4、mothers
プランターのドロップを回収し、スイッチやらレバーやらがごちゃごちゃしている操作盤に目をやる。
ジェニーが母と別れて一週間も経っていないのならば、ここに当時の映像があるはずだ。
……いや、絶対にある。私はそのことを知っている。
リアリティレベルが上昇してまだ幾日も経っていない。
中盤や終盤のクエストはともかく、こんな序盤のクエストは既に経験者からの報告が上がっている。
方法と結果の共有、それがあるから季節はずれのコートを着た男があのとき私へ忠告してくれたのだろう。
「今思うと、ずいぶんとお節介焼きな人だったわね」
がちゃがちゃと操作を繰り返すと、やがてモニターに望んだ日時が浮かんだのを確認する。
確かにこの時点では植物園は平穏だったようだ、うごめく死人の影など一切見当たらない。
「あ、金髪のこの子がジェニーかしら? となればこっちがお母さん、かな」
周囲を何回も何回も警戒しながら、ジェニーの母親らしき人物が子共の手を引いてベンチまで移動している。
逃げ回って疲れたのだろう、ベンチに落ち着いてからの数分後、ジェニーは母の肩を枕代わりにして眠っている。
肩に体重をあずけるわが子の頭を、とにかく優しく撫で続ける母親。
母と子のほほえましい光景ではある。
でも、この娘を愛しむ行為には単に娘への愛情のみが込められているのではないはずだ。
きっと、何重にも重ねられた複雑な感情が渦巻いているに違いない。
お母さん、か。
母のことは嫌いじゃなかった。いや、むしろ静かに見守ってくれる彼女を私なりに家族として愛していた。
そのつもりだった。
でも私では、母に付きまとう影を振り払うことができなかったんだ。
死や無といった灰色の誘惑に、私程度の存在では打ち勝つことができなかった。
母、というのは親という役割を持つ以前に、女であるしまた個人でもある。
責任や愛着、喜怒哀楽、充足と孤独。
どのパラメーターが優先されるべきか、と世に問えば一様に世間は親としての義務を第一に叫ぶだろう。
だけど、たとえ外部から正しさを押し付けられても、人の心までは侵すことができない。
だから私は、母を否定しない。
私もまた、そんな母の娘なのだから。
モニターに映る映像、母子の様子が変わる。
ジェニーを守るのに必死だった母親も疲れに襲われ、眠り始めたその時。
その身のこなしからゾンビではないであろう人影が二つ、束の間の休息をとる二人に近づく。
「手際がいいわね。この手の行動になれているのか、それともその道のプロか……」
騒がれるのを防ぐためか、寝ている母親に薬品か何かを嗅がせて体の自由を奪う。
理由は分からないが、ジェニーを起さないように配慮し、母親だけを拉致して移送していく。
このときジェニーが目を覚ましていたら、もしかしたらこの植物園をさ迷う死肉の仲間入りをしていたのかもしれない。
ジェニーの母親はゾンビに襲われたのではないし、ましてや娘を捨てたのではない。
襲われて目が覚めた母親は体の自由が無くなるその直前まで、娘の方へ必死に手を伸ばしていた。
ゾンビ騒動に混ざって行われる人為的な犯罪行為。
原因なのか、それとも部分的なのかは分からないけどこのバイオハザードには人の手が入り込んでいる。
設定上、おそらくゾンビ化の原因は自然環境でもなく呪物的なものでもなく、ウィルスといった感染系の問題なのだろう。
映画なんかじゃ自然発生や呪いなんかでゾンビが発生しているものもある。
でもそういう超常現象が原因でないのであれば追究のしようがある。
「あの人さらいの服装は……。事前情報で分かってはいたけどリザーデ工業地区の工員のもの。つまり工業地区に行けってことね」
次の目的地が決まった。
この植物園に隣接し工場などが稼動している工業地区、そこにジェニーの母親が運び込まれているはずだ。
恐らく他のクエストを遂行することでリザーデ工業地区の情報がもっと得られるのだろう。
この『ジェニーの母捜し』の情報で分かることは、『人さらい』が化け物なんかじゃなく人間の手によって行われたということ。
そしてその目的は……。
私は迷った。なぜならばここは分岐点だからだ。
ジェニーにここまでの経過を報告するか否かで先の展開が変わる。
彼女に伝えないまま事件の真相を追えば、ジェニーはシティーガーディアンの建物から姿を消してしまう。
プレイヤーの報告を待ちきれずに自分で母を捜しに行ってしまうからだ。
では伝えた場合はどうなるか?
