35、days
テーブルを囲む椅子の一つ、深めに腰掛けてマグカップに口をつける。
少し離れたキッチンから聞こえてくる軽快な音は、まな板が包丁に叩かれる音。
二人の少女がこの家の住民達のために、朝食を作っている。
これまでの激しい戦闘は無かったことのように思わせる平穏。
現実と何一つ変わらない日常の一コマ。
「ソロお姉ちゃん、手に力が入り過ぎだよ! ……トマト、つぶれてる」
「加減が難しいの。けど、少々ぐちゃぐちゃになっても、食べてしまえば中身は変わらない」
「だめだめ、そんなんじゃだめ! 見た目は凄く大事なの。食べる人のことや野菜のことを考えて、綺麗に作ってあげようよ~」
「……まだるっこしい」
少女、いやソロが目覚めて数日、私達はこの家で平穏な日常というものを過ごしている。
一人きりにさせていたジェニーのため、そして普通の体を失い記憶が壊れたソロのためだ。
他者との触れあいと、一般的な生活様式に馴染んでもらうことが大事に思えた。
ジェニーにはソロがどういった経緯で今の体になったのか、記憶が壊れたのか、それを伝えた。
本来の明るさを取り戻しつつあったまだ幼い少女は泣いた。
残酷な実験の存在に対する恐怖だけじゃない。
母の過酷な体験を悲しみ、そして自分を愛し続けてくれている母の想いを受け止めて。
複雑な感情が絡み合って、涙がこぼれた。
トラウマという言葉で片付けられない、強烈なできごとだ。
だけどジェニーはまだ子供でありながらそれを受け止めようと、今は台所に立っている。
多分、彼女自身の心は大丈夫だろう。
決して埋まることのない心の空洞、それを埋めてくれるものにあの子はきっと出会えるはずだから。
「はい、アルアさん。できたよ~」
「ん、ありがとう。ジェニーにソロちゃん」
「……ちゃん付けしないで」
「はいはい、分かったわよ。えーっとマルタはまだ調査から戻ってきていない、と。タイガは?」
「タイガお兄ちゃんはまだ寝てるみたい」
まあ、なんだかんだいってもゲームだしね。
実の家族のように人を縛ることはできないし。
マルタは消えた恋人、彩香さんの手がかりを探しに近未来編をプレイしているプレイヤーに聞き込みを行っている。
タイガは暇を見つけては大剣を担ぎながら狩場へ出かけている。
狩り疲れて眠っているのだろう。
「しょうがないわね。せっかく作ったんだし、できたてを食べてもらいましょう。ソロちゃん、タイガを起こしてきて」
「……。分かった、行って来る」
ちゃん付けを訂正させるのも面倒くさくなったのだろう。
ソロが私のお願いを素直に聞いてタイガを起こしにいく。
ひと段落ついたジェニーへ向き直って声を掛ける。
「ほんと、ごめんね。急に私達が帰ってくるようになったから大変でしょ?」
「ううん、確かにやることは増えたけど。でもやれることがあるのってすごく嬉しいの」
「そっか。ソロちゃんとはどう? 仲良くやっていけそう?」
「最初はちょっと怖かったけど、今は平気だよ! お手伝いもしてもらえるし。……ちょっと大雑把だけど」
ジェニーも辛い境遇だけど、ソロは直接に自身を改造されたということもあって一層過酷だ。
そんな彼女が日常に馴染めるのか若干不安はあった。
もし何らかのきっかけで暴力の衝動が膨れ上がり、ジェニーを傷つけることがあったとしたら?
