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第18話(抱きしめられる安心感)

衝撃の事実を知った僕は、人の目を見て笑うことすらできなくなっていた。


ライブの日から1週間くらい、ユキは毎日僕の家に泊まってくれた。


ライブに来ていたユキのご両親の、今は一緒にいなさいとの一言に感謝する。


ライブが終わった翌日からゆうじは入院することになった。


お見舞いに行くと、泣いてしまいそうでなかなか行けずにいた。



今日、やっと僕はユキとお見舞いに行った。


薬のせいでずっと眠っているらしく、ゆうじの寝顔だけ見て帰ってきた。


新しいアルバムの曲作りは全部終わっているらしい。


5月に出るアルバムはもう完成に近い。


ゆうじは、自分の体のこと一番よくわかっているんだ。


だから、寝る間も惜しんで曲作りに励んでいたのだと、今になって思った。



病院からの帰り道、あまりにうつむいていた僕にユキが提案した。


「水野さんに会いにいく??」



僕は、ライブで再会した水野さんとまだじっくり話ができていなかったので大賛成だった。


水野さんの家の玄関先に咲く花は、春はまだかと、春を待ちわびているようだった。



「おぉ!電話くらいしろよ!飯くらい用意しといたのに。」


昔に戻ったような明るい声に、僕とユキはホッと胸を撫で下ろす。


「せっかくケーキ持ってきてくれたから、食べましょうよ!」


みずきさんの入れてくれる高級な紅茶を飲みながら、穏やかな時間が流れた。


誰もゆうじのことは話さなかったが、みんな心の中で考えていることは同じだったろう。



「俺、ちょっと病院行って来るわ。お前が来るならキャンセルしといたのに。」


水野さんはジャージ姿で、自転車で病院へ行ってしまった。


病院はここから5分くらいの場所にあり、1時間で戻ると言っていた。



僕は、水野さんが倒れた日のことを意識せずにはいられなかった。


時間帯といい、ケーキと紅茶・・・。


「あの時は、本当にハル君ありがとうね。」


みずきさんも同じ事を思い出していたようだ。


「亮ちゃん、すごく元気でしょ?やっといい病院見つけて薬もらうことができてね。薬飲んでから1週間くらいで、元通り元気になっちゃって・・。今まで、連絡もらってたのに、ごめんね。全然会えなくて・・。あの頃は、別人のように、元気なくって。」


みずきさんのほっそりとした腕で、水野さんは支えられているんだと思った。


「病気は・・どうなんですか?僕も気になっていろいろ調べたんですが、ストレスが原因って。」


「ストレスとか、環境の変化とか、いろいろ言われているけど、現代病みたい。パニック障害って言うんだって。薬を飲むまでは、毎日ずっとパソコンの画面の前で座ってた。話しかけても、返事もできないような状態だった。外に出ようと言っても、今日はしんどいと言って、家から出なかった。私も、いつまで続くのかって何度も不安で泣いてたんだけど、私が彼を助けなきゃって思ったの。保健所に相談に行ったら、心療内科を紹介してくれたの。心の病、と亮ちゃん自身は思いたくなかったと思うんだけどね。でも、先生に話し終えた亮ちゃんは、すごく明るい顔してた。それから、薬で少しずつ病気を治していくっていう2人の目標ができた。」


知らなかったことを一気に知ってしまい、僕の心臓はどくどくと激しく動き出した。


「今も、薬を飲み忘れるとめまいや頭痛がする状態なの。でも、元気で明るい亮ちゃんに戻ったから私嬉しいの。でもね、私も人間だから自分もかわいいのよね。自分のしたいことができなかったり、夢が遠くになっちゃったりでイライラしちゃうこともある。不安もいっぱいある。」


ユキは、真剣なまなざしでみずきさんを見つめていた。


「薬ってそんなに効くんですか?ずっと飲み続けるの?」


「それが次の悩み。元気になったのは、いいけれど薬をやめるときにとても苦しい思いをするかもしれない。それに、副作用もあるから・・・。」


みずきさんは、大きくため息をついた。


「ハル君とユキちゃんにしか言えないことだけど・・・副作用っていろいろ人によっても違うんだけどね。亮ちゃんの場合・・・性欲がなくなっちゃったの。最初は悩んだわ。結婚して、私を女として見られなくなったのかと不安になった。でも、それが副作用だってわかってからは、違う不安が出てきた。いつまでだろうって。新婚のこの時期に、ラブラブしたいって思うじゃない?それができない寂しさもあったし、抱きしめられて安心するっていうのがもうなくなっちゃうのかなって。」


