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奇妙な住人達

 蝉の声が遠くで聞こえる。音に汗が首筋を伝っていく。風が葉を揺らす音にすら驚く自分が情けない。今まで非現実的なものを見たことが無い。そんな体験も無い。それ故、信じてもいない。だから怖くないのだと言い聞かせるも足が前に進まない。

逃げたくなるもこれまた足が動かない。動いたところで逃げる場所などどこにもないのが。もう電車は来ない。どこかに泊まれる貯金ならあるが、肝心の宿が無い。


 ああもう、どうとでもなれと意を決して足を進める。だが、その決意は早くも崩れた。私は目がいい方ではないのだが、その奥で二つの目が光っているのが分かる。

 私は完全に考えることを放棄した。あれはいったい何なのだろうかとか、得体のしれない生き物がいるのかもしれないなんて考えてしまったら怖くて動けない。


 ひとまずこの場を離れようとするも、これではさっきと何も変わらない。こんな昼間から怖気づく自分に嫌気がさし、半ば自暴自棄になりその目を見返す。そのまま目を逸らさないままでいると戸が勢いよく開き、中から小さな子供が飛び出してきた。

 なんだ、近所の子がかくれんぼでもしていたのかと安心して笑ったがそのまま私は動けなくなった。なぜならその子供は頭から耳が生え、後ろには尻尾がゆらゆら揺れているのが見える。


 きっとこの町は今日仮装パーティーがあるのだと思い込ませようとするがあまりにも出来すぎている。そんなことを考えているとその生き物は私の目の前に来ていた。これは変装なんだ。親御さんが張り切って凝ったものを作ったに決まっている。

 そう言い聞かせようとも、視覚から入ってくる情報に逆らうことは出来ない。体の動きとは相反する方向へ動く尻尾。まるで生きているかのように動く耳。どうしても作り物には見えない。時折ぴくりと動く様子は近所で飼われていた犬を思い出す。

 けれどどこか犬と違う。ふわふわの尻尾に愛らしい丸い顔。狸のようにも見える。


 そんなことを考えていると、逃げるタイミングを失ってしまった。今更後戻りできないのでとりあえず目を逸らさないようにじっとその目を見てみた。熊と出会った時はこうしながらゆっくりと後ずさりするのがいいと確かテレビで言っていた。

 だから試してみたが、この生き物に通用するのかは分からない。そもそも人間なのか動物なのか判断がつかないのだ。いや、そもそもこの状況を受け入れてしまっていることがおかしい。確かになにか出そうな雰囲気の屋敷だと思ってはいたけれど、本当に出るとは思っていなかった。今までだってそんなもの見たことが無い。でも私の目の前には確かにここに居るのだ。

「僕は夏葉(なつは)だよ。早く中においでよ」

 あれやこれやと考えていると、不思議そうな顔をしながら夏葉という生き物が口を開いた。この口ぶりからすると、ここはきっと彼の家なんだろう。借りたのは私だが、もし彼の居場所がここなら奪うわけにはいかない。


 また新しい家を探そうかと考えていると「早く早く」と言っているように私の袖を引っ張りながら催促してくる。もしかすると歓迎されているのかもしれないと都合よく考えることにし、彼と一緒に門をくぐった。

 すると驚くことに目の前に広がっていたのは、おどろおどろしい廃墟ではなく立派な豪邸のように見えてしまった。あまりにも現実離れしたことを体験したせいで幻想を見ているのではないかと思うほどに立派なお屋敷だった。どこかから美味しそうな香りがしてきた。

 揺れる尻尾を見ながら、私はまだ夏葉に自己紹介をしていなかったことを思い出した。

「私は晴子(はるこ)です」

 会釈をして彼を見るとなんとも言えない表情の彼がいた。なにか変なことを言っただろうかと考えても私は名前しか言っていない。いや、これがいけなかったのかもしれない。改めて自己紹介をしよう。

「私は坂本晴子です。ここに来る前は接客の仕事をしていました。よろしくお願いします」

 きっとこれでいいはず。そう思い彼を見てみると、今度は今にも笑ってしまいそうな顔をしていた。

「あの、私、何か変ですか?」

「やっぱり面白いなと思って」

 我慢できなかったのか、彼はけらけら笑いだしながら「ごめんごめん」と涙を拭った。何がそんなに面白かったのかは分からなかったが、嫌な気はしない。

 馬鹿にしているような感じではなく、ただ単純に楽しいと言っているような笑い方。そんな彼を見て何年かぶりに表情が解けていくように感じた。


 夏葉に手を引かれるまま玄関に入った時、どこかからがたっと音がした。びくりと体を震わせ、見渡すがそこには何もない。私の気のせいだったようで、夏葉は気にすることなく草履を脱いでいる。