ただの女の子に身を守る術なんかない。すぐに朝食のトマトと同じ運命を辿ることになってしまう。
そのためにソロの性質というか、行動基準をチェックしておく必要があった。
本来ならばすぐにエッダーに会って貧民エリアでのことを報告すべきなのだろう。
このまま日常を過ごしても事態は変わらない。
しかしソロを連れて行ってエッダーや信者に危害を加えてもらっても困る。
憎しみの黒いシミを消したとはいえ、彼女が教会の被害者という事実は消えない。
彼女自身の憎しみが膨れ上がらないとも限らない。
「アルアさん、怖い顔してるよ?」
「ああ、ごめんごめん。ソロちゃんのことを考えてて」
そんなやりとりをしていると、二階から足音が聞こえてきた。
お寝坊さんな剣士が起きてきたのだ。
「……おはよう。まだ、ちょっと眠いけど、ジェニーが朝食を作ってくれてるって聞いたから起きてきたよ」
「今日はね、ソロお姉ちゃんも手伝ってくれたんだよ」
「そ、そっか。起こしてくれてありがとう」
これで家にいる人間はみんなテーブルについた。
バターを塗ったトーストに目玉焼き、レタスと玉ねぎと崩れたトマトのちょっとしたサラダ。
「マルタがまだだけど、戻ってくるのに時間がかかりそうだし食べちゃいましょう。それじゃあ、いただきまーす」
「「いただきまーす」」
それぞれが朝食を口にし、和やかな朝が始まる。
私とジェニーにとっては失われた団欒、ソロにとっては馴染むべき日常の経験。
タイガは、きっとリアルの家族があるだろうからこれが特別なものというわけではないだろう。
「で、タイガ。どうなの? 特訓のほうは」
「まあ、それなりに、かな。【大剣技能】をマスターしちゃってるから大剣自体は伸びしろがなくてさ。大剣は突進系か強打系でスキルの方向性が分かれるんだけど、そろそろそれを決めて煮詰めていかなきゃって」
「ソロちゃんに手伝ってもらってるんでしょ?」
「ああ、うん。一応」
チラっとソロのほうを見るが、彼女はこちらを気に留める様子もなくトーストを齧っている。
感情が欠落しているわけではないんだけど、普通の女の子とはやっぱり違うわね。
タイガの訓練をサポートするように提案してみたけど、意外とすんなりそれを受け入れた。
それは少女らしさという感覚を少しでも取り戻すきっかけになって欲しいということと、自衛力を鍛えておく必要があったから。
体を変異させなくとも、強化された肉体から繰り出される攻撃は中レベルプレイヤークラスの破壊力はあるので、充分な訓練になっているはずだ。
「で、どうなの?」
「凄いよ。速くて一撃が重いし、何より対人戦の経験が得られるのが大きい。だけど俺、あんまりソロには無理して欲しくないなあ」
「まあ、お互いのために強くなっておく必要があるからね。で、他には?」
「他にって、何が? なんでそんなニヤけた顔してるのさ」
相変わらず会話に加わらないソロ。
体の各所にある黒い文様を布で覆ってはいるが、その点を除けば外見はタイガと同じ歳くらいの可愛らしい女の子だ。
スラっとした体系、綺麗に流れる髪、儚げな存在に感じさせる表情。
ラージウッドの親友、クーラの美人度を借りるとすればたぶん8くらい。
これに暖かな微笑みが加われば完璧なのだろうけど、それはまだ仕方がない。
理由、そして環境はどうあれタイガはあの子を助けたいと思い、そして死から救った。
別にソロが可愛かったからだとか、そういうことではないだろう。
彼は言った"同じ年頃の子があんな風な顔をしているのを忘れることができない"と。
たとえゲームの話であったとしても、リアルな感触に近いこの世界で出会った少女の命を見捨てることはできない。
単純な感情だけど、純粋で大切な気持ちだと私は思う。
「タイガ、ソロちゃんを大事にしてね」
「な、なんの話だよ。さってと。俺、また狩りに行ってくるよ。ジェニー、朝食ありがとね」
「ううん。あ、お皿は置いとくだけでいいよ。私がまとめて洗うから」
「じゃあ一緒にやろう。流石に年上の俺が何もしないのは気が引けるから」
朝食が終わり、それぞれがそれぞれの準備をする。
「んじゃ、いつもの狩場に行ってくるよ」
「はーい、行ってらっしゃい」
この周辺は貧民エリアと違いクリーチャーは出現しない。
そしてサンシティのようにゾンビもでてこない。
狩場となると実験室のあったリザーデ工業地区のように、クエストを進めるためのエリアに行く必要がある。
メインクエストを追っていないので詳細は分からないけど、通常よりさらに異形化が進んだクリーチャーが出現する場所がいくつか存在するらしい。
まあ、多少強化されていても所詮はザコモンスターなのだから大丈夫だろう。
そう考えていると、すっとタイガの後ろにソロが付いた。
「……私も、一緒にいってもいい?」
「って言ってるけど、アルアさん。いいのかな?」
ソロが狩場に行く、か。
近未来編はプレイヤーが他より少ないとは言っても人がいないわけじゃない。
ただの可愛い女性プレイヤー、なのであれば問題ないけれど、たぶんソロは目立つだろう。
黒のワンピースを着た少女がクリーチャーを撲殺する図を見て気にならない方がおかしい。
それに加えてもし体を異形化させたら?
