第14話(あの頃に戻れたら)
高校での卒業ライブを翌日に控えた3月のある日のことだった。
「今から会えないか」
いつもとは違うシンの声に僕は車を走らせた。
待ち合わせた場所は、シンと中学時代に毎日のように通っていた市営グラウンドだった。
ぐったりと肩を落としたシンを見て、僕は真夏に水枯れしたヒマワリを思い出した。
「どうした〜?肩落としすぎだよ、シン。ここ、懐かしいなぁ。」
できるだけ明るい声で声をかけたつもりだったが、僕の声のトーンもいつもより低かった。
「昨日、病院行ったんだ。妊娠してるって言われたよ。自分の存在を父親にこんな風に思われてる赤ちゃんがかわいそうだ。俺は、妊娠していないと言われることを望んでた。」
シンは、僕の方に顔を向けることなく、じっとひざに置いた自分の拳を見ていた。
「仕方ないよ。まだ僕らは、父親になれる年齢とは言えない。学生だし、素直に喜べないのは、仕方がないことだと思うよ。・・・で、彼女はなんて?」
「彼女は、一人で産むから気にしないでと言っている。手首切ったときは、別れないでと俺にすがってきたのに、昨日病院の帰りにはとても落ち着いた表情だった。お腹に子供がいるってちゃんとわかって、あいつはもう母になってるんだなと思ったよ。」
シンはやっと顔をあげて、僕を見た。
「俺は、まだ父親になる覚悟もないし、まだ信じられないってのにな。女はすげーな。」
僕は、自分だったらどうするかと考えた。
ユキとの子供なら今すぐでも大喜びするだろうけど、もう好きではなくなった人との子供ができたとなると・・・。
これからの人生を全てその子供に捧げる程の覚悟ができるだろうか。
まだ社会人でもない、経済的に自立もできていない今の僕らに何ができるか。
ドラマで見るような、金で解決・・という方法すら僕らにはないのだ。
だけど、自分の子供なんだ。
実感はなくても、自分の子供なんだ。
一度は愛した相手との子供を、僕はきっと抱きたいと思うだろう。
その子の成長をそばで見ていたいという気持ちが生まれてくるだろう。
シンは、ユミちゃんが好きで、このようなことがなければおそらく2人は付き合っていただろう。
シンとユミちゃんの未来と、シンと生まれてくる赤ちゃんと母親との未来。
どちらがシンにとって大事なのか、どっちが幸せかなんてわからない。
でも、赤ちゃんにとってはシンはたった一人のパパなんだ。
シンが父親として、彼女と結婚することが赤ちゃんにとっては幸せなのだろう。
そうとも言えないのかもしれない。
愛し合っていない両親の元で育つことは、子供にとって幸せとは言えない。
シンの決断は、まだまだ先になりそうだが、僕にできることは話を聞くことだけ。
「俺、お前にだけ本心言うと、その彼女とは結婚はしたくない。子供の父親になることはできても、結婚はできない。でも、それって勝手だよな。そんな俺をユミちゃんが受け入れるはずもない。なんかさ、やっとユミちゃんと向き合おうって思った所だったから、こんなに悩むのかな。フラれるかもしんねーのにな。」
シンは、転がっているサッカーボールを蹴った。
「ナイスシュート!お前がぶち当たる初めての壁なんじゃないの?」
ボールはコロコロとゴールに向かって転がる。
「そっか。俺今まであんまり悩むこともなく生きてきたもんな。ユキちゃんの家庭の悩みや、水野さんの病気に比べたら、俺の悩みなんてそう大げさなものじゃないな。俺だけの問題だもんな。俺がどうするか・・・だけ。」
「明日、ライブだからあいつらの歌聴きながら、悩めよ!あせらなくても、ゆっくり考えればいいんじゃないか?」
シンが走り出したから、僕も走った。久しぶりのボールの感触を楽しみながら、シンとボールを蹴りながら。
あの頃に戻れたら・・・
シンが走りながら言った。
あの頃・・・ まだ無邪気で本当の恋も愛も知らなかった頃。
ただただ大好きなサッカーを毎日していた。
くだらない事で笑い、ケンカし、すぐ仲直りし、またボールを蹴る。
そんな頃に戻れたら・・・僕らに違う未来があるのだろうか。
シンは、彼女と付き合ったことを後悔しているのだろうか。
本当に好きではないとわかっていて、関係を続けていたことを後悔しているのだろうか。
後悔しても戻らない。
前を見るしかない。
ゴールに向かって、ボールを蹴らない限り1点は入らない。