Step 4. 次も勝つもの
「わたし、この季節好きではないわ」
離宮の瀟洒な一室に、幼い少女の不満そうな声が響いた。
声の主は頬を膨らませ、ティーテーブルに両肘をつけてむくれている。
「セラフィーナ様、お召し物が汚れてしまいます」
やんわりと行儀を指摘した侍女の声にますますむくれたのは、ローランド王国第三王女、御年十二歳のセラフィーナ・アナベル・ローランド殿下だ。
シャノンが専属近衛をしているお方である。
「ここにはお母様もお姉様も先生もいないわ。少しだけこうさせてよ」
セラフィーナは深いため息をつくと、部屋の入り口近くで控えているシャノンに目を向けた。
「雨は嫌い。外に行けなくなっちゃうし、シャノンは訓練ばっかりだし……ねえ、どうしてそんなに訓練に行っちゃうの? あなたはわたしの近衛なのに」
姿勢を乱したせいで顔の横に垂れてきたストロベリーブロンドを煩わしげに手で払い、セラフィーナは唇を尖らせた。まだ髪を結い上げない幼い王女だが、人形のように整った顔は彼女を年齢より大人びて見せているため、幼い表情を浮かべるとやっと年相応に見える。
シャノンは居住まいを正した。
「畏れながら……私は若輩者ですから、訓練が欠かせないのです」
「そうかしら。あなたの腕を見込んで選んだのよ」
セラフィーナの言う通り、シャノンはセラフィーナに選ばれて近衛になった。成人前ではあるが、直系の王族は十二歳になると少しずつ公の場にでる機会がある。それに伴って、専属の近衛を自ら選ぶことができるのだ。尉官以上であれば、将官などよほど地位の高いものでない限り要望が通る――という建前になっているが、実際はある程度選別された候補の中から選ぶらしい。
そしてシャノンは、士官学校を卒業する際伝統的に行われる御前試合で、目立った成績を残したわけでもないのにセラフィーナに見いだされたのだ。
十二歳になり初めて観覧した御前試合を、想像よりもつまらないと思いながら眺めていた王女の目に、シャノンは特異に映ったらしい。
「……つまんないわ」
小さくつぶやいたセラフィーナの声を、隣に座っていた第二王女・ミルドレッドは耳ざとく聞きとって眉を寄せた。
「そんなことを言うようでは、あなたにはまだ早かったかしらね」
手厳しい姉の言葉に、セラフィーナは言い返せずに黙り込んだ。子供じみているとはセラフィーナも自覚していたのだ。けれど、まだ幼い彼女にとって、同じようにしか見えない士官候補生たちの試合をじっと大人しく座ってみているのは苦痛でしかなかった。
「退屈かい、セラ。君の専属近衛の候補たちもいるんだ。選ばなくていいのかな?」
どうやら会話を聞いていたらしい王太子・パーシヴァルが、優しい笑みを浮かべて問いかけた。
どこまでも末の妹に甘い兄の登場にミルドレッドは微かにため息を漏らしたが、口を挟むつもりはないらしい。あとはもうご勝手にとばかりに、視線を試合会場に戻してすましている。
幼さを捨て、公人としてふるまわねばならないと思いつつも、セラフィーナはこの優しい兄についつい甘えてしまう。迷いはしたが、あのね、と切り出した。
「強い男の人たちだから、それが当たり前なのかもしれないけど……どうしてみんな、あんなに可愛くないの?」
セラフィーナはいたく真剣だったが、王太子は思わず吹き出してしまった。間に挟まれている厳しい姉も、すました表情を保てずに肩を震わせる。
「どうして笑うの? 五歳の誕生日にお兄様が下さった兵隊さんのお人形は、あんなに可愛いじゃない」
「確かに、あの人形は可愛いな……しかし、可愛い軍人か……」
まだわずかに笑いを含んだ声で、王太子は答えた。これは難しい、と顎に手を当てる。
「けど、セラ。私の近衛や、ミルドレッドの近衛や……今までも本物の兵隊さんを見たことはあっただろう? 可愛い兵隊さんはそんなにいないってことは、わかっていたんじゃないのかい?」
諭すように話しながらも、パーシヴァルの頭は疑問でいっぱいだった。可愛い兵隊さんってなんだ。
「だって、あの方たちはもう大きいもの。今日試合をする人たちは、学校を卒業する若い人たちだって言ってたのに、みんなもう大きいわ」
