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Step 3. ……踊れたわ、私


 通常よりも少し離れた距離を保って、向かい合う。ライラの肩に、わずかに力が入ったのが見てとれた。


(少し呼吸が早い)


 ライラの緊張が伝わってくる。シャノンは注意深く様子を見ながら、ダンスの前のお辞儀をした。

 ライラもそれに倣う。多少ぎこちなくはあったが、問題にするほどではない。


 次にシャノンは、左手をそっと差し出した。女性もののほっそりとした手袋につつまれたその手は、よほど注意深く観察しなければ男の手には見えない。侍女は手袋をしないものだが、さすがに素手では男であるとわかってしまうのだ。

 ライラのためらいは、シャノンが考えていたほど長くなかった。意外なほど素早く、細い手がシャノンの左手に乗せられる。震えとともに伝わってきたのは、手袋越しにもわかる冷たさだった。


「無理していませんか?」

「……はい」


 声は震えていなかった。ずっと重なった手に落とされていたライラの目が、シャノンの目を見つめ返す。数秒経って再びそらされた視線は、シャノンの喉元へ向けられた。

 シャノンにとってこのお仕着せの難点は襟がすっきりしていることだった。それほど目立つわけではないが、シャノンとて喉仏がある。今日はスカーフを巻いて隠していた。


「シャノンは侍女、シャノンは侍女……」


 ライラが小さく口の中で呟いた。この距離ではやっと聞こえるくらいの大きさだったが、シャノンは自慢ではないが耳がいい。しっかり聞き取ったその呟きが微笑ましくて笑いそうになるのを耐えなければならなかった。


「いいですか?」


 次の段階に進まねばならない。シャノンは問いかけた。ライラがこくりと頷く。

 一歩、二人の間の距離が縮まった。ライラの右手がびくりと揺れる。


「ホールドします」


 意識して、少し高めの柔らかい声を出す。ライラの手が乗った左手を体の正面から横にずらし、また半歩近づいた。もう、お互いのスカート部分の裾が触れ合うほどに近い。

 とうとうライラは顔をうつむけてしまった。後頭部で結われた栗色の髪がなんとも複雑な形にまとめられているのを見て、シャノンは呑気にも感心した。


(どうやったらこんな形に結えるんだ……)


 女性の格好をするとき、シャノンは長い髪のかつらを結い上げて被っている。口の堅い母の侍女に不審がられながらも教わったのだが、簡単な結い方しかものにできていないのだ。仕事の役に立つのではと、妙な研究心を起こしてしまった。

 けれどその思考は、ライラの細い声に遮られた。


「少し、少し待って」


 考え込みながらライラの背中に回しかけていた右手を、シャノンは慌てて引っ込めた。集中を欠くとはとんだ失態だ。


「申し訳ありません、大丈夫ですか」

「ええ。……ごめんなさい、怖いと言うよりも……少し混乱しているみたい」


 無理もないだろう。こんな状況は、想像の範疇を超えていておかしくない。現にライラはしきりに瞬きをしている。

 シャノンにとっても、難しい状況だ。何が最善なのか、ほとんど確信も持てないまま、とりあえずは試してみるしかない。


「ダンスのマナーなどはあまり気にせず、顔を見ようとしなくていいですよ。いっそ足元ばかり見て、ステップに集中するのはどうです?」


 シャノンの言葉につられて、ライラは足元に視線を落とした。

 その瞬間に、シャノンはライラの背中に右腕を回してホールドすると、いつでも弾けるようピアノの前で待機してくれていたガヴァネスに頷いて見せた。

 すぐに曲が流れ出す。デビュタントがお披露目の舞踏会で必ず踊るファーストダンスの曲――ワルツだ。

 ほとんど騙し討ちのように踊り始めたシャノンのリードで、ライラもステップを踏み出した。相当驚いていたようだったが、足取りは意外にも軽やかだ。


 シャノンの提案通り、ライラは顔をうつむけて足元に集中している。ダンスパートナーのつむじがこうも見える機会は、身長の低いシャノンにはなかなか訪れない。


(上手だな……)


 ダンス自体は踊れる、との父親の言は、かなり控えめな表現だったようだ。シャノンはそれほど女性とのダンスの経験があるわけではないが、これほど踊りやすいと感じた相手は今までいなかった。

 このままライラが男性相手に社交ができないのだとしたら、このダンスの才能も見いだされないままなのだろう。


 これまで、中将閣下から直々に頼まれた任務を遂行したいという一心であったシャノンだが、ここにきて別の感情が芽生えてきた。

 シャノンの提案を素直に聞き、懸命に努力する姿勢を見せているこのライラが、社交界で顔を曇らせ壁の花になっているところは見たくない。


(頑張って、克服してほしい)


 程度は違えどコンプレックスを抱え、なんとか折り合いをつけつつあるシャノンは、この任務に対して使命感に似た何かを抱いてしまった。

 シャノンが勝手に決意を新たにしているうちに、曲が終わった。


 なるべくゆっくりとした動作で姿勢を戻し、礼を取る。向かいで同じようにしたライラは、息を弾ませていた。

 あの足運びから見て、一曲踊りきって疲れたということではないのだろう。緊張や戸惑いで、余計に体力を使っていたのだ。

 自分の呼吸を確かめるかのように、ライラは胸に片手を当てた。もう片方の手でわずかによれたスカートを直したかと思うと、少々ふらつきながらもソファに腰かけた。


「……踊れたわ、私」


 ライラは囁くように言った。その後も何か呟いたようだったが、シャノンには聞き取れなかった。


(あんまり喜んでる風じゃないな)


 不思議に思ったシャノンだったが、問いかける言葉を持たない。

 シャノンの装いが完璧に近いものであったからと言って、一度目で踊りきれるとは思っていなかったのもあって、シャノンは半ば放心していた。

 しかしすぐにライラから声がかかり、我に返る。


「シャノン、ありがとうございます。……どうぞ座って?」


 ためらいがちではあったが、ライラは自分の隣を指し示した。

 シャノンが座ると彼女は深々と頭を下げた。


「本当に、ありがとうございます」


 シャノンは慌てて口を開いた。


「そんな、顔をあげてください」


 ゆっくりと顔をあげたライラは、ひとつ瞬いて頷いた。


「そうよね、まだ始めたばかりだもの……でも、あなたのおかげなのは間違いないわ。これからしばらくご迷惑をおかけするとは思うけれど、どうかよろしくお願いします」


 きっぱりと言い切ったライラの様子は、今日一番の潔さだった。どこかためらいが消えたように見える。

 シャノンは自然と笑みを浮かべていた。


「こちらこそ、ライラ嬢が憂いなくデビューできるよう努めます」


 実を言うと、少し懸念もあったのだ。シャノンが駆り出されたこの状況は、ライラの本意ではなくアシュトン伯爵の思惑のみであったのではないかと。

 けれどこの様子を見るに、ライラはかなり前向きらしい。彼女も彼女で、きちんと社交をして結婚相手を見つける努力をしたいということなのだろう。伯爵が縁談を整えることもできるだろうが、ライラの社交に問題があるままではそう上手くいかないのが貴族社会だ。


「次の練習がいつになるかはまだわかりませんが、きっとまた近いうちにお伺いします。そのときは……男の格好で」


 ライラが息をのんだ。視線を揺らし、口元を引き結んだが、しっかりと頷いた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] そのうち作品内で語られるとは思いますが、ライラちゃんが男性を怖がる理由。 [一言] 今の段階までは、シャノン君を男装の麗人のイメージで読んでいます(彼にとっては不本意でしょうね)。
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