第8章「先に来た者」
強行偵察という言葉は、往々にして誤解を生む。
無理に踏み込むことではない。踏み込み、引き返せるうちに引き返すことだ。
蒼真は森の中腹で伏せたまま、眼前の地形を睨んでいた。
前日の接触地点から、敵はさらに奥へ拠点を移している。だが隠す気は薄い。見せる配置だ。
(誘っている……)
見張り台は高すぎず、低すぎない。
巡回の間隔も一定。
罠はないが、侵入経路は限定されている。
訓練を受けた人間の発想だった。
「……魔物の運用じゃないな」
斎藤の低い声が無線に乗る。
「ええ。指揮官が前に出るタイプです」
蒼真はそう返した。
前線に出てくる。
自分の力を誇示するタイプ。
そして――そういう人間は、必ず油断する。
さらに進むと、魔物の気配が急に薄れた。
代わりに、人の気配が増える。
鎧は統一されていない。
だが動きは揃っている。
(寄せ集め……だが、練度は高い)
蒼真は違和感を覚える。
この世界の軍隊にしては、指示の出し方が“直線的”すぎる。
「止まれ」
斎藤が合図を出す。
その瞬間だった。
「――そこまでだ」
声が、前方からはっきりと届いた。
距離は二十メートルほど。
隠れる意図はない。
木々の間から、一人の男が姿を現す。
年齢は二十代後半。
黒い外套。
腰には剣、だが構えは軽い。
そして――
蒼真は一目で理解した。
(こいつ……“こっち側”だ)
男は笑っていた。
戦場で見る笑顔ではない。
自分が優位だと確信している人間の顔だ。
「警戒しなくていい。撃たないから」
日本語だった。
空気が凍る。
斎藤も、蒼真も、即座に引き金にはかけなかった。
代わりに、照準を外さない。
「……お前、誰だ」
斎藤が問う。
男は肩をすくめた。
「名乗るほどの者じゃないよ。まあ……君たちの“先輩”かな」
その言い方が、蒼真の神経を逆撫でした。
「異世界に来たのは、君たちが初めてじゃない」
男は続ける。
「俺は……そうだな。十年くらい前か。気づいたら、ここにいた」
十年。
その年月が、すべてを物語っている。
「最初は大変だったよ。でもさ……」
男は片手を上げる。
次の瞬間、空気が歪んだ。
火でも雷でもない。
圧縮された衝撃。
木がへし折れ、地面が抉れる。
「慣れる」
蒼真は即座に理解した。
魔法適性が異常に高い。
「……それで、世界を征服か」
蒼真が言う。
男は目を見開き、そして笑った。
「話が早いな。そうだよ」
迷いがない。
悪意もない。
「この世界はさ、優しい。力があれば、上に行ける。現実と違ってね」
その言葉に、蒼真の中で何かがはっきりした。
(劣等感の裏返しだ)
「魔物も、人間も、使い方次第だ。駒としては優秀だよ」
斎藤の指が、わずかに引き金にかかる。
蒼真はそれを制した。
「……なぜ、俺たちに話した」
男は一瞬だけ考えた。
「興味があった。君たち、ちゃんと“軍人”だろ」
蒼真は否定しなかった。
「俺はさ、現実じゃ何者でもなかった。でもここでは違う」
男の声は、どこか誇らしげだった。
「だから、邪魔しないでほしい。帰るなら、帰ればいい」
その言葉が、静かに刺さる。
「帰れる場所があるんだろ?」
蒼真は一瞬、言葉を失った。
(……知っている?)
だが問い返す前に、男は後退した。
「今日はここまでだ。殺し合うには、まだ早い」
魔物たちが、合図と同時に動き出す。
統制された撤退。
数秒後、森は再び静寂を取り戻した。
斎藤が、ゆっくり息を吐く。
「……厄介だな」
「ええ」
蒼真は頷く。
「敵は、俺たちと同じ“人間”です」
しかも、
力を得て、歪んだ成功体験を積み重ねた人間。
拠点へ戻る途中、蒼真は無言だった。
エリシアが、それに気づく。
「……彼は、何者なんですか」
蒼真は答える。
「もし俺たちが、違う道を選んでいたら……なっていたかもしれない存在です」
それは、最大級の評価だった。
この戦争は、単なる侵略ではない。
価値観の衝突だ。
そして蒼真は理解していた。
この敵は、
倒すだけでは終わらない。
――選択の物語が、
本当の意味で動き出した。




