10、死の舞踏と喜びの見いだし
・
「え?」
別にいつもと変わらなく見える訓練室。さっきの感覚は勘違いだったのかと溜息を……。
――!
体が動いた。
感覚とか理性とかそれ以前のイノチの判断として後ろに跳んで。
音を聞いた。
その音は破砕の音。開いて、戻らなかった押し戸が砕けによってならす重音。
音と共に感覚に響いたのは腕の影。
そして、白。
(白いのは……)
服、貫頭衣。
「……誰!」
「雛子」
端的な答えが返ってきた。
「もう一つの研究室の……!」
「正解」
ぶん、と音がする。
見ると貫頭衣から出ている腕は、長い、気がする。
他の大人や検体の少女達と比べても長い。雛子と名乗った彼女と比較すればその長さが際だつ。
だから、予想がついた。
何故に、あの扉を壊す等という荒技が可能になったのか。
(――遠心力!)
バターになった虎の話。
「――どうして、こんな事を!」
思わず叫ぶ、少女は首を傾げた。腕は長いが背は低い、私よりも下にある眼球が上目遣いにこちらを見る。
「命令?」
半疑問でいう少女はしかし、攻撃の手は止めない。此方に背を向けて体をひねり、ねじりの解放に因って生まれたスピードは攻撃力という一語に変換される。
うわ、と小さな驚きと共に身をよじって交わすと空気をねじる、ぶん、という音がした。
「――谷の?」
「解放」
かいほう?
意味は分からないけれど。
「引換」
――つまり、外に出るとかそう言う事を交換条件にここで私と戦っていると言う事だろう。
そんな相手と。外に出たいとすら正直思えない私が。
「覚悟」
遠心の打撃。素手で扉を壊したのだから、恐らく私と同じような腕なのだろう。痛みを感じない、固くて早い手。
けれど、私の腕はそのような使い方は出来ない。腕の長さが違う以上回転の軸は雛子よりも内側に置かなければならず、その距離は死線の向こう側だ。そんなところに身を浸す事は出来ない。
だから一歩を引く。
遠心は中心軸の固定があってこその一撃だから軌道は読める、横薙ぎとも言える一撃は射程の面ではさほどでない。
その外側によける事は難しくな――。
「っ!」
食らった。恐らく指先と言えるところがかすっただけ。
けれど、その威力は掠るという物でなく削るという言葉に近い。
実際に私の服も持って行かれている。
「追、撃」
声と覚悟が共に来た。
・
「あれは?」
「逃げる相手に追いつくためのやり方だ。例の二人組み手の途中に編み出したようだが……やる物だろう?」
思ったよりも激しい、と言うのが最初の感想。
雛子に対してどのような教育を行ったのかは知るよしもないが、俺がうみに教えたのはまず逃げる事だ。
襲撃で乱戦になるといっても、生き延びれば保護してもらえるだろうという甘い考えが一つ。そして、うみはどちらかというと不用意そうなので自制としての意味合いが一つ。
重ねての逃走指示だったが。
「攻撃重視、だな」
「あぁ、兵器は使い捨ての攻撃力重視で良いだろう?」
本気で言っているのかどうかは知らないが、そう口にして得意げに解説を続けた。
「回転の軸は前に踏み出した足、雛子の利き足は左じゃない」
つまり先ほどの扉を壊した一撃は本域ではないということか。
そう思いながら扉のスペックを思い出す。
訓練室が本来の物として動くときには扉寄りも内側で壁と同じ構成のシャッターが降りる。扉はつまりジェルセルの壁より強度で劣るのだが、それでも並の扉よりは頑丈。木製パネルで30センチ厚のものと同じ強度があるという話だったが。
「戦いは戦場だけに在る物ではないぞ、東。アレは仕込みだ」
と言う事らしい。つまり恐怖心を煽るための仕込みだが。それでも、ああまで完全破壊は出来ないと思えるような一撃だった。
「あの移動法は?」
「さあ、詳しくは知らない、うちの助手、中国拳法好きの女がおもしろがって映像を見せた次の訓練の時にあの歩法の雛形のような物を披露していたけど?」
――恐らく箭疾歩と呼ばれる物に近いのだろう。
うみは一瞬という時間で雛子の姿を見失い懐に入られていた。
(相手の意識と意識の間を突く移動法だったか!?)