なんとなく、パーシヴァルたちにも妹が何を考えていたのかわかってきた。きっと若い人、というのを少年のことだと勘違いしていたのだ。
「やっぱり、おかしいと思っていたのよ。士官学校を卒業するのって、十八歳なんでしょ? もう大きいわよね。お父様がみんな可愛い兵隊さんだよって仰ったのは噓だったんだわ」
憤慨するセラフィーナを前に、パーシヴァルは少しばかり遠い目になってしまった。確かに父王からしたら、自分の子供のような年齢の軍人たちは可愛いものだろう。
父が末娘に嘘つきだと思われているのは忍びない。パーシヴァルはフォローすることにした。
「父上には、卒業したての若い兵隊さんは可愛く見えるのさ。セラに嘘をついたわけではないよ」
納得しかねるような表情ではあったが、セラフィーナは頷いた。そして、先ほどよりは真剣な様子で、試合会場に視線を戻す。
「ちゃんと見るわ。わたしの初めての専属近衛だものね」
御前試合はトーナメント形式で行われる。かつて騎士団が国防を担っていた時代の名残で、銃が軍に普及した今ももてはやされている剣術試合だ。やっと、一回戦目が次の試合で最後といったところだった。
その試合に登場した卒業生を見て、セラフィーナは思わず立ち上がった。
シャノン・ハーシェルと名前を呼ばれて木剣を振り上げ応えたその青年は、まだ少年と言っても通じるような小柄な体躯を軍服に包み、堂々と顔を上げている。土埃の届かない位置に設けられた王族の観覧席からも、その顔はしっかりと見えた。セラフィーナは視力が良いのだ。
「お兄様……可愛い兵隊さん、いたわ」
「驚いたな、本当だ。ハーシェルってことは、ルイスの弟か」
兄妹の驚きも致し方なかった。シャノンは、件の兵隊人形とどこか似ていたのだ。大きな目に小作りな鼻と口、綺麗なプラチナブロンドを短く整えて、小柄ながら妙に軍服を着こなしているその様子は、幼い女の子が喜んで大切にしていた人形がそのまま現実に現れたかのようだった。
「セラフィーナ。座りなさい」
ミルドレッドがセラフィーナの手を引いて、椅子に座らせた。
「お兄様、あの方は近衛の候補に入っている方?」
食い入るようにシャノンを見ている妹に変わって、ミルドレッドがパーシヴァルに問いかけた。パーシヴァルは、王族の観覧席で控えている近衛隊長・アシュトン中将を振り仰いだ。
近衛隊長が頷く。
「近衛候補だそうだよ。セラ、良かったね」
「まあ、お兄様、いくら候補だからと言って、容姿だけで決めてはだめよ。ちゃんと結果を見てからになさいね」
兄姉から口々に話しかけられるが、セラフィーナは試合の行方を見守るのに忙しかった。
(勝てるかしら……さっきから、避けてばかりだわ。お願い、勝って……!)
心臓に悪いことに、シャノンの相手は横幅が倍はありそうな大柄な卒業生だった。
避ける動きは機敏で危なげないが、攻めに転じることができていないように見える。
セラフィーナは、知らず知らずのうちに胸の前で両手を握りしめていた。
そのとき、シャノンがわずかに体勢を乱した。
「あっ……」
またもやセラフィーナは腰を浮かしてしまう。
シャノンの対戦相手も、隙ありとばかりに木剣を振りかぶる。
(負けちゃう……!)
しかし次の瞬間、ぐっとしゃがみ込むように剣筋をかいくぐったシャノンが、相手の喉元に剣先を突き付けていた。
審判の笛が鳴り、わっと歓声が上がる。
一回戦目の最終試合は、シャノン・ハーシェルの勝利で終わった。
「勝ったわ……!」
セラフィーナは嬉しくなって手を叩いた。
「彼、いいね。体格と膂力で劣る部分を、俊敏さと技術でしっかり補っている」
パーシヴァルも高評価だ。セラフィーナは満面の笑みで兄に告げた。
「わたしの専属近衛、決まったわ!」
パーシヴァルは笑みを返したが、ミルドレッドは目を眇めた。
「まだ一回戦目よ。まぐれかもしれないのに、もう決めてしまうの?」
悔しくてむっとしたセラフィーナだったが、どのみち最後まで観覧しなければならないのは同じことだ。つんとすまして、椅子に座りなおした。
「次も勝つもの」