第四話
美味しそうにクッキーを頬張る子供達を見ていると、嬉しくて嬉しくて堪らなくなってくる。
アクアリウムの天井、その下で私と子供達は共におしゃべりしながらクッキーを食べていた。ロイは……あれ、何処行った?
「あれ……ねえ、ロイは?」
「ロイ兄ちゃん、さっき僕達の洗濯物もって出て行ったー」
ああん?! 何故言わん! 子供達の洗濯物を独り占めする気か! ずるい!
「おねーちゃん、見て見て、これ僕が作ったのー」
男の子が見せてきたのは、紙と木屑で作った人形。木の体に、紙に書いた似顔絵をくっつけてある。そしてその似顔絵は、髪の毛で眼が見えない。
「もしかして……ロイ?」
「えへへ、上手?」
「うん、びっくりしちゃった」
すると子供達は次々に自分が作成した玩具や絵を私に見せつけてくる。
そのどれもに、ロイの面影が。ここの子供達は本当にロイの事が大好きなんだな。アンネも好き好きって言ってたし。
「……ねえ、ヒルデ」
すると、そのアンネが私をつんつんして、非常に可愛らしい上目遣いで見つめてくる。
むむ、どうしたんだい?
「クッキー……作り方教えて……? 私もロイに……その……」
……なんだ、この可愛い生き物。
今すぐ抱きしめたい。ぎゅってしたい。
「うわっ! ちょ、なんでいきなり抱きしめるの!?」
「はっ、つい……」
我慢出来ずに抱きしめてしまった。すると他の子供達も、私にしがみつくように抱きしめてくる。
うわぁ……幸せなり……。
「ぁ、アンネ、まだ材料残ってるし……焼いてみる?」
「ほんと?」
「うん、こっそり焼いて、ロイをびっくりさせちゃおう」
※
子供達へと追加のクッキーを持ってくる、と言い残して私とアンネは厨房に。
アンネへと生地の作り方を教え、実際に材料を混ぜていく。そして生卵を割る時……アンネはとてもやりにくそうだった。それはそうだ、アンネの人差し指と中指は……欠損してしまっている。
再びアンネへとそんな事をした大人達に怒りが湧いてくる。でもそれを抑えつけながら、私はアンネへと
「私がやろうか? アンネ」
「……ううん、やりたい……」
そうか、じゃあ……影ながら応援しよう。
落ち着け、落ち着け私。これからは私がアンネの支えになっていくんだ。この子が幸せになる、その日まで……
「アンネ!」
すると空になった洗濯籠を持ったロイが、厨房に来ていた。そしてロイは大きな声でアンネを叱りつけるように。
「なんで外に……! 地下から出てはいけないとあれほど言ったじゃないか!」
アンネはびっくりしすぎて、床に生卵を落してしまう。そのまま涙を浮かべて……
「さあ、地下に戻るんだ! 早く……」
アンネの手を引っぱり、地下へ無理矢理戻そうとするロイ。
その瞬間、思わず手が出てしまった。
思い切り、ロイの頬を平手打ちしてしまった。
「……え?」
いきなり平手打ちされてびっくりしたのか、ロイは制止。
私はアンネを抱きしめながら、耳元で「地下に戻ってて……また教えてあげるから」と耳打ち。するとアンネは素直に地下へと戻っていく。泣きながら。
「…………」
「…………」
無言のロイ。私も無言。
どうしよう、とりあえず平手打ちしてしまった事を謝るべきか……。
「……ごめん、ロイ。いきなり殴って……」
「いえ……僕も……突然大声だしてすみませんでした」
ロイが怒る理由は分かる。当然の事だ。地下から出てきた元気な子供を見られたら……伯爵の流した噂が嘘だと知られてしまう。そうなれば奴隷商はここへは近づかないだろう。それどころか、子供達を口封じに殺そうとするかもしれない。
でも、ロイにむりやり手を引かれるアンネを見たら……。
「……アンネに謝ってきます。それと……今日はもう地下へは……」
「……ごめんなさい、ロイ。分かった。でもクッキーは……焼いていい?」
「……お願いします」
そのままロイは地下へ。
私は残りの材料を使って、クッキーを焼き続けた。
アンネに申し訳ない事をしてしまった。
私が地下から出したばかりに……というかロイもロイだ、何故私を怒鳴らないのか。
「いや、悪いのは私じゃないか……」
今夜は……罪悪感で眠れそうにない……。
※
翌朝、結局気絶するように眠ってしまった私は、ロイよりも先に子供達の洗濯物を回収する。
ふふふ、今日は私の独り占めだ。ロイに子供達の洗濯物を独占する権利は無くてよ。
