後編:ユーレニの正体
(きゃーーっ、どうしよう? なに着て行こう!?)
だってデートである。ヤヤルにとって初めてのデートなのである。
これは大事件だからして、現世の(転生者ではない)友人に相談して買い物に付き合ってもらって、流行のワンピースその他もろもろを購入した。
そうこうするうち、うれしはずかし週末!! がやってきた。
念入りだけれど薄目のお化粧、仕上げにルージュ。うるうるツヤッツヤのグロスを重ねる。こういうグロスは食事をすると取れてしまうのが難点だが、すぐに化粧室で付け直せば大丈夫のはず。
ショートボブの髪はがんばってハーフアップにして、ピアスと髪留めは瞳とおそろいの緑色、そう、草原の色でバッチリ決めた。
ユーレニは瞳の色を褒めてくれたから、この選択で間違っていないはず。
(我ながら、可愛く仕上がったよね……?)
姿見の前でくるり、と回ってみると、ワンピースの裾が揺れた。足首がギリギリ見えるか見えないか、というロング丈がこの国の常識である。
時折ちらりと見える赤い靴が、いい差し色になるだろう。
ドキドキしながら待ち合わせ場所の中央公園、噴水の前へ急ぐ。
そこに着いたとたん、ヤヤルの心臓が大きく跳ねた。
(か、かっこいい……っ!)
ユーレニはシンプルな白シャツに、チノパン。ショートブーツ。
ちょっと濃い色の垂れサンがよく似合っている。
周囲からチラチラと若い女性の目を引いていた彼は、まだ遠くにいるヤヤルに気がつくと「やあ」の形に口を動かして片手を上げた。
「すみません、遅れました」
「いや、俺もさっき来たところですから」
ヤヤルが小走りで近づく間に、ユーレニはサングラスを外してシャツの胸元に引っ掛けていた――うぅ、そんなちょっとした仕草にドキッとしてしまう。
(ダメだめ、初対面に近いのだから、落ち着いて……)
ヤヤルはすぐに視線をユーレニの顔に固定した。
それはそれで彼から甘い微笑みが降ってきて、盛大に照れてしまったのだが。
++++++
ユーレニが予約してくれていたのは、大通りから角を曲がって数分ばかり歩いた場所にある、洒落たカフェ。かすかに聞こえる噴水の音、眼の前の通りを行く乗り合い馬車のカポカポという音、通りを歩く人の会話までもがほどよいBGMとなるテラス席。
「この店、ランチが美味しいって評判みたいで。どうですか、ヤヤルさんの好みに合いそう?」
「はいっ、すごく素敵ですね!」
コップひとつ、壁にかかった絵の一枚も、すべてセンスがいい。普段着のヤヤルなら気後れしただろう。
「ヤヤルさんは何を食べたいですか?」
「えっと……パスタが好きなので。あっ、二人用のコースがありますよ、サラダ、スープにパン、主菜とデザート! メインは別々で選べるって……それならパスタ! えっとココから選べばいいから……」
「くっ……」
向かい側から思わず漏れたような低い笑い声で、はっと我に返った――初めてのデートで食い意地の張ったところを見せるなんて、大失敗だ!
