インターネットの中で
近年、凶悪犯罪は巧妙化と悪質化の一途を辿っている。
つい最近も、誘拐事件があったばかり。
そんな社会の無法化は、世間一般にとどまらず、インターネットの世界にも押し寄せてきていた。
インターネットの世界で、人知れず存在する、とあるサイト。
そこは検索サイトでは見つけることが出来ない。
あらゆる法の網を掻い潜り、監視の目を眩ませて存在するそのサイトは、通常では考えられない内容になっている。
そこは一見した所、普通の通販サイトである。
デザインは小奇麗にまとまり、色合いは清潔感のある洒落た作りになっている。
買いたいものは買い物かごに入れられて、おまけにクレジットカードまで使える設計。
そう、何の変哲もないサイト。
だが、多くの通信販売サイトと違う点が1つだけあった。
そこには何でも売っている。
誰がどうやって仕入れているのかは分からないが、違法な薬物、盗まれたはずの美術品、失われた古代文明の遺品、宇宙人からの贈り物、偽札、兵器、ありとあらゆるものが売られていた。
そして勿論、人間も。
そんなサイトに、迷い込んでしまった青年がいた。
女性にも縁が薄く、お金にも縁のない冴えない男だ。
その若者は、偶々とある小説サイトで小説を読んでいた時に、貼られていた広告をクリックしたことから、件の通販サイトを見つけた。
始めは青年も訝しんだ。
そこで売られているものが酷く怪しげなものばかりだったからだ。
偶然見つけてしまっただけのWebサイトで、誰が身長の伸びる薬や幸運になれるペンダントを買うだろうか。
青年は、こう思った。
ここに売られているものはインチキばかりだ、と。
よくある雑誌広告の詐欺商品と同じであり、騙されるのが馬鹿なのだろう、と。
だが、それでも青年は何かに惹かれるように画面から目を離せなかった。
そこに書かれた言葉に、強く魅せられたからだ。
――3つの夢を叶える石
男はこの言葉に言い知れない興奮を覚えた。
値段はひどく安い。
子どもが駄菓子を買う程度の値段。
もしもこれで本当に願いが叶うなら、と考えてしまう。
自分でも詐欺の常套句だと思いながら、気が付いた時には購入していた。
もしかしたら、気の迷いだったのかもしれない。
石を買ってから2日後。
既にそれを買ったことなど忘れかけていたころに、石は届いた。
不思議なことに、宛名も差出人も書かれていない小さな箱に梱包され、いつの間にか届いていた。
青年はまず、大金を願った。
一生とまではいかなくても、当分の間遊んで暮らせる程度の大金。
今までの貧乏な生活から脱却できるだけのお金。
叶う筈がないと思いながらも、もしかしたらという僅かな期待。
男は、願ってからしばらく待ってみた。だがしかし、何も起こらなかった。
お金が空から降ってくるわけでも、目の前に金塊が現れるわけでも無かった。
僅かな期待があっただけに、青年は少し落胆した。
やはり詐欺だったか。
そうそう上手い話なんて、転がっている訳がない。
馬鹿馬鹿しい。
信じた自分も、とことん間抜けだ。
彼は、そう思った。
そのまま石を部屋に転がして、近くの店に買い物へ出かけようとした時だった。
ふと、自分がいつも捨てているごみ収集場所に、ボストンバッグが捨ててあるのを見つけた。
何やら中身が詰まっていそうな感じだが、何気なく僅かにあいたチャックの隙間に目がいった。そこから覗くものは、信じられない物だった。
バッグに気づいたのは、違和感があったからだ。
自分が住んでいるような所は、金持ちが住む場所じゃない。
だからだろうか、ゴミ捨て場はいつも汚れている。
そこに捨てられる物だって、大抵が酷く汚らしいものばかりだ。
それなのに、そこにあったバッグだけは違った。
真新しさが眩しいほどで、買ったばかりの新品にも思えた。
だから気になった。そして気づいた。
中の札束に。
男は信じられない思いがした。
ゴミ捨て場に、大金が捨ててある。
こんな事が現実にあり得るのだろうか。
慌ててバッグを拾い、部屋へと駆け戻る。
腕の中に抱え込む様にして。
かなりの重さがあったのに、それはまるで羽の様に軽く思えた。
部屋に戻って、バッグを下す。
胸の鼓動がやけにうるさく、手が僅かに震えている。
そっと開けてみると、中には溢れんばかりの福沢諭吉の顔、顔、顔。
思わず奇声をあげながら、バッグをひっくり返すように持ち上げる。
ドサドサと音を立てながら、終わりが無いかのように次々と封のされた万札が出てくる。
こんな大金、今まで見たことも無い。
本物だ。
青年は、自らが手に入れた石をそう判じた。
大金を願った直後に、願った通りの札束の山を手に入れた。
これで信じない方がどうかしている。
まだ残りの願いは2つある。
男は歓喜に震えた。
その瞬間、青年は世界を手に入れたのだと感じた。
