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思い出を胸に

 いつもの様に縁側に座り眺める景色は穏やかだ。ここへ来ては冬治郎を強く思い出す。彼の部屋を訪れるのも好きだが、あの場所は先客がいることが多いので彼らに譲ることにした。

きっとあの場所が彼らにとって冬治郎なのだろうから。私にとっての彼はここにも居る。

「君はいつか俺に聞いていたな」

「え?」

「生きている方が辛い時はどうするのかと」

 そう言えば、冬治郎とまだすれ違っていた時に衝動的にそんなことを聞いていた。その時、彼は「分からない」と言い去っていた。

「生きていればきっといいことがある」

 あなたもそんなふうに言うのだと思った。私の気持ちなんて分からないのだろう。埋めることのできない何かに焦り苦しみ、最後には手放すことを選ぼうとした。その言葉はもう聞き飽きた。


私の気持ちなんて考えてもくれない、優しく見えてとても冷たい言葉。でも、そう思うのはまだ早かった。

「そんなことは言えなかった。晴子を突き放してしまうような気がして。だから、俺なりに考えていた」

「苦しい時は、嫌なことしか浮かばない。思い出すのは暗い感情だけが心を支配する。きっと、どんな言葉も闇に飲まれてしまう。だから、ありふれた言葉を。それでも心の底にある本当の思いを伝えた」

 言葉を探しながら紡いでいく彼の声は優しかった。「君の苦しみや悲しみはよく知っている」と呟く彼はの言葉が胸をつく。

「君が好きだ。そう思いながら言葉を選んでいたのだが、届いていただろうか」

 今だけではない。彼からもらった言葉はどれも優しく、触れても痛くなかった。それもそのはず。今日は天気がいいだとか、寒くなってきたなだとか社交辞令にもみたないただの挨拶の言葉。そんな無意味な言葉は触れる前に消えるのだから。


 社交辞令に建前。そんなものに意味を見つけるのは困難だ。当たり障りに無い会話は時間の無駄。どうせ思っていないのなら口にしなければいいのにと何度思ったことだろう。

けれど、人との関係を円滑に保つためには避けられないこと。人と生きるということは嘘を重ねていくことだと気付いた。だから、人との会話は苦痛でしかなかった。

その苦しみから逃れるために、いつしか感情までも手放してしまった。

それでも、彼らはまだほんの少し残っている私の心を取り戻してくれた。いや、失くしたものを彼らの持っているもので埋めてくれた。同じ形に戻ることは無いけれど、前よりも大きく歪なこの心が愛おしい。


 貰ったものは言葉だけではなかった。その奥の気持ちを他愛のない言葉で隠していた。優しさはいつだって穏やかなわけではない。場合によってそれは牙をむき追い詰める言葉と為りうる。

彼はそのことを知っていたのだろうか。知らないはずがない。そうでなければこんなにも回りくどいやり方はしないはずだ。

 言葉にならない思いをあえて言葉にして伝えてくれた。本当の言葉を隠し、当たり障りのない言葉で包んでいたのだ。あやかし達だけじゃない。冬治郎もその一人。


 ようやく分かった。あの日以来、冬治郎は何かと話題を見つけては私に声を掛けてくれていた。今日は雨が降るから傘を持っていくようにとか、いらない本があるから取りに来いとか、食堂の掃除がなってないなんて言われた日もあった。

羊羹には緑茶じゃないと駄目だ。なんて唐突に言われたこともあった。そんな時、彼は決まって近すぎずけれど、遠すぎないところに腰を下ろす。

その言葉はただの口実で、わざわざ理由をつけて私のそばに居てくれたのだろう。もしかすると、ここに居るよと違う言葉で伝え続けてくれていたのかもしれない。


 あなたは不器用で私は素直じゃない。ただまっすぐな思いは届かない。だから、少し離れたところから見守るように居てくれる。助けを求めようと手を伸ばした先にあなたは来てくれる。

そのことが嬉しくてたまらない。無理に手を引こうとせず、私が手を伸ばすまで待っていてくれる。そして、私が手を伸ばそうとした時に、見逃さぬようそっと寄り添いそばに居る。

 あなたはこんなにも温かい人なのに、私はその気持ちが見えなかった。今までの人生でどれほどのことを見逃してきたのだろう。この世界には味方なんて誰もいないと思い込み、勝手に人を敵視していた。


 ありふれた言葉で深い感情を包んだあなた思いはちゃんと伝わっていた。あなたが声を掛けてくれた時、暗闇に小さく灯った明かりが見えた。あなたがそばに居てくれた時、闇に飲まれていく心が戻ってくる。


 他の誰かじゃきっと、こんな風には思えなかった。同じ言葉でも、同じ行動をしてもあなたじゃなければきっとだめなんだ。届かない言葉を何度も何度も私に伝え続けてくれたあなただから。

