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仲直りの朝

 体中が痛かった。軋む肩やら腰を気遣いながら体をゆっくり起こし、自分がいる場所を確認した。昨日あったことは夢ではなかったらしい。私はいまだあの屋敷の玄関に遮られたままここに居る。

 駄目もとで玄関を開けようとするも、結果は予想通り。出ることが出来ないなら、戻るしかない。どこか違う場所から出られるかもしれないと、振り返るとそこにはおにぎりがあった。丁寧に沢庵まで添えられていて湯気が立っていた。


それだけではない。見覚えのある羽織が肩に掛けられ、食堂に置いてきたはずの荷物が玄関先に置かれていた。酷い態度をとったというのにこんなにも優しくしてくれる誰かがいる。陽の羽織を手に、すぐそこにある食堂へ急いだ。

昨日と同じように明かりが漏れている。近づくと、食器がぶつかる音や話し声が聞こえてきた。早足で向かうも、たどり着いたころには物音ひとつしなくなった。


 それもそのはず。私は彼らを否定した。彼らとの間に壁を作ったのはほかでもないこの私。その壁はいつだって私を守ってきた。悪意のある言葉を、心無い人の侵入を拒んできた。

 だから、簡単に壊してしまうことは出来ない。無くなれば私は無防備な姿を晒すことになる。鎧も刀も持っていない私が立っていられるわけがない。こんな時どうしたらいいのか分からない私は、ただ謝ることしか思い浮かばなかった。

「ごめんなさい」

 見えない彼らに私の言葉は届いているだろうか。届くはずもない。こんな言葉一つで許してもらえるようなことなら、彼らは姿を消さなかったはずだ。私は自分でも気づかぬうちに、彼らの存在を否定していた。 

 あの時、私は自分がこの場所にいるべきではないと言った。だけど、彼らにしてみたら自分たちの存在が悪いのだと言われているようなものだ。そんなことにも気づかず私は一瞬で彼らを壁の外へと追いやった。 

 そんな私がいくら弁解をしようとも無駄だろう。なら、私の本当に言いたかったことを言ってもいいだろうか。

「皆さんと一緒にいたいです。でも、私はよそ者だと思うとなんだか居心地が悪くなってしまいました。あんなに歓迎されたのは初めてだったからどうしていいか分からなくなって。ごめんなさい」

 どこにいるか分からない彼らに届くように、精いっぱい震える声を上げる。

「皆さんのことを知りたいです。だから、姿を消さないでください。お願いします」

 がしゃんと何かが割れた音がした。怒った誰かが、私に何かをぶつけようとしたのだろうか。それは当然だ。

 

 彼らは私を迎えてくれた。それなのに私はこの場から去ろうとした。そのうえ好意で姿を消してくれたというのに、姿を現してほしいなんて我儘を聞き入れてくれるはずもない。

 自分で招いた現実だというのに、自分を変えられないことに笑えてさえくる。なにか言葉を見つけなければと思うが、代り映えのしない畳を見つめることしか出来なかった。

「畳なんかみて面白れぇか」

 その声に顔を上げると、そこには私が望んだ景色が広がっていた。「ごめんなさい」ともう一度言うと陽に思いっきりしばかれた。怒ったように陽に飛び蹴りをお見舞いする夏葉を笑いながら見ている深月と花月。その奥で続々と姿を現す彼らはみな笑っている。

「皆さん、怒ってないんですか?」

「どうして?」

「だって……」

 わざとらしくため息をつく陽が持つ一升瓶は割れている。それを見て私の考えていることが分かったのか「わりー」と瓶を見せる。なんでもこれは酔った勢いで手を滑らせただけだそう。小言を言いながら片づけている凛が教えてくれた。

