第7話(どうか助けてください)
木漏れ日が差し込む水野邸は、新婚夫婦の家そのものだった。
何度か来ていたが、今日は全部の部屋を見て回った。
お揃いの枕カバー。
お揃いのスリッパ。
寝室に飾られている結婚式の写真。
トイレには、かわいい観葉植物。
カーテンも統一されていて、落ち着いたインテリア。
ユキがいたら、大騒ぎだろうな。
いいな〜いいな〜ってはしゃぐユキが想像できる。
「4時には帰ってくると思うんだけど。ごめんね〜、ケーキ食べちゃおっか。」
突然の呼び出しで昼前から、仕事に行ってしまったらしい『亮ちゃん』は、毎日愛する奥さんの待つこの家に帰ってくるんだ。
ユキのお父さんに教えてもらったケーキ屋さんのケーキを持って、お邪魔した僕に上品なお紅茶を出してくれるみずきさん。
「最近、仕事忙しいんですか?この前も疲れたって言ってたけど、大丈夫?」
「今担当してる患者さんが大変みたいなの。疲れたって言っても毎晩元気よ!!」
そんな下ネタまでもが、ここで聞くと上品に感じられる。
「水野さんってかっこいいです。男の僕から見ても憧れなんです。奥さんとして、やっぱり心配とかあります?」
よく考えてみると、みずきさんと2人で話すのは初めてだった。
「私やきもちやきなの。だから、結構しんどかった。誰にでも優しいし、すぐ親しくなるからね。相手は誤解しちゃうときもある。特に仕事柄、患者さんの心の悩みとか聞くことも多くて、亮ちゃんは真剣に相談に乗ってあげちゃうから、患者さんが好きになってしまったこともあった。」
「それわかる気がする。錯覚しちゃうんですよね。看護婦さんが優しくしてくれたりしたら男ってちょっと誤解しちゃったりする。でも、水野さんは絶対一筋だと思います。」
「そう?最近私も強くなれたから、信じることが何よりも大きな愛だって思える。結婚前はね、結構修羅場もあったよ。私が勝手にやきもちやいて・・携帯見ちゃったり・・ね。」
「へ〜〜!やっぱあるんだ。女の子って絶対携帯見るって言いますよね。ユキの場合全く興味なさそうだけど。僕の方が、見たくなるときがある。」
少し覚めた紅茶は、とても高そうな味と香りがした。
住む場所って重要だと感じた。
こういう部屋で過ごすと、穏やかな幸せに包まれる気がする。
僕は昨日の出来事をみずきさんに話した。
水野さんのせいで、ユキの気持ちがわからなくなり不安になったと言いつけた。
「あはははは。亮ちゃんのせいね。亮ちゃんね、自分が今まで辛かったことや後悔してることを、ハル君に味わって欲しくないんだって言ってた。だから、口うるさい親みたいだけど、細かいことまで世話焼いてしまうって。」
「そうなんだ・・。僕、水野さん大好きなんです。なんでも話せて、なんでも知ってて・・僕の人生に欠かせない人なんです。そして、その奥さんであるみずきさんも素敵な人で、本当にお似合いで・・・。ユキと僕の目標なんです!!」
「あらら。ちょっと褒めすぎじゃない??ふふ・・。ありがと。亮ちゃんは一人っ子だから弟みたいでかわいいんじゃないかな。」
4時を過ぎても、水野さんは帰ってこなかった。それに気付いたのは4時半だった。
それくらい僕とみずきさんは夢中になって話していた。
水野さんとみずきさんの出会いのこと。
結婚したいと思った瞬間。
今の気持ち・・・。
みずきさんは19の時に水野さんと出逢ったんだって。
その時水野さんは23歳。初めて見た瞬間に、素敵って思ったという。
友達の友達と言う縁で、食事をしたときにたまたま隣に座った水野さん。
第一印象とはまるで違う水野さんの爆弾トークに、みずきさんはずっと笑ってた。
そして、別れ際に感じたことは、
『この人と離れたくない』だったんだって。
たった2時間くらいだったけど、水野さんの隣は居心地が良かった。
自分から、『もう一軒行きませんか』って誘って、2人は急速に近づいた。
でも、その当時水野さんは遊びたい盛りで、彼女はいなかったけど女友達が多かった。
「彼女絶対いるって思って何度も聞いたんだけど、別れたところだって言うの。あとから、聞いたんだけど、私と会ったその日に飲み屋のトイレから彼女に別れ話の電話かけたんだって。」
「ええ〜!?それすごい!出逢ったその日に運命感じちゃったんだろうね。」
「私はとにかく、亮ちゃんが大好きでね。独り占めしたくて仕方なかった。この人がどうなろうとも、私は付いていきたいって思った。もし、病気で寝たきりになったり、事故で車椅子になったりしても、私は絶対に愛し続けられると思えた。初めてそんな相手に出会ったの。」
「すごいや・・。僕とユキも特別だって思ってたけど、水野さんのみずきさんの愛ってすげ〜や。水野さんは、みずきさんに出会うために生まれてきたんだね。」
カーテンから見える外の景色は、もう薄暗かった。
外は風がとても強く、隣の家の木がゆさゆさと揺れていた。
その時、電話が鳴った。
「はい、水野です。あ、いつもお世話になっております。はい・・え?・・え??そんな・・。」
新婚さんらしい電話の受け答えだと感心していたら、みずきさんは突然受話器を持ったまましゃがみこんだ。
「ハル・・くん・・、亮ちゃん仕事場で・・倒れたって・・。今、救急車で大きい病院に運ばれてる・・って。どうしよ・・。」
そんな!!!あんなに元気だったじゃないか!!!