「俺は言葉というものが好きだ。自分の心を相手に伝えられる一番の方法だからな」

「でも、全て伝えられるわけじゃないです」

 昔から口下手な私は、思っていることの半分を伝えられたらいい方だった。冬治郎も同じだと思っていただけに、彼の言葉は意外だった。

 口数か少なく、口を開いたかと思えば殺風景な言葉の数々。そんな彼が言葉が好きなどとは程遠いように思える。私の考えていることがばれたのか、彼は苦笑いをしながら話を続ける。

「そうだな。だが、伝えようとする努力は相手に伝わらないものか?」

 彼の言葉にはっとした。今までの自分のやっていたことは相手との会話でなかった。その場しのぎの嘘交じりの言葉では会話なんて出来るはずがないのだ。

 互いに本心を伝えること、つたない言葉でも心の言葉を繋ぐことが会話をするということなのだ。でも、相手を思いやりつく嘘もある。「大丈夫」、「心配ない」と笑って嘘をついた。


 言葉が好きだという理由を聞いて納得した。私はどうやら大切なものを見失っていたようだ。この世を渡っていくために不要だと思っていたもの。それは冬治郎が何より大切にしていたもの。

 そして、私が一番欲しかったものだった。今からでも取り戻せるだろうか。


 冗談は苦手だ。言うのも言われるのも。昔からそうだった。そこに本当の物は何一つない。面白くもない。ただ不快なだけの言葉は意味の無いものにすぎない。

 私は冬治郎が冗談を言っているのを聞いたことが無い。良くも悪くも本当のことしか言わない。だから、冷たく感じる者もいるだろう。

 けれど、私はそれが心地いいと思った。彼の言葉に嘘など一つも含まれていない。人を騙すための嘘も、傷つけまいとつく嘘も。

 それを知っているから、彼が紡ぐ言葉はいつでも聞いていたいと思う。なんの他意も無い単調な音はただの文字にすぎない。それでも、そこに思いを込めれば言葉となり伝わっていく。


 そんな彼に比べて私は嘘つきだ。思いつく限りの文字で本音を隠し続けてきた。本当の声など知られたくないと思った。

 人が作った理想の自分を保っていくために、たいして守っていく価値など無いものを守るのに必死だった。笑顔を張り付け、誰かが望むような言葉を選んだ。それは私をどんどん押しやっていく。

 自分で選んだことなのに、抜け出すことは簡単じゃなくて。藻掻いていたのが嘘のようになった。どこまでも真っすぐな彼らと過ごしていると、こんな態度ではいけないと思ったのだ。

 誰かのためと思ってついた嘘は不誠実になると教えてくれた。それからは少しずつだけど自分の言葉を話せるようになって、むすっとした顔も見せられるようになった。

 取り繕うこともせず、感情を表に出す。それをまるごと包んでもらえる。心を繋ぐことが、こんなにも素敵だと思えた。そんな自分になれたことがたまらなく嬉しかった。


 言葉とは厄介なものだ。何気ない一言でも相手を傷つける凶器へとなる。相手が他意のない言葉を発したとしても、私の元に届くころには鋭さを纏いよけきれない。

 けれど、心のこもった一言はどんなに計算されつくした言葉にも負けない温かさがある。励ましの言葉や同情は耳ざわりなのに、その一言は一瞬で心を動かしてくれる。だから、伝えることを止めたくない。


 そう思うのに、大切な人ほど本当の気持ちを伝えるのは難しい。それなのに遠い人にはすんなり言えることがある。

 これは当然のことだ。遠い人ならどんなふうに思われても、何を言われても深く傷つくことはない。すでに予防線を張った状態にあるから、その衝撃に倒れることは無い。

 けれど、その予防線の内側に居る人に攻撃されてしまえば防ぐすべがないので、伝えるのが難しいのだ。 


 難しいからこそ伝える言葉には価値があるのだ。傷つくかもしれない、反対に相手を傷つけてしまうかもしれない。そういうリスクを背負ったうえで発した言葉は、感情が含まれた言葉は相手の心に届く。

 上辺だけの軽い言葉ではないからこそ重くのしかかる。その重みは時に心を押しつぶしてしまうこともある。

 けれど、重たいからこそ引き止めてくれるかもしれない。目に見えないのに大きな力がある言葉を使いこなすのは至難の業だ。


 どれだけ叫んでも届かなかった声。いくら待てども助けなど来ないと諦めた。それなのに、あなたは私のつぶやきに気付いてくれた。そんなあなたに私は本当の心を伝えられているのだろうか。

 嫌われないように繕った言葉はきっと見破られてしまう。あなたはちゃんと心を見ようとする優しい人だから。うまく伝えられなくても私の言葉を伝えなきゃいけない。

「冬治郎さん」

「なんだ?」

「ありがとうございます」

 何度も言った言葉。何度も聞いた言葉。だけど、久しぶりに言った気がした。いつもの様に「ああ」と答える声に溢れんばかりの言葉が聞こえたのはきっと気のせいではない。空を見上げる横顔はいつもより柔らかく見えた。

 その顔にもう一度会いたかった。

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