「おかえりなさい」

 優しく迎えてくれる凜の言葉に、無理やり肩を組む陽の強引さに、それを引きはがそうとする花月の気遣い。飛びつき離さない夏葉の無邪気さに微笑む深月の懐の広さ。


 それは私が作ったくだらない壁なんて気にも留めていない。皆が私のそばに集まり、賑やかな場所が戻ってきた。髪がぐしゃぐしゃになるまで撫でられたり、背中をばしばし叩かれたり、そんなあやかし達から守ってくれたり。

 それぞれのやり方で、ここに居てもいいのだというような声を信じてみてもいいのだろうか。「ここは君の家だ」という深月の声は、騒がしい中でもよく聞こえた。


 玄関に置いて来たおにぎりを取りに戻った後、突如始まった宴会は一日中続いた。ようやく終わったのは、夜が終わりを迎える頃。私が案内された部屋に入るや否や倒れ込む。

 ちょうどそこにはふかふかな布団が敷かれていた。眠ったとはいえ、硬い床の上では疲れは取れるはずもない。どっと押し寄せる疲れはなぜか心地よかった。閉じてくる瞼に抗うこともせず、物の数秒で眠りについた。



 どこかから聞こえてくる物音に目が覚めた。眩しさに目がくらんでしまいそう。何とも言えない不思議な感覚にぼんやりとなる。

 夜には閉ざされていたはずの窓が開き、私の体にはしっかりと布団が掛けてあった。誰かが世話を焼いてくれたのだろう。一人で暮らしていた時にはないこの感じにぽかぽかした。


 それにしても太陽の日を浴びて目覚めるというのはこんなにも気持ちの良いものだったのか。伸びをして、もう一度布団に倒れ込もうとした時、襖の隙間からいくつもの目がこちらを覗いていた。そこ光景に一瞬びくっとしたものの、見覚えがあった。目が合うとその襖は勢いよく開いた。

「おはよう」

 元気のいい挨拶は夏葉だ。その横には河童の翠と座敷童の亜矢。恥ずかしそうに自己紹介をしてくれる様子は何とも癒される。恐らくこの子たちはこの屋敷の子供的存在なのだろう。

 実際の年齢は分からないがなんとも愛らしい。三人と一緒に部屋を出ると、すれ違う度にあやかし達が自己紹介をしてくれる。誰かからか言われたか、彼ら自身でやっているのかは分からない。どちらにしても嬉しいことには変わりない。


 彼らは私に歩み寄ってきてくれている。ならば、私は逃げてばかりはいられない。そう思い、その日以来朝起きると屋敷中を歩きまわり挨拶をしていくのが朝食前の日課になった。

 それにしてもこの屋敷は広い。一周するだけで軽い運動になるほどだ。空腹の中、早くおにぎりを頬張りたいという気持ちを遮り皆に会いに行く。このおかげなのかは分からないが、あやかし達とずいぶん仲良くなれたように思える。

 最初は挨拶だっただが、次第に会話が生まれていく。気付けば起きてから食堂まで行くのに一時間かかる日もあった。

 今日も挨拶を済ませ食堂へ行くと、いつもの様に皆が私の周りに集まりわいわいし始める。どこか別のところで話せばいいのにと思うが、案外悪くない。

 純粋に楽しそうにしている様子は見ているだけで楽しくなってしまうものだ。いつの間にか、こわばった気持ちが緩んでいくのを感じた。他人の声なんて雑音にしか聞こえなかった数日前が嘘のよう。


 それは毎日のように起こしに来てくれる三人の影響が多い。甘え上手というか、懐に入るのが上手い。

「はるちゃん、髪結んでほしいんだけど」

 亜矢は薄桃色の紐を持ってきて、私の前に背を向けて座る。真っすぐに伸ばした足をぴょこぴょこ動かしている。それが可愛くて、彼女をもっと可愛くしたくなった。

 幸い器用だった手先のお陰で亜矢は毎朝、ご満悦の表情で鏡を見ていた。

 翠は桶に水を入れてやってくる。

「はるちゃん、お皿に水入れて?」

 こてんと顔を傾ける。そんな仕草されたら何杯でも水を注ぎたくなる。けれど、それは制止された。水が枯れるのは良くないが、多すぎるのも駄目らしい。

 ぴったり一杯の水をお皿に注ぐと、くるりと回り葉っぱでできたワンピースの裾をひらりとさせた。

 