一緒に捜しにいくと引き下がらないジェニーを連れて、工業地区で事件を追求する。
前者だと恐らくジェニーは道中でゾンビに襲われ死亡してしまう。
明言はされないようだけど、武器を扱えない女の子がプレイヤー補正ももたずに生き残れるほどこの世界は甘くない。
後者はゲームとして考えた場合は非常に楽だ。
守りながら戦わなければいけないとはいっても、レベル差がついたただのゾンビの群れなんてどうにでもなる。
クエストを完了させるだけならば簡単だが、心を持った人間と、意思が植え付けられたNPCにとって後者を選ぶことは覚悟がいる。
宝くじの一等を引き当てるような確率の生存率にかけて前者を選ぶか、それとも自身で自身を鞭打つような後者をえらぶか。
――どんなことが起こってもあなたはそれを受け入れなければならない。
幼い彼女に投げかけた言葉が、終わりのないこだまとなって私に跳ね返ってくる。
受け入れなければならないのは、この私なのだ。
「ゲームをゲームだと思えば冷めてくるけど。ゲームを現実だと思えばやりきれなさが残る。人って贅沢ね」
決めたのは私、馬鹿なのも私。
心はだれにも侵せないけども、自身で傷つけることはたやすい。
自分の頬を殴るのは難しくても、自分の胸をえぐるのは簡単。
「それでも決めるの。もう、決めたんだから。これ以上失うものなんてないのだから」
母が拉致された。
ゾンビに襲われるのとどっちがマシなのか分からないその情報を届けに、私を待つ彼女の元へ向かう。
ーーー
「アルアさん、お帰りなさい!」
「ただいま、ジェニー。いい子にしてた?」
「うん。何度も外にいこうって考えたけど、お姉さんとの約束だから。私、待ってた」
私を見るや否やパタパタと走って寄ってくる子供の髪を、優しく撫でる。
他人であり、しかもどっちかというと子供が苦手な私なのだけど、この子はそれを無かったことにできる不思議な力がある。
愛嬌、保護欲、母性本能。
どの言葉が相応しいか分からない。でもこの子を大切に想う力で言えばジェニーの母親に勝つことはないだろう。
私が彼女に抱く愛着は、ただ一時の感情の結果であるだけ。
「植物園に行ってきたわ。あなたのお母さんはゾンビに襲われたんじゃなかったの。でも……」
「でも? お、お母さんに何かあったの!?」
「落ち着いて聞いてね。あなたはどんなことでも受け入れる、それを決めたんだから」
「は、はい」
私の真剣な顔つきから、決して良い方向に事が運んでいないことが分かったのだろう。
だけど、それでも私を見つめなおすその意思は、母のことが知りたいという気持ちで溢れているその表れ。
言葉にしてしまえばそう長くはない、モニターからわかった情報を彼女に伝える。
「お母さん、悪い人に連れてかれたんだ……」
「悪いって決まったわけじゃないけど、真っ当な手段を使ってないから良い人でないのは確かね」
薬品で体の自由を奪い、子供を守ろうとする手を遮って身柄を輸送するその行為。
善意で行われるとするならば、相当な想像力が要求されるわね。
あいにく私は小説家じゃないし、こんな非常時に善意という言葉が頭によぎることがおかしいもの。
きっとろくでもないことが起きていると、だれもが想像するシチュエーションだ。
「……行きたい。わたし、お母さんが連れて行かれた場所に行きたい!」
「ダメ、って言ったら?」
「一人でも行きます! お母さん、連れていかれるときも、わたしを守ろうとしてくれたんでしょ? 捨てられたんでも、化け物に襲われたんでもない。わたし、お母さんに、会いたい」
堪えきれなかったのだろう、不安と母への心配が膨れ上がったのだろう。
澄んだ彼女の瞳から、涙がこぼれる。
「お母さんともっとたくさんおしゃべりしたいの。お母さんの暖かい手、握っていたいの。もっと、ずっと……」
世の中は無数の悲哀と理不尽で溢れている。
戦争や飢えを知らない裕福な国でさえ、交通事故、海難事故、遭難事故、様々に姿を変えて突然に死はやってくる。
……本人が意図しない死、それは遺された者に『伝える』という行為さえ許さない。
私は思う。
死に逝く者とそれに関係する者。
たとえ最期まで相互理解が得られなくても、伝えるべき気持ちを、想いを届けられたらどれほどの救いになるのか、と。
ある者は宗教に、ある者は自身が信じる神にその願いを託す。
私は神を信じてはいない。
だけどこの世界の、か弱い存在であるこの子にとっては、短い時間だけそういった存在になっても良いと思った。
救われない、行き場のない空間に漂う黄色の風船。
それを望むべき人のところへ届けるくらいのことは、人である私にもできることだ。
ジェニーの柔らかな手を、私の手で優しく包む。
「私の手、ジェニーのお母さん程じゃないかもしれないけど、暖かいでしょう?」
「え? う、うん。アルアさんの手、あったかい」
「この手の温もり、忘れちゃだめよ? ……さあ、行きましょ。お母さんに会いに」
「うん!」
涙でぬれた眼をぐしぐしと拭い、少女は見せかけの笑顔を取り戻す。
彼女に再び、心からの笑顔を取り戻すことができるだろうか?
