報いは舞踏会にて
「エレーナ、君との婚約を破棄させてもらう」
「…やはり、この体が原因ですか?」
テンダリー男爵家の令嬢、エレーナはここ数か月、謎の病に侵されていた。
一日中体が鉛でできたみたいに重く、食事も喉を通らない。
最近は血の混じった咳が出るほどだった。
美しかった肌も見る影もなく、働き者だった彼女が今では
ギュスタヴ家であてがわれている寝室で寝たきりの生活だった。
婚約者である(といっても破棄されたのだが)ギュスタヴ子爵家の嫡子、
リオンの妻として公務をこなすことは、とてもじゃないが出来ない状態だった。
「悪く思わないでくれエレーナ、僕には嫡子としての責任がある。
僕の判断で家に迷惑は掛けられない」
冷たく突き放すリオンにかみついたのはエレーナの侍女、サーニャだった。
「ちょっと待ってください!いくら何でも酷すぎます!
お嬢様の体調が良くなるまで待つことだってできるはずでしょう!?」
「……」
神妙な顔をして、うつむくリオン。
その様子はサーニャの苛立ちを募らせた。
「…そんなに罪悪感に駆られるのでしたら、
婚約破棄などしなければよかったのでは?」
何か言ったらどうなんだと言いたげにリオンを睨むサーニャ。
エレーナが彼女を止めようとしたその時、突然部屋の扉が開いた。
「まったく…男爵家の使用人って身の程もわからない愚か者しかいないのね」
三人は神妙な顔持ちのまま、入ってきた人物に目をやった。
「…母上」
「ッ…ローザ様…」
ローザ・ギュスタヴ、元々は隣国の貴族だったが
家の事情によりこのギュスタヴ家に嫁いできた人物だ。
当主亡き今、このギュスタヴ家をその手腕一つで切り盛りしているという。
さすがのサーニャも一瞬たじろいだがなんとか反論しようとする。
「…恐れながら、今回の件につきましては余りにも…」
「黙りなさい、使用人風情が」
「ッ…!」
殺気にも似た恐ろしい凄みだった。
彼女はエレーナをまじまじと見つめるとこう言い放つ。
「そもそも男爵令嬢のあなたが
我がギュスタヴ家の嫡子と婚約していたのがおかしいのよ。
有能で役に立つのならまだしも、
ちょっと家の手伝いをしたくらいで病気だなんて…呆れてものも言えないわ」
ローザの言葉にエレーナの顔色がますます悪くなる、
リオンが間に入りローザを諫めた。
「母上…もうおやめください」
「ふん、あなたは甘すぎるのよ。
そもそもあなたが新しい婚約者を見つけたから
エレーナとの婚約を解消すると言い出したんでしょう」
エレーナはその言葉に衝撃を受けた。
リオンはギュスタヴ家に住まうようになってから日に日に体調を
悪化させていくエレーナを懸命に支えていた。
子爵家の嫡子として忙しい仕事の合間を縫って、毎日欠かさず彼女の看病へ行き
様々な伝手を使って彼女の体調悪化の原因を探っていた。
ローザがエレーナに対して良くない感情を抱いていたことも理解しており、
あまり二人が引き合わないように便宜をはかってもいた。
エレーナはそんなリオンを信頼していた。
この婚約破棄もあくまでギュスタヴ家、テンダリー家、
全体のことを考えての決断なのだろうと自分を納得させようとしていた。
しかし、リオンはただ新しい相手を見繕っていただけだったのだ。
悲しみとショックで何も言えないエレーナをローザはせせら笑う。
「あら?リオンは言ってなかったの?」
エレーナは今にも涙がこぼれそうな表情でリオンを見つめ問いかけた。
「…本当なのですか?」
リオンは苦しそうな表情を浮かべ、答える。
「…そうだ」
両手で顔を覆うエレーナ、
サーニャは彼女の肩を抱きながらリオンとローザを睨みつける。
ローザは悪びれる様子もなく言い放った。
「さあ、あなたはもう婚約者でもなんでもないのよ。
早くこの家から出て言ってちょうだい」
エレーナを馬鹿にするかのような笑みを浮かべながら部屋を後にするローザ。
それからは淡々と事が進んだ。
数日の内にサーニャがエレーナの荷物をまとめ、リオンが用意した寝台馬車で
実家であるテンダリー家へと帰ることになった。
エレーナたちが準備を整えている間に、リオンが直接テンダリー家へ出向き
婚約破棄についてエレーナの両親に伝えに言ったという。
互い違いにテンダリー家に到着したエレーナは
両親が激怒しているだろうと思っていたが、
意外にも婚約破棄についてエレーナを慰めるようなことは言っても
事を荒立てるようなことはせず、
後日ギュスタヴ家に対して抗議の文書を送る程度だった。
身分での立場上強く出ることができないだけともとらえることができるが、
エレーナはおそらく自分の体のことを気遣ってくれているのだろうと考えた。