 ここへ来て何日たったのかもう数えるのを忘れてしまった。いつか覚める夢だろうと思っていた。きっと夢だから、消えてしまうものだからと言い聞かせても信じてしまいたくなるのは、この場所はあまりにも暖かかった。

 揺れる蝋燭の火に、どこかから漂う食事の香り。そして、何の他意も無くただ私を見る数々の瞳。揺れる火が作るは、私の目に映っているあやかしの数と合わない影。その全てが私を追い返そうとしていないのを感じる。

 一度彼らの姿が見えなくなった時に作ってしまった壁はもう見えなくなっていた。壁を乗り越えた覚えはないし、壊した覚えもない。

 彼らがそっと壁の向こう側からやってきたのだと気付いたころには、こちら側はまたもや賑やかになっていた。


 しかしここへ来てからというもの、あの冬治郎という男には一度も会っていない。他のあやかし達とは一日に何度も会うというのに。

 なぜか彼の存在が気になり、会いに行ってみようと試みるも、どうしてもあの部屋にたどり着くことが出来ないのだ。夏葉と一緒に行った時の道を思い出しながら進んでいたのに、たどり着く場所はいつも違う扉の前だった。

 きっとこれもあやかしの仕業なのだろうなんて、ちょっと前の私なら思うことは無かった。成長と言っていいのか分からないが、少し変わることが出来たのは事実だ。


 今度は手土産でも持って行ってみようか。最初部屋に行ったときに何か作業をしているようだった。ならば、甘いものがいかもしれない。その匂いにつられて出てきてはくれないだろうか。

 きっと彼は礼儀を欠いている態度は嫌いなのだ。私が手ぶらで会いに行くのが気に食わないのだろう。何がいいか悩んでいると目の前に美味しそうな羊羹が登場した。小豆洗いの藤庵特製羊羹だ。

「お腹が減ってるんだろ。食べていきな」

 差し出された羊羹は明かりに照らされて輝いて見えた。一口食べると、甘い味が口いっぱいに広がりどこかほっとした。それに私の好きなこしあんだ。やはり羊羹はこしあんに限る。

 考え事をするのは食堂が一番だ。沢山のあやかしがいるお陰でいろんな刺激が貰える。決して甘い物目当てに来ているわけではない。

 この滑らかな口触りがたまらなく好きだ。「俺、粒あんがいいんだけど」と不満げな陽とは相いれないだろう。文句を言いながらも二口で平らげてしまう様子に、どちらでもいいのではないかと思ったのは本人には言わないでおいた。


 一緒に出された湯呑には緑茶。口をつけると、甘さが一瞬で消えてしまった。少し苦みのある緑茶は誰かが急須に入れすぎたのだろう。だけど、甘く口を包んでいる羊羹にはちょうどいい。

 苦みの後にはまた、甘い羊羹が食べたくなる。食べても食べても減らない羊羹に手を伸ばし、ふと思う。そういえば私は羊羹が好きだった気がする。


 ここに来る前の食生活はお世辞にも褒められたものじゃない。作る気もなく出来合いのものを食べていた。好き嫌いではなく、ただ目についたものを買うだけで食事を味わうなんて出来やしない。

 栄養バランスなんて偏りまくりだ。もう自分の好きなものなんか忘れて、ただお腹がすけばその腹を満たすためだけに食べていた。なんなら食べない日もあった。

 仕事のある日は嫌でも消費するので食べてはいた。だが、休日になればずっと布団の中にもぐったまま。お腹など空かない。食べたところでそのエネルギーを消費することも無い。という理由をつけては再び眠りについた。