だれと交わしたわけでもないこのクエスト。
私のジェニーに対する愛着の表れ。
鉄の仮面を被ったままクエストをこなすよりも、たとえ傷ついても自分に素直でいよう。
意思を宿した生命が、生きるという選択肢を全うするそのときまで。
ーーー
「さあ、これであの的を狙って撃つのよ」
「う、うん。……うわわ、ひっぱられちゃう!」
ジェニーの母を二人で捜しに行くと決めたその後、私達はシティーガーディアン事務所の二階、射撃訓練所に来ていた。
ゾンビから彼女を守りきる自信はある。
だけど何事も準備しておくに越したことはない。
レアドロップとして入手したものの、使い道が無かったハンドガンをジェニーに与えた。
「落ち着いて、ゆっくりね。肩の力を抜いて。無理に頭を狙う必要はないの。当てやすいお腹を狙ってみましょ」
プレイヤー補正がない少女が銃を扱う、とても危険な行為だ。
下手に発砲すれば銃声でゾンビは寄ってくる。
しかし植物園での映像から察するに、敵はゾンビだけとは限らない。
もし拉致の実行犯のような人間が襲ってきた場合、自衛の手段は必要。
一応、銃のほうに改造を施して重量の軽量化と射撃時の反動軽減を済ませてある。
少女が扱う武器にしては規格外の威力を発揮してくれるはずだ。
「や、やった! アルアさん、当たったよ!!」
ターゲットの腹部の中心に命中したようだ。
まぐれの一撃かもしれないけど、それでいい。
銃弾をターゲットにあてた、その経験があるかどうかでハッタリにも信憑性が増す。
「うまいうまい。じゃあもうしばらく続けて」
「うん。……だけど、早くしないと」
「焦っても仕方ないわ。お母さんに会う前に、あなたがやられちゃったらダメでしょ? そうね。ターゲットに10発あてたら出発しましょう」
「分かった。わたし、頑張る」
銃を構え直すジェニーを横目に、隣のブースで備え付けのハンドガンでターゲットを射撃する。
ハンドガンは私が扱う武器種ではないが、使ったことはある。
10発、初めてこの場所で銃を握った感触を思い出しながら、目標を撃ち抜く。
「92点、か。サブマシンガンじゃ【精密射撃】が取得できないから仕方ないわね」
なんとなく射撃テストの履歴を見てみる。
チュートリアルでこのテストをやる関係なのだろう、だいたい点数は50点前後のプレイヤーが多い。
私だって初めてこのテストをやったときは60点くらいだった。
「とはいえ、熟練者もちらほらいるようね」
50という平均点数に紛れて、90点を越えるスコアも多くはないが記録されている。
おそらく高レベルプレイヤーの記録だろう。
何気なしに眺めると、だいぶ前の記録にふと見知った名前の羅列をそこに見つけた。
「ジェシー、95点、98点、100点……。あの人、この射撃テスト何回やってるの?」
何十回という回数でこのテストに挑戦し続け、最終的に満点を取っている。
中世編でラージウッドのチームに所属していた彼女、メインがロケットランチャーでサブがハンドガンだったかしら。
戦術とかに大分こだわっているみたいだったから、ハンドガンの扱いにもかなりこだわっているのかもしれないわね。
ストレス解消でこのゲームやってるって言ってたけど、確かにこんな性格してたら溜まるものがあっておかしくない。
ジェシーとジェニー。名前は似てるけど、ジェニーの可愛らしさと比較すると中身は全然似てないわ。
「アルアさん、全部当てたよ!!」
少し前のことを回想していた私を、ジェニーが呼び戻す。
スコアに目を通すと62点。
銃の恩恵があるとはいえ、平均点を越えているのだから上々だろう。
「これで、お母さんのところに行けるよね!?」
「約束、だからね。でも二つ、言っておくわ。化け物はいいとして、無闇に銃を人に向けないこと」
「うん、だれだって銃を向けられると怖いもんね」
「もう一つ、撃つって決めたら迷わずに撃ちなさい。いいわね?」
「……? 分かった」
迷いの入った返事。
『化け物を相手に撃つのを迷うことがあるの?』そういう気持ちがあるのだろう。
「相手は化け物だけとは限らないから。ほとんどは私が処理するけど、万が一ってときは、ね」
NPC、そして子供に銃を持たせるということ。
想定外、かつ現実ではあってはならないことかもしれない。
でも、この場所では必要なこと。
秩序が平時の半分ほど失われたこの世界で、確実に応えてくれるのは力だけなのだ。
「じゃあ行きましょうか。お母さんを捜しに」
「うん!」
ゲームの世界に色を求めた結果の一つが、このジェニーなのだろう。
こんなにも重い『楽しさ』は私の望んだものじゃない。
でも、もう動き出したんだ。
止まることなんてできない。




