⑥ 茶番劇の閉幕
私は視線をレイモンドに移すと静かに彼にこう言いました。
「せっかくですが、貴方からの婚約の申込みはお受けできません」
すると思った通りレイモンドは酷く驚いたように顔を上げた。そして慌ててこう言った。
「突然の話に驚いたんだね。そりゃあそうだよね。急に兄上から婚約破棄されたと思ったら、今度はその弟と婚約だなんて。
ごめんね、すぐに返事をしてくれなくてもいいんだ。
君が落ち着いてから返事をしてくれればいいんだ。もちろん了承してくれることを願っているが……」
「いいえ、今はっきりとお断りさせて頂きますわ」
「何故? 僕のことが嫌いかい?」
「好き嫌いの問題ではありません。やっと学園を卒業したので、これから私は北の隣国へ行こうと思っています。ですから婚約はできません」
「北の隣国? なんのために?」
「もちろん療養のためですわ。
北の隣国は医療だけでなく癒し魔術も進んでいますから、私のこの体型をどうにかして頂こうと思っていますの。
だって、これ以上太ったら体が破裂しそうで怖いのですもの。貴方も従兄として私の体を心配してくださるでしょう?」
「ああ、もちろん君の体の事は心配だよ。
だけど、兄上との婚約を破棄すればストレスは減るし、自然と痩せるのではないか? わざわざ他国へ行かなくても」
「でもその理屈ですと、私がルーリック殿下と婚約破棄したところで、今度は貴方と婚約してしまったら、私のストレスは減らないのではないですか?
人間関係も私の置かれた状態も何も変わらないのですから。
ですから私はもう、誰が相手であろうと王太子の婚約者ではいたくありません」
「何を言っている! お前は王太子妃になって、いずれは王妃になるのだ。それはお前の生まれ落ちた時からの定めだ!」
レイモンドとのやり取りに突然口を挟んできたのは、壇上の奥に立っていた父親のベルウルブズ侯爵だった。
そこで私は今度は父親の方へ顔を向けてこう言ってやりました。
「お父様には申し訳ありませんがそれは不可能になりました。先程私は王太子殿下に婚約解消を言い渡されましたので」
「家同士の決まり事である婚約をたとえ王太子殿下であろうと、勝手に破棄できる訳がないだろう!」
「しかしお父様、王太子殿下は公の場で既に掟破りの婚約破棄をなさってしまいました。それ故、王太子殿下は廃嫡になるのではないですか?
そうなったら結局私は王太子妃になれませんわ」
「だから、私の息子レイモンドの婚約の申込みを受ければいいのよ。ルーリック殿下が廃嫡になればレイモンドが王太子になるのだから」
「「「・・・・・・・・」」」
会場はシーンと静まり返りました。
王位継承の話を一般人の集まりである学園の卒業パーティーで話題にするとは・・・
しかも現王太子が廃嫡になることを前提にして第二王子を王太子にしようなどと・・・
国王以外の者がこんなことを口にすれば、それは国家転覆を狙っていると解釈されても致し方ないレベルの話です。
「君は何の権限があって、王位継承の話をしているのかね? 君はただの側妃に過ぎないのに? ああ、宰相である兄君と普段からそんな話をしているのかな? この国を憂慮して?」
「へ、陛下……違います。そんな恐れ多いこと……
私はただ、王太子殿下があまりにも姪に対して酷い仕打ちをしたので、そのことが許せなくてつい……」
「陛下、私は妹と共謀して王太子殿下を廃嫡させよう、などと思ったことは未だかつて一度もありません。王太子殿下は愛娘の婚約者なのですから。
しかしながら、突然こんな場で娘が婚約破棄をされれば許せない気持ちになっても当然でしょう?
妹ばかりか娘まで王家に弄ばれては我慢がなりません。
王家は娘のこれまでの血の滲むような努力を無下になさるおつもりか!
これはベルウルブズ侯爵家への侮辱です。一族総出で断固抗議致します」
父親は怒りで顔を真っ赤にし、不敬罪になることなど全く気にすることもなく言い切りました。
妹とは共謀していない。この言葉に嘘は無いだろうと私は思いました。
何故なら、父親は私がルーリック殿下に嫌われないように、痩せろとずっと怒鳴り続けていましたもの。
もし父が王太子が甥のレイモンドに代わってもいいと思っていたのなら、わざわざ国中から医師や薬師を呼び寄せるような手間のかかる事はしなかったでしょうし。
「王家がエディーナ嬢のこれまでの努力を無下にする訳があるまい。
そもそもそんな真似をすれば、それは我が国にとって大きな損失となるのだから。
現時点においても、社会福祉の分野で大きな貢献をしてくれているというのに」
国王のこの言葉に側妃は目を剥いた。
「何故まだ学生のエディーナがそんな社会貢献をしているのです? これまで王妃教育と学園の勉強で手一杯だったでしょう?」
「その通りだ。しかもその上、君の仕事まで押し付けられてそれをこなしていたのだから、凄いよね、エディーナ嬢は……」
陛下の言葉に私は絶句しました。
私が王太子殿下のためだと思って必死にこなしていた仕事は、実は叔母の分の仕事だったのですか?