”変わったスキルだね”で納得できるはずがない。
「私と同じ存在、終わらせてあげたいの」
「そういうことか。うーん、でも」
「大丈夫だよ。過疎ってる狩場の"静かな農園"に行ってくるから。レアドロップ報告とかほとんど上がってないし、多分だれもいないよ」
「そう……。一応気をつけてね。他プレイヤーの視線もそうだけど、もしかしたら教会の人間が動いてるかもしれないし」
「何かあったら連絡するし、ソロに異形化させないように動くさ」
ソロの動機は分かった。
自分と同じようにディライフの影響で異形化した人間を終わらせること。
人間に戻れる可能性が存在しない、永遠に化け物になり続けるその命に死という解放を与えること。
ゲームの仕様上、クリーチャーは無限に出現し続けるだろうけど、彼女にとっては重要な意味があるのだろう。
一応、タイガと行動をしてもらうことにはメリットもある。
NPCにレベルという仕様が適用されるのか分からないけど、自身の能力を高めておくことは自衛のために大事。
そして同じ年代のタイガと行動することで、壊れた記憶に何か影響が出る可能性もある。
「それじゃあ、いってきまーす」
「いってきます」
「いってらっしゃい」
結局、ソロをタイガに任せて二人で狩場に行かせることにした。
家に残った私とジェニー。
さて、たまにはあの子と遊んであげるのもいいかしら。
そう思っているとマルタが遅めのご帰宅となった。
「あ、マルタさん、おかえりなさい」
「あら、おかえり。ってどしたの、そんな怖い顔して」
「見つかったんだ」
「見つかった?」
マルタは彩香さんの行方を調査していた。
その彼が見つけたというものはもしかして。
「ああ。彩香らしき人物を見たという情報提供者を見つけたのだ」
ーーー
「詳しくきかせてよ」
「ああ。サービス開始からずっと近未来編でやってるプレイヤーがいてな。その人が彩香をサンクタウン、つまりこの街で見かけたそうなのだ」
「いつ頃の話?」
「リアリティレベルが一段階上がった日、急遽メンテナンスが入ったのは覚えてるか? そのメンテが明けてログインしたときらしい」
「なるほど」
リアリティレベルが上がることで、これまで侵入できたなかったエリアのいくつが解放された。
中世編では初期地点として水の国スルアしか選択肢がなかったのが火、土、風など他の国からスタートができるようになった。
こちら近未来編ではドームと巨大企業のある東側、サンシティに加えて今私達が拠点にしているサンクタウンが解放されたのだ。
「新地点が解放されたとあれば、いくら人口が少なめなこっちでも最初は賑わうわよね」
「新規実装されたスキル、サイキック能力を得るにはネーキル教主に会わないといけないからな」
「でもなんでその時に姿を現したのかな?」
「なんで、とは?」
「新しいエリアが解放されたその日、その場所にいるってことよね? それだけ見ると普通の好奇心旺盛なプレイヤーって感じじゃない。こうなんというか、失踪している、というよりもプレイヤーとしてゲームに参加している、みたいな」
疑問は膨らむ。
そもそも結婚を意識するような相手の元を離れて、RC3の世界にいるというところに違和感を感じる。
それが例えば、ゲーム内を統制するゲームマスターの役割を仕事として行っているのならば理解できる。
だけど、マルタの話が本当ならば彩香という人間は運営会社には存在しないということになっている。
「言いにくいんだけどさ、実は喧嘩してたりとか?」
「……俺は大人だ。アルアには客観的に物事を伝えているつもりだが」
「つまり、マルタに何か不満があって離れたというわけではないと?」
「俺と違い、夢見がちな性格だったのは確かだ。ゲームの運営に関わる仕事を選んでいるくらいだからな。だけど俺は彼女のそんなところに惹かれてずっと側にいたんだよ。良き理解者でありたい、ずっとそう思ってやってきた。俺には木材を加工したりだとか、そういうことしかできないからな」
木材の加工、そういう仕事をしてたのか。
だからマルタなのね。
まあ、それはどうでもいいわ。
「じゃあ嫌な現実を忘れて、仮想世界に没頭しているというのはマルタとしては考えられないというのね?」
「ああ。こういう世界に憧れ、ゲームが出来たときに興奮はしていたが仕事は仕事だと切り替えられる女性だ」
「じゃあいっそう分からないわ。どうして彼女がゲームの世界にいるのか……」
思考で頭の中をぐちゃぐちゃにしている私。
マルタも一見落ち着いてコーヒーを飲んでいるように見えるけど、普段よりカップに口を付ける速度が遅い。
「手伝ってもらえないだろうか? やっと有力な情報が得られたのだ。この機会を逃したくない」
「それは構わないわよ。でも、その目撃情報からけっこう時間が経過しているのよ? その人以外からの情報がないのなら他の世界に移ってる可能性もあるんじゃないかしら?」
ワールドリープ、つまり他の世界に行くには疲労度を消費する必要があった。