何だって出来る。
今まで自分を蔑んできた連中を、見返すことも出来るだろう。
誰も食べたことが無い、美食の限りを尽くすことも出来るだろう。
今まで相手にされなかった美女達を、全て侍らせることだって出来るだろう。
そう、どんな女でも思うがままだ。
男は、自分の中にどす黒い欲望が膨らんでいくような気がした。
醜く歪んだ欲求を、ぶつけることが出来ることに、暗い喜びを覚えた。
彼は石に願った。
何時でも新しい女に交換出来る、奴隷が欲しいと。
そんな腐った欲望でさえ、石は叶えてくれると信じたのだ。
自分の言う事は何でも従う従順な女が良い。若く、美しい女であれば尚素晴らしい。
そう願ったまましばらく待ってみたが、何も起こらなかった。
さっきと同じだ。
だが男は、今度は石を疑うことは無かった。
きっと外に出れば、望みが叶うと思ったからだ。
バッグを拾った時の様に、外に出てみる。
周りをゆっくりと見渡せば、男が思った通りの場景があった。
年の頃は10代で、目の覚めるような美少女が道端に座り込んでいた。
それも、一糸纏わぬ姿であった。
普通の人間であれば、自分の正気を疑う光景である。
だが、男は自らの正気を確信していた。これ以上ないと言うほどに。
裸の少女の元に歩み寄った青年は、座り込む少女に命令した。
自分に付いてこい、と。
表情は冴えないものの、何も言わずに従う少女に、男は確信を強める。
自分は願いを叶えたのだと。
部屋に戻った男は、正気だった。
正気で狂っていた。
自らの欲望の、あらん限りを少女にぶつけた。
服を着る事さえ忘れた獣のように、本能のままに女を蹂躙した。
半日ほど経った頃だろうか。
ようやく落ち着きを取り戻した男は、改めて考えを巡らせた。
最後の願いを何にしようか。
――ドンドン
突然、ドアを激しく叩く音がして、外から怒鳴り声が聞こえてきた。
男を呼ぶ声が、威圧感を持って飛び込んでくる。
高揚感を阻害された気持ちがして、不機嫌になってしまう青年。
だが、出なければドアを壊そうかという勢いだ。
渋々とドアを開けた男の目の前には、厳つい警官が数人待ち構えていた。
そのままいきなり男を拘束し、部屋の中の少女に警官たちは目を向ける。
現行犯逮捕。
その言葉と共に時刻が告げられ、男はわけもわからず連行される。
一体何が起きたのだろうか。
連れて行かれた警察署の取調室の中で、男は絶頂からどん底へ叩き落されることになった。
そこで告げられた事実はあまりに残酷で、心から後悔する現実だった。
警官が告げた事実はこうだった。
先ごろ1人の少女が何者かに誘拐された。
近所でも美人と評判の少女だったために、ストーカー犯人説や怨恨説などいくつもの仮説が浮かび上がり、捜査が複雑になっていた。
それ故手がかりにも乏しく捜索が難航していた。
転機があったのは事件発生から数週間たった頃。犯人と思われる人間から身代金の要求が届いた。
それを切掛けに、大きく進展した捜査から、犯人逮捕寸前まで行った。あと少しで犯人を捕まえられる。
だが、犯人たちは寸前警官の捜査に気付き、身代金を何処かに捨て、少女も置いて逃げた。
身代金と少女の保護に向かった警官は、有るはずの金と、居るはずの少女が消えているのに気付く。
恐らく犯人グループの仲間が、捨てたと思わせておいて回収したのだろうと捜査班は結論付けた。
聞き込みの結果、裸の少女を部屋に連れ込む青年が目撃されていた。
そして、男の逮捕となった。
少女は、犯人たちから薬と暴力で服従を強いられていたらしく、今も精神的なショックから立ち直ってはいない。男のいう事を聞いたのは、その為だ。
極悪な犯人たちに対する憤りから、警官たちの男への取り調べは厳しいものとなった。
男は現行犯で捕まっている。
少女への監禁は言うまでも無く、ナンバーの控えられた紙幣の山を持っていては、言い逃れも出来ない。
男はしきりに、自分は騙されただけだと訴えたが、誰も聞く耳を持たなかった。
世間も、男の味方にはなってくれなかった。親しかった者たちまで、皆が男を罵った。
暗い、冷たい留置所の中。
1人考えに沈み込む男には、強い後悔があった。
怪しげなサイトを信じた自分が愚かだったのだと。
始めから、あの石には願いを叶える力なんて無かった。それが偶然お金を拾ってしまったが為に信じてしまった。愚鈍だと自分を罵りたいのは、他ならぬ自分自身だ。
青年は、願った。
何処かへ消えてしまいたいと。
何もかも忘れて、自分の事を誰も知らない、新しい場所に逃げ出したい。
そう、願ってしまった。
とあるサイトは何でも売っている。並ぶ商品は奇妙な物ばかり。誰がどうやって仕入れているのか、誰も知らない。
今日もまた、新たな商品がそこに並ぶ。
――新商品入荷『小説好きの若者』