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探しているもの

 どこからか声が聞こえてきた。いつも優しい声たちが私の名を呼んでいる。その中にひときわ心躍る声があった。それは少し低く、どこか悲しみを帯びている。その声が聞こえた時、一瞬だけ心臓が跳ねたように鼓動する。聞き覚えのある声たちは不安な時に限って現れる。だから今日も耳を澄ませて待っていた。

 その声が名を呼んでくれるなら、私はまだ進んでいける。いつの日かその声の主に合うことが出来たのなら大声で伝えたい言葉がある。


 街灯が一つも見当たらないこの道は、行く人を足止めしているよう。木々に覆われた空は太陽の光を遮り、昼間だというのに薄暗い。だが、春に来ていたら綺麗な景色が見られただろうと思いながら振り返る。 

 その道は入り組んでいて、これまで歩いてきた道のりはほとんど見えなくなっていた。無人の駅から歩き始めてもう一時間は過ぎた。この道であっているのかと不安に思うも、人間が見当たらない。まあ、いたところで自分から声を掛けるのかと言われればそうしないのだが。これだけ歩いたのに目的地に近づいている気がしないと、どうも不安に襲われる。立ち止まり、振り返っている間にも時間は過ぎていく。


 どうして時は流れていくのだろうか。ただ、進むことしか許されない世界で立ち止まれば息が止まりそうになる。

 どうして時は戻らないのだろうか。狂おしいほどの思いが残されているというのにあの場所には行くことが出来ない。

 どうして人は忘れてしまうのだろう。忘れたくないことがあるはずなのに時が思い出を遠ざけてゆく。けれど、時に攫われた物を追いかけないことが幸せなのだと信じていた。


 なぜここに来たのか、昨日まで何をしていたのか。ずっと昔の出来事のように感じて、思い出すのも難しい。考えてしまえば足が止まってしまいそうで、考えを振り払いただ前に進むことにした。

 少し経つと、遠くから水が流れる音がしてきた。ぱしゃぱしゃと足音が聞こえる。子供が遊んでいるのかもしれない。ほんの少しだけほっとした。

 

そう言えば、唯一目的地が分かる地図に川が描かれてあった。あと少しだと自分を励まし見つけた新居に目を疑った。

「さすがにこれは……」

 私は正解を導くのは苦手なようだ。何百年も前に立てられたようなぼろぼろの日本屋敷を目の前にしたら、たまらず心の声が漏れ出てしまった。遠くからでも分かるほど廃れている。間違えて違うところに来てしまったのだと、すぐさま地図を広げるも愕然とする。

 分かっていた。ここへ来る間に獣道はあれど、分かれ道なんて無かった。どうしてこんな状況になってしまったのか頭の中で整理してみる。私の道はどこから間違っていたのだろう。


 心躍らせながら入学した大学はとても楽しかった。同じことが好きな友達と好きな科目を学んで過ごした。放課後はテニスサークルで汗を流して練習し、大会にも出場した。アルバイトもして社会勉強もした。 

 よくある学生生活だ。ここまでは順調に過ごせていたはずだ。それが変わったのは3年生の冬。どうやら私は気付かないうちに精神をすり減らしてしまっていたようだ。大したことなんて無かった。不幸にもそのことが自分の異変に気付くのを遅らせていたようだ。


 大学には行かなくなって、ほとんどの時間を部屋で過ごした。心配する同級生の声も聞こえないまま、気付けば季節はもう変わっていた。久しぶりに開けたカーテンからは私を責めるような日が差していた。その眩しさに耐えきれず、布団に逃げ込みうずくまるしかなかった。心配した両親は私を実家に連れ戻しに来た。

「春休み、一度うちに帰ってきなさい」

 久しぶりの安心する顔に、溢れそうな涙を抑える。でも苦しさは無くならないままだった。救われたと思ったはずなのに、そうではなかった。辞めようと思っていた大学は両親の説得で続けることになり、苦しい生活の第二回戦の開始だ。

 そんな状況でまともに生活できるはずもないが、なんとか踏ん張りながら卒業論文も就職活動もこなしていった。でも、それが第三回戦への入り口になってしまったのだ。


 大学を卒業した私は再び一人暮らしを始め、販売の仕事に就いた。人付き合いは得意ではなかったが、学生の頃から接客のアルバイトをしていたから大丈夫だと考えていた。

 けれど、当然のことながら現実は想像とは違った。ノルマやらクレームやらで毎日疲弊するだけで仕事の楽しさなど一つも見つからない。ただ、抜け出せない暗闇を手探りで進んでいるようで、出口の見えない恐怖と戦うばかりだ。

「晴子、あなたなら大丈夫よ」

「うん、もう少し頑張ってみる」

 折れそうになるたびに家族の言葉が、奮い立たせる。自分で言うのもなんだが、私は頑張り屋だと言ってもいい。限界のその先まで進んでしまう。まだ大丈夫だと自分を騙しながら堪える。でも、その性格のおかげで自分がもう進めないほどにすり減っていることに気付くことが出来なくなっていた。だから、折れしまうときが突然やってくる。