真っ赤になったヤヤルだったが、ユーレニは優しく微笑み、
「では、ヤヤルさんに注文をお任せしても?」
どこまでも紳士であった。
惚れそう……というか、ヤヤルはすでに彼に惚れている。
食事はすごく美味しくて、楽しくて。
この日は前世のことだけでなく、現世での趣味やら仕事やら家族のことやら、将来訪れてみたい他国の話まで、それこそ尽きることがなかった。
だから帰り際、
「ヤヤルさん、結婚を前提に付き合って下さい」
と言われて頬を真っ赤に染めてうつむいて、それからコクリと頷いたヤヤルであった。
++++++
週明け、友人にその話をしたら。
「きゃーっ、とうとうヤヤルにも春が来たのね!!」
「えへへ」
頬が緩みっぱなしのヤヤルである。我が事のように喜んでくれる友は、きっとこれからも話を聞き、相談に乗ってくれるだろう。感謝感謝である。
「ねぇヤヤル。そこまで気が合うなんて、もしかして……その彼とは前世でつがいだったんじゃ、ない?」
「えっ……」
全く考えていなかったので、ぽかんとしてしまった。
ヤヤルの前世の記憶には、つがいの存在はない。
転生の際にそのあたりがすっぽり抜け落ちてしまったのか、つがいと巡り合う前に命を終えたのかは、分からない。〝転生者〟といってもハッキリ覚えていることは多くないのだ。
「で、でも。だって彼はガゼルかシマウマか、キリンのカバが象で」
だから野ウサギのヤヤルのつがいでは、ないはずで――しどろもどろになっていると、友人は残念なものを見る目つきになった。
「ちょっとぉ、彼が何の動物だったか聞いてないの? 転生者なら、そこ大事なんでしょうに。まったく、もう。何時間もなに話してたのよぅ」
「うぅ……」
返す言葉もない。
前世のことは基本中の基本の事柄なのに、ユーレニとは全然違う話で盛り上がっていた。つまりは、彼の前世が気にならないくらい話題に事欠かなかったということだ。
でもいったん気になると、小さなささくれが刺さったままのように落ち着かないから。
「来週のデートで聞いてみる」
「そうしなよ、きっと彼も野ウサギだったのよ!」
「そ、そうかなぁ?」
「なんてロマンチックなの! 前世のつがいと今世で結ばれる、なんて」
親友はうっとりとしている。
「そっか、そうかも……うん、きっとそうだよね」
「そうよぅ、そうに決まってる」
思わず、でへへえへへ……とますます頬がゆるんでしまった。
++++++
だがしかし、コトはそう上手く運ばなかった。
「あの、それで。ユーレニさんの前世の生き物は」
「あっ見てくださいヤヤルさん。あのアイスの屋台、新規開店だって」
「えぇっそれはぜひ」
またある時は、
「ユーレニさんの前世の」
「あのぅ……すみませんが道に迷ってしまって。孫の家を訪ねるところなんですが……」
「ああ、この住所なら大通りを真っすぐ行って、赤い看板の靴屋の角を――」
ユーレニが道案内を始めてしまったり。
それでもくじけないヤヤル、
「あのっ今日こそ、ぜん」
「ヤヤルさん……可愛い。頬にキスしても?」
「はぃ、えっ? ははは、はい、ぃぃぃっ」
ちゅっ。
宣言どおり頬にキスを落とされて、何も言えなくなってしまった。
++++++
それからの二人は毎週のように週末デートを繰り返し、ユーレニの愛情表現(ほっぺにキス!)にヤヤルは盛大に照れてしまって、それで顔が赤くなると「可愛いね」なーんて言われてしまって。
ある時とうとう、夕日の差す植物園の木陰で、
「ヤヤル、好きなんだ……」
〝さん〟を付けずに囁いたユーレニに、ふんわりと抱き込まれた。
そんなこんなで王都内のデートコースなら全て制覇したのではないか――という頃。
「結婚の報告に、俺の生家に挨拶へ来て欲しい」
などと言われて頷いたら、約束の日にヤヤルのアパート前まで迎えに来た馬車には公爵家の紋章が入っていた。あんまりにも驚いて魂が抜けるかと思った。
王都の一等地で止まった馬車からユーレニのエスコートで降り立つと、
「お帰りなさいませ」
ずらりと並んだ使用人たちの、お辞儀する頭部に出迎えられて今度こそ魂が口から半分出かかった。
家令だと名乗った老人の、嬉しそうに細められた目がせめてもの救いか。
……でもこの人、どこかで見たことがあるような…………確か街でデートしていたときに『孫の家に行く途中で迷った』と話しかけてきたご老人によく似ている、気がする……?