「常識的に考えて、まだ学生であるルーリックにそんなに仕事を与える訳がないのだ」
「それでは何故それをもっと早く私に教えて下さらなかったのですか! 陛下も王太子殿下もあんまりですわ!」
さすがに私も切れて、陛下と王太子殿下を睨み付けました。父同様私も、不敬罪になろうがもうどうでもよくなってきました。
「すまない、本当に申し訳ない。
レイチェルとは違って君の仕事があまりにも完璧だったので、ついこのままお願いしてしまおうかと……。
グレアム君も君の作った書類の方が処理しやすいから、このままにしておこうと言うし……」
「に・い・さ・ま・・・・・・!」
今度は兄を睨むと、兄はニヘラと笑いました。
「それは私も知りませんでした。ごめんなさいね、エディーナ……。
ただでさえ孤児遺児支援制度や基礎学校設立に忙しかったというのに」
王妃のメアリード様まで私を庇って陛下と殿下と兄を睨んで下さいました。
すると、王太子殿下の隣で妃殿下の言葉を聞いたエリス嬢が、物凄い勢いで壇上から駆け下りてくると、私の前に立ち、カーテシーとはとても呼べない挨拶を披露しました。そしてその後で、いきなり私の両手を取って興奮しながらこう言った。
「孤児遺児支援制度や基礎学校設立を提案して実行に移して下さったのはエディーナ様だったのですね。
市井の子供達は皆この制度のおかげでどうにか命を繋ぐことができました。
そして私がこの学園に入れたのも基礎学園で学べたおかげです。
ああ、私の想像していた通り、なんて神々しいお方なのでしょう……」
「えっ?」
両手を強く握りしめられ、私は訳が分からずパニック状態に陥りました。すると隣に立っていたレイモンドが私を自分の方へ引き寄せて叫びました。
「衛兵、この狼藉者を捕まえろ!
侯爵令嬢の手をいきなり握るとはなんて無礼な奴なんだ!
しかもお前は兄、王太子の浮気相手ではないか、なんておぞましい」
「ご無礼な真似をしてすみません。ただ私は基礎学校や孤児遺児支援制度には本当に感謝していて、その気持ちを分かって頂きたかっただけなんです」
「わかったわ。レイモンドももういいわ」
「よくないだろう! こいつはさっきお前の失敗談を面白おかしく話していた兄上の浮気相手だぞ。君の後釜になろうとしている奴だぞ!」
レイモンドのこの言葉にエリスは目を釣り上げました。
「無礼を承知で言わせて頂きますが、さっきから私を王太子殿下の浮気相手、浮気相手だとおっしゃっていますが、一体それはどういう意味ですか!」
「どういう意味だと? お前と兄は恋人同士なのだろう? 学園内でいつも二人で行動を共にし、仲睦まじくしていたのだろう?」
「私は、生徒会長だった殿下と二人きりになったことなんて一度もありませんし、仲睦まじくしていた覚えも一切ありません。
会長と私は生徒会の議題に関しては、役員の皆さんと一緒にいる場で、常に侃々諤々とやり合ってはいましたが」
「その通り!」
「それは本当です!」
「エディーナ様一筋の殿下が浮気する訳がありません!」
「それにエリス嬢は色恋に興味なんかありません!」
元生徒会役員や、現生徒会役員が口々にこう証言しました。
「それじゃあ、何故お前は壇上の兄上の隣に立っているんだ? 兄上はお前を新しい婚約者だと紹介するために、エディーナに婚約破棄を宣言したのではないのか!」
レイモンドは状況が把握できずにパニックになりかけながらこう尋ねた。
それにエリスが答えようとした時、壇上にいた王太子殿下がようやくこう口を開いた。
「エリス嬢は次期生徒会長だ。
だからダンスパーティーが始まる前に皆に紹介しようと壇上に上がってもらっていただけだ」
「「「えっ???」」」
「それに僕はエディーナと婚約破棄するつもりはない。する訳がないだろう。世界中でただ一人愛している女性なのに」
ルーリックが臆面もなくそう言ったので、私は恥ずかしくてたまりませんでした。もちろん嬉しくもありましたが。
「今更何を言っているんですか!
さっき自分でおっしゃったじゃないですか! エディーナと婚約破棄すると……」
「いや、破棄などとは間違っても言っていないよ。解消すると言ったんだ」
「どちらでも同じだろう!」
「違うよ。エディーナが体を治すためには、北の隣国へ赴かなければならない。
しかし、王太子の婚約者の身分では受け入れてはもらえないだろう?
秘密保持のために、他国の王族の滞在期間は最長一週間だと国際法で決められているのだから。
だから、治療のために一時的に婚約を解消しようと思っただけさ」
「それなら、何故わざわざこんな公の場で発表する必要があったんだ?」
「何故って、いくらエディーナが北の隣国で治療しても、病気の根本的原因をまず解決しないと、また再発する恐れがあるだろう?
愛するエディーナをこれ以上苦しめたくないから、諸悪の根源を絶とうと思ってこんな茶番劇をしてみたんだけど、成功したみたいで良かったよ。
なにせこの芝居を上演するために半年以上も時間をかけたのだからね」
「「「芝居・・・」」」
レイモンド、側妃、宰相が小さく呟いた。彼らもようやく気付いたようだ。
自分達が王太子の脚本による芝居に、無意識のうちに参加させられていたことに……。
読んで下さってありがとうございました!