 大学時代はそれで失敗した。だから気をつけながら生活していたはずなのに、それはまたやってきてしまった。人と会うことも声を聞くことも恐ろしくなり、職場には行けなくなった。もう、先のことなど見えなくなった私は退職願を出した。けれど、会社の規則ですぐに辞めることは出来ず、限界のそのまた先の限界へ向かって這いつくばりながら進む日々が流れていった。

 なぜ生きているのだろうと考えざるを得ない。何の目標も無ければしたいこともない。だけど、何か足りないものがあるような気がして。それが何なのか知りたくて、いろんなことを頑張ってきた。

 けれど、何をしても満たされることは無いばかりか失うだけだった。私が進んできた道で得たものはいったい何だっただろうか。


 行く当てもなく再び実家に帰ってきたはいいが、疲れた体ではこの場所は休まらなかった。そもそも、人と一緒にいることが苦しくなって逃げてきた。好きだった家族といることはもう出来ないと感じた。

 誰にも助けを求められないまま心をすり減らした。妖怪でも化物でもいいから誰か助けてと心の中で叫んだ。どれだけ叫んでも助けの手は差し伸べられなくて、いつものように声だけが聞こえていた。


 眠り疲れて目覚めた時、夢で見た景色が蘇った。大きな家は絵に描いたような穏やかな景色。そこで笑っている自分の姿。その隣には誰かが居て。そこがどこなのか分からない。けれど、どうしてもそこへ行きたくなった。

 人が行きかう町に溺れそうになりながらも、不動産屋に向かった。夢で見た家に似ている場所は、周りが山やら田んぼに囲まれていて人より動物の方が多いという。久しぶりに心が動くのを感じ、すぐに向かった。


 そして、今に至る。古いという言葉では追いつかないほどに古い。そして一人で住むには大きすぎる。家賃はそんなに高くなかったので、詳しい情報を見ることなく契約した自分が悪いのだろうけど。そう言えば思い出した。

「この家にします」

「本当によろしいのですか。この条件でしたらもう少しいい物件もありますが」

「ここにします」

 そう言って決めたのがこのぼろ屋敷だった。正直どんな家を選んだのかあまり覚えていなかった。今、目の前に立って驚いたくらいだ。引き返そうにも私に残された道などない。引き返したところでそこにあるのは薄暗い未来だけ。進むも戻るもどちらも薄暗い世界なら、一人でいよう。その方がいくらかましだから。決めた選択が揺らがないようにと足を進めた。


 目の前に立ちはだかる大きな門は開いているけれど、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。あまりの老朽化に全体的にリフォームが必要なのではないかと感じるほどだ。なかなか入るとことに躊躇してしまうがここは私の家なのだ。

 私が家主だと言い聞かせ一歩進もうとすると、玄関の扉が少し開いている。さっきまで閉まっていたような。そう言えばと嫌なことを思い出してしまった。ここへ来るまでに一人だけ人間に会っていた。

 駅からこの家の方へと歩き出した時、一人のおばあさんが声を掛けられた。

「この先へ行けば戻れなくなるよ」

 何の前触れもなく声を掛けられれば不審に思う。だが、その人からは何の悪意も感じない。電車待ちをしているのだろうか。日傘を片手に椅子に座っている。だが、今日はもうこの駅に電車が来ることはない。一日に一本しか走っていないのだ。それにここは終点。私が乗ってきた電車に乗らなければ明日まで待つことになる。どういう訳か彼女は動くこともなく座っている。

「あの、電車はもう行きましたよ」

「そうかい」

 私の言葉を聞いても動こうとしない彼女は誰かを待っているよう。それなら邪魔をしてはいけないと思い、その場を後にした。

 この長い道のりで、そのことを忘れてしまっていた。こんなことなら忘れたままだったら良かったのに。あの言葉の意味を深く考えなかった自分に後悔した。この道は迷うから気を付けた方がいいという意味だと思っていた。だが、それはまったく違ったようだ。

 目の前に立てばよく分かる。この屋敷は普通ではない。築年数が数百年経っていることを踏まえても不気味だ。これは呪いの屋敷、もしくは幽霊屋敷なのだろうか。夏が近づいているというのに空気が冷たい。


 ふと思い出した。人里離れた山奥に、奇妙な屋敷。今にも崩れてしまいそうなその屋敷に住まう人も、どこか奇妙な雰囲気を漂わせる男。興味本位に覗いた者は皆その場所には近寄らなくなる。

 なぜならその屋敷の主は険しい顔をしながら、花もつけず葉が枯れた桜の木を眺めているのだ。そして、瞬きした瞬間にその姿は消えてしまう。その様子が噂され、いつしか誰も近づかなくなったという。

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