その消費がけっこう激しかったため、当初は頻繁にそれを行うプレイヤーは少数。
だけどリアリティレベルが上昇すると同時、それは撤廃されて自由に行き来できるようにはなった。
実際のところ、それぞれの世界で得られる能力はそれと異なる世界でプレイするとかみ合わないことが多いという実情はある。
「乗り気でないのならそれでいい。だが俺は一人でも探す」
「ほら、落ち着いて。手伝わないなんて言ってないし、やる気だってあるわよ。ただ方法を考えようって言ってるんじゃない」
「何かいい手でもあるのか?」
「この間少し思ったんだけど、エッダーの助けを借りたらどうかなって。もしよ、またレアリティレベルが上がってNPC達の自由度が増えたら彼らのコミュニティ網を使って人探しの効率が上がるんじゃないかなって」
私なりに考えた方法。
それはNPC達の協力を得るということ。
ジェニーやソロを見れば分かるが、一部のNPC達はプレイヤーである私達に近いレベルで自由に行動している。
二人だけじゃない。
エッダーやノディアン、彼に従っている三姉妹もプログラムという枠を越えて行動しているように思える。
自由に動けるNPCが増えれば、この世界の認識はともかく地理には詳しいであろう彼らの力は大きいはずだ。
だけどそんな私の提案はマルタには不服らしい。
「何かと思えばそんなことか。いいか、アルア。そのやり方でやるということはおそらく中世編と同様に隠されたクエストとやらをクリアしなければならないだろう。だがそれでは時間がかかりすぎるのだ。偶然が集まって中世編ではクリアできたのかもしれん。だがこっちまで同じとは限らん。俺達が隠されたクエストに挑んでいるという確証はない」
「じゃあしらみつぶしにこの街の住宅を探し回るっていうの? これまでプレイヤーに聞き込みしてほとんど情報を得られなかったのよ?」
「もういい。さっきも言ったが俺は一人でも探しに行く。一応、アルアの提案を参考にエッダーに協力を要請してみる」
そう言い放つと彼はハンガーに掛けたばかりのコートを取り出し、すぐさま出発の準備に取り掛かっている。
エッダーに相談、か。一応報告をしに彼と会う予定ではある。
だけどまずはソロの様子を見定めてからにしたいというのが私の要望だ。
もし仮に一連の流れがゲーム的にいうところのフラグを立てているということであるのならば、エッダーのところへ行くというのは何かが起こってしまう可能性が高い。
しかしその推測でしかない危険性でマルタを縛るわけにもいかない。
「それでは行って来る」
「マルタ、私のほうでも中世編の友達に連絡いれとくわ。少しでも情報網が広いほうがいいでしょ?」
「……助かる。だが、彩香はきっとこっちにいる。俺はそう思うんだ」
そして彼は落ち着く間もなく家を出た。
焦っている彼に対して、問題をリアリティレベルの上昇、つまりゲーム的に対処するという提案は受け入れがたいものだったのかもしれない。
だけど同時接続数が万単位であるこのゲームで、一人の女性の情報を足で稼ぐことのほうが非現実的だと私には思えるのだ。
「マルタさん、色々と大変なんだね。私も何か手伝えるといいんだけど」
「いいのよ、私達の問題だから。ジェニーは元気にしててくれればそれでいいの」
そう言いながらジェニーがいれなおしてくれたコーヒーを口に運ぶ。
……私達の問題、か。
私達はプレイヤーなのだから、NPC達の問題に関わってそれをクリアしていく。
ゲームとはそういうものだ。
だけどNPC達にとってはここは現実そのものであって、仮想という第二の世界へ逃避することはできない。
NPC達に協力を求める、とは言ったものの、あっちはこちら側のことを認識できるのだろうか?
私達が死ななくて、超人である理由。
この世界をゲームとして走り回る自由。
彼らが本当に自由になるということは、それら全てを認識できるようになってしまうということ。
ゲーム会社の経営状態や機嫌一つで、リセットさせたり下手したら消滅するかもしれない世界。
もしも私達の肉体がある現実世界が、神といった超越者が弄ぶゲームの世界だとしたら?
生きるのを止めたくなる、考えるのも馬鹿馬鹿しいことだ。
でも、ここのNPC達はそうした世界で生きている。
なんとなく寂しさを感じて、ジェニーの手に触れてしまう。
「急にどうしたの、アルアさん?」
「ううん。ジェニーの手、あったかくて。私はね、これが好きなの」
考えすぎるのは私の悪い癖だ。
しかも方向性が大体悲観的な方へ伸びてしまっている。
ジェニーのこと、ソロのこと、彩香さんのこと。
全てのできごとが、局地的に起きた小さなできごとの集まりにすぎない。
できごとの多くは世界規模で物事を考えてみると、塵と同じような軽さでしかないのかもしれない。
だけど私が私である以上、この体温の暖かみはリアルであって絶対なものなのだと思う。
もう少しだけ、現実で失った日常をこの世界で噛みしめ続けていたいと願うのは悪いことなのだろうか?




