6、諦観と前進、宣言と侵攻
・
諦めて生きてきたなぁ、と天井を見ながら思う。
研究所の天井は低いとは言えないが高いとも言えない。
一番天井が高いのは外と通じる搬入路の辺りでキャットウォークが床から十メートルほどの高さに在る。
(諦める事で進んできた……よな)
天井の高さから意識を戻す。
嫁と娘が死んだときも不幸な事故だったけれど七日七晩泣き続けてそれから諦めた。どうしようもないと、死んだ物は取り戻せないと。吐き気がするくらいの正しさだと思う、正義という意味ではなく効率という意味で。
そんな俺は結局の所、諦めて前に進んでいるのだ。
何も手に残らない生き方だ、と師匠には言われた。それ故に誰も行けない場所まで行くかも知れないとも。
それは慰めにしか聞こえなかったが。
『僕も何も手にして無いよ?』
そう言って師匠は両手の平を見せてくれた。
何もつかめない手で、誰かの為になることを成そうなんて……。
おこがましい、とも言える、他人がやっていれば高潔とも思えたかも知れない。
(それなのに……)
と思う。諦める事で生きてきた、それは隣も見なければ後ろを振り向く事もないという意味だ。
あのときああしていればという思いすら後ろに置いていく。
(なのに……)
運命は下らない事にやり直しを請求してきた、七日七晩の涙では軽いというのだろう。もう一度の選択は娘の顔で現われた。
カルテに記載されていた名前に因ると、雨箕美羽――あまぎみう――という名前だったようだ。うみ、とはその名をひっくり返してつけたと助手達に嘘をついた。しかし、谷は知っているはずだ、俺の娘が宇実という名前だった事を。
谷は悪趣味だと嗤った。
(確かに、自虐趣味は悪趣味だな)
そう思う。うみを見ていると宇実の事を思い出す、そして傷つける事で俺の心を傷つけて、笑顔を見て心が傷ついて。
――悪趣味な上に救いがない。
それでも、と思うのは欲張りだろうか。出来る事ならとも思う。
あのうみに自由を、あのうみに空を、と。
あの人身売買の組織は、研究所としてしか取引が出来なかったので、俺に金があったところで、あのうみを買い取る事は出来なかった。どこかの変態に心も体も汚して壊されるなら手元に置いておきたいと思ったのかもしれない。あのときは手にする事しか考えてなかったけれど。
どちらにしても――全ては三日後だ。
・
三日という時は疾く過ぎた。
聖書に曰く、世界が始まってから太陽が出来るまでよりも短い。
「んー、どう思う、一日ちゃん」
「そうね、パトロンが英雄気取りで前に出てきてもいいレベルじゃなさそうよ、歌成ちゃん」
きついなぁ、と思いながら一日を見る。たしかに、その台詞を吐くだけの表情はしている。敵意と緊張と適度な弛緩と。
「内部にいるスパイからあそこに入り込むためのカードキーと中の鍵を開けるためのカードキーを用意しましたよ、一日ちゃん」
「あらあら、どうも。でもこういう建物の場合攻め込まれるとキーの権限だけでは開かなくなるかも知れないわよ、歌成ちゃん」
どうしてそんな事を言うのかと思ったが、そう言えば一日は以前、どこかのソフト会社に忍び込んだときにそう言う目にあっていたと語ってくれた事があった。
でも、まぁ。
「表から入る一回目だけでも使えれば儲け物だと思ってよ、一日ちゃん」
「――まぁ、そうね。そう考えればありかも知れないわね、歌成ちゃん」
私の手からカードキーを取って胸のポケットにしまう一日。
今日の一日はスーツ姿だ。携帯白衣も持っている。
スーツは前回あの人買組織を壊滅させたときに手伝わせた黒服達からのレンタルだ。普通のスーツではないらしい。
ちなみにあの黒服達はこういう事には向かない。殲滅戦や強襲戦、総力戦には戦力として使えるが潜入には向いていない。
だから、今日の主役は一日一人。
黒服も事後として呼んではいる、が。
一日の単独での生存帰還能力は非常に高いと思っているが、だからといって一人でこの組織を相手に出来るのだろうか?
「……食料の流入量とこの建物の地図からして人口は百人にも達っさない、人質としての少女を最小としても敵戦力は百を超えないし研究員は少なく見積もっても四十以上はいるので、最大で六十を相手にすればいいだけ」
と計算した一日は。
「六十程度の警備員は武装していても『御鳥の雛』に勝てる物では無いと言うところを結果を持って教えてあげましょう、歌成ちゃん」
――宣言し、状況が始まった。
・