 私の気にしすぎなのだろう。人間は一度恐怖を感じてしまうと、怖くないものでさえ怖くなってしまうものだ。防衛本能とでもいえるだろうが、厄介なものだ。

 これから物音がするたびに驚いていては落ち着く暇がないだろう。何といってもこのぼろ屋敷は少しの風でも軋んでしまいそうなんて考えていたが何かおかしい。


 最初は暗くて気が付かなかったが、靴を脱いでいると目が慣れてきた。この屋敷はとてつもなく立派だということ。もしや、最初に見たぼろ屋敷の方が幻覚だったんだろうか。心配していたリフォームは必要ないようだ。

 それにしてもこんなにも広かっただろうか。どこまでも続く廊下。どう考えてもあの屋敷には収まりきらないほどに長い。頭の中を整理しようにも次から次へと入ってくる情報は処理しきれないまま、玄関から一番近い部屋に通された。


 そこは宴会場のように広く、机がいくつもあり奥には厨房が見える。先ほどの美味しそうな匂いの出どころはここだろう。だが、人の気配は全くない。玄関で見た下駄箱は私の身長よりも大きく立派なものが二つもあったので、たくさんの人がいるものだと思っていた。

 けれど、食堂はがらんとしている。どうしてここに連れてこられたのか分からないまま突っ立っていると、だれかの視線を感じた。振り返るもそこには誰もいない。ただ、上に続く階段があるだけで物音もしない。なぜなのかは分からないが、しばらく、その階段の向こうから目が離せなかった。

「みんな集合―」

 夏葉の一声にたくさんの人、いや人ではない者達が続々と集まってきた。みんな驚いたような顔で私を見ている。なにか言われたわけではない。けれどその視線に耐えられなくなり俯いた。


 まるで転校生のような気分だ。一人知らない場所に立たされて興味の眼差しで眺められる。いい気分とは言えない。自ら選んだ道だが、たまらなく逃げ出したくなっていた。

 いったい私はどうなるのだろうか。得体のしれない生き物たちに囲まれてもう逃げ場はない。というよりもこれは現実なのかどうか怪しくなってきた。二十年以上生きていてこんな状況になったことは初めてだ、霊感なんて全くなかったし、見たことも感じたこともない。それなのにこんな急に見えるようになるものなのだろうか。

 確かに名もない声なら聞いてきた。けれど、それは私にだけ聞こえる声。きっと私が作り出した都合のいい幻聴だと思っていた。


 そう考えた時にこれは現実ではないという考えにたどり着く。ということは今、私は夢を見ているということだ。それらなきっと楽しい夢だろう。もし、怖い夢なら目を覚まさせればいいだけのはなし。

 是非とも楽しい夢にしてみせようと自分に言い聞かせていると、真下から夏葉が不思議そうな顔をしながら見上げていた。

「うわぁ」

 驚いた拍子に後ずさりすると、扉の敷居に足を取られ派手に尻餅をついてしまった。そんな私に誰かが手を差し伸べ、大丈夫かと心配してくれる声。優しい生き物だなとその手を取ろうとしたがその手は鋭い爪が生えていた。そして、その顔を見てまた驚いた。


 牙をむき出しにした鬼の顔がすぐそばにあったのだ。動けずにいると着物姿の綺麗な女の人が近づき、私の立たせてくれた。黒い艶やかな髪を一つに束ね横に流している。絵にかいたような美人だった。

花月(かげつ)の面が怖いのよ」

「それは申し訳ない」

 寂しそうに手を引っ込める姿を見て、その手を取らなかったことに胸がちくっとした。鬼の面の下の表情は見えない。それでも着物の袖に手を隠す姿は、顔が見えなくても想像がついた。