不思議に思ってその家令の顔を見つめていると、にっこりとされた。笑いジワが優しそうだな、なんて思っているうちに『孫の家が云々』のことは忘れてしまった。だって、ものすごく緊張していたからそれ以上のことを考える余裕なんてなかったし……。
この状況だと当然のことなのだが、公爵当主、公爵夫人がユーレニの両親だという。
「まあまあ、なんて可愛らしいお嬢さんかしら!」
「お前も隅に置けないな、このっ」
喜ぶ公爵夫人の横で、長兄で跡取りだという30才くらいの男性がユーレニを小突いている。いつもは落ち着いていて紳士で大人びているユーレニが、末っ子として可愛がられているのはヤヤルにとって新しい発見だ。
さすがに公爵本人は無言だったが、おヒゲの奥で口角が挙がっているのはばっちり見えましたよ……うん、よかった優しそうな人たちで。頭ごなしに反対なんて、されなくて。
「よ、よよよヨロシク終えまし、ち、違、お願いしましま……っ」
ダメだ盛大に言い間違えたうえ噛んでしまって最後まで言えなかった。涙目になっているとユーレニの姉だという女性に、
「んもうっ! なによこの小動物!! かわいい可愛いカワイイ~~~」
などと抱きしめられて頬ずりされた。
「……離れてくれ、姉さん」
背後から低い声のユーレニに引っ剥がされてぎゅぎゅうに抱き込まれたところでヤヤルの魂は完全に体から離脱した。
++++++
(これが幽体離脱……)
なんと意識だけが、ぽっかりと浮かび上がり、公爵家は応接間の天井付近から皆を見下ろしている。
ぐったりと目を閉じた自分の体を横抱きにして、ものすごく焦った顔で何かを叫んでいるユーレニ。声はまったく聞こえない。
公爵家の他の面々も同じように慌てている。
ふと、ユーレニの体に蜃気楼のように何か別の姿が重なって見えた。
あれは……あれは、なに。
四足の、濃いオレンジ色の毛皮には黒い縦縞が。
大きな体。もはや巨体と言ってもいいだろう。
ぴょこんと丸く立った耳、正面を向く黒い瞳、太い鼻筋。口から覗くのは鋭くて長い牙。
ぶっとい前足は紛れもない肉食獣の証だ。
――大虎。
その瞬間、ヤヤルの目の前に、ざぁっと緑の草原が広がった。
大型の獣はいま、丈の高い草原に身を隠し、水辺にいる小さな動物を狙っている。
目立たない茶色の毛皮のその動物は野ウサギだ。
(危ないっっ!!)
声なくヤヤルが叫んだ瞬間、その野ウサギは間一髪で虎の攻撃を避けた。鋭い爪がかすって毛が数本抜けたくらいにギリギリだった。
野ウサギは尻尾の周りの白い毛を見せつつ、ものすごいスピードで跳躍して逃げていく。
強烈な既視感。
つまりあの野ウサギはヤヤルの前世で、もちろん虎はユーレニで。
二人は喰う、喰われるの関係だったのだ。
ああ……意識が、体に引っ張られる。
魂が体に戻る。目が覚める。
捕食者の虎のもとに、戻っていく――。
++++++
ぱちりとヤヤルが目を開くと、すぐ側にユーレニの涙目があった。
「ややる、ヤヤル。ややるややるヤヤル」
壊れたオルゴールのように名前を呼び続けて、自身の伝う涙を拭いもせずに頬を擦り寄せている、このひとが。
現世のヤヤルの婚約者だ。
(ああ、好きだなあ……)
ユーレニには、前世のあの狩りの記憶はないだろう。ほんの一瞬の、命を賭けた邂逅だった。
前世が虎だと告白すればヤヤルが怖がると思ったのか。現世は公爵家の者だと言えばヤヤルが逃げると思ったのか。
とんでもないことを色々と隠していた人ではあるけれど、ヤヤルに向ける愛情に嘘はないと思う――きっと彼は一生をかけて、しかも自発的に、隠し事をしていた償いをするのだろう。精一杯の誠意と愛情でもって。
そこまで考えたところで、目の前で泣くこの人が可愛らしくて大好きで、思わず口角が挙がった。
「や、ヤヤル、よかった目が覚めて……」
まだ動揺しているユーレニの声。
頬に添えられた彼の手が温かい。この人と、人生を共にしたいと思ったから。
ヤヤルはその手に、ゆっくりと自分の手を重ねた――心からの愛情を込めて。
今日は転生者限定の婚活パーティ! ……もしやこの人は前世の番? <了>
本編はここで終了です。
読んでくださってありがとうございました。
次話、ヒーロー視点の小話を投稿します。