表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/25

不愛想な主人

 ゆっくり出来たのは束の間。みんながわいわいしていると、どこかから声がした。

「ところで、(とう)治郎(じろう)のとこへ行かなくていいのか」

「そうだね。僕案内するよ」

 突如現れた声にきょろきょろするもその主が分からない。さっきの声は誰なのか、冬治郎とは誰なのだろうか。いろいろ疑問はあるけれど、こちらから挨拶しに行くというからにはなんとなく偉い人のように思えた。

 夏葉の後に続いて進んでいる中で、改めてこの屋敷には驚かされる。不動産屋で聞いていた大きさの何倍もあるように感じるのは気のせいではない。この家の造りそのものが違っている。さも当たり前のように階段を上っているが、本来なら一階建てのはず。

 階段なんてあったらおかしいのだ。恐らく、ここへ来る前の私なら気が済むまで調べていただろう。人というのは不思議なもので状況が変わればこうも感じ方が違うのだ。


 最初は、思っていた以上のぼろ屋敷に絶句していた。けれど、その後出会ったあやかし達のせで屋敷の外観なんてどうでもよくなった。いつかの声の主がいるのではと思い始めた。挙句の果てにはあやかしの存在を受け入れ、あるはずのない階段にさえ疑問を持たなくなっている。急激に逞しくなる自分に驚くばかりだ。


 前を歩いている夏葉の足が止まった。ここだというように指をさす夏葉はなんだか楽しそう。まるで明日から夏休みだと喜ぶ下校中の子供のようだ。

「冬治郎さん、夏葉です。入ってもいいですか?」

「今忙しい」

「失礼しまーす」

 夏葉は部屋の主の言葉を無視して襖を開ける。その部屋はそんなに大きくない和室で、家具はほとんどなくさっぱりしている。窓際の机に向かっているその人の背中は、どこかきらきらして見えた。ため息をつきながら振り返る目は冷たい。


 その瞳に囚われたように声が出なくなった。そして、頭の中で考えていた自己紹介はどこかへ飛んでいった。

「挨拶も出来ないなんて、無礼な人間だな」

「すみません」

 なんとなく分かった。この人がこの屋敷の本当の主人なのだ。さっきは陽に騙されたが、今回は違う。何がという理由は無い。ただ、そこに佇む様子がしっくりきた。

 暗い色の着物は明かりの少ないこの部屋では彼の姿を隠してしまいそう。広くはないとはいえ、締め切った部屋では蝋燭一本では照らし仕切れない。その主人を照らす火は彼の顔に影を落とし、静かに揺れている。それがより一層恐ろしさを引き出していた。

「冬治郎さんが怖いからですよ」

 余計なこと言わなくていいのにと思いながら夏葉を見たが、彼は悪びれもせずににこにこしていた。少し挨拶が遅れたくらいであんな言い方するような人だ。きっと、夏葉の言葉にも怒るに違いないと覚悟したが子供相手には優しいみたいだ。「余計なお世話だ」と言いながら机に視線を戻してしまった。

「出て行ってくれ」

「冬治郎さん。はるちゃんが……」

「聞こえなかったのか」

 冷たい声だけを残して、そこからいなくなったかのように音が消えた。どれだけ見つめても振り返ることのない背中。閉ざされた心を開く方法を知らない私には、彼を振り向かせることは出来ないのだろう。深いため息が聞こえた時、夏葉に手を引かれた。

「はるちゃん、行こう」

「うん……」

 帰り際、「はるちゃんい嫌われても知らないよー」なんて冬治郎に聞こえるようにわざと大きな声で言うものだから、彼に睨まれてしまった。私が言ったわけじゃないのに。そう言いたいけど、今はやめておいた方がいいと本能が教えてくれた。