ユキは、みずきさんの細い手を握った。


しばらくの沈黙の間、時計の秒針の音がやけに気になった。


僕の鼓動と絶妙なハーモニーを醸し出していた。


「私、みずきさんの気持ち、わかるな。病気のせいだってわかってても不安になりますよ。本人にも愚痴を言えないし。何もなくても、結婚したら、女の人は誰でも一度は不安になるときがあると思う。私に飽きたのかな?とか私に魅力なくなったのかな?とか。病気のせいだとは言え、あんなにエッチなことばっかり言ってた水野さんだから、みずきさんは辛いと思う。」


ユキも僕にそんな風に思ったことがあったのだろうか。


みずきさんの目からは、涙がこぼれていた。


「ただ、ぎゅってしてくれるだけでもいい。やっぱりそれで言葉では感じることのできない安心感が得られることもある。たまに、そんなこと考えて悲しくなる。でも、そんなときに思い出すの。倒れた日のこと・・・。どんな体になろうとも生きていて欲しいと願ったあの気持ちを思い出すと、前向きになれるわ。生きていて、今隣にいてくれることが幸せなんだって。あースッキリした。こんな悩み誰にも言えなくて・・・話したらスッキリしてどうでも良くなっちゃった。」


涙を拭いたみずきさんは、立ち上がり、台所へお皿を片付けに行った。


しばらくして、温かいココアを入れてくれたので、僕とユキは黙ってココアを飲んでいた。


相変わらず、時計の音が気になったが、僕の心臓は元通りの速さに戻っていた。


「ゆうじ君のおかげかもしれないな。もう泣かないって思ったの。あのライブの後に・・・。亮ちゃんも、もう過去は振り返らないって言ってた。ゆうじ君は、あの場所にいた全ての人に何かを残したよね。あの笑顔を見ていると、強さと優しさは比例してるんだって思うね。」


みずきさんは、結婚指輪をくるくると回しながら、話していた。


僕は、ずっと触れなかったゆうじの話題に、戸惑いながらも嬉しさを感じた。


「ゆうじも頑張ってるんだもんな。僕もしっかり頑張らなきゃな。」


「私も、頑張る。勉強も、恋も。ハルの支えになれるように。」


「もう充分支えになってるんだけど。」


僕は、チラっとユキを見たがユキはココアの表面をじっと見ていた。


「ふふふ。仲が良いわね、いつも。」


みずきさんは、恥ずかしげもなく照れくさい事を言う僕に少し頬を赤らめていた。



水野さんは1時間もしないうちに帰ってきたが、それから5分ほどで僕らは帰った。


「え〜?もう帰るの?ハルっぺ、ユキちゃんまた来てね。」


水野さんに見送られ、僕はユキと手をつないで坂道を下った。



「同じ家に帰るって幸せだね。一緒に暮らそっか?」


ユキはいつも大胆な発言で、僕をドキドキさせるんだ。


そりゃ、僕だってそれはとても望んでいることだけど、同棲するなら結婚したいと思う。


ここで、僕が「暮らそう」と言っても、結局一緒には暮らせないことはわかっていた。


僕の両親も許さないだろうし、ユキのお父さんも寂しがるだろう。


「一緒に暮らしたいのは僕も同じ。もう少し待ってろよ。」


僕は握り合う手に力を込めて、歩き続けた。


坂道を下ると、とても美しい夕焼けが僕らの前に広がっていた。



「明日から、私家に戻るけど、寂しかったらいつでも駆けつけるからね。」


どっちが男だかわからない。


僕はユキに守られ、支えられ、包まれて、ようやく笑うことができる状態だった。


みずきさんの言葉がよみがえる。


抱きしめられる安心感・・・。


抱きしめられた時に相手の心がわかる。


胸の鼓動が重なることで、安心できる。



この不安は体のぬくもりを感じないと消せない。


電話やメールでは、僕はよけい寂しくなってしまうだろう。


隣で笑って、手を握り、僕を抱きしめてくれるユキの存在が必要だった。


僕は、ユキがいないと不安に押しつぶされそうで仕方なかった。


できれば24時間ずっとそばにいて欲しかった。





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