それから数か月がたちエレーナの体調は少しずつ回復、
見た目も健康だった頃と同じような姿に戻っていった。
両親が紹介してくれた医者からも外出を許可されるようになった時、
一通の招待状が届いた。
「サクソン家での舞踏会?」
「ええ、しかし行かれない方がよろしいかと…」
渋るサーニャにエレーナはなぜかと問う。
「どうやらこの舞踏会はギュスタヴ家からも出資がなされているようです。
つまりおそらくは…」
「…ギュスタヴ家の方々がいらっしゃる」
「ええ、きっとリオン様も新しい婚約者をお連れになるでしょう」
エレーナは迷っていた。
自分でも愚かだと思うほど、まだリオンのことが忘れられずにいた。
確かに婚約破棄を言い渡されたことは悲しいし、憤りも感じる。
特に浮気といってもいいような真似をされたのが許せない。
しかし昔のリオンは自分をに対して本当に良くしてくれていた。
それがなぜあのようなことになったのか。
婚約破棄の理由を知りたいというより彼への思いを断ち切るために
舞踏会へ参加しようと考えた。
舞踏会当日、エレーナはサーニャを伴って舞踏会に参加していた。
舞踏会は豪華絢爛というほどではないが内装の装飾、流れる音楽、
テーブルに並んだ料理や飲み物、どれも気品を感じさせるものだった。
少し警備の人数が多いような気がしたが
舞踏会を行う上で特に気になるというほどではない。
エレーナはできるだけ目立たないように隅っこのほうにいながらリオンの姿を
探したが、見当たらずにいた。
音楽がひと段落し拍手が巻き起こるとサクソン卿が壇上へと上がり、
参加者へと語りかけた。
「皆様、ご来場頂きましてまことにありがとうございます。
本日このような素晴らしい舞踏会を開催することができたのも、
出資を行ってくださったギュスタウ家当主、ローザ様のおかげでございます」
名前を呼ばれるとローザが勝ち誇ったかのような笑顔で壇上に現れる。
その瞬間拍手が沸き起こりそれが静まるのを待ってから彼女は語りだした。
「ありがとうございます皆様、そしてサクソン卿。
この場をお借りするのは大変恐縮なのですが、本日は皆様に
お伝えしたいことがございます」
何やらローザが手招きすると二人の人影が壇上へと現れた。
リオンともう一人は見知らぬ女性だった。
「我がギュスタヴ家の嫡男リオン・ギュスタヴと、隣国からいらっしゃりました
ヴァルデルべ伯爵家の御令嬢ミシェル・ヴァルデルべ伯爵令嬢の婚約を
ここに発表いたします」
どよめきと拍手が湧き上がる。舞踏会の参加者たちは口々に
「ヴァルデルべ家ほどの名家の令嬢が…」と驚きの声をあげていた。
ローザの勝ち誇った顔がさらに強調される。
彼女にとっては願ってもない相手なのだろう。
凛々しい顔立ちや洗練された立ち振る舞いはいかにも彼女が好みそうだ。
エレーナは二人を複雑な想いで見つめていた。
「それではお二人からご挨拶を」
ローザがすっと身を引くとリオンとミシェルが前へと出て語りだす。
「ではまずは私からローザ様へお伝えしたいことがございます」
婚約を認めてくれた礼だろうか、ミシェルがローザへ向き直りこう言った。
「ローザ・ギュスタヴ子爵夫人、私と共に警察署へご同行願います」
「…は?」
何を言っているのか分からないという顔をするローザ。
聴衆もどよめいていた、しかしリオンは特に驚いた様子もないように見えた。
「あ、あなた何を言って…」
ミシェルは懐から何かを取り出し、ローザに見せつける。
「こっ…国際警察…!?」
彼女が取り出したものは国際警察の手帳。
それに明らかな動揺を見せるローザ、それに対しリオンが口を開いた。
「彼女の本当の名はサリエラ・ロミタス、国際警察の特別捜査官です。
僕と偽の婚約を結ぶことでギュスタヴ家に潜入し、
調査をしていただきました」
ローザは鬼のような形相でリオンを睨みつける、
それに対してサリエラと呼ばれた女性が畳み掛けた。
「貴女にはギュスタヴ家前当主であるギュスタヴ卿殺害の容疑と
テンダリー家のエレーナ男爵令嬢殺害未遂の容疑がかけられています。
といってももはや言い逃れできる状況ではありませんが」
「私が夫を殺したですって?いったい何を根拠にそのような…!」
ローザが逆上し反論するとサリエラは警備員に合図を送る、
すると屋敷の扉が開き、両腕を取り押さえられた一人の男が入ってきた。
その男はエレーナがギュスタヴ家にいたころに治療を受けていた医師だった。
「医師である彼、そしてギュスタヴ家の使用人たちと協力し、
貴女はギュスタヴ卿を毒殺、それによって当主の座を手に入れた。
違いますか?」
「あの男はただのかかりつけの医者でしかないわ!