 その目はあまりにも冷たくて、なんだか寒気がした。極力音を立てないようにそっと戸を閉めて忍び足で階段まで戻ると、夏葉は申し訳なさそうに手を合わせた。

「ごめんね。今日は本当に機嫌が悪いみたい。だから、気にしないでね」

「うん」

「悪い人ではないんだけど、怖いんだよね」

「そっか」

「昔はあんなじゃなかったんだ。すっごく優しかったんだよ」

 夏葉の言うように悪い人ではないのは分かる。みんなに嫌われているのなら挨拶しに行くように言わないだろう。きっとなにかいいところがあるから追い出されていないのだろうし。

 だが、あの冷たい目はまるで氷。一人であの目にさらされていたら、凍ってしまいそうだった。それでも、あのはかなげに揺れる背中を嫌いになることは出来なかった。

「その顔は、追い返されたみたいだね」

 これは、さっき挨拶に行くようにと促した声だ。聞こえた方を向くが、大きな下駄箱があるだけでなんの姿も無い。ということはこの下駄箱が私に話しかけたのだろう。この屋敷では物が話すのも不思議ではない。


 少し近づき「私は歓迎されていないみたいです」と下駄箱に向かって返事をすると頭上と背後からくすくす笑う声が聞こえてきた。

「ごめんなさい。おかしくって。はるちゃんが話しているのはあそこにいる鈴蘭さんだよ」

 指さされた方を見ると、下駄箱の上で丸まり意地悪く笑う顔が見えた。「あんた面白いねー」と眠たそうに言うと姿を消してしまった。おちょくられているのは分かっているが、何も言いますまい。姿が見えなくなってしまった以上、その思いを向ける先は無いのだから。


 食堂に戻るやいなや、またもや強制的に座布団に座らされた。やはりここは居心地が悪い。楽しそうな話声は耳障りだ。一人になりたくて選んだこの場所だったのにうるさくてかなわない。

 皆が好き勝手に何か話しかけているが、その言葉は聞こえない。聞きたくない。お茶やお菓子が運ばれ、私の周りは見知らぬ生き物が取り囲んでいる。身動きの取れないまま時間が過ぎ、気付けば外より部屋の中の方が明るくなっている。

 頭が痛くなってきた。数時間歩き続けた疲労がどっと押し寄せてきたのだろう。


 私の想像では、この家に来たらまずは大掃除をする予定だった。ある程度片付いたら少し離れた商店街へ行き、食材や必需品の買い出しをして一人過ごすつもりだった。

 まさか先客がいるなど想像もしていなかったので、いつもなら用意している別の選択肢を今日は考えていなかった。これからどうしようかと考えるも、まず最初にしなければならないことがある。動けなくなってしまう前に行動しなければ。

「私、出ていきます」

 私の言葉に皆が静まり返った。「なんで?」と言いたげな夏葉は、私の服を掴んで離そうとしない。他の者たちの心配そうな目もいたるところにあった。

「あなた達とは一緒にいられません」

 ここへ来てすぐに分かった。私がいていい場所ではない。もう出来上がっている世界によそ者なんて必要が無い。私を置いてけぼりにする会話がその答えだ。

 立ち上がり出ていこうとすると、手を引かれた。小さな手を振りほどこうにも、思いのほか強い力で握られてほどけない。騒がしくなる中、ゆっくりと近づいてくるあやかしは深月だ。この場に居る誰よりも落ち着きを払い私の目の前に立つ。

「君が望むなら、私たちは姿を見せない。だからどうか、ここに居ておくれ」

 まるで謝っているかのような物言いに、少しばかり心が揺さぶられる。どうしてこんな風に言うのだろう。別に私は彼らを責めているわけではない。ただ、私が出て行きたいだけなのに。なぜ、突然迷い込んだ私を引き止めようとしてくるのだろう。


 確かにこの家を買ったとはいえ、後から来たのは私の方だ。みなが楽しそうに話しているのを見てしまった。それを知ったうえで、私が彼らの住処を奪うなんて出来るはずがない。