「しっかりして、みずきさん。大丈夫だから。とにかく病院に向かおう。用意して。」
僕は、とても不安で泣き出したい気持ちを抑えて、なるべく落ち着いて対応していた。
腰が抜けたように、だらんと動かなくなったみずきさんの肩を抱いて、タクシーで病院へ向かった。
車でも20分かかる距離。こんなに長く遠く感じるなんて初めてだ。
みずきさんは、決して泣かなかった。
手には、手袋が握られていた。
見覚えのあるその手袋は、去年のクリスマスに僕と一緒に選んだ水野さんからみずきさんへのプレゼントだった。
「神様・・・お願い・・。」
みずきさんは目を閉じて、手袋をぎゅっと握ってた。
僕も、祈った。
神様、どうか水野さんを助けてください。
水野さんに話したいこと、聞きたいこと、いっぱいいっぱいあるんだよ。
水野さんはまだこれからたくさんの幸せを育んでいく人なんだよ。
こんなに愛し合う奥さんがいるんだよ。
どうか!!!神様、水野さんがケロっとした顔で笑ってくれますように・・・。
その時、みずきさんの携帯が鳴った。
それは、救急車に同乗した後輩からの電話だった。
みずきさんは泣き出した。
「そんなこと言わないでって言って。ごめんなんて謝らないで・・ありがとうなんて言わないで・・・。」
みずきさんは手袋を握り締めたまま泣いた。
携帯を渡された僕は電話に出た。
「もしもし・・ハルです。」
「僕いま水野さんの隣にいるんですけど、ハルっぺに伝えてくれって。ユキちゃんとがんばれって。」
僕も涙が溢れ出した。
「水野さん意識あるんですか??話せるんですか?」
「はい、意識ははっきりしています。ただ、体がしびれて動けなくなって話も聞き取りにくい状況です。」
「大丈夫ですよね!!!!死んだりしないですよね!!」
僕は大声で電話の向こうに叫んだ。
そんなこと聞いても、その人にはわからないってことはわかってる。
でも、そばにいるその人にしか今は頼れない。
「お願いします・・どうか、水野さん助けてください。」
どんなに聞き取りにくくても、水野さんの声が聞きたかった。
きっとみずきさんも同じ思いだったろう。
手が震え出した。不安と恐怖で、涙を拭う手がおかしな動きをする。
水野さん、お願いだから生きて。
お願い・・・。
体中がしびれるってどういうことだろう。
僕は知識がないから、しびれ=脳梗塞って頭に浮かんだ。
「お願いだから、助けて・・・。お願いだから命だけは・・・」
みずきさんも同じ事を考えたのか。
さっきみずきさんと話してたことを思い出した。
『どうなろうとも私は付いていきたい。もし、病気で寝たきりになったり、事故で車椅子になったりしても』
僕は祈ることしかできなかった。
渋滞のこの道を、突っ走って行きたかった。
また携帯に電話がかかってきた。
「やだ・・もう・・。出たくない・・・やだ・・・。こわいよ・・」
僕も同じ気持ちだった。
水野さんが死んだっていう電話だったらと想像すると電話に出るのが怖かった。
僕は、なきじゃくるみずきさんの手から携帯を取った。
「はい・・」
「あ、今病院着いたから。救急車の中で、落ち着いてきたから。死なないから!」
僕は、みずきさんの手を握った。
「死なないって!!大丈夫だって!!今、その電話だったよ!」
僕とみずきさんは、ホッとして体中の力が抜けた。
頭の中には、ずっと水野さんの笑顔が回転してたんだ。
家を出てからずっと。
もう会えないかと思った。
もうさよならかと・・思った。
早く、水野さんに会いたい。
「遅くなって悪かったね。早く旦那さんの所行って上げなさい。」
タクシーの運転手さんは、財布を出そうとしているみずきさんにそう言って、顔の前で手を横に振った。
それは、お金はいいから早く病院へ・・という意味だった。
そのまま、お礼を言って僕とみずきさんは走った。