第一話
この小説は、遥彼方様主催企画《共通恋愛プロット企画》参加作品です。
この小説は、遥彼方様が提供されるプロットを元に執筆しています。
五千コルト。この数字が何なのか、最初私は想像も付かなかった。
父から聞かされたその数字。それは貴族の権威を取り戻そうと『いい話』に乗ってしまった事で背負う事になった借金。
ただでさえ没落寸前の我が家、ヴァルミア家は当然ながらそんな大金を払える筈も無く、父は本気で一家心中を考える程に追い詰められていた。
しかし三日前、そんな我が家に救いの手が差し伸べられた。なんとこの国の三大貴族と呼ばれる名家の一つ、デュランダル家の伯爵から、とある条件で借金を全て肩代わりするという話を持ち掛けられたのだ。
当然、父は頭を縦に振るしか選択肢はない。だがその条件というのが……私を婚約者として迎え入れたいとのこと。
その話が来たのは三日前。父は文字通り、三日三晩悩みぬいたのだろう。
自分の娘を望まない相手の伴侶とするか、それとも一家心中するか。
父は本気でその二つの選択肢で悩んでいたのだ。それだけでも私がどれだけ愛されていたか、そして父がどれだけ追い詰められていたか分かる。
私は父からその話を聞かされた時、二つ返事で承諾した。
元々、落ちぶれているとはいえ貴族の娘だ。私に自由など無いと物心ついた頃から分かっていた。
だが実際、その時が来ると震えてしまう。
ただでさえ初対面の人間の伴侶となるのに加えて、私が嫁ぐデュランダル家の伯爵には黒い噂があったからだ。
その伯爵、ラグナル・デュランダルは自身の屋敷の地下へと、人身売買で買い取った子供を連れ込み……夜な夜な手足を切り刻んでいる、と。
実際、夜になると……聞こえて来るそうだ。伯爵の家の地下から、子供の泣き声が。
※
「ようこそ。どうぞ楽にしてください」
日が落ち始める、ちょっと前。馬車で伯爵家へと連行……いや、連れてこられ……いや、赴いた私を迎えてくれたのは家令の青年。なんだか前髪で顔が見えない。線が細く、私より身長は高いが気弱そうな方。
屋敷の二階の角部屋へと案内され、青年から諸々の説明を受けた。
既に結婚式は終わっている事。言うまでも無く、偽装結婚。ただ単に世間体を守るための物。世間体も何も、この屋敷の評判は最悪だぞ……という言葉は飲み込みつつ、私は黙って青年の説明を受け続ける。
「あぁ、申し遅れました。僕の事は……ロイとお呼びください」
「畏まりました……。えっと、私は……」
「ヒルデ・ヴァルミア様、ですよね。三大女神の三女の名なのですぐに覚えてしまいました。いい名前です」
「……ありがとうございます……あの、ロイ様、ラグナル伯爵は……」
ロイ様は私の震えた手へと視線を向ける。咄嗟に私は後ろ手に隠すが、もう遅い。
「……伯爵はしばらく留守にしています。それと僕に様は要りません。これからは……貴方に仕える身ですから」
無茶を言うな、こちとら没落寸前の田舎貴族出身の小娘だ。三大貴族に仕える人間を前にして、いきなり呼び捨てなんかに出来ない。頑張ってみるけども。
「……では、お疲れでしょう。ごゆっくりお休みください」
そのままロイ様……いや、ロイ……は、部屋の鍵を私へと手渡しつつ、そのまま外へ。
しかし何か言い忘れたと振り向き
「あぁ、地下室へは行かないでください。それ以外の場所ならばご自由にしてくださって構いませんので。では……」
静かに部屋の扉を閉め、ロイの足音が遠ざかっていく。
途端に私は膝の力が抜け、絨毯の上に座り込んでしまった。心臓が破裂しそうだ。とりあえず、当面は初夜だの何だのは……無いらしい。でもいつか……
「はぁ……しっかりしろ、私。三大貴族に嫁いだんだよ、もっと自覚を持たないと……」
三大貴族、その名の通り……この国を支える三つの巨大な権力を持つ貴族達。このデュランダル家はその中でも得に歴史が古く、今では分家も数え切れぬくらいに存在する……のだが、それにしては本家の、この屋敷の静けさは何だ。
まさか……あの噂は本当だったのか?
今、ロイも言っていた。地下室には行くなと。分家の人間が出入りしている気配も無い。きっと意図的に人払いをしているんだろう。そんな事をする理由……
「……いやいや、噂よ、噂。そんな事あるわけ無い……」
そうだ、人身売買はこの国では違法だ。奴隷制なんて大昔に滅びている。
仮にも三大貴族の一つが、そんな事に手を染めている筈が無いんだ。
※
翌朝から私は気分を入れ替え、屋敷の諸々の雑用を熟す事にした。
とりあえず掃除から始めるか。ロイが毎日しているらしいが、私に言わせればまだ甘い。まるで姑のように、指で窓枠を擦ってみると埃が溜まっている。あらあらロイさん、これは何かしら? と心の中で呟きながら、早速私は水を汲んだバケツと雑巾で掃除開始。
「……むむ、この雑巾、本当に雑巾? なんか布の質が……」
「あの、何されてるんですか?」
雑巾の布質に心を奪われていると、後ろからロイに話しかけられ、驚いて振り向く私。
ロイは相も変わらず前髪で眼が見えない。しかし昨日とちょっと恰好が変わっている。昨日は長袖のシャツにズボンとラフな格好だったけど、今は上質な絹の上着を羽織っている。ズボンも昨日はダボダボのだったけど、今はスラっと貴公子のようなシルエット。
「えっと、暇なので掃除でもしようかと」
「……掃除って……そんなの僕がやりますから」
「え、嫌よ」
「えぇ……」
だってロイったら、こんな埃を見逃すなんてあり得ない。
私の家だったらお母様に叱られてしまうわ。叱られた事なんてないけど。
「それより……お出かけ……?」
「ええ、ちょっと伯爵のお使いで。まあ、自由にしろと言ったのは僕ですし……貴方が落ち着くなら掃除でもなんでもしてください。ぁ、でも……地下室には……」
「分かってる。行ってらっしゃい」
するとロイは口元を緩め、子供のような笑みを浮かべてくる。相変わらず目は見えないけれど。
「……何?」
「いえ、すっかり敬語も抜けて……良かったです。この家に来てくれたのが貴方で良かった。では……いってきます」
……はっ!!
そうえいばいつの間にか、私普通にロイの事ロイって呼んでる!
なんか敬語もほんとに綺麗サッパリ抜けてるし!
っく……ロイの雰囲気がなんかそうさせてくるというか……上手く言えないけど。
「……まぁ、いいか……」
ロイが居なくなった屋敷は一段と静かに感じる。そのままロイって案外笑顔可愛いじゃないか……とか思いつつ掃除を再開する私。
それにしても、地下室には行くな……か。
なんか、そこまで念押しされると……逆に気になっちゃうじゃないか。
ちょっとだけ、あの噂が本当なのか、確かめてみるだけなら……。