 きっと、人里離れたこの場所は彼らにとって居心地のいい場所に違いない。こんなに大きな屋敷、探してもすぐに見つかるものでもない。どれほどの数がいるのかは知らないが、全員が違う場所に引っ越すとなれば百鬼夜行にでもなってしまいそうだ。彼らを見える人間が居たらの話だが。

 ここは荷物も持たず、この場所に思い入れも無い私が出ていくのが手っ取り早い。行く当ては無いが、線路をたどればどこかへたどり着くだろう。そこで宿を探せば夜を超えられる。そうと決まればさっさと出ていくだけだ。「お待ちなさい」という声に聞こえない振りをする。夏葉の手を振りほどき、食堂を後にした。


 長い廊下は一人だと心細くなるが、振り返ることは出来ない。遠くから感じるいくつもの視線に引き止められそうになるも足を止めることはしない。きっと私が探している居場所はここではない。

 間違って迷い込んできてしまったのだ。違ったのならまた探せばいいだけの話。今までだってそうしてきたのだから、今回が例外だったわけではない。


 今更ながら、なぜこの家を選んでしまったのか自分でも分からない。きっと、疲れ切った頭では判断を誤ってしまったのだろう。今度はこじんまりした家を探そうと決意し、玄関を目指すがなかなかたどり着かない。

 来た時はこんなに長い廊下ではなかったはず。そこにある玄関はいつまでたっても小さいまま。どうしようかと途方に暮れている暇はない。私は戻ることは出来ない。廊下を駆け抜け手を伸ばすとやっとたどり着いた。

 

 だが、戸に手をかけるも開かない。近くに灯る明かりを頼りに鍵を探してみても見当たらず、建付けが悪いのだろうかと戸をがしゃがしゃとゆすっても、木の軋む音がするだけ。その音に紛れて、またもや姿の無い声が再び私に話しかける。

「そこは鍵がかかっている」

 姿が見えないけれど、どうでもいい。さっきのように、もうその姿を探したりはしない。何か知っていそうな言い方だが、期待できそうにない。だが、どんな手を使っても彼に聞くしかない。ここから出る方法さえ分かれば、いつかその声も忘れてしまうのだから。

「鍵を開けてください」

「無理だね。わしには出来ない」

 取り付く島もない言葉に体の力が抜けた。こじ開けようとしてももう、戸を開く力も残っていないようだ。体の力が抜けてしまいそうなため息がこぼれる。


 どうして私の人生はこうもうまくいかないのだろうか。逃げても逃げても、休まる場所へはたどり着けない。私はこの先もずっと彷徨い続けるしかないのだろうか。先の見えない道は進む気力を奪っていく。

 もう少しだけ歩けば、きっと苦しくなくなるのだと言い聞かせてきた。自分を騙すのは容易ではない。見え透いた嘘を見ない振りするのも限界を超えている。

 そんな中、やっと見つけた居場所はすでに定員に達していた。他を当たるしかないと思いつつも、行き場所などもうどこにもない。今まで住んでいた家は解約してきたし、飛び出してきた実家には帰れない。お先真っ暗とは今の私のことを言うのだろう。


 外からは雨が屋根を打ち付ける音が聞こえてきた。この屋敷だけではなく、この場所が私を逃がさないようにしているよう。今外に出れば、降りしきる雨にぬかるんだ道に足を取られる。救いだったのは屋根の下に居られること。

 降り始めた雨は止む気配が無い。玄関の戸が開かないのをいいことに、今夜は雨宿りをさせてもらうことにした。靴を脱ぐことも面倒になり、玄関にそのまま寝転ぶ。硬い床は寝心地が悪い。隙間風に身震いしながらも瞼が閉じてくる。

 まだあの声の主は近くにいるのだろうか。耳を澄ませているが、雨の音が邪魔をしているのか、よく分からない。どこにいるのか、何を考えているのか分からないあやかしのそばで一夜を過ごすのは気が引けるが、私の体は疲れ切っている。

 重い瞼を開いていられるのも、時間の問題だ。屋根に打ち付ける雨の音が遠くなったころ、玄関を照らしていた光が消えた気がした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