「私は凜よ。ごめんね。びっくりしたでしょ。でも、安心して。あなたを取って食おうなんて思ってないから」

 私を立たせてくれたこの人は着物が良く似合う。見た感じ人間に見える。もしかすると、私と同じようにここへ来た人なのかもしれない。

 ちょっと安心したのもつかの間。廊下からドタドタ走ってくる音が聞こえるや否や彼女の首は体を残し、あっという間にこの部屋の外へ行ってしまった。

「廊下を走らないと何度も言ってるでしょ」

 先ほどの優しい声とは全く違う声。それ以上にこの長く伸びる首に釘付けになっていた。恐らく彼女はろくろ首なのだろう。小さい頃テレビで見たようにどこまでも長く伸びる首はそれ以外に何者でもない。

「凛さんも怖いけど」

 私にだけ聞こえるように呟く夏葉の声は聞かなかったことにした。


 ということはここは妖怪屋敷と言ったところだろうか。夏葉は人に化ける狸。それによく見ると絵本やテレビで見たことがあるような姿もあった。頭にお皿を乗せた河童や着物を着た小さい女の子は座敷童だろう。奥で楽し気に笑っている狐は尻尾が九本。その横には肩から羽織をかけ盃片手にくつろいでいる男。

 手招きしている様子にこの家の主人なのだと推測した。それにそこらかしこに漂う影も気になってしかたがない。窓の向こうからはこちらを覗く目が一つ。そんなはずはないと目を凝らしていると季節外れの雪が降る。私の想像力は大したものだと自画自賛していると水を差された。

「お嬢さん、これは夢ではないぞ」

 その声の主は静かに座っていた狐だ。切れ長の目はどこか優し気で、自由に動く九本の白い尻尾は彼の存在を際立たせていた。きっと冗談が好きなのだろう。これが現実のはずがない。私が慌てる様子を楽しんでいるに違いない。絶対にそうだ。そうでなければおかしい。

「我々の存在を信じられぬのは致し方あるまい。しかし、我らはここに居る」

 その声は、まるで自分たちの存在を信じてくれと言っているようだった。けれど、今の私には出来ないだろう。そんなことが簡単に出来たなら今までの人生苦労なんてしていない。


 私だって信じたい。けれど信じたところで救われやしない。自分の都合のいいことだけを信じていては、この世界では生きていけない。そんなことが出来ていた人生ならきっとこの場所に来てすらいないはず。

 全てを疑っていたわけじゃない。人は優しいものなのだと。苦しみを抜けた先には、楽しいことがやって来るのだと。信じていたがことごとく裏切られた。人は優しくなんてない。苦しみの向こう側は更なる苦しみが待っている。何度もそれを見てきた。信じた先にある物を知ってしまったからこそ信じることの意味を失った。


 そんな私が今更何を信じるのだろう。

「楽しまねえと損だって教わらなかったか」

 そんなことどこに行ったらしえてもらえるのかと聞きたいが、詳しい話は聞けそうにない。家主らしき男は盃にそそぐのを止めて一升瓶に持ち替えると豪快に酒を飲み始めてしまった。少しはだけた着物に肩から羽織を掛け胡坐をかいている。

 彼は手招きをし、自分の横にある座布団を叩く。挨拶をしなければと、そこに行こうとすると手を引かれた。

「はるちゃん、(よう)に関わると面倒だよ」

「彼は家主じゃないの?」

「陽はただの居候だよ」

「俺はぬらりひょん陽ってんだ。よろしくな」

 横で酒を注がれる狐はため息をついていたが、なんとなく歓迎されているような気がして嫌な気はしなかった。「深月(みづき)さんも飲もうぜ」と狐に肩を組み、嫌そうな顔をされてはいるが、悪い人ではなさそうだ。


 それでも、あんな顔をされて心が折れないものだ。私だったらこの場所を離れたくなるだろうに。深月と呼ばれた狐も狐だ。愛想笑いの一つもせず、いまだ眉をしかめている。立ったまま二人のやり取りを見ていた私に気を使ってか、深月が手招きした。

「まあ、ゆっくりしていくといい。ここはのお嬢さんの家だ」

「はい」

 促されるまま用意された座布団に座ると、彼らは取り囲むように集まってきた。けれど、私に質問するわけでもなくそれぞれが思い思いに話していた。

 今日もまたつまみ食いをしに来た者がいるだとか、師匠がいなくなっただとかどれも私には関係ない。なぜ、ここで話すのだろうと疑問に思うも話に夢中な彼らに私の声なんて聞こえないだろう。ならば、どこかへ行くまで静かにしていよう。


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