そもそも夫が毒殺されていたなんて私は知らなかった!
全てあの男が仕組んだのよ!」
「これをご覧になられても関係ないと言い切れますか?」
サリエラは何枚かの紙の束を取り出す、それは医者からローザに宛てた
毒薬の代金が記されている請求書だった。
「そんなものあの医者がでたらめに書いたに決まっているじゃない!
そんな紙切れで動くほどあなた方はお暇なのかしら?」
「確かにこの手紙だけでは不十分でしょう。
しかし、ギュスタヴ家に隠されていたこの請求書に記載されてある毒物、
貴女の寝室に隠されている共犯者たちに宛てた
犯行計画連絡用の書類も確認済みです。
今頃我々の仲間がギュスタヴ家へ立ち入り、それらを抑えているでしょう」
ローザはこの世のすべてを憎むかのような表情でサリエラを睨む。
リオンはローザをしっかりと見据え、諭した。
「…母上、潔く罪を償ってください。
もう貴女に逃げ場はありませんよ」
「…あなたに何がわかるっていうの?」
ローザは薄ら笑いを浮かべている、
しかしその眼には殺意のようなものが見て取れた。
「私は子供の頃から上流階級の貴族として生きてきた。
それなのに嫁いだ先は人情に絆されて出世もできないお人よしの愚かな男
しかも息子が連れてきた婚約者はこちらに何のメリットもない男爵令嬢」
ローザは悪びれる様子もなく恨み言を続けた。
「教えてあげるわ!あの男、私が毒を盛り続けていたことを知っていたのよ!
それでいて奴は死ぬ直前に「すまなかった」って私に言ったのよ!
本当に馬鹿みたいだわ、奴がいなくなって私が当主になったおかげで
今のギュスタヴ家があるの!それなのに罪を償えですって?
ふざけないで!」
「それはこちらの台詞だッ!」
リオンの怒声が響き渡る、
エレーナでさえ彼が怒っているところを見たのは初めてだった。
「家を繁栄させることができれば何をしても許されるのか!?
懸命に生きている人を踏みにじっても許されるのか!?
貴女は確かに苦労と努力を重ねてきたのかもしれない、
だがそれは決して他人を害する免罪符になどならない!」
わなわなと体を震わせ顔を紅潮させるローザ。
すると彼女は突然、懐に忍ばせた手をリオンへと向ける。
その手には拳銃が握られていた。
「リオン様ッッ!」
聴衆の悲鳴の中エレーナは思わず叫びながら駆け寄る。
ローザがリオンに向けて引き金を引こうとしているその瞬間。
「…ッッ!?」
サリエラがローザの腕を抑え込み、
タックルするような形で地面へと組み伏せた。
衝撃で拳銃がローザの手から離れる。
完全にローザの動きを封じ込めたサリエラはローザの耳元で囁く。
「貴女には余罪の嫌疑もございます、覚悟なさってください」
警備員に扮していた国際警察たちがローザの身柄を捕らえ、連行していく。
エレーナはリオンのもとへと駆け寄る、サーニャもそれを追いかけて行った。
「エレーナ!…よかった、また君の元気な姿が見れて」
「私の体のことなんか…、それよりご無事でよかった…」
エレーナは今まさに命が狙われたというのに、
悠長なことを言っているリオンに半ば呆れながら答えた。
「すまなかったエレーナ。母上の目を欺くためとはいえ
君には辛い思いばかりさせてしまった…。
母上が僕達の婚約を良く思っていなかったことは分かっていたつもりだったが
まさか危害を加えるほどとは…」
「…私の病はローザ様が毒を盛った影響だったのですね」
「ええ、それも感づかれないようにごく少量づつ」
そう答えたのはローザの身柄を引き渡し終えて戻ってきたサリエラだった。
エレーナとリオンが彼女に感謝を伝えるとサリエラは
「自分の仕事をしたまでですよ」と笑顔で答える。
「我々もギュスタヴ卿が不審死を遂げてから彼女を疑ってはいたのですが、
決定的な証拠もなしに有力貴族を検挙することは難しかった。
今回の事件解決はリオン様の協力あってのものです」
エレーナの傍らにいたサーニャがリオンに謝罪する。
「リオン様…申し訳ございません。そのような事情も知らずに
ギュスタヴ家では無礼なふるまいを…」
「いやいいんだ、むしろ君が食い下がってくれたおかげで
母上に計画を気取られずに済んだ。
追い込まれた母上は何をするか分からない、君たちの命を守るには
疑われる余地を残さず母上を納得させた上で
ギュスタヴ家と関係を絶ってもらう他なかった。
エレーナの毒に対する治療も母上に悟られずに行うことができた」
「もしや、私の両親が紹介してくださったお医者様は…」
「ああ、毒に関して専門的な知識を持った医者を探し出し、
ご両親に推薦させていただいた」
エレーナは安堵した。命の安全が保証されたからというより、
リオンが自分の知っているリオンのままでいてくれたことが嬉しかったのだ。
サリエラは心配するような表情でリオンに尋ねる。
「差し出がましいかもしれませんが、
リオン様はこれからどうなさるおつもりですか?