気持ちのいい雲一つない晴天の下、私は屋敷の近くを流れる小川で洗濯を。すると聞き覚えのある足音が近づいて来た。
「……あの、なにしてるんですか」
「ぁ、おはよう、ロイ。何って……私が乗馬してるように見える?」
「洗濯物を洗っているように見えます……って、そうじゃなくて! なんでそんな事……僕の仕事取らないでください」
「やだ!」
「ああ、もう……」
ロイは仕方ないな……と、渋々私といっしょに洗濯を。桶の中でごしごし、石鹸で擦り洗い。
「ロイ、昨日は……ごめん。アンネを連れ出したのは私なの」
「……いえ、悪いのは僕ですから。あんな大声……出す必要も無いのに。アンネは賢い子です。あんな言い方しなくても分かってくれるのに……」
「うん……あと、殴ってごめん……」
「いえ、僕が悪いですから。気にしないで下さい」
ごしごし、洗濯物をごしごししながら、謝り合う私達。
ロイが優しい青年だと言う事は分かった。いや、知っていた。でも……それにつけ込むような真似はしたくない。昨日悪いのは明らかに私なんだ。
「悪いのは私だから。ごめんね」
「いえ、僕です、申し訳ありませんでした」
「……私だって言ってるじゃん」
「僕ですから」
「いや、私が!」
「いいえ! 譲りません! 悪いのは僕です!」
何故お互いに罪の擦り付けならぬ、被り合いをしているのか。
おかしくなってしまった私達は、思わずお互いの顔を見ながら笑ってしまった。その時、またロイの目が見えた。優しい、青年の目が。
その目が見える度に……私の心は揺れる。その目に、私の心が引っ張られる。
私は思わず、濡れた手でロイの髪の毛をかきあげてみる。
「うわっ! ちょ、なにるするんですか!」
「ロイって可愛い目してるじゃない。なんで隠してるの?」
「う、うるさいな……」
あああん? 五月蠅い?
仮にも私は……この伯爵家の……って、ロイ? なんでそんな満面の笑みでバケツに水を汲んでるの?
「……ロイ、なにして……」
「いえ、仕返ししようかなーって……」
思わず後ずさりする私。こいつ、まさか……
「落ち着きましょう、私達には話し合いが必要よ」
「そうですね、全ての争い事が話し合いで解決出来れば……素晴らしい事だと思います。でも……そう上手く事が運ぶ事はそうそう無いんですよ」
「なんてこと言うの。諦めないで。私達は同じ人間のはずよ」
「いいから……ずぶぬれになれい!」
ちょ、ちょおおおお!
私は前髪ちょっとだけ濡らしただけじゃん! なのにバケツに水汲んで仕返しって……!
反射的に避けようとしたけど、逆に私は顔に思いきり水を浴びてしまう。
どうやらロイは私に水をかける気など微塵も無かったようだ。しかしたまたま放った先に避けてきた間抜けが私だと言う事。
「ぁっ、いや、すみません、まさか自分から当たりにくるとは……」
「ローイ……こう見えて私……お父様に剣術習ってたの」
「そ、それは逞しいですね……それにしては運動神経に難ありのようですが……」
「言ったわね……」
洗濯が終わった濡れたタオルに、さらに水をしみ込ませる私。
そしてそれを構え……
「いや、あの、それ本気で痛い奴!」
「ごめん、知ってる」
そのまま満面の笑みでロイを追いかけ始める私。
ロイは逃げようとするが、先程自分が使ったバケツに足がはまって転んでしまう。
「観念しなさい! ロイ!」
「ちょ、ちょ、ちょちょちょ!」
しかし私も同じバケツに躓き、そのまま……
「ぁ」
倒れそうになった所で、ロイが受け止めてくれて、そのまま一緒に草の絨毯へと。
「あははは、何してんだろ、私達……」
「ま、まったくですよ……」
そして気が付けば、ロイと真正面から目が合っていた。
可愛い、優しそうな青年の顔。あと少し……私が顔を下げたら……ロイの唇が……
「……伯爵から……連絡がありました」
突然、ロイからそう告げられる。
楽しい時間が終わってしまったかのように。
「今夜……お帰りになるそうです」
「……そう……分かったわ」
そのままロイから離れる。一気に現実に引きずり戻されたような気がした。
青空の下、私は小川の傍で立ち尽くしながら……最低な事を考えていた。
伯爵の事は尊敬もするし、感謝もしている。
でも……伯爵なんて居なければ……
ロイさえいれば……この屋敷に居るのが、子供達とロイだけだったら……と。