになったタバコ。
・・
それに気が付いたマオ。
マオ〈……知ってた〉
マオ「……あの母親……全部、気付いてる……?」
目を見開くマオ。
構内アナウンスが特急の通過を告げるが、何も耳に入っていない。
アナウンス『三番乗り場、ご注意ください、特急列車が通過いたします……』
コンマ一秒ほど、マオは周辺への注意を怠った。
殊に、背後への注意を。
冷たい汗が脇の下を伝うのを感じる。
何かの気配を感じた。
マオの背後に、いつの間にか母親が張り付いている。
母親「ひらた、まお、
さん」
すぐ耳元で囁く声がした。
息を飲んで振り向くのと、母親が勢い良くマオに抱きつき、ホームから自分もろとも飛び降りるのがほぼ同時だった。
十メートルも落下したのではないかと思える一瞬の浮遊感ののち、マオは硬いレールにしこたま全身を打ち付けていた。
呼吸ができない。
マオ、なんとかして上半身を起こす。
マオ「……この……!」
母親「※※※※※※」
母親が何かを言った。ように見えた。
声は聴こえなかった。
しばらく前から聴こえていたはずの特急列車の凄まじい轟音が、ようやくマオの意識に知覚された。
眼前に特急が迫る。
一瞬、母親と目が合った。ように思う。
一瞬、母親が笑った。ように思う。
マオ〈え?……これ、マジ……?〉
ホワイトアウト。
……ブレーキ音。
特急はほとんど完全にホームからはみ出す位置でようやく停車した。
駅の客たちの悲鳴、どよめき。
二人の遺体は四方八方に百メートルに渡って満遍なく飛び散っていた。
マオが持っていた、フィルターだけになったマイルドセブン。
上下に真っ二つに轢断されたマオの顔面。
千切れた右腕。
そのほか、とにかく人間だったもののかけらたち。
異常な空気。
日常に闖入した阿鼻叫喚の地獄絵図。
* * *
間宮家のリビング。
テーブルの上には開かれたままの日記帳が置かれている。
ごく初めの方のページだ。
これを付けていた者の最期の記述があった。
* * *
母親の頭部は。
ホームの待合室のガラスにぶち当たり、そこに転がっていた。
その表情は
笑っているようにも見えた。
* * *
もう一冊の間宮さゆりの日記
〈お母さん。
もう一冊の日記を読んでもらえれば分かると思います。
ゴメンなさい。私は死にます。
もうこれ以上の屈辱には耐えられないから。
この事がどれだけお母さんを悲しませるか、考えないではありません。
ですがもう何もかもを決めてしまいました。
本当にごめんなさい。
もう一冊の日記を読んでもらえれば分かると思います。
平田眞緒です。あの女が私を奪うのです。
お母さんは覚えていますか?
小学校の時には何度か遊んだことがあったけれど……最近の顔は、私の携帯に写真があります。
それでお母さんにも確認が取れると思う。
……これ以上は書きません。
だけど、私がお母さんに何を望んでいるか……もう一冊の日記を読んでもらえれば分かると思います。
本当に、ゴメンなさい。そして、ありがとう。
一足先に地獄で待ってます。 さゆり〉
完