そして、うみは吹き飛ばされた。
・
「発気!」
一瞬前に前方三メートルの位置にいた雛子がこの瞬間にはなぜか懐にいた。
そして、裂帛の息と共に腕を突き出しているのが見えて、その先端が。
「――!」
――。
――。
はっ!
胴の中心に突き刺さった雛子の掌は足裏からの加速を乗せた掌底だった、食らう事でべきべきと嫌な音を立てる肋骨を意識し、同時に肺から空気が無くなると意識が落ちて次の呼吸に痛みを伴うということも今学習した。
「は、ふ……」
雛子から隠すようにして息を整える。多分、ばれてはいるだろうがばれないように呼気を整えようとする事で諦めていないと訴えてみる。
「降伏。勧告」
一歩を開けて雛子は見下ろしに近い視線。こちらの頭が下がったからだ。そして、一歩と言う距離は相手の射程距離でこちらの威力範囲ではない。
けれど、
分かったのは単純な事だ。
遠心を使えなければ威力は硬さでしかない。今の一撃で骨が致命的な傷を負っていないのは遠心力を使えない直線軌道の攻撃だったから。近づく瞬間は見えなかったけれど、さすがに迂回を見逃す程甘くはない、はずだ。
耐えられる、という事実。
戦っている、という事実。
――なんだ。
――なんだ、そうか。
「くふふ」
「――? 諦笑?」
雛子の声。けれど、私は胸が痛い。胸が痛くて肺が痛くて。
けれど、楽しい。
戦っているという現実。
殴り合うという原始的接触。
黄と黒の獣、虎の子、この部屋にいる雛子がそうなのかと、扉が砕けるときに思ったが、違った。
――獣は二人、この部屋に居るらしい。
そう思うと、
「くふふふふふふふっ」
――楽しい。
「安楽、殺」
雛子が跳ぶ。見えない移動は先と同じ。
けれど、迂回しないと言うのなら、
「くふふふふふ」
瞬きの時間にこちらも移動を差し込むだけ。
左に跳んだ、
そちらは壁。
――だが。
「――仰天!」
驚きの表情で雛子が目の前に現われる。両手は引いている。次に突き出すための加速を得る軌道。足から肩の直線より少し下側。
簡単な推察だった。雛子が意識から消えるのは二人の間の距離だけ。その距離そのものを引き延ばせば余剰分距離は実像で渡るしかない。その余剰分は私が左に跳んだ分であり、もしも右のひらけたスペースに跳んでいれば雛子は諦めて追撃をしなかったかも知れない。
故に左に跳んだ。少しの距離を跳んだだけで肘が壁にぶつかる、埋まるような感触である、けれど。
「――っい!」
勢いをつければ壁の変形が間に合わず硬さを返す。その硬さは反動と呼ばれる物を生む。腕の力は足には劣るが、
――距離が短く時間もすぐなら有用だ。
「――っせい!」
反動で体重ごと、攻撃部位は信頼できる足。
「――つがっ!」
足裏、眠っているときから裸足だった為に素足の裏で踏みつける形になったのは手を後ろに伸ばしている雛子の脇腹だった。
――っと。
とバランスを取り戻す。
雛子は勿論意識を落としてはいない。
脇腹ではどう揺らそうが脳は揺れないだろうし血流も切らない限り関係ないだろう。だから雛子は意識を落とさない。
「――ふぅ」
と一つ息をつく。今のは賭けでもあった。あの移動法が二者間の距離以上を移動できるのなら今たてた作戦はそもそもが無駄である。その賭けをやってみようと思ったのは、遠心力の無い突きなら耐えられると判断したからであり、もう一つは楽しかったからだ。
「面白いね、戦うのって」
笑いかけると雛子に怪訝な表情をされた。
「被虐?」
意味はよく分からないが侮辱的な質問をされたような気がする。
でももったいないな、とも思う。こんなに楽しいのに。
「……それじゃあ、もうちょっと楽しもうよ」
踊ろう、一緒に。
・