もちろん我々も最大限の支援はいたしますが、
当主と多くの使用人がいなくなり
今回の事件によってギュスタヴ家への風当りは
かなり強くなると思われますが…」
「爵位の返上は考えていない、責務を放り出す真似はしないよ。
必ずギュスタヴ家の信用を回復し、再興させてみせる」
決意を固めたリオンはエレーナの方に向き直る。
「…そしてエレーナ、その暁にはもう一度僕と婚約を結んでほしい」
「…私からもひとつお願いがあるのですがよろしいでしょうか」
「もちろん僕にできることならどんなことでも」
「私にギュスタヴ家再興のお手伝いをさせてください。
あなたのことを支えたいのです」
リオンはエレーナの手を取る。
「…ありがとうエレーナ、愛しているよ」
「…私もです、リオン様」
お互いを支えあって生きていく決意を固めた二人。
サリエラはそれを見届けるとそっとその場を立ち去るのだった。
サリエラは屋敷の外に出るとへらへらとした雰囲気の男に声を掛けられた。
「おう終わったみたいだな」
この男はサリエラの同僚、国際警察に所属するクリスだ。
「あなたがここにいるということはそっちも滞りないようね」
「ああ、お前さんが潜入して確認していた証拠品は全て押さえた。
使用人のほうも事情聴取中だ。」
「それを伝えるためにわざわざここへ来たの?」
「いやあ、面白いもんを見られそうだったんでな」
ドレス姿のサリエラを見てとニヤニヤと笑うクリス。
サリエラは心底あきれてため息をつく。
「…馬鹿にしに来たのならあなたが任務中にサボっていたと報告するわよ」
「悪かったから、それは勘弁してくれよ。
俺だって奴を騙すために
ヴァルデルべ家から協力を取り付けるために苦労したんだぜ?」
本部へと帰還するために足早に馬車へとむかう二人、
ふと地面に落ちているあるものに気づき立ち止まる。
それはローザがつけていた指輪だった、おそらく連行時に外れたのだろう。
あのローザが身に着けていたにしてはやたらとシンプルなデザイン、
左手の薬指につけられていたし結婚指輪なのは間違いない。
単純に考えれば、ただ犯行を悟られないためだけに
カモフラージュとしてつけていたのだろう。
それとも、夫を殺害した後何か思う所があったのか…。
サリエラが考えをめぐらせているとクリスが声をかけてきた。
「…なんつーか憐れな奴だったな。
平民の俺らからすりゃ前のギュスタヴ家だって
十分な名家だったってのに」
サリエラは泥で汚れたローザの結婚指輪を見ながら呟く。
「…自分本位な理由で身近にいる人間を呪うような者は、
どんなに良きパートナーがそばにいたとしても
幸せな人生など送れないということなんじゃない?」
「良きパートナーね…例えば俺とお前とか?」
ちゃちな軽口をたたくクリスに心底嫌そうな顔をするサリエラ。
「せめてなんか言ってくれよ…」と言いたげなクリスに彼女は声をかけた。
「さあ仕事はまだ山積しているわ。さっさと行くわよ」
クリスは「おう!」と答えながら再び馬車へ向かうサリエラを追いかける、
二人は次の仕事へ赴くのだった。
お読みいただきありがとうございました。
初めての執筆で読みづらい点などございましたら申し訳ございません。
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