 食べることに興味が薄れていっていたというのに、今では美味しそうな香りが漂うやいなや食堂へ向かっている。


 窓に目をむけると、今日はあまり日差しが入り込んでこない。これは絶好の散歩日和だ。雲が晴れてしまう前に出かけることにしよう。太陽が照っていては外に出るのも一苦労だから。そう思い、食堂を出ると後ろから声を掛けられた。

「はるちゃん、おはよう」

 元気に挨拶してくれるが誰だか分からない。手を振りながら親し気に話しかけてくれていることから、きっと話したのだろう。でも、どうしても思い出せずその顔をじっと見つめると誰かに似ている。

「夏葉……のお兄さん?」

 自信が無い答えだが、どうやら不正解のようだ。最初の言葉にぴくりと耳が動いたが、尻尾は垂れ下がったままだった。綺麗な色の目や優しい表情がよく似ている。背丈は私よりも大きく、夏葉も大人になったらこんな風に落ち着いた雰囲気になるのだろうなと感じた。

「考えているところ悪いけど、僕が夏葉だよ」

「だって、夏葉はもっと小さかった」

 記憶を呼び起こし、手でその背丈を再現しているも彼の腰辺りになる。どうやっても目の前にいる彼の背丈には届かない。

「見ててね」

 そう言って自称夏葉は懐から葉っぱを取り出し頭にのせる。するとさっきまで、私の目線よりも上にあったのに、その姿は縮んで見慣れている夏葉の姿になった。

「すごい。変身できるんだ」

「正しくは変化だけどね。ちなみに大きい方が本当の姿だからね」

 疑いたくはなるが、これも現実。今まで夏葉の顔があった場所をぼんやり見つめていると、袖を引っ張られる感覚に思考を取り戻した。

「はるちゃんって、やっぱりおもしろい」

 この場所ではいままで私が大切にしてきた常識というものがまったくもって必要ではなくなっていた。その常識が壊される頃に違和感を覚えていたものの、今では楽しくさえ思えてきた。


 今まで私が大切にしてきたものは何だったのだろうと思うことさえある。そう思い、ふと疑問が浮かんだ。

「夏葉は本当の姿のままでいたくないの?」

 今見せてくれた姿はこれまで見たことが無かった。どんな姿でいようと夏葉の自由なのだが、偽りの姿というのは辛くはないのだろうか。

「僕はこの姿が好きだよ。みんな可愛いって言ってくれるから」

 尻尾を振る様子に嘘は無いよう。だが、どこか寂しげに見えるのは私の勘違いだろうか。私はその姿に見覚えがある。まるで自分を見ているような気がして何とかしたいと思ってしまう。

 それを望んでいないかもしれない。今のままを望んでいるのだとしても、気付かない振りは出来なかった。それがとても苦しいことだと知っているから。


 偽りの自分を作ることはそう難しいことではない。そうあり続けることも慣れればそれが自然になる。だけど、一人になった時本当の自分が何か分からなくなってしまう。

 偽れば偽るほど思い出せなくなっていく。褒められた自分でありたいと思うあまり、たくさんの要素を上塗りしていくうちに、それはただの別人になっていた。

 そしていつしか笑い方を忘れていた。心から笑えないことが苦しかった。何が楽しいのかさえ分からなくなった日には自分に戸惑いを覚えた。自分であって自分ではない。そんな感情を消せないまま今まで来てしまった。


 それでも、ここへ来てからは少しだけ自分になれる時間がある気がする。それが分かった瞬間は嬉しくて泣きそうになることがある。こんな風になれたのは夏葉やみんなのおかげ。無理にとは言わないが、私も彼の力になりたいと思った。

「私は、大きい夏葉も可愛いと思うよ」

 嘘は言いたくない。強制もしたくない。だから、ただ私が思ったことを伝えることしか出来ない。それでも私の思いは伝わったらしく、ぴくりと耳が動いた。わしゃわしゃと撫でるとくすぐったそうに下を向いていた。



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