第19話(シンの決心)
ユキのいない僕の部屋は、色褪せて見える。
ユキが家に戻ってから、夜中に何度も目が覚める。
僕は一人でお見舞いに行ったが、ゆうじは検査で病室にいなかったので話すことができなかった。
ゆうじのお母さんが言った言葉が忘れられない。
「あの子は、みんなから一生分の幸せをもらったから幸せに天国へ行ける」
僕は、ゆうじのお母さんの目の奥の悲しみを感じたので黙ってうつむいていた。
心の中では、「どうして、そんなこと言うんだよ!!」と怒鳴りたかった。
信じて待つことが僕らにできることだと思っていた。
ゆうじのお母さんは、そう思わないと生きていられなかったのだろう。
治ることを信じて祈り続けて、ゆうじがいなくなってしまった時の悲しみは、お母さんには耐えられなかったのかもしれない。
あの子は今死んでしまっても幸せなんだ、と思うことでお母さんは毎日ゆうじと笑って会話することができたのかもしれない。
ゆうじは、自殺した時に体にかなりの大怪我を負っていたそうだ。
命の危険もあったほど強打した体は、少しずつ弱くなってきていたのだろうか。
はっきりした原因も病名もわからないと言われた。
今、ゆうじは戦っている。
ゆうじは、生きたいと願ってる。
歌いたいと願っている。
あのライブが奇跡だったように思う。
歌える状態ではなかったんだ。
ゆうじは、限界まで歌い続けて、多くの人に勇気を与えてくれたんだ。
今朝、シンからの電話で目が覚めた。
話があるというので、いつものグラウンドで待ち合わせをした。
家で話すより、なぜか自然に自分の気持ちが話せるような不思議な場所。
「俺、結婚するわ。」
シンは、自転車から降りると挨拶もなしにいきなりそう言った。
僕は、なんとなくだけど予感がしてた。
ゆうじのライブの帰り道、2人で帰る後姿を見て、シンは彼女を捨てられないと思った。
ユミちゃんへの恋心がいつまでも色褪せないのは、叶わなかった恋だから。
付き合ってみると、案外恋に恋していたのだと気付くのかもしれない。
彼女は、シンをすごく愛しているのが見ていてわかった。
手首を切るなんて、しちゃいけないことだと思うけど、そこまでしてまでシンを繋ぎ止めておきたかったのかと思うと、彼女のシンへの気持ちはとてつもなく大きいんだって思った。
あのライブに連れてきた時点で、シンはこういう決心に心が動いていたのかもな。
「俺、ずっと悩んでたけど、ゆうじの話聞いて心が決まったのかもしれない。俺、何を悩んでたんだろうって思った。あの命って歌聴いてるときに横で大泣きしてる彼女見てると抱きしめたくなった。お腹に手を当てて泣いている姿見てると、俺もお腹を触りたくなった。俺の子供なんだって思うと、彼女と子供を俺が守りたいって思ったよ。」
「そっか。僕もシンのその決意は嬉しい。シンが決めることだから、何も言わなかったけど。」
「俺も最初からそれが1番いいってわかってた。でも、なかなか勇気が出なかった。でも、今は我慢してじゃなく納得して結婚したいと思えるんだ。」
シンは、僕の目を真っ直ぐに見つめた。
「もう彼女にプロポーズした?」
「昨日の夜、彼女の家に言って伝えたよ。もっと早く安心させてやれたらよかったのにな。」
シンの横顔は、どことなくパパの顔になっているように見える。
「次はお前の番だよ、ハル。」
「え?結婚?まだ早いよ、僕らは。」
僕は、早くから結婚を意識していたわりには、まだ結婚する年齢じゃないって思ってた。
「何をもって、早いって思うのか俺にはわかんねーな。学生だからとか年齢で結婚の時期を先に延ばしてるなら、もったいないと思うな。」
「そりゃ、早くしたいけど。ユキは、今家族と過ごす時間も大事なんだ。」
「お前が思ってるだけなんじゃない?」
「え?」
シンの意外な一言に僕は、驚いた。
「ユキちゃんの気持ち聞いたことある?何歳で結婚したいとか話したことある?」
そう言われてみると、真剣に結婚について話し合ったことはなかった。
「ふざけて話したことはあるけど。いつもユキは早く結婚したいなーって言ってた。」
「普通なら就職が決まってからとか、安定した収入がもらえるようになってからって考えるかもしれないけど、お前ら普通じゃないからな。お前とユキちゃんは、この先もう絶対別れることはない。だから、早くても俺はいいと思う。」
「普通じゃない、か。確かに、独身のうちにやりたいことがあるわけじゃないし、ただ結婚できる年齢を待ってるだけ。」
「そうだよな。お前も独身のうちにコンパに行くわけでもなく、ユキちゃんもお前以上の男を捜す気もないだろ。」
「ユキより、僕がユキを求めてる。ユキを必要としてる。僕は、ユキと毎晩眠りたい。隣にいると安心して眠れるんだ。」
「案外男のほうが寂しがりやだもんな・・。わかる気がする。俺も、さんざん悩んだけど、今は生まれてくる子供と3人の生活が楽しみで仕方ないよ。」
シンに対して、不思議な感情が生まれていることに気付いた。
嫉妬とは少し違うけど、とても羨ましいと思った。
「結婚したいって気持ちずっと抑えてたのかな、僕は。お父さんとユキの時間がまだまだ足りないって思ってた。ちゃんと向き合って、ユキと話すよ。」
シンは、僕の肩をポンと叩き、立ち上がった。
シンは、僕より前を歩いてるような気がした。
「俺、ゆうじに結婚の報告してくるわ・・!!」
シンは、オンボロ自転車に乗り、走り去った。
僕は、大きなグラウンドを見渡した。
「はぁ〜。結婚か・・・そりゃ、今すぐにでも・・したいよ。」
珍しく独り言を言いながら、グラウンドを歩いた。